眩しくてピントがあってないことに気がつかずシャッターを押したら、ハロが写ってました。
昨日の続きになります。
貴布禰神社から7kmほど南の大貫海岸へ。大貫海岸から布引海岸の方角です。
小さくうっすらと富士山が。
風よけネットの杭の間から見ると、
天然額縁にふちどられた富士山になりました。
大貫海岸には弟橘姫の像がたっています。今日は古事記から。
そこより入り幸して走水海を渡りたまひし時、その渡の神浪を興し、船を廻して得進み渡りたまはざりき。
ここにその后、名は弟橘比売命白したまはく、
「妾 御子に易りて海の中に入らむ。御子は遣はさえし政遂げて覆奏したまふべし」
とまをしたまひて、海に入りたまはむとする時に、菅畳八重・皮畳八重・絁畳八重を波の上に敷きて、その上に下りましき。
<訳>
それから走水海を渡ろうとした時、その海の神が波を起こして、船をグルグルまわして進めなくしてしまった。
そこでヤマトタケルの后、名前をオトウトタチバナヒメが
「わたしが皇子の代わりに海に入ります。皇子は任務を成しとげて、天皇に報告してください」
と言って、弟橘比売命は海に入る時に、菅畳・皮畳・絹畳を波の上に重ねて敷き、その上に下りた。
日本書紀と比べると、描写が違いますね~。このあと、オトタチバナヒメは歌も詠みますよ。
ここにその后歌曰ひたまはく、
さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
とうたひたまひき。
かれ、七日の後、その后の御櫛海辺に依りき。すなはちその櫛を取りて、御陵を作りて治め置きき。
<訳>
ヒメが畳のうえに下りると荒波は穏やかになって、船は進むことができた。
そのときヒメが歌った歌が
相模の小野で燃える火 その火の中に立って私の心配をしてくださったあなたよ
それから七日後、そのヒメの櫛が海岸に流れ着いた。
皇子はその櫛を手にとって、墓を作った。
この大貫海岸には櫛が流れ着いたんです!布引海岸には布(衣の一部)が流れ着き、貴布禰神社に祀られました。
では、櫛はどうなったかというと・・・
次回に続きます(笑)