あれから2年の時間が過ぎました。
あれから2年、
自分がどのように変わり、自分以外の人間がどのように変わったのかまだ実感が湧きません。


言葉ばかりの「絆」が先走りし、
その言葉とそれを発して酔いしれる誰かの姿を見て、
自分のいろいろな感情の高ぶりが冷めてしまっているからなのかもしれません。



ある人は言います。
未曽有の被害を齎したあの大震災を、我々は忘れないことが大切である、と。

対して、私はこう思います。
個々の日常は、大変なものです。

だから日々忘れないで過ごしていくのは難しいこと。
でも一番大切な事は、

2011年3月11日14時46分に起きた出来事と、それに起因して起こった様々な出来事を、
「思い出す」動作こそが、「あの後を営む我々」にとって大切なことであるのでは、と。



「絆」も「忘れない」行動も、理想を突き詰めた先にあるお花畑だと感じます。
その言葉がもつ本来のチカラではない空虚さを、今の私はどうしても感じてしまうんです。


「絆」は、言葉を発して見えてくるものではなく、
「忘れない」その行ないでさえ、非現実さを感じてしまう今の私の姿は、
あれから2年が過ぎたがための、だからこそそうなってしまった2年後の変貌なのかもしれません。


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