富山漫遊最終日。

 

高岡を巡ります。

 

古代、新潟〜北陸に加え、庄内の一部は越国として一国でしたが、飛鳥時代に越後・越中・越前に分割され、後に越前から加賀と能登が分離します。

 

その複雑な変遷の影響もあるのか、越中国の一の宮は4社が乱立するという、他に例を見ない状態。

 

そんな越中国の一の宮の一社へ。

(6年振り3度目)

 

◆越中国一の宮 射水神社◆

 

鎮座地は前田利長が築いた高岡城址。

 

城址にある一の宮はここだけ。

 

 

本丸跡へ続く表参道。

 

大鳥居

 

明治時代建立の青銅製神明鳥居。

 

手水舎

 

一枚岩をくり抜いた様な手水鉢。

 

 

左手の紅梅の御神木は樹齢400年を数えます。

 

第一鳥居

 

平成27年(2015)に伊勢神宮(外宮)から下賜された、木曽檜の神明鳥居。

 

外拝殿・拝殿

<御祭神>

瓊瓊杵尊

 

創建年代は不詳。

 

元は、古代にこの地を治めた伊彌頭国造の祖神である、二上山の神を祀ったものと伝わります。

 

当初、二上山の麓に鎮座していて、奈良時代以降は行基により別当寺も建立され、二上山を御神体とする神仏習合の一大拠点となりました。

 

 

そして、明治8年(1875)、現在地に遷座。

 

この遷座は相当物議を醸し、その跡地には変わらず二上神を祀る二上射水神社が鎮座しています。

 

神仏分離令による神社vs寺院の争い…

 

 

社殿は高岡大火の後、明治35年(1902)の再建。

 

扁額は第12代加賀藩主・前田斉泰の筆です。

 

 

境内を振り返る。

 

 

横から望む神明造の外拝殿。

 

その後ろに拝殿・中門・祝詞舎・御本殿が繋がっています。

 

 

チラリと見える御本殿。

 

社務所

 

社務所前の石畳は、加賀藩も重宝した戸室石を使った亀甲石です。

 

高岡市護国神社

(御祭神:英霊3576柱)

 

参道途中の護国神社。

 

昭和10年(1935)の創建です。

 

御朱印

 

お参りを済ませて、城址を巡ります。

 

続く。

 

 

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