アンコールワットの真実 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

先週金曜日、土曜日と全国的に物凄く深い霞に覆われました。決してPM2.5ではないですよ。

その原因は、神国日本の浄化システムが3月4日にヴァージョンアップしたからです。詳細はいずれご紹介することになりますが、本日の記事も直接的に関係することになります。

昨年末、アンコールワットを中心とした遺跡に行ってきました。以前から見たい遺跡の一つでした。

前庭の池に写るアンコールワット

アンコールワット①

 


第二回廊から見た中央塔

アンコールワット②

夜明け前の幻想的なアンコルールワット

 

アンコールワット③

 


アンコールワットに行ったのは単なる観光ではありません。ここが霊的に大変重要な場所だと考えたからです。

これまで、神国日本の浄化システムついてご紹介してきました。日本は世界の雛形であり、日本の波動さえ元に戻せば、世界の波動も高くなり、神代が再現すると述べてきました。

<結界の真実①>

従って、海外は関係ないと思っていたのですが、アンコールワットは特別な場所だったのです。

アンコールワットは、カンボジア北部、シェムリアップにある巨大遺跡、アンコール遺跡の一つです。

<WIKI:アンコールワット>

12世紀前半、現在のインドシナ半島の大部分を治めていたクメール王朝(アンコール王朝)のスーリヤヴァルマン2世よって建立されたヒンズー教寺院とされています。

これが事実だと思いますか?

私は、アンコールワットの現物を見る前から、これが12世紀前半に造られたものとは異なる、と考えていました。

そして、現物を見た瞬間、それが確信に変わりました。

エジプトのピラミッドもそうですが、これらの壮大な巨石による建造物を造るには、科学が進化した現代でも大変な技術と労力、資金が必要で、建造には十年以上かかるでしょう。それでも出来ないかも知れません。

それが、ピラミッドは3000数百年前、アンコール・ワットは900年前。
科学が全く発達していない時代に人力のみで造られたと言われています。

しかし、どんなに時間をかけても、当時の人間の力だけであれだけの精巧なものを造るのは不可能です。

これら建造物は、人間中心文明に造られたものではないのです。私は、少なくとも神代末期である3400年以上前のウガヤフキアエズ朝時代に造られたもだと考えています。

アンコールワットの周辺には、アンコールトムなど、大規模な寺院遺跡がたくさんあります。これらを含めてアンコール遺跡と呼ばれています。

アンコールとは、サンスクリット語で王都。ワットはクメール語で寺院を意味します。

王朝の中心寺院がアンコールワットで、ここを中心にクメール王朝以前から古都があったはずです。

<WIKI:クメール王朝>

また、アンコールワットは元々ヒンズー教寺院として建てられたが、後に仏教に改宗されたとされています。現在は、寺院中央の本堂四隅に四体の仏像があるのですが、これは元はヒンズー教の中心神であるヴィシュヌ神だったと言われています。

しかしながら、これは熊襲による改竄でしょう。

アンコールトム

アンコールトム①

 

アンコールトムの前に並ぶ神々
アンコールトム②

 


アンコールワットは、少なくとも3000年以上前に建てられた仏教寺院だったのですが、それが12世紀のクメール王朝時代、ヒンズー教に改宗させられたのです。熊襲によって。
<造化三神とヒンズー教三神>

その後、正当な人々がさらに元の仏教に戻したことを、熊襲が「仏教に改宗させられた」と主張しているのです。

何故、熊襲がそこまで手の込んだことをするのかと言いますと、アンコールワットを中心としたアンコール遺跡が世界の歴史の真実を語る上で大変重要な場所だから、隠しておきたかったのです。


それに繋がるエピソードをご紹介します。

日本人で最初にアンコールワットを見たのではないかと伝えられているのは、1632年の森本一房です。

<WIKI:森本一房>

森本は、肥後城主だった加藤清正の家臣の息子で、父の菩提を弔い、年老いた母の後生を祈念するために、当時インドの祇園精舎と思われていたアンコールワットを訪れます。

そして、自ら四体の仏像を収めたと、アンコールワットの柱に墨書きを残したのです。今でもその痕跡が残っています。

前述しましたように、アンコールワットの本堂には、以前のヴィシュヌ神に代わって四体の仏像が収められています。

おそらく、この四体の仏像は、森本が日本から持ってきたものなのです。森本は徳川幕府の命令により、アンコールワットをヒンズー教から仏教へと元に戻す手伝いをしたのだと推測しています。

何故、そんなことをしたのでしょうか?


森本の訪問以降にも、徳川第三代将軍家光は、島野兼了に仏教の聖地「祇園精舎」の視察を命じているのですが、その場所がアンコールワットだったのです。
<WIKI:祇園精舎¥日本での受容>


森本や家光の行動を、ウィキペディアでは、「カンボジアのプノンペンの日本人町の人達は、アンコール・ワットが祇園精舎であると誤認していた為、その誤った情報が日本にも伝えられ、大勢の日本人が祇園精舎の参詣としてアンコール・ワットへ出かけていた。」と記載しています。

実は、これが改竄なのです。

現代人は、インドが祇園精舎である、と思い込まされていますが、実はアンコールワットこそ祇園精舎だったのです。

そもそも仏教がインド発祥というのが間違いなのです。インドは釈迦如来(月)を中心とした仏教の発祥地であって、さらにそれ以前の仏教の大元は大日如来(太陽)なのです。
<大日如来と釈迦如来>

インドで釈迦(ゴーダマシッダッタ)が存在する数百年前に、アンコールワットでは大日如来による真の仏教が栄えていたのです。

カンボジアは、少なくとも江戸時代初期には南天竺と呼ばれていたのです。

大日如来による仏教の大元は、約三千年にアンコールワットで栄えていて、ほぼ同時期に日本に伝わっていたのです。私はこれを第一次仏教伝来と名付けています。飛鳥時代の六世紀半ばの百済から伝わった釈迦如来中心の仏教は、第二次仏教伝来なのです。

<仏教の聖地>

現代では大日如来が封印されているため、月の釈迦如来が太陽系統治の役割を担っていますが、これが宇宙の法則では異例なこと。本来の大日如来中心に統治に戻さなければならないのです。

その時代は刻々と迫っています。

アンコールワットこそ、大日如来、真の仏教をを象徴する建造物なのです。

そして、アンコールワットは、神国日本と綿密に繋がっているのです。いずれご紹介します。

最後まで読んでいただきありがとうございます。