怖いと思うかもしれませんが、私が歩んできた全国1位のトップ美容部員になるまでの実話 


悪の根源
前支店長の悪代官支店長



※この4年後(私が27歳)。
この悪代官支店長は、大手化粧品会社社長からの命令で、私のところに謝罪に訪れる。(私はびっくりした!)

世の中のドロドロをたくさを経験したこの頃



私が22歳のとき、、ハ?と訳わからない始末書事件 


え?始末書?あたし、、何したの?

始末書なんて

まず、人生の中で書いたことあるひとってあまりいないと思う。(私、始末書書くような悪いことをするような人間ではない。)


(それも、身に覚えのない始末書)


私は、このとき、、、

(意地悪なN先輩と悪代官支店長が裏で手を組んで、私をハメたな、、、)

と、思いました。



この始末書の結末は

↓↓↓

悪代官支店長が異動し、新しくきた支店長が、全く意味不明の始末書を見つけ、『これはおかしい!』と気付いてくれたおかげで、私への対応は180度変わりました。

↓助けてくれた新しくきた支店長↓

世の中って、テレビドラマと同じで、悪の権力が真実をねじ伏せるんだな〜と身を持ってわかったのが、私が22歳のときでした。これから書きます。

    

前記事でも書きましたが、

私がいたお店のチーフは

権力が強く癖も強い恐がられている般若メイクの先輩のN先輩でした。


販社の支店長や課長なども

みんなその先輩には

ペコペコしてました。


支店長や課長たちは、

美容部員という女性たちをうまく使わないとやりづらいのもあり、長いものに巻かれたほうがやりやすいのが、どの世界も同じです。



般若メイクのN先輩は、

一番店にくる前

その一番店をやっていたチーフ美容部員は、

美人のM先輩でした。


↓髪の長いМ先輩↓

髪の長いМ先輩が辞めて
М先輩についていた派閥の美容部員も辞め

般若先輩が1番店を仕切り

般若先輩の天下になりました。

そこで、後輩だった私が、
異動した次のデパートで


般若先輩の売上を越し
私の店が1番店になったものだから
般若先輩はセールスを使って私に全攻撃をしてきました。

どんな攻撃をしてきたのか?
↓↓↓

■問題ありの美容部員をどんどん送り込んできた。(セールスがスケジュールを作る)

■私の言うことを聞かないようにと、私の店のセクションたちに般若メイクのN先輩が裏から伝達。

■突発で休む美容部員ばかりで、私は休みの日も、急遽お店に行かなければならない。


今でも忘れないのは、

私が熱があり、それでもお店に穴が空くから休めなくて、10勤連続出勤になったとき


私は、自分の心で思ったことがある。

(ロキソニン飲みながら、とにかく耐えるしかない、、、そうすればいつか熱は下がる、、。今は、耐えるしかない、、、。夜明けは必ずいつか来る。それまで時が過ぎるのを耐えるしかない、、。)


    

このときに、
私が相談しても薄ら笑っていた
担当セールスのEさんのあの笑み、私は忘れない。


でも今、考えれば

担当セールスのEさんも

心の中は

いっぱいいっぱいだったのかもしれない。


(このあと、担当セールスのEさんは、うつ病になり休職となった。


私は、お客様にだけは、最高の接客をしようと、仕事だけは手を抜かなかった。


始末書の理由 

なぜ、始末書を書かされたのか?

あまりにくだらなすぎて、全部は覚えてないのだが


確か、、、

2枚の始末書を書かされた。


■後輩育成ができないこと。

(セクション店の後輩が、仕事のお昼休みにカラオケに行っていた他)


■私が内膜症で救急車で運ばれて迷惑をかけた、、


全く対した理由じゃなかった。

意味不明だと思ったのを覚えている。


そのことを般若メイクのN先輩から知られていて

(こりゃ、、ハメられたな、、)

と思った。


この悪代官支店長がこのあと転勤になり、新しい支店長が来た。この後に、私が書かされた始末書が、私の救世主になったのだった。


次に来たK支店長
次に来たK支店長が
私の始末書を見て
水面下で調べ始めた。
『この支店は、腐ってる!』

文面で書くと、いっときですが、
私には、長い長い日々でした。

私が21歳〜23歳くらいまでの実話です。

まさか、あの意味不明なハメられた始末書が
救世主になるきっかけになるなんて!!!



ほんと、ドラマみたいだと思うが、人生とは、こういうことが起きるものなんですね。








日本化粧品検定

コスメの教科書

美容アドバイスページ監修