サバを釣り、刺身で
この3週間ばかり、時間をとって1日か2日の半日ほど、Santa cruzの桟橋でサバ釣りをしています。サバはこの場所にも毎年来るわけではないので、群れが近くにいるときが釣り時です。群れが桟橋に沿ってきたり、横切ったりするたびに数匹筒釣れますが、この釣りには、餌はいらずに、サビキという擬餌針が6本ほどついたたハリスをつかいます。サバのサイズは30センチほどで、この辺りで釣れる型としては大きなほうです。
数週間前にはイワシが釣れていましたが、2週間まえは、サバばかりで、3連、4連と固まって連れると、結構重さもあるので巻き上げには力がいりました。私たちは、サバは生き腐れなどといわれますが、実際の経験からもサバ、イワシの類は、新鮮度を保つのが難しいとわかったいるので、釣った先からクーラーに入れて氷で冷やします。 こうしておくと、家に帰って裁いても身がしまっています。3枚におろして、皮を引いて、おなかの骨をすいて、身の真ん中に並んでいる骨の部分を切り取ると、刺身用の身ができます。この身も、完成しだいボールにいれて氷を入れたビニール袋を上においてすぐ冷やします。
こうしてできた刺身用の身を後は、一口サイズに切って、刺身にします。これはたたき風に、ポン酢に生姜、ねぎなどの薬味をいれて食べてもおいしいですし、生姜しょうゆでも十分いけます。ここ数回は、どんぶりいっぱいほどのサバ刺しをいただいていますが、サバ好きにとっては堪えられないですね。なんという贅沢。サバは嫌い人と好きな人がきっかり分かれていて、嫌いな人は魚を見るだけで蕁麻疹がでそうなほどですが、好きな人は、どんな調理をされても大好きと言う人が多いようです。
先週くらいからサバは最盛期は過ぎたようで、サバとイワシの比率がかわってきていて、前回はサバが釣果の30%くらいになっていました。今週も、なんとか時間をつくって刺身釣りに行きたいと思っていますが、現在時間の工面中です。もう、シーズンも終わりに近いような予感がしていますが、最後まであきらめないのが釣果につながるかと、、、
数週間前にはイワシが釣れていましたが、2週間まえは、サバばかりで、3連、4連と固まって連れると、結構重さもあるので巻き上げには力がいりました。私たちは、サバは生き腐れなどといわれますが、実際の経験からもサバ、イワシの類は、新鮮度を保つのが難しいとわかったいるので、釣った先からクーラーに入れて氷で冷やします。 こうしておくと、家に帰って裁いても身がしまっています。3枚におろして、皮を引いて、おなかの骨をすいて、身の真ん中に並んでいる骨の部分を切り取ると、刺身用の身ができます。この身も、完成しだいボールにいれて氷を入れたビニール袋を上においてすぐ冷やします。
こうしてできた刺身用の身を後は、一口サイズに切って、刺身にします。これはたたき風に、ポン酢に生姜、ねぎなどの薬味をいれて食べてもおいしいですし、生姜しょうゆでも十分いけます。ここ数回は、どんぶりいっぱいほどのサバ刺しをいただいていますが、サバ好きにとっては堪えられないですね。なんという贅沢。サバは嫌い人と好きな人がきっかり分かれていて、嫌いな人は魚を見るだけで蕁麻疹がでそうなほどですが、好きな人は、どんな調理をされても大好きと言う人が多いようです。
先週くらいからサバは最盛期は過ぎたようで、サバとイワシの比率がかわってきていて、前回はサバが釣果の30%くらいになっていました。今週も、なんとか時間をつくって刺身釣りに行きたいと思っていますが、現在時間の工面中です。もう、シーズンも終わりに近いような予感がしていますが、最後まであきらめないのが釣果につながるかと、、、
就職までに$424,000かかった高等教育とは
やっと、独り立ちした息子ですが、彼が大学に入学してから就職するまでに掛かった教育費の総額を考えてみると、ちょっと、びっくりするくらいのお金が掛かっています。この総額は、私たち親からだけではなく、大学からの補助、UCLAでの州政府からの授業料への補助、財団などからの研究資金といったものを一切合財含めてみたものです。以前にも、お伝えしていますが、アメリカの豊かな私立大学の素晴らしさのひとつは、選んだ学生を育むための費用に、日本の基準から見れば、糸目をつけないことにあるのでしょうね。
項目別に見てみると
Pomona Collegeでは $85,000 x 4年間 = $340,000 (家庭の支出分$100,000)
財団の研究資金 $3,000
Fellowship供与金 $33,000
UCLA大学院 $48,000 x1年間 = $48,000 (家庭の支出分$35,000)
合計 $424,000
このうちで、私たちが負担したのは、$135,000でしたから、$289,000は援助、供与となっているために、彼の場合には、大学入学後の6年間では、平均して毎年$48,000ドル余りを外からの援助として受けていたことになります。
最近のPomonaの情報によると、現在この大学が一人の学生にかける教育費の総額は年間$100,000程度となっているそうですから、大学4年間だけでも教育費の総額は$400,0000を超えることになるようです。
Pomonaでは入学者の平均の成績、点数だった息子が合格者に選ばれて、このような恵まれた教育を受けることができたことは大変幸運なことだったと、いまさらながら感じています。背中を押し続けてくれた教授との出会いがあり、その教授が学問的にも、人生の進路についても本当に親身になって指導してくれた結果が今の彼の姿だと、私たちは思っています。
また、Pomona、Fellowship,UCLAで培われた人とのつながりは、彼の一生の宝となるように思います。最近も、Fellowshipで一緒だったAmhaerstやPomonaの卒業生と会ったりしていましたが、、Pomonaの同窓生のほうは念願のMarine Biology の博士課程をUCSDでこの秋から始めることになったと言います。かたや、
Amherst卒のJさんは、進路をいまだ模索中、この夏の期間は、南部の実家からはとおいサンフランシスコでDog Sittingをしているそうで、自力で生活しながらも、急がず、慌てずじっくり将来を模索している姿に、私は好ましいものを感じています。
