久々にしっかりと雑記を書いてみたいところ。

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 本の話。

 『夜は短し 歩けよ乙女』と『それからはスープのことばかり考えて暮らした』の文庫版を買う。どちらも出来れば常に携帯できる状態が望ましいと思っていた小説なので、ようやく。

 そしてまた、吉田篤弘さんの『圏外へ』を読んでいる。随分と長くて分厚い小説なのだけれど、これは完全に良い小説とは言えないと思う。まだ途中だからなんとも言えないけど。最近の吉田さんの小説は、いささか狙いすぎていると同時に、村上春樹が行っている「同じ章内での人称や主の変化」というものをやろうとしすぎて、美しい形にも効果的な形にも出来ていない。

 正直なところ、吉田さんの小説は初期から前作までが素晴らしかった、としか僕も表現のしようがない。これはつまり、悲しいことだけれど起こるべきことだ。そしてまた、そこから次にまた変化が訪れ、更なる輝きを見せるのかもしれない。

 それは分からないことだけれど、期待と不安が入り混じるようなニュアンスになる。

 ところで、本という存在を真剣に考える。

 それは僕が昨日、某ブックディレクター(つーか、今ブックディレクターと名乗れる人って2、3人くらいしかいないんだけど)とお会いして、話を出来たからだ。

 彼はもの凄く真剣に、本を愛していて、それは文章そのものというよりも「本そのもの」を愛していた。つまり、内容が良いとか悪いとかしっかりしているとか乱雑だとかそういうことではなく、あらゆるジャンルとあらゆるシステムの本、つまりは文字や写真や何かが印刷された紙の集合体を愛していた。

 それらにもっと力があることを、影響力があることを、魅力があることを、総てが備わることを、そして何より愉しみが溢れていることをもっと広めたい、と考えていた。

 なんて素敵なことなんだろう、と思う。僕もずっとそういうことを考えている。それが本であれ音楽であれ、洋服であれ。

 その本の部分をこの方が見事に担ってくれている。そして次のムーブも起こすべき力も感覚も、感情も持っている。あまりにも素敵だった。

 だから、僕ももっと本に触れようと思う。また、僕が創る空間には、やはり本を見繕おうと思う。

 そしてそれを、周りのどんな皆にも同じように願う。

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 酒の話。

 ビールも好きだし、結局ワインもドンドン飲めるようになった。むしろ美味しく感じる。

 でも思うのは。

 酒ってのはやっぱり、そのものだけで何かが素晴らしいものでは正直ないと思う。酒を飲む場所、時間、そして人。

 それらが揃ったときに美味しいわけであり、何もないところでふと酒をかっくらっても何の感慨もない。

 もう一つの機能が、人を繋ぐ役割を持つ。

 つまり必要な要素の「人」の部分を、酒があることにより成立たせることが出来る。

 無論、毎度毎度ということではなくとも、そういうこともある。

 昨日、今日は飲んだなぁ…ビール2本、ワイン1本、さらに梅酒もあけてたもんな。

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 器の話。

 桃居にて、坂野さんの展示を見る。白金や真鍮の叩きだしや、銅叩きだしに銀メッキなど、様々な種類の器やカトラリーを並べる。

 格好いい、と思う。現実の使い勝手はともかくとして、格好がいい。

 ところで思うのは。

 使いやすさと美しさ。

 実用美や機能美といった言葉で分かるように、実用に優れ機能的に充実したデザインが美しさをかもし出したり、あるいは表層的な美しさを求めた形作りの結果により、以外な実用性や機能性を得ることはあると思う。

 もちろん、それにこしたことはないと思うのだけれど、それでは逆に同居しないものが格好よくないのか、ということになるとまた話は別だ。

 つまり、良いモノというのは。

 そのモノを見て、あるいは使って、「何か誇るべき点や感動を呼ぶポイント」があれば良いのだ。たとえばそれが実用性はゼロに等しい器であろうと表層的な形がグゥの音も出ないほどに綺麗だったり精巧に出来ていたり、あるいは素材が特殊だったり構造が素晴らしかったら、それは良いモノなのだ。使えなくても。

 それと同時に、見た目の美しさは全く感じられず、作りもアラはあるし素材もありがちだし、構造も一朝一夕で考えたようなものとしても、むしろそれが従来の考え方以上に実用性に溢れているとすれば、それはそれで良いモノだと思う。

