最近、保育園での児童の声を騒音として難グセをつけ、
脅迫めいた苦情の末に慰謝料を求め裁判所に駆け込む年寄りが居ることを知った。


仕事をリタイアし家にいるだけの時間を持て余しているのだろうが、
保育園に対して難グセをつけ、

脅迫めいた苦情の末に慰謝料を求め裁判所に駆け込むなどとは、
お門違いにも程があると言わざるを得ない。


赤ん坊が泣き叫び、

子供がはしゃぎまわり、

大学生が盛りのついた猿になるのは古今東西の洋を問わず。
変わりゆくは、その後の「大人」と呼ばれるものばかりである。


当該難グセをつけた人物は70代なんだとか。
どのような人生を送ってきたのかは知らないが、
齢幾許かしれない残りの時間を、

馬鹿な労力に注ぎ込むものだ。



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言いたいことを言えないことは、とてもストレスが溜まるものです。
それがましてや、 完膚無き迄に周囲の賛同が得られる事象だと尚更です。


しかし、物事の全てにいちいち文句を言っていては人間関係は保てません。
だからこそ、ピントを定めて、機会を伺い、ここぞという所で言ってやるんです。


「バカ息子!」、と。


どういった事情でさえ、誰が実行犯であるにせよ、
言ってやるのは良いとしても、そのバカ息子の豪邸にスプレーで書くのは…。


でも、私は正直清々しましたよ、ええ!


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彼女は、家に招かれるその誘いを受けたとき、心に微かに宿る温もりを感じたのかもしれない。
彼女は、一緒に並んで歩きそして、お菓子なんかを一緒に選んだのだろうか、

買い物をしているそのとき、一人暮らしをし自立したあなたを、

少し大人びた友人だと表情を緩めながら見ていたのかもしれない。


あなたは、恐らく首よりも先に手首から切断したのだろうが、
滴る人間という動物の血液のその色と温度を感じたとき、

人間という動物の生命を感じたのかもしれない。
あなたは、心に微かに温もりを宿して訪れた彼女の腹を割いたとき、
人間という動物の死を初めてその時感じたはずです。



強盗だの、強姦だの、殺人だのと人間が巻き起こすこれら日常の非日常的な営みは、
文明が文明だのと偉そうに確立していないその当時から必ず行われています。


今現在、こういった事象というものは、とても多数の人間で共有できる色合いのものとなっています。
それは、新聞やテレビのニュース、そしてインターネットが発達したからです。
人々は、これら新聞やテレビのニュース、そしてインターネットから得た情報を通じて、
その行為、則ちその事象の原因と結果から、「納得がしたい」と思っています。


原因と結果という関係ほど分かり易いロジックはないと、真剣に心底信じきっています。
それを全ての人間に当てはめて「納得して、安心したい」と心底思っているのです。

その原因が、自分が置かれている境遇から遠けれな遠いほど、
その結果は、自分が置かれている境遇から必然と遠くなります。
仮にその原因が近ければ、その行動の起因性に納得できるはずです。


納得は安心に繋がり、そして人々は次なる事件へと興味と関心を移していきます。



人間という動物の死は、その多くは身内を亡くす時期から実感し始めます。
私めなどは小学生の頃合から、少し多めの祖父と少し多めの祖母の死を見てきました。


あの子はきっと、人間という動物の死を実感したかったのではないのか、と私は思っています。


実母が亡くなった経緯も、その状況も知らない私めなどの憶測などは何も役立たないでしょう。
ですが、人間という動物の死をどのような形であれ、どのような時期であれ、
自分自身で実感し、自分自身で消化しなければならない時期が必ず訪れる事を私は知っています。


だからあの子は、人間という動物の死を実感したかったのではないのか、と私は思っているんです。


ネットではあの子のことを、魔物であったりモンスターであったりと、
我々が棲むこの世界とは、隔世に存在するものの如き表現するものを散見します。

あの子が、魔物であったりモンスターであったりすれば、
我々は納得し、そして安心できるのでしょうか?



この事件を知ることとなった私の気持ちの行き着く先は、
もうすでに知る由もなく叶わぬものなのかもしれないけれど、
彼女があなたに誘われ微かに抱いたであろう心に宿ったぬくもりをあなたが実感したとき、
泣き叫んで欲しい、
ただそれだけの願望なんです。


こういった事件は、全ての人間が加害者であり、全ての人間が被害者であると私は思っているんです。



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「漫画や小説は、フィクションを扱うことが多い。だから表現することそのものには問題ない」


果たして、本当にそういう物事の捉え方でいいのだろうか?