項目別に見てみると
Pomona Collegeでは $85,000 x 4年間 = $340,000 (家庭の支出分$100,000)
財団の研究資金 $3,000
Fellowship供与金 $33,000
UCLA大学院 $48,000 x1年間 = $48,000 (家庭の支出分$35,000)
合計 $424,000
このうちで、私たちが負担したのは、$135,000でしたから、$289,000は援助、供与となっているために、彼の場合には、大学入学後の6年間では、平均して毎年$48,000ドル余りを外からの援助として受けていたことになります。
最近のPomonaの情報によると、現在この大学が一人の学生にかける教育費の総額は年間$100,000程度となっているそうですから、大学4年間だけでも教育費の総額は$400,0000を超えることになるようです。
Pomonaでは入学者の平均の成績、点数だった息子が合格者に選ばれて、このような恵まれた教育を受けることができたことは大変幸運なことだったと、いまさらながら感じています。背中を押し続けてくれた教授との出会いがあり、その教授が学問的にも、人生の進路についても本当に親身になって指導してくれた結果が今の彼の姿だと、私たちは思っています。
また、Pomona、Fellowship,UCLAで培われた人とのつながりは、彼の一生の宝となるように思います。最近も、Fellowshipで一緒だったAmhaerstやPomonaの卒業生と会ったりしていましたが、、Pomonaの同窓生のほうは念願のMarine Biology の博士課程をUCSDでこの秋から始めることになったと言います。かたや、
Amherst卒のJさんは、進路をいまだ模索中、この夏の期間は、南部の実家からはとおいサンフランシスコでDog Sittingをしているそうで、自力で生活しながらも、急がず、慌てずじっくり将来を模索している姿に、私は好ましいものを感じています。
荷造り、大掃除、旅立ち
先週の金曜日に、東海岸まで、車を搬送してくれる業者がトレーラーでやってきて、息子の車を積んでいきました。これは、車の搬送の手配をするブローカーに依頼して、彼が手配をしてくれたのですが、積み込みにくるまで、何時現地に着くのかわからないといった、臨時便のものでした。積み込んでからわかったことは、我が家のあとで、2-3台の車とつんで、次の日(土曜日)に出発、運転手が二人で交代していくので、ほかの車を下ろしながらいっても、最後に下ろす息子の車の目的地につくのが、火曜日というグレーハウンド並みのスピードでした。車が到着するときには、息子は現地にはいっていないので、受け取りを大学に頼んでおきました。到着しだいに、残金1000ドルを払うと言う契約で、前金を260ドルブローカーに払いました。西海岸から東海岸までの車の輸送費は1200-1500ドルと言うのが相場のようですね。
これで、車の件はよかったのですが、アパート引っ越す荷物があるのでその荷造りをして、合計14個の箱をUPSでおくりました。これが〆て、400ドルくらいでした。大学のアパートは家具つきなので、この面の心配はなかったのですが、それでもこまごましたものがけっこうありました。送ったもの以外には、スーツケースが2個、機内持込のスーツケースが一個、バックパック一個の荷物があり、これらは持っていく予定でした。なんでも引越しのトラックは、1000ドルの料金が最低だとか聞いていますから、少量の荷物の場合には、UPSなどがお得なのかもしれません。
さて、ここまでは、比較的簡単だったのですが、この時点で残った大学時代からの荷物の処理、これがけっこう時間がかかりました。息子は大学を卒業してから、こんどは海外のFellowshipへ、そこから帰ってきてからUCLAと言った具合で、その間に荷物の整理をまったくしていなかったので、彼の部屋の4分の1くらいのスペースには箱詰めされた荷物が1メートルくらいの高さでおいてありました。今度の出発までに、床には、家具以外のものはないことという目標があったので、彼も生まれて初めて、自分の部屋の大整理、大掃除をしたのですが、出発間際になってなんとか格好がつきました。現在、彼の部屋は、家具以外、床を占有しているものは、ありません。 これは大躍進です。これで、この部屋を、一人用のゲストルームにすることができそうです。
いま、我が家の廊下には片側にごみが山積みですが、これは毎週分割して出していけるので、そのうちになくなります。小学校時代に買って読んだ本などは、20キロくらいあるのですが、箱詰めして幼稚園児のいる友人の子供に提供するつもりでいます。
さて、彼の飛行機代は310ドルほどだそうですが、これを入れると計1970ドルとなり、就職先からいただいた引越し代2000ドルをほぼ使い切ることになります。初任の彼にこれだけの支出をしてくれた大学には感謝です。
昨日、息子は旅立ちましたが、夕刻に近くの空港に着くと、同僚となる職員が出迎えてくれて、夕食を大学の支給のクレジットカードを使っておごってくれたそうです。大学に着いてみると、車は損傷無しで到着、ただ、積み込みのときに進行方向を向いていた車の後ろの面は虫の死骸でいっぱいだったそうです。支給されたアパートにいってみたら、UCLAのときの3倍くらいの大きさ(約1100SQFT)で 2Bed Room+Family Room+ Kitchen+Bathというレイアウトで、一人ではひろすぎる空間のようです。テーブル、いす、ソファー、ベッド、箪笥、机などの家具も新調したものばかりが入っていて、ラッキーだと息子は話していました。その上、前の人が、テレビ、掃除機なのを残していってくれたのでこれも、助かったと話していました。
息子の仕事はじめは、来週の月曜日、この週末には、予想していなかったFull Sizeのシーツなどの買い物を含む、身の回りのものの買い物をする予定だとか、、、
” Be useful!" これが、空港での私からの別れの言葉でした。
