日本神話-国譲りの真実 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

今回は、前回の天津神国津神に関連した記事になります。
<天津神と国津神>

元来、神々に、天津神と国津神の区別はなかったのです。

ところが、反乱した増上慢に付いて行った神々が、勝手に邪神の世界を作ってしまったのです。

その結果、当時の地球を統治していた神々の王、大国主大神(素戔嗚尊、インドラ、帝釈天)までもが、邪神の罠に嵌められてしまい、高天原の神々と対峙するようになってしまったのです。これが、日本神話の天津神と国津神の対立の話に繋がるのです。

その結果、上古代の神代終盤には、地球は邪神の勢力に完全に支配されてしまい、酷く荒れた状態になってしまったのです。

この状態を憂いた高天原の神々は、地球に介入することを決断します。これが、日本神話の国譲りなのです。
<WIKI:葦原中国平定>

国譲りについては、私はブログを立ち上げて以来、興味を持っていました。3年以上前には次のような記事を書いていました。
<国譲りの真意>

しかし、この段階では、天津神と国津神に分かれた経緯は分かっていませんでした。何故、天津神と国津神が対立し、国譲りに繋がったのか、根本原因を知りませんでした。

そこで、再度、国譲りを検証してみたいと思います。

国譲りについては、古事記と日本書紀では、細部で微妙に異なりますが、大きな流れはほぼ同じですので、簡潔に記載された古事記をベースに検証してみます。

地球に降りた素戔嗚尊は、新たな地球文明を造っていきます。素戔嗚尊の下で、大己貴神や少彦名神などが国造りを行います。そして、その後、素戔嗚尊は、何代にも渡って地球を統治していくことになります。その期間はなんと170億年です。

ところが、天によって、ある場所(現時点ではどこなのか分かりません)に閉じ込められていた邪神たちが、徐々に悪さをしだします。
その邪神の中心にいたのが増上慢です。

そして、邪神によって地球上にいた神々も欲望をくすぐられ、邪神界に堕ちる神々が増えていきます。

邪神のグループはだんだん大きくなり、ついに地球の神々の王、素戔嗚尊(インド神話のインドラ)まで罠に嵌め、高天原にいる天照大神を初めとした神々に対抗し、国津神(インド神話ではデーヴァというグループが作られてしまったのです。

これに対して、高天原にいる神々のことを天津神(インド神話ではアスラ)と呼ぶようになったのだと思います。
<阿修羅の真実その1>

素戔嗚尊という地球の統括ポストは、邪神界によって大国主大神(大己貴神とは異なる)というポストに生まれ変わり、地球は当初の高天原の意向とは異なり、邪神主導の統治に移行していったのです。

そこで、高天原の神々は、本来の地球の在り方に戻すため、大国主大神に対して、天津神への国譲りを求めることにしたのです。

高天原の神々は、大国主大神に代わる新しい統治者として、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)を地球に送り込むことに決めます。ところが、下界を覗いた
天忍穂耳尊は、「葦原中国は大変騒がしく、手に負えない」と天照大神に報告します。

それを聞いた高天原の神々は、下界の様子を見に行かせるために大国主大神の元に天菩比命(あめのほひのみこと)を派遣します。

ところが、天菩比命は、ミイラ取りがミイラになり、大国主大神の家来になってしまったのです。3年たっても高天原に戻ってこなかったのです。ちなみに記紀には書かれていませんが、天菩比命は、大国主大神に次ぐポストである事代主神(ことしろぬしのかみ)に就いたのです。

次に、高天原の神々は、天若日子(あめのわかひこ)を地球に派遣します。

しかしながら、天若日子は大国主大神の娘の下照比賣(したてるひめ)と結婚し、自分が地球の王になろうとして八年たっても高天原に戻らなかったのです。最終的には、天若日子は邪神となってしまい、最後は死を迎えます。(天若日子が天邪鬼の語源になった神です)

そして、高天原の神々が次に地球に送り込んだのが、建御雷神(たけみかづちのかみ)と天鳥船神(あめのとりふね)でした。

建御雷神と天鳥船神は、大国主大神に「この国は我が御子が治めるべきだと天照大神は仰せである。そなたの意向はどうか」と尋ねます。

大国主大神は、自分の前に息子の事代主神(天菩比命)に尋ねるよう答えます。

すると、事代主神は「承知した」と答え、隠れます。

しかし、大国主大神のもう一人の息子、建御名方神(たけみなたのかみ)は、素直ではありませんでした。建御名方神は、「ここでひそひそ話すのは誰だ。それならば力競べをしようではないか」と建御雷神の手を掴みます。

すると、建御雷神は手をつららに変化させ、さらに剣に変化させます。逆に建御雷神が建御名方神の手を掴むと、葦の若葉を摘むように握りつぶして投げつけたので、建御名方神は逃げ出しました。

建御雷神は建御名方神を追いかけ、科野国の州羽の海(諏訪湖)まで追いつめます。建御名方神は逃げきれないと思い、「この地から出ないし、大国主神や事代主神が言った通りだ。葦原の国は神子に奉るから殺さないでくれ」と言い服従します。


建御雷神は出雲に戻り、大国主大神に再度尋ねます。大国主大神は「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げる。その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。私の百八十神たちは、事代主神に従って天津神に背かないだろう」と言います。

大国主神は出雲国の多藝志(たぎし)の小濱に宮殿を建てます。この跡地が現在の出雲大社がある場所と伝えらえれています。

そして、建御雷神は葦原中国平定(国譲り)をなし終え、高天原に復命します。


この後、天孫降臨が行われ、高天原と地球を統一した神々の統治が始まることになるのです。これが、今から約587万年前のことです。
<天忍穂耳尊と瓊瓊杵尊>

この時以来、天津神と国津神の概念はなくなりました

しかし、残念ながら天孫降臨後も神々の混乱は続くことになるのです。それは、完全に邪神界を解消できなかったからです。その影響が人間中心文明になった現代まで続いているのです。なんとも気が遠くなるような長い長い期間、太陽系の混乱は続いているのです。それがもうすぐ終わります。


最後まで読んでいただきありがとうございます。