 良いモノを求めると、両方が同居することは確かにままある。むしろそれが望ましいとも言える。でも、どちらか片方だけで確かな魅力を発揮するモノもある。

 しかしながら、その良さというのはしばしば理解をされない。

 価値観とは、そういうものなのかもしれない。

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 買ったモノ①

 写真を撮るのも毎度毎度アレというのもあり、少しスタイルを変えてみようと思う。こうして買ったモノや気になるモノは明記していき、何かこう衝動やきっかけがあれば、そのモノについて写真付きで記事にしようと思う。というのも、今はモノを整理していて、例の300ほどにモノを纏めて一つのブログにしてみようと思うからだ。

 「開化堂の茶筒」

 ようやく、と言ってもいいかもしれない。ずっと買うべきで家にあるべきだったモノ。ブリキ、銅、真鍮、銀とあるが迷わず銅をチョイス。

 ここの茶筒は表面の作りの細部はまだ粗い面がある。溶接している部分も、もっと綺麗にする余地は確かにある。けれど。

 本当に素晴らしい作りが中に秘められている。

 蓋と筒。

 位置を合わせて蓋を被せようものなら。

 あとは無理に締める必要などない。勝手に、ゆっくりと蓋が落ちていき、スゥっと音がなるかのように蓋が締まる。

 その動きの美しさや静けさたるや。他の茶筒ではまず、そうそうできるものでもない。これが、昔からの茶筒のあるべき姿なのだ。

 そして銅の変化。この味わいを愉しまずして、どうするか。

 定番にすべき、茶筒。

 茶・銀座のお茶の茶筒も同じように締まるけれど、重みが。

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 買ったモノ②

 「エリック・ホグランのガラスマグ」

 吹きガラスというのも、昔は当たり前であったモノで、一時姿を潜め、現代になると伝統技能として注目されつつ、ある意味ではまた名前がよく出るようになった。

 エリック・ホグランのマグは暖かい。ガラスが暖かい、などというのは文学的表現から言えば遠く間違っているようにも思う。けれど、確かに暖かい。

 丸みを帯びたフォルムが、絶妙なくびれが、不器用な想いを込めた様な厚さが、そしてガラスという言葉がそのまま具現化したような青みがかった色が。

 総てが暖かい。

 そういうガラスは、実はそんなに多くない。

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 買ったモノ③

 「4th MARKETのストライプマグ」

 きっと4th MARKETという存在は。

 現代では必然とも言える形で生まれ、愛されるのだと思う。

 それは言うなればTIME&STYLEやh+やSゝゝや、そんな具合に正しく無理の無い、現実的な美しさのあり方として存在する。

 誰もが気兼ねなく。誰もが愉しく。誰もがゆるやかに、様々なモノを愛すために。

 きっとある種の思想の下、作り出すのだと思う。

 僕はそういう存在を、信じたい。

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 買ったモノ④

 「辻 和美さんのめんちょこ」

 一昨年、金沢を訪れる本当の理由は、辻さんにお会いしたいがためだった。けれどお店はお休みだったため、泣く泣く帰ってきたわけだ。

 ようやく一方的にではあれど対面することができ、彼女のガラスに対する姿勢や考え方を知った。全くもって、思っていた通りに良い考え方をしている方だった。

 彼女のガラスは、個性的とも言えないかもしれない。そして、何が高いのかと言われると理由を見つけづらいところもある。

 つまり、彼女の思想ややり方を、愛せるかどうかということだ。

 彼女が「透明だ」というガラスは、本当に、確かに、紛れもなく。

 透明なのだ。

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 買ったモノ⑤

 「赤木 明登さんの漆椀」

 赤木さんは塗師だ。輪島は京と違い分業体制をしっかりと敷いているので、ろくろを回し木地を生み出す人と漆を塗る人は別になる。

 もちろんそこには「こういう木地が」という考え方や「こんな塗りのために」という意志があり、その中で人々が手を取り合い、モノを生み出す。

 赤木さんは塗師だが、プロデューサーであると僕は思う。

 はっきり言って、彼の塗りそのものや、テクスチャーの出し方は好きではない。個人的な好みでいえば。

 しかしながら、好みは関係ない次元の部分で、彼の生み出す器(あるいは彼の関わりで生み出される何か)は良いモノであり、忘れることの出来ないモノなのだ。

 赤木さんの心の中は、本当に本当に、人間的だ。

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 買ったモノ⑥

 「鯉江 明さんの湯のみ」

 親が陶芸の実力者であり、権威者であるというのは、一体どういう感覚なのだろう。

 その中で自分も陶芸を志し、モノを生み出しいくのはどういう感覚なのだろう。

 越える、という考えが正しいかは僕は知らない。

 けれど明さんは。

 彼らしいあり方をはっきりと提示し、また次々と模索しているように思う。

 そういうことだ。

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 買ったモノ⑦

 「森岡 由利子さんの白磁」

 かつて白磁というものは、その余りの白さが故、高貴な人間しか用いることが出来なかった。

 磁石の生み出す、白。それはいつしか生活に溶け込み、純然たる美を現そうとする。

 そこには凝りに凝った形は必要ない、とよく言うが。

 そこに凝りに凝った形を加えることにより、新たな価値感が生まれることもある。

 どんなに伝統と言われようが、人間が生み出したものだ。

 DNAで確かに受け継がれている我々の中には、さらなる発展をさせる力が備わっている。

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 買ったモノ⑧

 「仁城さんの入れ子椀」

 高いか安いか。いや、相対的に見れば高いのかもしれない。けれど、絶対的に見れば安いかもしれない。

 原価、という言葉を今は一般人も平気で使い、「こんなもん原価はたかが知れてるんだよ」と知ったかぶりで物事を振り回す人間も増えてきた。

 原価とは何を指すのか、もっと理解を深めるべきだと思う。

 多くの人が指す原価は「原材料費」であって、そこに積み重なる人件費やデザインや企画による費用や、あらゆる費用を無視している。

 仁城さんの入れ子椀は、木地からしても超高級な良い部分だけ、というものではない。つまり、原材料が恐ろしく高いわけではない。

 でも彼のコンセプト、彼の漆に対する考え方、それを具現化する能力、また彼の生活とこちらの生活に与えうる形にならない幸せ。

 そういったものを総合しての原価、いや価値を考えると、決して高いものであろうか。

 あろうか?