これで、車の件はよかったのですが、アパート引っ越す荷物があるのでその荷造りをして、合計14個の箱をUPSでおくりました。これが〆て、400ドルくらいでした。大学のアパートは家具つきなので、この面の心配はなかったのですが、それでもこまごましたものがけっこうありました。送ったもの以外には、スーツケースが2個、機内持込のスーツケースが一個、バックパック一個の荷物があり、これらは持っていく予定でした。なんでも引越しのトラックは、1000ドルの料金が最低だとか聞いていますから、少量の荷物の場合には、UPSなどがお得なのかもしれません。
さて、ここまでは、比較的簡単だったのですが、この時点で残った大学時代からの荷物の処理、これがけっこう時間がかかりました。息子は大学を卒業してから、こんどは海外のFellowshipへ、そこから帰ってきてからUCLAと言った具合で、その間に荷物の整理をまったくしていなかったので、彼の部屋の4分の1くらいのスペースには箱詰めされた荷物が1メートルくらいの高さでおいてありました。今度の出発までに、床には、家具以外のものはないことという目標があったので、彼も生まれて初めて、自分の部屋の大整理、大掃除をしたのですが、出発間際になってなんとか格好がつきました。現在、彼の部屋は、家具以外、床を占有しているものは、ありません。 これは大躍進です。これで、この部屋を、一人用のゲストルームにすることができそうです。
いま、我が家の廊下には片側にごみが山積みですが、これは毎週分割して出していけるので、そのうちになくなります。小学校時代に買って読んだ本などは、20キロくらいあるのですが、箱詰めして幼稚園児のいる友人の子供に提供するつもりでいます。
さて、彼の飛行機代は310ドルほどだそうですが、これを入れると計1970ドルとなり、就職先からいただいた引越し代2000ドルをほぼ使い切ることになります。初任の彼にこれだけの支出をしてくれた大学には感謝です。
昨日、息子は旅立ちましたが、夕刻に近くの空港に着くと、同僚となる職員が出迎えてくれて、夕食を大学の支給のクレジットカードを使っておごってくれたそうです。大学に着いてみると、車は損傷無しで到着、ただ、積み込みのときに進行方向を向いていた車の後ろの面は虫の死骸でいっぱいだったそうです。支給されたアパートにいってみたら、UCLAのときの3倍くらいの大きさ(約1100SQFT)で 2Bed Room+Family Room+ Kitchen+Bathというレイアウトで、一人ではひろすぎる空間のようです。テーブル、いす、ソファー、ベッド、箪笥、机などの家具も新調したものばかりが入っていて、ラッキーだと息子は話していました。その上、前の人が、テレビ、掃除機なのを残していってくれたのでこれも、助かったと話していました。
息子の仕事はじめは、来週の月曜日、この週末には、予想していなかったFull Sizeのシーツなどの買い物を含む、身の回りのものの買い物をする予定だとか、、、
” Be useful!" これが、空港での私からの別れの言葉でした。
Higher Educaiton Administration
息子の職種について、少し話をしてみます。日本では専門職としての認知がひくい職種なので、なじみがないようですが、この国では、立派な専門職となっています。
この職種の仕事の内容というのは、かなり多岐のわたっています。学生の課外活動の管理、生活一般の問題の解決、入学審査、授業履修の準備、オリエンテーションなど、施設の管理や財政援助(FA)を除く大学の運営全般にわたっています。学術的な教育は、教官の管轄ですが、それ以外の学生の人間的、社会的な成長にかかわるプログラムなどの運営は、この専門職の分野ともなっています。
それぞれの大学でも学生の生活様式はさまざまで、通学する学生がほとんどの大学から、全寮制の大学まであるわけですが、この職種が重要視されているのが、全寮制の大学です。大学がもっとも恐れているのが、学生の自殺ですが、全寮制の大学で、この防止の最前線にいるのが、舎監でもある息子のようなStudent Afairs Officerです、責任をもつ2-300名の学生の様態に目を光らせて、問題がありそうな学生に予防的な対処を施すのも、彼らの仕事となっています。
この職に就くためには、修士が必要です。そうして、この職種の卵は、まず、息子のように寮の舎監をして「大学」と「学生」の間にはいり、大小さまざまな「危機管理」の経験を積むことが出発点としては、望ましいとされているようです。これは、医者のResidencyと似ているかもしれません。規定の勤務時間が無いような仕事ですから、体力があり、若い独り者でなければ難しい仕事です。、修士卒業後にこれをまず、この「修行」を済ませてしまえば将来への布石が打てたことになるわけですね。したがって、この舎監の仕事は、次々と求人もあります。また、息子の就職先では、舎監の下には12-14名の学生RAいて、彼らがそれぞれ20名ほどの学生の面倒を見ると言う制度となっているそうです。
今回の息子の場合には、舎監とInternational, Intercultural の仕事が半分づつという複合職ですが、普通の場合には、舎監のみだけとう職種の場合が多いようです。
息子の希望としては、広い分野のなかから、近い将来はDiversity Specialistの職に就きたいということなので、現在の仕事の先には、この分野での求職をしていくことになると思います。また、この先は2-3年おきに、職場を変えながらすこしづつ昇進していくということになると思いますが、おそらく当分は、仕事の機会のおおい東部で、息子はすごすことになるような予感がしています。
この職種の仕事の内容というのは、かなり多岐のわたっています。学生の課外活動の管理、生活一般の問題の解決、入学審査、授業履修の準備、オリエンテーションなど、施設の管理や財政援助(FA)を除く大学の運営全般にわたっています。学術的な教育は、教官の管轄ですが、それ以外の学生の人間的、社会的な成長にかかわるプログラムなどの運営は、この専門職の分野ともなっています。
それぞれの大学でも学生の生活様式はさまざまで、通学する学生がほとんどの大学から、全寮制の大学まであるわけですが、この職種が重要視されているのが、全寮制の大学です。大学がもっとも恐れているのが、学生の自殺ですが、全寮制の大学で、この防止の最前線にいるのが、舎監でもある息子のようなStudent Afairs Officerです、責任をもつ2-300名の学生の様態に目を光らせて、問題がありそうな学生に予防的な対処を施すのも、彼らの仕事となっています。
