人間である以上、どんな人であったとしても、多かれ少なかれ、欲があります。動物にも欲はあるかも知れませんが、あったとしても食欲、一時的な性欲に限定された本能的なものではないでしょうか。
何故、人間には欲が生じるのでしょうか?
赤ちゃんを思い浮かべてください。お腹が空いた時、母乳を欲しがる動物のような本能的な欲しかありません。純粋無垢です。
ところが、だんだん成長し、大きくなっていくに連れ、人間関係を経験するようになり、欲が生じてきます。
人間とは、「人」と「間」であり、人と人が交流することによって、欲が生じる世界なのです。
欲には、良いものと悪いものがあります。複数の人の良い欲が重なり合うことで、良い人間社会が構築されていきます。
しかし、人間社会の中には、必ずと言っていいほど悪い欲も生じます。最近は芸能人が世間を騒がせるような事件が頻発していますが、悪い欲望から人生を狂わせていった典型例です。
この悪い欲が生じるきっかけが『魔』であることが多いようです。
魔とは、「魔が差す」というように自分の心に、本意でない悪い心が生じることなのですが、これは多くの場合、憑依で説明できると考えています。
邪神が憑依霊(浮遊霊)を操って、人間社会に悪影響を与えようとしているのです。
これが、「魔が差す」の意味で、昔の人は憑依の実態を知っていたので、このような言葉を作ったのです。
ただし、憑依とは元来、邪神による専売特許ではなかったはずです。人間界は御魂磨きの修業の場ですから、邪神が発生する前から憑依の仕組みはあったはずです。
本来の憑依とは、人間界を司る神等の高次元の存在が、十分な修業が出来るようにアクセントを付けるために行っていたと想像します。
ところが、邪神が発生し、正当な憑依の仕組みを悪用するようになってしまったのが、現代に繋がる人間文明なのでしょう。
冒頭に書きましたように、人間社会で過ごしていくと、良い欲も悪い欲も生じていきます。多くの現代人は、そのうち悪い欲が積もり積もって純粋無垢だった魂が汚れていきます。これが垢(あか)です。
前回記事でご紹介しましたが、純粋無垢で誕生した白い魂が、寿命を全うする時には垢で真っ黒になっているのです。
<白と黒>
寿命を全うした魂は、霊界や幽界に行き、この垢が増えた原因を反省し、次の転生先では、これを解消しようと誓います。
そして、転生に備えて、垢で黒くなった魂の浄化(禊)を行います。これが、日本各地にある大きな川です。利根川、北上川、長良川、吉野川、筑後川などがその代表例です。
しかしながら、川の流れによる浄化(禊)には限界があります。白い魂を覆っていた大部分の垢は落とすことができますが、魂にこびり付いた強力な垢はなかなか落ちません。この垢のことを曲霊(まがい)と呼びます。これがカルマにも繋がると考えています。
現代では「まがひ」と読まれることが多いですが、本来の読みは「まがい」です。偽物のことを「まがいもの」と呼びますが、この「まがい」は曲霊(まがい)が由来なのです。
<WIKI:一霊四魂>
魂にこびりついた曲霊はなかなか落ちず、そのままでは次の転生に悪影響を与えてしまいます。この状態での転生を正当化したのが親鸞の悪人正機説ではないかと考えています。
<悪人正機説は欺瞞>
そういう観点からは、悪人正機説は曲霊を持った人間を悪人として捉えているのかもしれません。
しかしながら、元来、神国日本の浄化システムには、この曲霊をも除去する仕組みが存在していたのです。
その仕組みの根本にあるのが、ダイヤモンドなのです。ダイヤモンドは屈折率が高く、光を通すと内部で反射が起こります。
<WIKI:ダイヤモンド>
この反射を使って、曲霊を落とす仕組みが用意されていたのです。
川での浄化を終えた魂を、さらにダイヤモンドに通します。すると、魂はダイヤモンド内で反射を繰り返すのです。この時の反射の衝撃によって曲霊が落ちていくのです。
そのために、神代、神々は日本の浄化システムの一環として、ダイヤモンドの鉱脈(ダイヤモンド・ライン)を作っていたのです。
しかし、この仕組みは、現在の日本にはありません。数千年前の地球大艱難の際に、ダイヤモンド・ラインが何らかの事象によってなくなってしまったのです。
その名残りは現代でも見られます。それは、北部九州や北海道にある石炭鉱脈です。
ダイヤモンドと石炭は、同じ炭素から出来ていることは知っていますか?
ダイヤモンドは炭素の同位体です。
一方、石炭は、「黒いダイヤ」と呼ばれたりしますが、主成分は炭素です。
<WIKI:炭素>
ダイヤモンドに強烈な熱や圧力が加わると、石炭に変化するのです。
九州北部にある石炭鉱脈は、神代はダイヤモンドのラインだったのです。現在はほとんどの炭鉱が閉鎖されていますが、北部九州の地下深くには、まだまだたくさんの石炭が埋まっています。
これら全ての石炭は、神代にはダイヤモンドだったのです。信じられないでしょう?
ダイヤモンドとは日本語では金剛石と呼びます。金剛と名の付く地域はダイヤモンドと関係しているのかもしれません。
しかしながら、神代終盤の地球に生じた大艱難で、ダイヤモンドは石炭に変わってしまっているのです。
その結果、曲霊を落とす仕組みがなくなり、転生しても曲霊が残っているため、人間には悪い欲望が生まれやすくなっているのです。
これが悪人正機の考えでもあるのです。
将来、ダイヤモンドが復活してもらいたいものです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。