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 買ったモノ⑨

 「ラオスの手漉き和紙」

 再生紙は綺麗だと思う。現代の紙はすごく質もよく、丁寧な紙だと思う。

 そうでない紙にあるのはきっと。

 ぬくもりではないか、と僕は思う。

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 買ったモノ⑩

 「ボタンとリボン」

 サブカルチャー、という言葉が嫌いだ。いつからそんな風に、あたかも現代風解釈の古典文化のようなモノを括ってしまうようになったのだろう。

 僕は文化の中にレベルの違いがあるとは思わない。

 音楽も文学も服飾も陶芸も書も時計も車も…あらゆる文化は等しく偉大であると思う。

 ボタンとリボンは、フラットだ。

 疲れない、文章の形。

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 まだあるけれど、こんなとこにして、次は。

 気になるモノ①

 「イッタラ・キルタホワイト」

 イッタラのティーマが全く好きになれない。でもキルタは愛らしく感じる。それはきっと時代を超えた空気なのかもしれない。

 あるいは、サイズとディテールの間隔だけでこうも変わるのか。

 キルタホワイトは、日常の到達点の一つでもある。

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 気になるモノ②

 「アラビア・ライス」

 北欧は確かに素晴らしいと思うけれど、日本の技術が北欧に影響をもたらしていることも大いにあるのだ。

 ライスは、美しさを求めると辿りつく場所のひとつ。

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 気になるモノ③

 「sisiiのレザーMA1」

 レザージャケットというものを正直好むタイプではないけれど、このMA1タイプに関しては何とかしたいと思ってしまう。

 なんだろう。

 日常着としてのレザー。

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 気になるモノ④

 「ミシン」

 うん十万するようなコンピュータミシンはいらないけれど、5万くらいの普通のミシンが欲しい。

 モノを創りたいと考えた時に、すぐにミシンが取り出せない今の状況が、非常に息苦しい。

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 一つ、一つ、モノをくみ上げて行く。

 基本的に僕が買っているモノというのは、背伸びもしないし、無理もしない。

 つまり、現実的に普通の人が買えるもので、そういう中で面白いモノを、と考えている。

 例えばソニアのショッピングマニュアルは確かによく出来ているし、面白いし、現実的なモノもたくさん載ってはいるけれど。

 どこか手の届かない感じもある。それが憧れにもなり、素晴らしさを与えているとも言えるけれど、ぼくがやりたいのはそういうことでもない。


 例えば藤原ヒロシの本。これにいたってはもはや、単なるモノ自慢であって現実味や面白さなんて皆無に等しいと僕は思う。

 例えば松浦弥太郎さんの日々の100。たぶんこういう類の中では現実味に溢れているとは思うけれど、幾分「ある種の男性的偏見」に満ちているようにも感じてしまう。

 例えば雅姫さんの定番ノート。こちらは逆に女性的偏見に満ちているように感じる。

 例えば……もういいか。


 別にこういう本がどうこうというのではなく、どれも正直素敵だと思うし、だからこそ僕も買って読んでいるわけで。

 でも、そういう感じではなくて、もっとフラットにというか。

 男性的な面も女性的な面も持ちつつ、より現実的なモノの集まりがあると凄く便利で、凄く面白いんじゃないか、と思った。

 マニアックに偏るでもなく、憧れに偏るでもなく、メジャーに偏るでもなく、ただひたすらにモノが好きなことに特化する。

 そんな風にモノを集めて見れたら。

 ある意味では「ミーハー」とも取れるし「目新しさがない」とも取れるけれど。いざ、「さぁ、~を買おうか」となったときに。

 例えば、良い靴が欲しいと思ったときに。良い鞄が欲しいと思ったときに。良いシャツが欲しいと思ったときに。良い雑貨が欲しいと思ったときに。