この職に就くためには、修士が必要です。そうして、この職種の卵は、まず、息子のように寮の舎監をして「大学」と「学生」の間にはいり、大小さまざまな「危機管理」の経験を積むことが出発点としては、望ましいとされているようです。これは、医者のResidencyと似ているかもしれません。規定の勤務時間が無いような仕事ですから、体力があり、若い独り者でなければ難しい仕事です。、修士卒業後にこれをまず、この「修行」を済ませてしまえば将来への布石が打てたことになるわけですね。したがって、この舎監の仕事は、次々と求人もあります。また、息子の就職先では、舎監の下には12-14名の学生RAいて、彼らがそれぞれ20名ほどの学生の面倒を見ると言う制度となっているそうです。
今回の息子の場合には、舎監とInternational, Intercultural の仕事が半分づつという複合職ですが、普通の場合には、舎監のみだけとう職種の場合が多いようです。
息子の希望としては、広い分野のなかから、近い将来はDiversity Specialistの職に就きたいということなので、現在の仕事の先には、この分野での求職をしていくことになると思います。また、この先は2-3年おきに、職場を変えながらすこしづつ昇進していくということになると思いますが、おそらく当分は、仕事の機会のおおい東部で、息子はすごすことになるような予感がしています。
ボランティアの次は
息子が大学から卒業してから、2年がたちます。彼と同時に卒業した学生たちのうち、Peace CorpsゃTeach For Americaへボランティアを終えた卒業生たちは、これから将来の進路をきめていかなければならない時点に達しています。
この2年間に異国や実社会ででさまざまな経験を経て大きく成長した彼らは、大学院にしてもほしい人材、求職のさいにも新卒とは違い、人生経験も豊かなので優先的にとりたい人材なのではないかと想像します。
つい最近、息子のところにPomonaの同窓生でTeach For Americaに行った友達から連絡がありました。彼女も来年度の大学院をめざしていますが、専攻したいことが息子をおなじMaster of Education, Higher Ed.Student affairsということなので、アドバイスをもとめてきたそうです。
彼女は、あるカトリックの高校の首席卒業者でしたが、MITの面接で意地悪をされたので、Pomonaに来た学生で、在学中には、アジア系の学生のMentor ProgramのHead Mentorもしていました。息子とはちがい、頭脳明晰、ゴールに向かって着々と努力をしていくと言うタイプです。
今時の学生は、何かを調べたいときには、まずインターネットをつかうのが定石ですが、この大学院探しに限って言えば、UCLAのものは、ダサい、使いでもよくないものなので、この段階で応募者が興味を失ってしまうことがありそうです。彼女の場合にも、UCLAとUSCのホームページをを比べてみて、Packageのしかた、見栄えからUCLAのプログラムに魅力を感じられなかったそうです。USCのことではありませんが、馬子にも衣装というのは今でも通じる格言のようですね。そこで、息子が自分の体験から、教育の内容、質といった説明をして、わかる限りのほかのプログラムとは比較も伝え、彼女は、この秋にUCLAにも出願することににしたそうです。
もし、彼女が「世界を変えよう、人のために役に立つ人材になろう」というUCLAの修士プログラムにいけば、1年おきにPomonaの卒業生がまたこのプログラムに入学することになり、息子のことを覚えている教官たちばかりでしょうから、彼が投影したPomona卒のイメージは彼女にとってもすこしは、役にたつかもしれませn。
さて、もう一人の高校同窓の友達は、UC BerkeleyからIndustrial EngineeringとPoly Sciの2重学位を取得して4年間で卒業という大秀才で、卒業後はそのままPeace Corpsにはいって、カメルーンの高校で2年間化学の先生をしてきました。彼もこの夏に年季明けとなるので、この先の志望は、ColumbiaでEconの修士をとることだそうです。彼がアメリカに帰ってきたら、会うこともあるとおもうので、詳細はそのときにでも。
私は、彼らのような若者が大好きで、彼らがやり遂げた成果には脱帽しています。
この2年間に異国や実社会ででさまざまな経験を経て大きく成長した彼らは、大学院にしてもほしい人材、求職のさいにも新卒とは違い、人生経験も豊かなので優先的にとりたい人材なのではないかと想像します。
つい最近、息子のところにPomonaの同窓生でTeach For Americaに行った友達から連絡がありました。彼女も来年度の大学院をめざしていますが、専攻したいことが息子をおなじMaster of Education, Higher Ed.Student affairsということなので、アドバイスをもとめてきたそうです。
彼女は、あるカトリックの高校の首席卒業者でしたが、MITの面接で意地悪をされたので、Pomonaに来た学生で、在学中には、アジア系の学生のMentor ProgramのHead Mentorもしていました。息子とはちがい、頭脳明晰、ゴールに向かって着々と努力をしていくと言うタイプです。
今時の学生は、何かを調べたいときには、まずインターネットをつかうのが定石ですが、この大学院探しに限って言えば、UCLAのものは、ダサい、使いでもよくないものなので、この段階で応募者が興味を失ってしまうことがありそうです。彼女の場合にも、UCLAとUSCのホームページをを比べてみて、Packageのしかた、見栄えからUCLAのプログラムに魅力を感じられなかったそうです。USCのことではありませんが、馬子にも衣装というのは今でも通じる格言のようですね。そこで、息子が自分の体験から、教育の内容、質といった説明をして、わかる限りのほかのプログラムとは比較も伝え、彼女は、この秋にUCLAにも出願することににしたそうです。