団塊世代を代表する、真の「日本人」にとって大層鼻につくこの漫画家は、
このように世間が騒ぎ立てることも、そして冒頭の有識者を自称する者たちの見解も、
大して画力のないその腕が、インクが紙に落ちるその瞬間から想像していたに違いない。


吉田は晩年、自らの行いの正当性をこう述べている。
「事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」、と。


アンチテーゼとするには余りにも卑怯な、一方的なこのような行いを起こすその責任は、
吉田とその家族、雁屋・花咲とその家族にしっかりと償ってもらいたい。
「自由」というものには、必ずその前提に「責任」があるからだ。


表現をするその「自由」は保証されていてそれでいい。
しかしその行いに至ってしまったからには、それ相応の「覚悟」を求めたい。

「真の日本人」を敵に回してしまう「自称日本人」はまだまだ今後も出てくるだろう。
彼ら「自称日本人」に警鐘を鳴らしておく。

それ相応の「覚悟」を求められるその瞬間は、必ず貴様らにやってくる。
その時貴様らの羞恥心がどの方向に向かって放たれるか、今から私は楽しみに待っている。


貴様らは決して法は犯していない。
しかし償いきれない罪を、「自由」を行使して背負い込んでしまっている。


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地下鉄の車内、私は扉に映るその男をずっと睨んでいた。
目が反射する扉越しに合ったとしてもひたすら睨み、
そしてこの国に来たことを少しでも後悔させたかった。


列車が互の目的地に停車し、扉が開く。
その男は、気もそぞろに連れ合いの手を握り、
直接私の目を見ることもなく、何処か心の動揺を浸隠すようにイソイソと車内から出て行く。
私は、その連れ合いが持っていたスマホの画面に映る文字を苦々しく一瞥し、そしてまたその男を睨む。


スマホに書かれていたその文字は、ハングル文字だった。



いま、日本の人々は彼らをその生活の中で目撃したとき、
どのようなリアクションを起こしているのでしょうか?
いま朝鮮の人々は、その母国で習ったある意味で言う英才教育を、
この日本に来て、見て、聞いて、どのように感じているのでしょうか?


地政学的に隣り合っているという理由だけで、
仲良くしなければ危機的な状況になるという考えは、
大陸的な安直な着地点です。
狭義で言えば、地政学的には隣り合っていないのです。


我々日本人は、彼ら朝鮮人が行った行為一つ一つを決して忘れてはいけません。
その出来がどうであれ、

ときの内閣総理大臣の顔写真を、破り、燃やし、踏みにじりました。
自国のインフラの大部分が日本からの恩恵であることを忘れ、

日の丸を破り、燃やし、踏みにじりました。
大震災で苦しんでいる最中に行われたサッカーの試合では、

筆舌しがたい屈辱を彼の者達は行いました。

これら氷山の一角である行いは戦時ではなく平時に行われ、
また、戦時ではなく平時に行われたこれら愚行が、

氷山の一角であることが友好と結び付けない最たる原因です。


いったいいつまで彼の者たちが日本国中を闊歩している様を、
今の状況下で暗黙しあわなければならないのでしょうか?
日本が大戦下のナチスドイツのような愚行の極みを起こさないためにも、
今の状況下で真の日本人の感情を政治が代弁する時が来ているように感じます。


『私たち日本人は、今の状況下のあなたたちが大嫌い』であると。



折角観光で日本を選び、そして訪れてくれた彼らには申し訳ないのかもしれない。
しかし、誰かが何れかの方法で、我々真の日本人の感情を彼の者達に表現しなければならない。

馬鹿な右翼気取りが、

平気で韓国人の作り上げた土俵に上がってしまう、

そんな輩をこれ以上増やさないためにも。


日本の政治家が、いったいどこの誰の代弁者である必要があるのか、

そのことが問われ続けているように感じます。


馬鹿な友好気取りは、馬鹿な右翼気取りよりタチが悪い。



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「3年なんてあっという間」、と被災していない者が表現してしまうのはお門違いなのでしょうね。
でも、過ぎ去った日々を思い出しながら振り返ってみると、やはりあっという間の3年でした。


職場では、14:46に館内放送を入れて1分間の黙祷を行います。

目を閉じ、当時を思い、テレビ越しながら息を飲んで見つめたあの光景を思い出します。
電話の音どころか、鼻をすすることさえ憚れている事を事前に約束したかのような静寂の1分間。
目を開け、現在に戻り、モニターに映し出される無機質なデータが目にとまります。


東日本大震災は、散り散りばらばらになった我々日本人を、一つにしてくれる接着剤です。
悲しみを共有できることほど、人が人たる所以を感じさせてくれることはありません。
移り気の激しい我々ではありますが、風化していくことのその責任は、我々ひとりひとりにあります。
マスコミが特集を組まないそのことだけで風化するくらいなら、一層この国は滅んでしまえばいいのです。


目を開けたとき、無性に人恋しさに襲われました。
形や手法がどうであれ、人が人に声をかける大切さを痛感した3年でした。
この先の3年がどのようなものとなるのかはわかりません。
ですが、東日本大震災を無駄にしてはいけないことだけは、はっきりとしています。