 そんな時のより場となるような集合群を作ってみたい。

 そういうこと。

 5月くらいには、ガシガシと作り始めると思いますが。

 ブログを作って公開して、出来れば違う媒体にしてみたいとも思う。無理な話だとは思うけれど、やってみなけりゃわからない。

 選定、筆記。

 あと、和歌集ね。     arlequin

 

 ぜんっぜん更新しておりませんで。




 結構モサモサとここんところはモノが増えているのですが、なかなか腰が上がりません。




 何が増えているかというと、去年にも勝る勢いで器たちが増えています。カップ、グラス、椀……あれあれまぁまぁと呆れるほどに。




 最近数えてませんがもしかしたら、とうにとりあえずの目標でもあった、「お気に入り100個」を越えているのやもしれません。整理したらきっちり数えてみます。




 そうなれば、きっと次は一年通して毎日違う器を使えるくらいに、とかが目標になるかもしれません。




 一笑、一笑。




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 さて、新しく店舗を増やしたDIGAWELさん。一軒屋をリノベーションして、広々とした空間に、ぎっしりと。




 初日にズカズカとお邪魔して、久方ぶりにご夫婦ともお会いして、お子さんの可愛さに悶絶したりしていましたが。




 今春夏はなかなかに面白いですよね。ニット衿や肩ニットのシャツも面白いし、コートの類も素材がまたクニクニしていて愉しい。ドリズラージャケットは素晴らしく出来が良いけれど、己のスイングトップの似合わなさに呆れ果てましたね。




 短パンのバリエーションが豊富なのが素敵。とはいえ、あのスリータックは僕にはちょっと。んー、グレンチェックはいけるかなぁ。




 とまぁモノを見ながら、お話もしながら、ご祝儀がてら。




C O H-DIG white


 過去のアーカイブも置いてあるのがまた良い。ドットのシャツとか、ストライプとか懐かしい顔が色々。つーこって、しつこいくらいに白シャツ。今回は丸襟、フルオープン。このときから、丸襟は前たてがフレンチになりましたね。




 丸襟の便利なところは、シャツ感を薄めたい時に程よくイメージを軽く出来るところですやね。




 にしても、ここんちの白シャツ何枚あるんだろ……怖くて数えられない(笑)。家人全員を含めると、もっと恐ろしい。




C O H-DIG curve


 そして春夏新作。コレ、120か140双くらいかなぁ……艶やかで滑らかなコットンに、左サイドが色の切り替えし、さらにはジップで全開にも出来る。色の入れかたは「うわー、思いっきりカーブ期やん、カーブやコレ」と多くの方が感じるとは思いますが。




 しかし可愛い。各所のサイズ感や片面だけというのがまた素敵。春にサラッと着てあげたい。




 まだまだ春夏はジャケやらシャツやらあるみたいですが、しばらくはお腹一杯かなぁ。




 なんというか、ご祝儀として買ったところが結構大きくて、現実的にはもう十分なわけなんで。




 もう、しばらく贅沢もしてられないしね。




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 ここんところは、仕事では常連さんが毎日のように、誰かしら来てくれる。すごく、嬉しいことだ。「君がいるから」なんてことも言ってくれる。たかが3年でそこまでなれたことに、自分自身が嬉しく思うし、誇りに感じられる。




 自信過剰ではなくて、純粋に僕は頑張って来たと思う。知識や技術を身につけるために、勉強や経験を欠かさなかったし、そのために随分出費もしてきた。あるいは、やりたくないこともしてきたし、無理をしたことも多かった。




 何を言われても、考えて出した結果は変えてこなかったし、考えナシに結果を出すこともなかった。いつだって、自分のために、誰かのために、そしてすべてのために、そう思っていたから。




 トップ、ではない。それも分かっている。まだまだ上はある。けれどそれは、その道の人のための席だ。僕の席じゃない。このまままた数年頑張ればそこに座れることも分かっているし、どうすれば座れるのかも知ってる。でも、それはするべきじゃない。