もし、彼女が「世界を変えよう、人のために役に立つ人材になろう」というUCLAの修士プログラムにいけば、1年おきにPomonaの卒業生がまたこのプログラムに入学することになり、息子のことを覚えている教官たちばかりでしょうから、彼が投影したPomona卒のイメージは彼女にとってもすこしは、役にたつかもしれませn。
さて、もう一人の高校同窓の友達は、UC BerkeleyからIndustrial EngineeringとPoly Sciの2重学位を取得して4年間で卒業という大秀才で、卒業後はそのままPeace Corpsにはいって、カメルーンの高校で2年間化学の先生をしてきました。彼もこの夏に年季明けとなるので、この先の志望は、ColumbiaでEconの修士をとることだそうです。彼がアメリカに帰ってきたら、会うこともあるとおもうので、詳細はそのときにでも。
私は、彼らのような若者が大好きで、彼らがやり遂げた成果には脱帽しています。
日本で
今回は、久しぶりに西海岸から羽田空港行きの飛行機に乗りました。機内では、学齢期の子供連れのお母さんの姿もおおく、夏に帰省する母子がとても多いことを実感しました。羽田に着くのが夜の10時半なので乗り継ぎの便はなく、シャトルに乗って近くのJAL Cityに投宿、次に日にホテルで朝食をとり、羽田からふるさとに向かいました。
今回の旅では、ちょっとやっかいな用事を申し付かったこともあり、のんびりするだけのものではなかったのですが、おおまか、うまくいったと思っています。さて、その用事ですが、私の義理の母親の幼馴染の親友のお孫さんが、たまたま、私の郷里の町に滞在しているので、心配性の彼女の希望として孫の様子を見てきてほしいと言うものでした。このおばあさんとは、私も一度会っただけで、その子供の家族とは一面識もありませんでしたから、会ってみてどうなのか、ぎこちない会合になるかもしれないという危惧がありました。正直な話、頼み倒されて、義務として面識の無い若者に会うのは、相手の気持ちを思うと、ちょっと気が重かったですね。
ノートルダム大学を今年卒業した孫本人の彼は、日本語に凝っていてホームステイをしながら8週間の日本語強化コースをとっていてました。
待ち合わせの時と場所をきめて、実際に会って見たら、好感の持てる若者で、初対面のぎこちなさも無く、一緒にラーメンをたべたり、たい焼きをたべたりしながら話をしているうちにかなり打ち解けたので、この会合はうまく行ったと思っています。息子は、過去1年の訓練のたまものか学生相手の話はもうお手の物と言った様子でしたが、年齢がちかいこともあり、将来の仕事の展望など共通の話題もあったので、助かりました。ただ、この先も日本に滞在して、日本体験をもっとしてみたいと言う彼の希望について、私たち夫婦と息子は、「今こそチャンスだから、絶対に実現すべし。」と、それをたきつけるような応援をしたのですが、これは、おばあちゃんや家族の期待とは相違しているかもしれません。
東京にもどり、余禄のない学部長になってしまったとぼやいている、大学教授の友達と新宿中村屋でクリーム餡蜜をたべたり、癌と戦っている友達のお見舞いにいってきたりしながら、その合間に買い物にをしたりで、結構あわただしい旅でした。宿は、白金台のSheraton Miyako Hotelでしたが、古いホテルなので部屋も広く、ゆったり過ごせました。目黒まで、15分毎に出ているシャトルも便利で、これに乗ってしまえば、駅まで5分でした。
両親は、89歳と88歳、今のところは元気で自活していますが、今年は免許の更新だとか、父親は今回の更新が最後になるかなあなどと言っていました。
今回の旅では、ちょっとやっかいな用事を申し付かったこともあり、のんびりするだけのものではなかったのですが、おおまか、うまくいったと思っています。さて、その用事ですが、私の義理の母親の幼馴染の親友のお孫さんが、たまたま、私の郷里の町に滞在しているので、心配性の彼女の希望として孫の様子を見てきてほしいと言うものでした。このおばあさんとは、私も一度会っただけで、その子供の家族とは一面識もありませんでしたから、会ってみてどうなのか、ぎこちない会合になるかもしれないという危惧がありました。正直な話、頼み倒されて、義務として面識の無い若者に会うのは、相手の気持ちを思うと、ちょっと気が重かったですね。
ノートルダム大学を今年卒業した孫本人の彼は、日本語に凝っていてホームステイをしながら8週間の日本語強化コースをとっていてました。
待ち合わせの時と場所をきめて、実際に会って見たら、好感の持てる若者で、初対面のぎこちなさも無く、一緒にラーメンをたべたり、たい焼きをたべたりしながら話をしているうちにかなり打ち解けたので、この会合はうまく行ったと思っています。息子は、過去1年の訓練のたまものか学生相手の話はもうお手の物と言った様子でしたが、年齢がちかいこともあり、将来の仕事の展望など共通の話題もあったので、助かりました。ただ、この先も日本に滞在して、日本体験をもっとしてみたいと言う彼の希望について、私たち夫婦と息子は、「今こそチャンスだから、絶対に実現すべし。」と、それをたきつけるような応援をしたのですが、これは、おばあちゃんや家族の期待とは相違しているかもしれません。
東京にもどり、余禄のない学部長になってしまったとぼやいている、大学教授の友達と新宿中村屋でクリーム餡蜜をたべたり、癌と戦っている友達のお見舞いにいってきたりしながら、その合間に買い物にをしたりで、結構あわただしい旅でした。宿は、白金台のSheraton Miyako Hotelでしたが、古いホテルなので部屋も広く、ゆったり過ごせました。目黒まで、15分毎に出ているシャトルも便利で、これに乗ってしまえば、駅まで5分でした。
両親は、89歳と88歳、今のところは元気で自活していますが、今年は免許の更新だとか、父親は今回の更新が最後になるかなあなどと言っていました。
卒業式と引越し その2
ちょっと日本に行ってきました。このため記事の継続がおくれてしまい、すみません
さて、卒業式の次の日には、朝から荷造り、トラックへの積み込みをはじめました。、今回は、Roof Rackをとりつけ、その上にベッドのマットレスと横板をくくりつけて運ぶ予定のために、この準備も必要でした。しかも雨模様の天気でもあったので、マットレスはビニールで包んで雨があたっても大丈夫という支度も必要でした。なんやかやで、