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明けましておめでとうございます。


昨年2013年は、比較的保守層で固まった自民党政権下であることも手伝い、
過度に広がりを見せていた中国、朝鮮に対する「歩み寄りw」と言える動きに、
一定のブレーキをかけることがようやくのところ実現したように感じます。


逆に危惧するのは、中国や朝鮮(とりわけ韓国)の作り出す土俵にわざわざ上がり込み、
結果として、相手に塩を送り込んでしまう馬鹿な輩が散在するところです。
折角日本人に芽生え始めた日本人の日本人としてのナショナリズムの萌芽を、
こういった馬鹿な輩の行いで小さなうちに摘み取ってしまわないかと心配します。


また、アベノミクスなる経済政策やオリンピック誘致成功に伴う今後の経済成長により、
日本人の日本人としてのイデオロギーの醸成に歯止めが掛かりはしまいかとも危惧します。
「打算>無私」、「経済>歴史」、「結果>過程」は、
戦後68年の中で日本人としての質を担保に、日本人をユダヤ商人化させていきました。
このような同じ轍を踏みはしないかと、老婆心ながら感じずにはおれません。


本年2014年は、日本人の質というものを昨年以上に考え、行動したいと思います。
本年も何卒宜しくお願い致します。

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つい最近大阪市内の街中で、遠い昔に付き合っていた彼女を見かけた。

正確に言えば、遠い昔に付き合っていた彼女に似た女性を見かけた。


そのヒトは、自分の子供であろうその子が眼差しを向けるその矛先を、

その子と同じ目線の高さにまで足を折り曲げて、

その子と同じモノに目をやりそして笑っていた。


もうすっかり遠い彼方にあるはずの記憶が、

その光景に出会ってしまったが為に忘れ去ってしまっていたと思い込んでいた情景が、

自分の心の中で木霊する。


彼女たちの真横を通り過ぎるとき、

遠い昔に付き合っていたあのヒトも、

きっといまもこの星のどこかでこのヒトと同じ表情をしていてくれているんだとそう感じたとき、

寂しいと思う成分がたっぷりと詰まった、でもどこか心を豊かにしてくれる、

そんな気持ちと共に何かが潤んでいた。


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大きな怪我をしました。
右手小指根元の骨折です。


怪我をしたのが夜であることと、
翌日は外せない出張が入っていたことで、病院に行くのが遅くなり、
傷口が化膿してしまったことが、事をより大きくしてしまった要因です。


その後、朝一番に病院に行ってから出勤するサイクルへと生活スタイルが変わります。

病院の中は、救急病院であることも手伝い私ごときの日常では、計り知れないことだらけです。
救急車がひっきりなしに到着し、お医者さんや看護婦さんがばたばたする中を警察官と刑事らしき人の右往左往。
子供がワンワンと泣く同じ構図にこれら景色が重なる日常は、私ごときの日常では決して計りきれません。


そんな中でも、さすが関西というひとコマも。
すべて私と対してなんですけど。
・診察一日目に薬が出なかったことに対してのお医者さんの一言。
お医者さん「え?薬出してませんでしたっけ?」
・チュイ---ンと採血し終わった後の看護婦さんの一言。
看護婦さん「あ!血採りすぎた!」


おい!w


まぁ、そんなこんなの毎日です。
ここのところの3ヶ月間というものは、
忙しすぎて、身も心も結構ズタボロでしたのでいい休養なんだと言い聞かせてます。


万能だと思っていた人間の身体は、
たった一つの部位の障害だけで、
こうも脆く万能さを欠ける危ういものなんだと今実感しているんです。

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あれから2年の時間が過ぎました。
あれから2年、
自分がどのように変わり、自分以外の人間がどのように変わったのかまだ実感が湧きません。


言葉ばかりの「絆」が先走りし、
その言葉とそれを発して酔いしれる誰かの姿を見て、
自分のいろいろな感情の高ぶりが冷めてしまっているからなのかもしれません。



ある人は言います。
未曽有の被害を齎したあの大震災を、我々は忘れないことが大切である、と。

対して、私はこう思います。
個々の日常は、大変なものです。

だから日々忘れないで過ごしていくのは難しいこと。
でも一番大切な事は、

2011年3月11日14時46分に起きた出来事と、それに起因して起こった様々な出来事を、
「思い出す」動作こそが、「あの後を営む我々」にとって大切なことであるのでは、と。



「絆」も「忘れない」行動も、理想を突き詰めた先にあるお花畑だと感じます。
その言葉がもつ本来のチカラではない空虚さを、今の私はどうしても感じてしまうんです。


「絆」は、言葉を発して見えてくるものではなく、
「忘れない」その行ないでさえ、非現実さを感じてしまう今の私の姿は、
あれから2年が過ぎたがための、だからこそそうなってしまった2年後の変貌なのかもしれません。


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