 それはともかく、成長できたことが嬉しい。少なくとも得たものは大きかった。3年は短い、と誰もが言うけれど、この3年は普通の人の3年じゃない。3年には収まりきらないスピードで物事を吸収したし、学んだ。それは、はっきりと言える。




 最後に、ありがとう、と言えるような心が残っていて良かったと思う。僕らしくいられて良かったと思う。




 「君がいるから」と言ってくれる人達には、ちょっと申し訳ないとも思うけれど。




 そう言ってくれる人がもっともっと増えるように、僕は動く。




 幾つかのリミットがもう目の前に光っている。




 一つ、二つ、三つ。




 2013年、春。そこに向けて。




 また一つ、ステップを踏むんだ。    arlequin

 もう、マイクロソフトのブルー画面障害がヒドイ。




 さっくりしか、書けない。




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 伊勢丹にて。


 様々な素材で楽しみましょう、Sゝゝ。




C O H-Sゝゝ1


 真白く焼きしめた磁器、肌が良い。




C O H-Sゝゝ2


 印




C O H-Sゝゝ3


 刷毛目が美しくもある、茶。




C O H-Sゝゝ4


 背高のっぽの、粉引。




C O H-Sゝゝ5


 こんなにも。




C O H-h+1


 ここからはh+。




C O H-h+2


 白が良い。h+も設立当初から好き。




C O H-mina1


 そしてミナペルホネン。方向性は謎だが、これはいい。




C O H-mina2


 これはもっといい。




C O H-higashiya


 東屋の菓子でシメ。




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 もっといろいろ書きたいけれど、パソコンが落ちるので書けない。




 何だコレ。




 マイクロソフトの大バカ。     arlequin

 ということで、本日はライブです。

 飯田橋スペースウィズにて。

 19時からとなっておりますゆえ(開演は19時30分)、気が向いた方は是非ご来場のほど。

 つっても、こんなギリギリに、しかもブログで書いたところで誰がくるのか、という感じもするけれど。

 まぁ、もしかしたら誰かが来て、何かが出会って、面白いことが出来るかもしれないし。

 そういうのって大切。

 ちなみに\2000(ワンドリンク、ささやかなお土産つき)です。

 では、頑張ってきます。     arlequin
 こんな時間にして、ようやく準備が整って。覚書。

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 「ハチミツ」

 晴れの日はいつだってそうさ 何もないけど外に飛び出して
 とりあえず大きく息吸い込んで 背伸びして

 鼻ウタ混じりに歩き出して 向かうのはまたやっぱりいつだって
 ハンドドリップコーヒーの香る 喫茶店
 今日は何を飲もう? …サンドイッチ食べよう

 道すがら考えることは 「僕と君とそして世界の
 愛と平和」なんて格好いいコト 言えたらなぁ…

 でも現実はそんなんじゃなくて ただひたすら君に会いたくて
 明日もこうして晴れたらイイなって 思うだけ
 ちっぽけなもんさ でもそれが愉しい

 今 君に伝えたい 気持ちはもうここにあるけれど
 ありふれた言葉じゃ 全部表せない そう分かってる
 だから 僕は歌う

 シャボン玉みたいに儚くって サイダーみたいに刺激的で
 ハチミツみたいに甘苦くって 複雑だ

 それでこその人生であって 単調な感情が続いても
 そりゃあ確かに面白くもないや 頷いて
 ふと君を思う 暖かくて切ない

 苦しくて悲しい時ほど 笑顔でいれるように
 大切な心を ずっと胸の奥で燃やすように
 だから 君を歌う

 右手で目の前に出来るだけ大きな 円を描き 左手でその先を掴み取る…

 今 君に伝えたい 気持ちはもうここにあるけれど
 ありふれた言葉じゃ 全部表せない そう分かってる
 苦しくて悲しい時ほど 笑顔でいれるように
 大切な心を ずっと胸の奥で燃やすように

 だから 僕は歌う
 だから 君を歌う

 晴れの日はいつだってそうさ 鼻ウタ混じりに歩き出して
 道すがら考えることは ちっぽけなもんで…

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 タイトルはなかなか悩んだけれど、付けてみると「あー、それしかないか」と落ち着いた。