出発準備ができたのが、12時ころ、昼食は高速道路の5号線のGrape vine(LAから山越えをして平野部に向かう曲がりくねった高速道路の部分)を抜けてからと言う心積もりで出発しました。
日曜日なので、余り渋滞もなく順調に山越えをし手、ずんずん飛ばして3時間くらいしたとろで渋滞がはじまり、ついには、通行方向2車線が両方ともに停止してしまいました。先のほうで事故があったらしく赤いライトが点滅していましたが、すこしすると、救急車がやったくる、Med Vacと呼ばれる救急ヘリコプターが道路上におりてくるという大騒ぎとなりました。この間、停止した車に乗っていた人たちが、車から降りて道路をぶらぶら歩いたり、袖刷りあうも多少の縁で、見知ら人同士が事故の情報交換をしていたりする風景は、いかにも、カリフォルニアかたぎと言った印象でした。
マットレスを外につんできたせいで、速度制限以下で運行して、そのうえこの事故で2時間半ほど足止めされたので、UCLAから家まで9時間近くかかり、家についたのが暗くなりかけのころでした。とにかく、みんな疲れていたので、荷降ろしは翌日にして、トラックの屋根の上のものだけは下ろしてはずし、車をガレージにいれてるのが精一杯、あとは、シャワーを浴びてベッドに倒れこむという次第でした。息子のベッドをくみたてる時間もなかったので、この夜は予備のベッドルームで寝てもらいました。
次の日は、トラックと息子が運転してきた車から、荷物をおろしたのはよいのですが、息子は期限のある仕事中で荷物の仕分けもできないので、とりあえず、HallwayとLiving Roomが倉庫をなってしまいました。彼の仕事というのは、UCLAのある科目のFinalの採点で、2日以内に点数をつけなければならないので、食事と寝る時間以外は、この採点に掛かかりきりでした。この採点については、また別の記事を書いてみることにします。
まあ、無事引越しもすんだので、一安心しました。
さて、卒業式の次の日には、朝から荷造り、トラックへの積み込みをはじめました。、今回は、Roof Rackをとりつけ、その上にベッドのマットレスと横板をくくりつけて運ぶ予定のために、この準備も必要でした。しかも雨模様の天気でもあったので、マットレスはビニールで包んで雨があたっても大丈夫という支度も必要でした。なんやかやで、
出発準備ができたのが、12時ころ、昼食は高速道路の5号線のGrape vine(LAから山越えをして平野部に向かう曲がりくねった高速道路の部分)を抜けてからと言う心積もりで出発しました。
日曜日なので、余り渋滞もなく順調に山越えをし手、ずんずん飛ばして3時間くらいしたとろで渋滞がはじまり、ついには、通行方向2車線が両方ともに停止してしまいました。先のほうで事故があったらしく赤いライトが点滅していましたが、すこしすると、救急車がやったくる、Med Vacと呼ばれる救急ヘリコプターが道路上におりてくるという大騒ぎとなりました。この間、停止した車に乗っていた人たちが、車から降りて道路をぶらぶら歩いたり、袖刷りあうも多少の縁で、見知ら人同士が事故の情報交換をしていたりする風景は、いかにも、カリフォルニアかたぎと言った印象でした。
マットレスを外につんできたせいで、速度制限以下で運行して、そのうえこの事故で2時間半ほど足止めされたので、UCLAから家まで9時間近くかかり、家についたのが暗くなりかけのころでした。とにかく、みんな疲れていたので、荷降ろしは翌日にして、トラックの屋根の上のものだけは下ろしてはずし、車をガレージにいれてるのが精一杯、あとは、シャワーを浴びてベッドに倒れこむという次第でした。息子のベッドをくみたてる時間もなかったので、この夜は予備のベッドルームで寝てもらいました。
次の日は、トラックと息子が運転してきた車から、荷物をおろしたのはよいのですが、息子は期限のある仕事中で荷物の仕分けもできないので、とりあえず、HallwayとLiving Roomが倉庫をなってしまいました。彼の仕事というのは、UCLAのある科目のFinalの採点で、2日以内に点数をつけなければならないので、食事と寝る時間以外は、この採点に掛かかりきりでした。この採点については、また別の記事を書いてみることにします。
まあ、無事引越しもすんだので、一安心しました。
UCLA 噂話 2題
以下の話は、当局が発表するまでは、確認がとれない噂話としてご理解ください。
その 1、UCLA ホテル 建設計画
UCLAでは、近くの民間のホテルに投宿しなければならない、UCLAを会場とした会議の参加者や学生の家族を顧客として見込んだ、ホテルの建設計画があるそうです。これは、現在管理部門の入っているビルの建て替え際に、その敷地を利用しようというもので、現在準備中だそうです。なを、ホテル代は、近隣の民間のホテルと同じレベルとするとされてとか。
その 2 2011年度の入学者が激増
普通の年であれば、新入生が4000名くらいで、編入生が2000名程度の計6000名くらいの入学者のところが、今年に限って、入学希望者が8000名近くになってしまったので、大学では、教官をさがしや寮の確保に四苦八苦しているそうです。私の記憶では、合格者のうちで入学するのが、約40%くらいだったと思いますが、ことしは50%ちかくまで、はねあがったのでしょうね。
この原因のひとつは、合格者むけにUCLAがおこなったイベントの日がUCSDのものと重なったために、、
UCSDのイベントに参加せずに、UCLAのものに参加した生徒が多かったことと、このイベントのできがよく、
かなり合格者にアピールした点があげられているそうです。UCSDでは、合格者のイベントに参加予定の合格者の2/3が来なかったそうで、キャンパス間の意志の疎通のないUCの課題がここでは明らかになったともいえます。
この増員のために、UCLAでは改築予定の寮の取り壊しを延期して、ここも使う予定だとか、ほかに比較すると、今でも狭いキャンパスが、これからは、もっと混雑してきますね。
その 1、UCLA ホテル 建設計画
