仏教の聖地 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

日本への仏教公伝は、538年説552年説が存在します。
<WIKI:仏教公伝>

しかし、どちらが正しいかの議論は、あまり重要ではありません。邪馬台国の近畿説、九州説の議論も同じです。隠された真の歴史の流れを知ることこそが重要なのです。

仏教が6世紀前半までに公伝したのは間違いありませんし、それは第29代欽明天皇の施策だったのです。

ただし、この頃伝わった仏教は、像法の時代のものです。本来の釈迦の教え(正法)とは似ているようで、実は非なるものだったのです。
<WIKI:像法>

釈迦入滅の時期については、いろいろ議論がありますが、6世紀には、釈迦の真実の教えである正法の時代は終わっていて、すでに像法の時代に入っていたことは間違いありません。従って、日本に公伝した仏教は、釈迦の真実の教えとは少し異なっていたことになります。

ところが、以前、簡単にご紹介しましたように、仏教公伝のはるか前に、仏教はすでに日本に伝わっていたのです。今から2500年以上前のこと。その仏教の聖地が妙高山周辺ということでした。
<ナウマンゾウの真実>

この頃の仏教は、正法の時代ですから、
釈迦の真実の教えが伝わっていたはずなのです。

しかし、その後、阿修羅が跋扈し、釈迦の真実の教えは、国内ではだんだん衰退していったと推測しています。

もちろん、海外でも、仏教の発祥地インド⇒中国⇒朝鮮半島と伝わっていく過程で、その内容が微妙に変わっていったのでしょう。その変わっていた内容が6世紀、百済から再度伝わったのです。これを正史は仏教公伝と呼んでいるのです。

最初(2500年以上前)の仏教伝来の際は、前述の妙高山周辺だけでなく、国内数カ所に普及していたようなのです。その一つが大分県の国東半島です。

国東半島は、観光地としては、国内での知名度はあまり高くなく、地味なイメージがある地域ですが、こういう場所こそ、本来は歴史的に重要な場所であり、謎が隠されているのです。国東半島には、現在でもたくさんの寺院が存在しています。

国東半島

(クリック拡大)

国東半島には、かつては六郷満山(ろくごうまんざん)と呼ばれる65もの寺院群があったそうです。

<富貴寺>

富貴寺


<千塔寺跡>

千塔寺跡


<天念寺川中不動>

天念寺


これらの六郷満山の寺院の発祥は、奈良時代の仁聞菩薩によるものとされています。
<WIKI:六郷満山>

このことは正しいと思いますが、それ以前、はるか昔、第一の仏教公伝の時から、国東半島には仏教が普及していたのです。

ウィキペディアには、「国東半島には古来から山岳信仰があった」となっていますが、この古来の山岳信仰とされている信仰こそ、正法時代の真の仏教の名残りなのです。

ところで、その国東半島付けの宇佐市には、日本の神社の中で、(伊勢)神宮に次ぐ二番目の社格とされている宇佐神宮があります。八幡信仰の総本社ですよね。
<WIKI:宇佐神宮>

八幡(はちまん)信仰とは、八幡神(やはたのかみ)を祀るものです。八幡神とは第14代応神天皇とされています。
<WIKI:八幡神>

しかし、ここに大きな改竄があるのです。

応神天皇の魂は、確かに八幡神の魂の流れの一つではあるのですが、正しくは、もっと古い時代の魂の存在なのです。

八幡神社の八幡は、現在では一般的には「はちまん」と読みますが、元来の読み方は「やはた」だったのです。北九州市八幡区にその名残があります。

実は、この「やはた」が変化して、旧約聖書唯一の神とされる「ヤハウェ」になったのです。
<WIKI:ヤハウェ>

八幡神は、神代時代の春日神に関係した魂(天太玉神、天児屋根神、建御雷神、経津主神等)が、神代の終了後に統合した存在です。神というよりも、大権現という言い方が正しいのかもしれません。神代が終わり、人間中心の文明である上代になった際に登場した、肉体を持たない存在(佛)なのです。

以前も触れましたように、上代は、我々が歴史で学ぶ弥生時代とオーバーラップします。弥生(やよい)も「やはた」の呼び名から変化したものだと思います。それが、さらに「ヤハウェ」に変わったのだと思います。

阿修羅は、本来の八幡神の存在を改竄し、「ヤハウェ」として旧約聖書唯一の神であると、改竄したのです。

ヤハウェは、本来八幡神であるはずであるのに、阿修羅界最高の神、邪神にしようとしたのです。それが旧約聖書です。

そのうえで、八幡神を
経津主神の魂の流れである、人間である応神天皇に改竄したのです。

八幡系神社の祭神は、上代の応神天皇や神功皇后ではなく、それ以前の八幡神(やはたのかみ)なのです。従って、弥生時代、人間文明の基礎が築かれた時代の八幡神を、八幡神社として祀っているのです。八幡系神社が神社の中で一番数が多いのは、そういう経緯があるのです。

それでは、何故、八幡系神社の総本社である宇佐神宮が、国東半島付け根の宇佐市に存在しているのでしょうか?

それは、八幡神は、仏教と神道が統一された最初の神であり、上代(弥生時代)には日本(倭)の中心の佛(神)として、正法時代の仏教のご本尊として信仰されていたからなのです。その仏教の中心地が国東半島であり、国東半島には特別な八幡神社が設けられたのです。それが国東半島に5つあったとされている別宮八幡神社なのです。
<WIKI:別宮八幡社>

(豊後尾高田市の別宮八幡神社)

別宮八幡神社①

別宮八幡神社②


しかし、現代では、仏教や神道だけでなく、3世紀以前の国内の歴史はほとんどすべて消されています。阿修羅によるものです。

同様に、国東半島の仏教の真の歴史も消され、八幡神を祀った神社群も壊され、その代わり国東半島付け根に八幡系社の総本宮として、立派な宇佐神宮に移し代えられたのです

確かに、宇佐神宮はその荘厳さから、素晴らしい神社には違いはありませんが、本来の祭神も変えられ、場所も国東半島から移されてしまった後のものなのです。宇佐神宮ができたのは、国東半島の歴史を消すためのものであったとも言えるのかもしれません。

国東半島の六郷満山の寺社仏閣を巡ってみてください。全く異なる歴史感を感じることができます。私たちは洗脳によって考えることを忘れさせられているのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。