三英傑の真実② | 知っとうや(真実を求めて?!)

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織田信長豊臣秀吉徳川家康三英傑については、歴史書は大きく改竄されていることを書いてきました。
<三英傑の真実>
<信長の真実>
<秀吉の真実>

本物の信長は、熊襲の罠に嵌って立場を乗っ取られ、偽者が信長に成り済ましたのです。

逆に本物の信長は、
浅井長政の助けを借りて、浅井長政にすり替わったのです。

しかし、結局、熊襲が成り済ました信長が、頂点に立ったのです。

偽信長となったのは、
浅野長勝です。
<WIKI:浅野長勝>

織田信長とされる肖像画(実は偽織田信長)

偽織田信長

有名な信長の肖像画とは全く顔が異なります

浅野長勝は、戦国武将、浅野長政
(養女ややの夫)の義父として有名です。また、養女とした浅野三姉妹(くま、ねね、やや)のうち、ねね(後の高台院)は木下藤五郎(後の羽柴秀吉)の正室になっています。

実は、浅野長勝本人も熊襲に騙されて立場を乗っ取られたのです。そして、偽浅野長勝は、織田信長にも成り済ましたのです。

一方、立場を乗っ取られた本物の織田信長は、浅井長政となり、浅井三姉妹(茶々、初、江)を構成します。実は、浅井三姉妹は実際の姉妹ではなく、長政(本物の信長)が政略的に作った姉妹なのです。
<WIKI:浅井三姉妹>

これに対抗して、偽信長(浅野長勝)は、全く他人の三女を連れて来て養女(ややは本来実子だったが熊襲の成り済ましにあった)にし、浅野三姉妹を構成したのです。浅井長政に対抗するためです。

浅井と浅野。似たような三姉妹が、同時代に歴史に名を残していること自体が、戦国時代が異常な状態であった証左なのです。

いつの世も、熊襲は本物の真似をしてきたのです。


そして、結局、偽浅井長勝が勝利し、偽織田信長となって頂点に立つことになったのです。

このように、本当の歴史は非常にややこしいのです。


そこで、熊襲の偽信長に対抗するために登場したのが秀吉です。

神代の国譲りと同じで、天からは熊襲の支配に対して必ず修正が入るのです。
<日本神話-国譲りの真実>

天は、偽信長の対抗馬として木下藤五郎を育てることにしました。木下藤五郎はそのために羽柴秀吉と改名し、偽信長の手下として徐々に頭角を現して行きます。

そして、信長四天王と呼ばれるまでになります。
<WIKI:信長四天王>

信長四天王の柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、羽柴秀吉の4人は、表向きは信長の家来でしたが、実際には
時が来たら偽信長の熊襲政権を転覆させようとしていたスパイ仲間だったのです。これも天の采配です。

そして、その時が
本能寺の変だったのです。
<本能寺の変>

本能寺の変は、信長の忠臣だった
明智光秀が謀反を起こした、とされていますが、これは歴史の改竄。

前述の四天王と同じく打倒偽信長のスパイ仲間だった明智光秀らが、用意周到に準備していた作戦こそが本当の本能寺の変の予定だったのです。

しかし、この世紀のクーデターは、当時、台頭する前の
徳川家康(熊襲の成り済まし)によって、事前に漏れてしまいます。

また、四天王の一人、
羽柴秀吉も熊襲のウォークインによっておかしくなり、本能寺の変は事前の計画とは異なり、偽信長政権こそ打倒できたものの中途半端に終わり、逆にウォークインされた秀吉、及び熊襲の徳川家康がタッグを組むことで、全ての責任を明智光秀一人になすりつけたのです。これが現在伝わる歴史なのです。

ただし、その後の
秀吉は、ウォークインによって完全に魂を乗っ取られた訳ではなく、後にウォークイン状態から解放されました。そして、正常に戻った秀吉が天下を取ることになったのです。

しかし、熊襲はあきらめず、秀吉に何度もウォークインを仕掛けたのです。その結果、秀吉政権は安定せず、長続きしなかったというのが歴史の真相なのです。


そして、次に天が登場させたのが、真の徳川家康ということになるのです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。