UCLAでは、近くの民間のホテルに投宿しなければならない、UCLAを会場とした会議の参加者や学生の家族を顧客として見込んだ、ホテルの建設計画があるそうです。これは、現在管理部門の入っているビルの建て替え際に、その敷地を利用しようというもので、現在準備中だそうです。なを、ホテル代は、近隣の民間のホテルと同じレベルとするとされてとか。
その 2 2011年度の入学者が激増
普通の年であれば、新入生が4000名くらいで、編入生が2000名程度の計6000名くらいの入学者のところが、今年に限って、入学希望者が8000名近くになってしまったので、大学では、教官をさがしや寮の確保に四苦八苦しているそうです。私の記憶では、合格者のうちで入学するのが、約40%くらいだったと思いますが、ことしは50%ちかくまで、はねあがったのでしょうね。
この原因のひとつは、合格者むけにUCLAがおこなったイベントの日がUCSDのものと重なったために、、
UCSDのイベントに参加せずに、UCLAのものに参加した生徒が多かったことと、このイベントのできがよく、
かなり合格者にアピールした点があげられているそうです。UCSDでは、合格者のイベントに参加予定の合格者の2/3が来なかったそうで、キャンパス間の意志の疎通のないUCの課題がここでは明らかになったともいえます。
この増員のために、UCLAでは改築予定の寮の取り壊しを延期して、ここも使う予定だとか、ほかに比較すると、今でも狭いキャンパスが、これからは、もっと混雑してきますね。
エッセイの採点
前の記事でもお知らせしましたが、息子は院生のReaderという職につき、UCLAの学生のエッセイや、期末試験の採点をしてきました。80ちかい小論文を読むのには、結構時間がかかるようで、UCLAを引き払ってきてから、日本に出発するまでの3日間は、ほとんどの時間をこの仕事についやしていました。
Finalの試験では、5つのテーマのなかから3つを選んで、小論文を書くというものだったそうですが、結構長いものなので、採点にも時間が掛かったようです。これは手書きのものですから、よけいに煩雑さもあったようです。この採点では、カーブは使われずに絶対評価でした。
また、これとはべつに、エッセイの採点もしていまいたが、これはコンピューターをつかい、Emailで提出されたデジタル化されたものなので、まずは、過去の学術文献との照合フィルターのかけて、その結果から採点の順番をきめていったようです。このフィルターでは、字句、文章を照合して提出された学生のエッセイとの合致率をはじき出します。今回のものでは、合致率が1%から67%までのものが在ったそうですが、67%というのは「盗作」とみなされるようで、この学生には、教 授からなんらかの沙汰がくだされるようです。ちなみに、1%の学生は、中国からの初年度の留学生だったということです。
教授とは働く時間数の相談をしながら採点をしていまいたが、結局は65時間ほどのアルバイトになったようです。時給は12ドルでした。
Finalの試験では、5つのテーマのなかから3つを選んで、小論文を書くというものだったそうですが、結構長いものなので、採点にも時間が掛かったようです。これは手書きのものですから、よけいに煩雑さもあったようです。この採点では、カーブは使われずに絶対評価でした。
また、これとはべつに、エッセイの採点もしていまいたが、これはコンピューターをつかい、Emailで提出されたデジタル化されたものなので、まずは、過去の学術文献との照合フィルターのかけて、その結果から採点の順番をきめていったようです。このフィルターでは、字句、文章を照合して提出された学生のエッセイとの合致率をはじき出します。今回のものでは、合致率が1%から67%までのものが在ったそうですが、67%というのは「盗作」とみなされるようで、この学生には、教 授からなんらかの沙汰がくだされるようです。ちなみに、1%の学生は、中国からの初年度の留学生だったということです。
教授とは働く時間数の相談をしながら採点をしていまいたが、結局は65時間ほどのアルバイトになったようです。時給は12ドルでした。
卒業式と引越し その1
金曜日の早朝家をでて、UCLAに向かいました。このたびは、事もなくお昼前に息子のアパートに到着、所定の訪問者用の駐車スペースに車をいれて、昼食にむかいました。昼食はブラジルスタイルのピザで、食べ放題10ドルというもの、お客が私たち3人だったのですが、店のほうが気をきかせて、10種類のピザを用意してくれました。この日は、たくさんの卒業式がUCLAであったせいか、周りの道は混雑しほうだい、昼食のあとで、ちょっと買い物をして、ホテルまでおくってもらったら、もう4時過ぎでした。
投宿したWestin Hotelでは、Suiteに泊められたのですが、この日は、ここもほぼ満室で、残りの部屋は、一泊400ドルとかだったようです。フロントでも、ベルボーイにも、UCLAの卒業式のために来ましたか、とたずねられ、この行事に出席するための泊り客が多かったようですね。11階の部屋は、道に面していなかったので、静か、夕食のあとで、ワイフはベッドルームのテレビ、私は、ファミリールームのテレビを見てリラックスして、就寝。
次の日は、午前中は、荷物をまとめたり、掃除をしたりしました。式の前に、学科のレセプションがあり、12時から2時まで用意された部屋で、卒業生14名、と親、友達、恋人たちが、教授、学科の運営者たちとスナックをつまみながら歓談、学友たちと初めて会ったり、教授にも紹介されて、こじんまりした集まりは、Pomonaの専攻科のレセプションを思い出させました。ここで、彼が特にお世話になった、Bさんにも会い、しっかりを握手をして、Thank you for your guidanceとお礼も伝えてきました。彼の学科のDirectorでもあるBさんは、大学の管理職としてのフルタイムの仕事の上にさらに、このDirectorの役目も果たしているので大忙しの人のようです。、
少し前には、今までインターンをしていた部署のボスから、もし東からUCLAに戻って来たいときには、E Mailをしてくれたら、暮らせるくらいの賃金の仕事は世話をするから必ず連絡するように、と伝えられて息子は感激をしていたようです。ここでは、教授陣、運営者たち、インターン先のみなさんに、本当によくしてもらったと思います。