 さてと。

 良い歌。     arlequin
 すんごい沢山モノを買ったけれど、それは後日で。

 音楽祭りで聴きまくってます。

 そんな中、ライブの準備をしていたのですが……どうして関係ない曲に手を出して、作ってしまったんだろう。

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 「魔法のメロディー」

 踵を鳴らし 街を歩いて ほのかな春と 君を待ちわびる
 ブドウ飴一つ 放り込んだら 空を見上げて 鳥追いかける

 ほんのちょっと遠回りして 時の流れを忘れる
 左手ぎゅっと握り締めて 微笑いながら

 歌うよ 大げさな言葉はいらない
 君まで このメロディーは届くかなぁ
 柔らかな想いをこめた 魔法のように

 モノクロームの 街の風景に 優しい君の 声が色をくれた
 赤・青・黄色・緑・紫 あらゆる色で 淡く塗り分ける

 風が吹いて甘い匂いが 冬の終わりを誘う
 一足早く白いシャツの 袖を捲くりながら

 願うよ もっと幸せが降る世界
 どこまで このメロディーは伝うかなぁ
 暖かな心をこめた 魔法のように

 踵を鳴らし 街を歩いて ほのかな春と 君に

 歌うよ 大げさな言葉はいらない
 君まで このメロディーは届くかなぁ
 柔らかな想いをこめた 魔法のように

 願うよ もっと幸せが降る世界
 どこまで このメロディーは伝うかなぁ
 暖かな心をこめた 魔法のように
 君まで届くように 魔法のメロディー

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 と、いうような。すごくゆるやかに出来た曲。こんな風に、と思ったままに出来た曲。派手な何かもなく、個性溢れるという空気でもないんだけれど。

 でも確かに、歌いたい歌になり、流れて欲しい歌になった。

 コレ、アンコールに歌おう。って、アンコールを事前に想定するという汚い大人です。当たり前だけどね。

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 そういえば、結局、わが応援していた安藤はメダルを取れなかった。でもすごく良い顔をしていた。

 インタビューで素晴らしいことを言っていて、僕は胸が震えた。

 要約すると「悔しいところもあるし、メダルも欲しかったけれど。でも。今、すごく幸せを感じます。スケートをしていて良かった、幸せなんだってことを強く思います。」ということ。

 そういうことだと思う。メダルを取れるか取れないか、なんかではなくて。

 この言葉が安藤から出た瞬間に、安藤は最高のスポーツ選手であり、人としても素晴らしく成長したのだと感じた。

 僕もこの先、様々なことをした時に。

 そんな風に言えるようでありたいと思う。     arlequin

 なんかこう、更新の度に短歌を考えるというのは、スパンとして非常に良いな。やっぱりひらがなで書くほうが、同じ文字に幾つかの意味や方向性を組み込めるから良い。かつての和歌が良いのは、そこの加減もあるだろうな。




 どうしても現代感覚で行くと漢字で意味を摑もうとしすぎて、一つの言葉や文字には沢山の意味や空気があることを見失ってしまう。例えば、「こ」と書いたとして、それは「声」かもしれないし「子」かもしれないし「古」でもありうれば「娘」でもあり、かたや「心」や「孤」でもある。




 そんな風に和歌は出来ている。単純にストレートに読み上げたままの意味ではなく、そこに掛け合わされた幾つかの言葉と意味によって、同時に様々な価値感や想いや空気を詠んでいるのだ。




 現代で、そんな風に和歌を作っている人がどれだけいるだろう。




 素敵な人に出会いたいとも、思う。




 僕はまだまだ、未熟者だから。




 でも、そんなに、悪くない歌を詠むとは思う。




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 リュックに引き続き、なんやかやで買ってしまったデニム。




 巷でちょっと嫌になるくらいに最近よく流れるリジッドデニム。ようは糊がつけている生デニム(洗ってない)ってことなわけだけれど。DIGAWELさんのも今回はソレ。んで、店頭ではやっぱりそのまま裾を折って販売しているわけだけれど。




 個人的には糊が付いたまま履くなど、考えられないのですよ。純粋に履きづらいし、「じゃあ別にデニムじゃなくていいんじゃね」って思ってしまうモンで。DIGAWELさんでも「洗ったらどうなりますかね」と聴くと、やはりワンウォッシュをサンプルで作っている最中(明らかに乾かしてる途中だった気がする)だったみたいで。




 乾燥機には入れてなかったサンプルを見ると、悪くない。んで、スタイルやディテールを見ていくとやっぱりなかなかに面白い。価格とのバランスで行くと、これは買っておいたほうが良いだろうなぁ、と。




C O H-dig denim


 はい。




 リジッドの状態を撮るの忘れました。ということでこれはワンウォッシュで乾燥機ぶち込み後。まぁ、乾燥機に入れるかどうかはどっちでもいいんですが、やっぱり糊は落とさないと。




