富津市・日月神社 | 古墳んぽ~古墳と野の草を観察しながら散歩

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千葉県富津中央ICを下りて北へ、大きな桶を見つけました。醤油を仕込む桶のようです。

 


千葉県は醤油の生産量産地日本一。国内醤油出荷量の35%を占めます。

 

キッコーマン(野田)、ヤマサ醤油(銚子)、ヒゲタ醤油(銚子)と、大手5社のうち3社が千葉県にあります。(大手5社は他に正田醤油(群馬)・ヒガシマル醤油(兵庫)・マルキン(香川)です)

 

 



 

 

 

宮醤油店は今も桶仕込みを続けているんですね。天保五年(1834年)に創業されたようです。

 

 

 

 

 

日月神社

 

3月に千葉県の富津~君津~木更津~袖ヶ浦の神社や遺跡古墳をまわりました。

 

先にオトタチバナヒメの方は紹介しましたので、今回はヤマトタケルの方をご紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日月神社御由緒

 

御祭神:天照大神 月読尊 素盞嗚尊

 

 

当日月神社は、

 

第十二代景行天皇の御代に日本武尊が東夷鎮定の途上、

 

上総国鬼泪山鬼退治にあたりこの地に日月の幟を立て、尊崇する日月の神即ち天照大神、月読尊に武運を祈った事がその創始であり、

 

その後日月の神とその弟神素盞嗚尊が鎮座され日月神社として万民の安寧をお護りくださるようになった。

 

 

一時期神社の傍らに「日月星山天羽院放光寺」という寺があった。

 

放光寺縁起によれば、

 

文武天皇の御宇、中納言大臣高市丸が霊夢による吉野詣でで得た吉野姫は、長じてその美貌と歌舞管弦の才を開花させ、その舞姿は天女が天羽衣を翻すが如くであった故に、天皇から天羽姫の号を賜った。

 

姫は天皇崩御の後この佐貫の里に入り髪をおろし尼になられたが、その最後の舞には天人が舞い降り共に舞ったと言われる。

 

姫はその後村人が日月星山の側らに作った庵に住まい日神月神に七郷の氏子を救い給えと祈り過ごした。

 

 

天保十四年十二月十四日、火災により神社古文書・記録等焼失の為、日本書紀、地方史誌、放光寺縁起等より演繹した。

 

 

 

 


 

 

拝殿

 

ここ日月神社の地は、ヤマトタケルが鹿野山を拠点としていた東夷・阿久留王を討つために、陣を敷いた場所といわれます。タケルは日月神(天照大神と月読尊)の幟を立て戦勝祈願をしたといいます。

 

 

 

 

 

 

狛犬

 

由緒書きで気になるのが「中納言大臣高市丸」。これって、天武天皇の長男の高市皇子でしょうか?

 

千葉県には高市皇子関連の神社がいくつかあるんですよね。でも高市皇子が亡くなったのは推古天皇の時代で、まだ文武天皇が即位する前だしなあ。

 

あと「中納言大臣」で思い出すのは、藤原不比等。文武天皇の時代に中納言に、その後右大臣・太政大臣 になっています。

 

でもそこより、やっぱり「高市」の方が重要かしら。天武・推古天皇のお供で吉野にもよくいていたようですし。

 

 

 

 

 

狛犬

でも「天羽姫」、よくわかりません💦 「吉野姫」でもヒットなし💦 

 

 

この辺りは富津市佐貫といいますが、昔は天羽郡でした。天羽姫の名前が地名に由来するって事しかわかりませんでした。

 

 

 

 

 

 

本殿

 

御祭神は天照大御神と月読命の二柱で、

 

琴平神社(大物主命)と八坂神社(素盞嗚命)は火災で社が焼失したため本殿に合祀された。
 

 

 

 

祀られている神様がわかりませんでした。

 

 

 

 

 

 

こちらは小さいキツネ様がいらしたので稲荷社のようです。

 

 

 

 

狛犬

 

 

 

 

狛犬

 

狛犬がとってもセクシーでした。

 

 

 

 

拝殿から西の方角

 

東京湾観音が見えました。海までは直線で3km弱ですかね。

 

 

 

 

 

 

南には染川が流れています。この川を東へ遡っていき、さらに東へ向かうと、東夷・阿久留王の本拠地になります。