学科の学生の数が14名だったので、まるでPomonaの延長のようだった課程でしたから、息子は思い通りに勉強ができたようです。一人だけ問題があったのが、Academic Adviserですが、この人は連絡をしても無しのつぶてだった様子です。面談ゼロ、連絡ゼロ、会話もゼロで一年がすぎました。
卒業式は野外で4時から始まり、卒業生は全体で400名弱、比率ではその半数近くが教職の修士でした、あとは司書が20%くらい、教職以外のMAが10%、PhDとDEdが15%くらいで、息子の専攻のMEっが5%くらいといった感じでした。学部長から「お金は沢山稼げないけれども、使命感をもって仕事に携わろうとする、皆さんは偉い。」と言う挨拶の部分では、思わず拍手をしてしまいましたが、これが、アメリカの教育の現実ですね。
LAという土地柄?か、卒業者のなかでは、ラティノの学生が目立ちましたが、PhDをみると、約半数が黒人の男性で、社会正義のために行動する学者を育てるというUCLAの教育学部のモットーの面目躍如の観がありました。また、専攻のなかでは、司書は、これはほとんど白人の学生だったですから、専攻による人種の好みがあるようですね。この好みは入学させる側の論理からですね。
卒業式の後では、教育大学院のレセプションがあり、クッキーと大粒イチゴ、シャンパンの取り合わせのスナックがでて、またここで、教授たちと歓談、この学部のスタープロフェッサーにも紹介されてきました。このレセプションから、去ったのが6時半くらいで、その後食事に行きましたが、近くのレストランは、どこも満席で、外では待っている人の列ができていたので、少し歩いて、California Pいzza KitchenというPizza屋さんで食事をしました、ここではパスタを注文しました。ここも、私たちが待たずに席につけた10分後には、外に列ができていました。その後は軽いデザート用にヨーグルト屋さんによって、1オンス30セントの量り売りのヨーグルト+トッピングをなめてから、この日は、息子のアパートにもどり、車で、ホテルまで送ってもらったときには9時を回ってしまっていました。言い忘れましたが、この日は彼のガールフレンドも朝から一緒でした。彼は、彼女をパートナーと紹介していましたから、この関係はまだ先があるのかもしれません。
投宿したWestin Hotelでは、Suiteに泊められたのですが、この日は、ここもほぼ満室で、残りの部屋は、一泊400ドルとかだったようです。フロントでも、ベルボーイにも、UCLAの卒業式のために来ましたか、とたずねられ、この行事に出席するための泊り客が多かったようですね。11階の部屋は、道に面していなかったので、静か、夕食のあとで、ワイフはベッドルームのテレビ、私は、ファミリールームのテレビを見てリラックスして、就寝。
次の日は、午前中は、荷物をまとめたり、掃除をしたりしました。式の前に、学科のレセプションがあり、12時から2時まで用意された部屋で、卒業生14名、と親、友達、恋人たちが、教授、学科の運営者たちとスナックをつまみながら歓談、学友たちと初めて会ったり、教授にも紹介されて、こじんまりした集まりは、Pomonaの専攻科のレセプションを思い出させました。ここで、彼が特にお世話になった、Bさんにも会い、しっかりを握手をして、Thank you for your guidanceとお礼も伝えてきました。彼の学科のDirectorでもあるBさんは、大学の管理職としてのフルタイムの仕事の上にさらに、このDirectorの役目も果たしているので大忙しの人のようです。、
少し前には、今までインターンをしていた部署のボスから、もし東からUCLAに戻って来たいときには、E Mailをしてくれたら、暮らせるくらいの賃金の仕事は世話をするから必ず連絡するように、と伝えられて息子は感激をしていたようです。ここでは、教授陣、運営者たち、インターン先のみなさんに、本当によくしてもらったと思います。
学科の学生の数が14名だったので、まるでPomonaの延長のようだった課程でしたから、息子は思い通りに勉強ができたようです。一人だけ問題があったのが、Academic Adviserですが、この人は連絡をしても無しのつぶてだった様子です。面談ゼロ、連絡ゼロ、会話もゼロで一年がすぎました。
卒業式は野外で4時から始まり、卒業生は全体で400名弱、比率ではその半数近くが教職の修士でした、あとは司書が20%くらい、教職以外のMAが10%、PhDとDEdが15%くらいで、息子の専攻のMEっが5%くらいといった感じでした。学部長から「お金は沢山稼げないけれども、使命感をもって仕事に携わろうとする、皆さんは偉い。」と言う挨拶の部分では、思わず拍手をしてしまいましたが、これが、アメリカの教育の現実ですね。
LAという土地柄?か、卒業者のなかでは、ラティノの学生が目立ちましたが、PhDをみると、約半数が黒人の男性で、社会正義のために行動する学者を育てるというUCLAの教育学部のモットーの面目躍如の観がありました。また、専攻のなかでは、司書は、これはほとんど白人の学生だったですから、専攻による人種の好みがあるようですね。この好みは入学させる側の論理からですね。
卒業式の後では、教育大学院のレセプションがあり、クッキーと大粒イチゴ、シャンパンの取り合わせのスナックがでて、またここで、教授たちと歓談、この学部のスタープロフェッサーにも紹介されてきました。このレセプションから、去ったのが6時半くらいで、その後食事に行きましたが、近くのレストランは、どこも満席で、外では待っている人の列ができていたので、少し歩いて、California Pいzza KitchenというPizza屋さんで食事をしました、ここではパスタを注文しました。ここも、私たちが待たずに席につけた10分後には、外に列ができていました。その後は軽いデザート用にヨーグルト屋さんによって、1オンス30セントの量り売りのヨーグルト+トッピングをなめてから、この日は、息子のアパートにもどり、車で、ホテルまで送ってもらったときには9時を回ってしまっていました。言い忘れましたが、この日は彼のガールフレンドも朝から一緒でした。彼は、彼女をパートナーと紹介していましたから、この関係はまだ先があるのかもしれません。