 落とすと、そこそこにクタクタ。でも、やわじゃない。形がしっかり出てくれて、綺麗なデニム。ちなみに僕は対とストレートのサイズ1でジャスト。裾も理想、サイズ感は相変わらず丁度良いですね、DIGAWELさん。




 普通のストレートのほうは少し太めでしたね。そういうスタイルが欲しい方には、良いかもしれない。でもタイトの側のふくらはぎ周辺から裾へのラインが非常に秀逸なので、そこは是非とも履いてみて欲しいなぁ、なんて。




 洗って、レプリカ系みたいによじれやアタリなんかが出るわけではありません。そりゃそうか、スタイルが違う。




 なんだろうな、いわゆるジーンズとしてのディテールはしっかりと保持しながら、どこかモダニズムを含めてくる。スーパーノーマルの感覚に近いかもしれない。




 巷ではAPCやハリランやリーバイスなんかはスタンダードデニムなんて言われて、ドゥニーム(個人的には結局好き)やフルカウントやウェアハウスやエヴィスやUESやほかモロモロやレプリカの代表みたいになって、かたやデザイナーズブランドはやっぱりデザインデニムってなったりする。




 DIGAWELのこれは、スタンダードじゃありません。DIGAWELなりのスタンダードと評価はされるだろうけれど、決してスタンダードって括りじゃない。レプリカでも、デザインでもない。




 つまり、ノーマルなんです。ノーマル。




 でも、DIGAWELという色を通して、なおかつ様々な視点を通っているから、通常のノーマルじゃない。だから、括るとしたらスーパーノーマルしかない。




 スーパーノーマルなんてのは、確かにジャスパーモリソンや深澤直人が提唱した価値感ではあるだろうけれど、それは言われるまでも無く僕らの生活の中にあるべきもので、どこかシックリくるものだったりするんですよね。




 スタンダードはどうぞAPCやハリランやリーバイスで、レプリカはどうぞDENIMEやUESやフルカウントで、デザインはどうぞマルジェラやギャルソンやヨウジやKAPITALで。




 スーパーノーマルはどうぞDIGAWELへ。そういうことで良いと思う。




 といいながら、某所のデニムは今年中になんとかしたいぜ、とか思ってるんですけどね(笑)。




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 長くなったなぁ、なんか。




 スーパーノーマルのくだりはいらなかったかもなぁ、僕は批評家でも専門家でもないし。




 まぁ、いいか。愉しかったから。     arlequin

 久々の更新。




 いや、ツイッターやってしまうと、あちらがあんまりにも気楽だからついつい。短く言葉を放つということがいかに愉しいことか、ということ。




 でも、長く書くこともとてつもなく愉しくて好きだから、それはそれでブログですよね。




 性格が違う、ということ。




 どちらも愉しめればいいじゃないの。




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 服の話。




 DIGAWELさんへ。立ち上がりも見に行ったのですが、なかなかに懐かしかった。鹿皮襟のシャツは、かつての鹿皮襟のシャツコートを彷彿とさせたし、コットンとウレタンのケープブルゾンはマウンテンパーカを思い出す。




 ニットリブのシャツは面白いけれど、素地の側があまりにすっきりしていてイメージと違ったのでスルー。グレンチェックものは面白いけれど、今着たいかとなるとなんともだったのでスルー。そのほかカットソーやベストやコート的なものも、オールスルー。なんだろう、可愛いけれど、今かと言われるとちょっと気分が違う。




 でも。それでも、「あうあうあう、おうおう、にゃー」と素敵なものを作ってくれるのがDIGAWEL。




C O H-dig chamber pop


 もう、この形式のギンガムはDIGAWELさんの定番、中心と言ってもいいかもしれないですね。リュックの形も可愛いし、大きさとかも丁度良い。




 そういえば、ショルダーのヘルメットバッグを見たときに「コレ、吉田と形がクリソツだよね」とか思ったわけですが、ヘルメットバッグは形をなぞっているだけみたいですが、リュックは吉田製になっておりました。




 それでも目立つとこには一切吉田のネームは入れないし、確実にDIGAWELのオリジナリティに溢れている。形や作りを見ると、「あぁ、確かに吉田よね」とは思うけど。




 ギンガムは赤、黒、青、無地ナイロンが緑、パープル。個人用は赤にしました。家人は黒を選びました。無地はグリーンがすごく素敵だったけれど、僕が持つとなんかリアルすぎたので(笑)。




 結構人気みたいなので、気になる方はお早めに。




 ついでにデニムも見てきました。10オンスでノンウォッシュ。形はDIGAWELさんの空気が全開でしたね。まぁあれは、実物見ると欲しくなるわな。




 やっぱり問い合わせが凄いらしいので、価格もお手ごろですし、レプリカ系じゃないデニム欲しかったんだよなぁって人は、いっておいたほうが良いかもしれません。




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 歌の話。




 ようやく新曲が一つ出来ましたとさ。




「リフレイン」




 ざわめく心の 始まりは陽だまり 出会えた奇跡に 変わり行く世界


 優しく微笑む 総てが眩しくて 泣いたり悔やんだり 憧れ羨んで




 春の桜 夏の夜空 秋の夕暮れ 冬の雪


 もっと色付き ずっと広がり きっと手を取り 歩けるかなぁ?




 震えそうな声で君の名を呼ぶ 胸を焦がす想いはいつも…きまって


 「ごめんね」なんて苦しい言葉じゃなくて


 涙発、笑顔行き 繰り返しの「ありがとう」




 生まれて初めて 溢れるほどの喜び 忘れたくない時間 失くしたくない想い




 今日の匂い 昨日の雨 明日のつむじ風 未来の味


 もっと感じて ずっと寄り添い きっと肩寄せ 進めるかなぁ?




 囁くようにそっと君は名を呼ぶ 心澄ます 想いをいつも…抱えて


 揺るぎなく真っ直ぐに見つめている


 その眼が胸を摑む 目的地はすぐそこ?




 飾らない日々を数えては 飾られた未来を夢見て


 転がってる幸せをいつの間にか 拾うことなく過ぎて


 振り返っても意味の無い場所 考え込んでも仕方ないこと


 気付いた今に 背を向けず 走る!




 震えそうな声で君の名を呼ぶ 胸を焦がす想いはいつも…きまって


 「ごめんね」なんて苦しい言葉じゃなくて


 涙発、笑顔行き 繰り返しの「ありがとう」




 囁くようにそっと君は名を呼ぶ 心澄ます 想いをいつも…抱えて


 揺るぎなく真っ直ぐに見つめている


 その眼が胸を摑む 目的地はすぐそこ?


 涙発、笑顔行き 繰り返しの「ありがとう」




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 ということで。




 ライブ、間に合うんかなぁ…コレ。     arlequin

 ツイッターはなんだかんだで便利なんですね。これと言って記事にするでもないか、というのもグダグダを書けるのが良い。

 それにしても、どうして池袋を歩く人達は、あんなにマナーが悪いのだろう。

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 歌の話。

 短歌の面白いところは、音の響きが凄く重要になり、流れや繋がりが全体を大きく左右するところにあると思う。

 ネットでいくらかの人の現代の(つっても素人さんね)短歌を見るのだけれど、今の人はすごくストレートなんですね。わかりやすいけれど、ちょっとこう「あぁ、そう」ってなってしまう。

 かつての時代溢れる歌とは違う。いわゆる古の和歌って、言葉が幾つかの意味に掛かっているのは当たり前で、そこに持っていく流れとか、あるいは重なりから生じる色や景色のイメージだとか、そうしたものから総合して得られる感情や想いが、すごく感じられる。

 僕はなんとかして、「あぁ、そう」で終るような歌ではなく、その先や並行線上に幾つかの物事や感情を感じられる歌を創りたい。

 もちろんド素人だし、習うこともないし、自分がいろんなところから想ったことを駆使しながら創るしかないんだけれど。

 少しでも、愉しい歌が詠みたい。

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 コーヒーの話。

 手間って思えばさほどでもないよな、ということでまたネルにしてみたんだけど。

 いや、なんというか、今となってはぶっちゃけそれほど差が出ない。結局、ペーパーで素晴らしいクオリティで淹れられるようになってしまったから、感動するほどの差が生まれない。

 これだと、やっぱり手軽さでペーパーに分があるよなぁ、と感じてしまう。

 もう少しネルの研究を深めて、それでも差があまり出ないようなら、またペーパーにしよう。

 それにしてもなぁ。

 もったりしたコーヒーが飲みたいこの頃。もったりというか、ねっとりか。

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 かずやの話。

 かずやの丹波栗あんよせを喰らう。やはり、どうしようもなく美味い。

 吉野葛で固められたあん、その中にゴロっと存在感を示しゆるやかな優しい甘さを出す丹波栗。この組み合わせは異常だ。

 一本1050円って、安い。

 大きさからすると一般的には高いってよく言われるが、食べるとそんなことは一切が変わるのですよ。

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 さてと。

 ゆったりしよう。     arlequin
 勢いだけでツイッターなんぞを。

 でもなんだかんだ言って、対して使わないかもなぁ。

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 まぁこう。より気軽にはなるよね。     arlequin