梨木香歩の『水辺にて /on the water,off the water』という本の中で、ダム湖をカヤックで漕いでいる彼女に、湖底に沈んだ村の様子がまざまざとよみがえってくるという、印象的なシーンがある。湖底に沈んだ村で、夏に蝉取りに興じたであろう子供たちの声が、市井を行き交う大人たちの声が、湖畔を進む彼女を捉えて離さない。そういった、失われたものへの繊細さが感じられる、とても良い本である。 私も、カヤックでダム湖を漕いだことがあるが、水面下に広がる失われた世界へ思いを寄せるといった繊細さは、微塵もない。ダメである。がさつである。と、そんな自分のダメさを癒すために、ダム湖に沈む村を描いた『水になった村』というドキュメンタリーをポレポレ東中野に観にいった。 岐阜県の福井県境にある徳山村という山深い里が2006年にダムの湖底に沈むまでの15年間を大西暢夫氏が撮った記録映画だ。村に住む「ジジババ」の姿を慈しむように撮りためた15年の記録。冒頭、移転の済んだ村に水が静かに満ち始める。「ババ」が好きだった梨の木に、山葵を摘んだあの沢に、「ジジ」が耕したあの畑に、舐めるように満ちる水。移転が決まってユンボによって解体された100年の歴史を超える家々が、水になる。そんな、悲しみを大西氏は大上段に構えるでもなく、淡々と、そして慈しみながらフィルムに定着させてゆく。「ジジ、ババが好きだったから」と語る大西氏(上映後のトークショーで)は、映画として撮った訳ではなかったと言う。後半、大西氏が映画化を意識したというところからは、確かにある種の言質、それはおそらく、映画が「環境問題」や「自然破壊」といったコードで絡み取られてしまうことを容認するかのような、が漂い始める。しかし、大西氏はそのことに無自覚ではなく。はにかみながら「意識し始めたから」と吐露するのであった。その正直さと映画前半の「好きだったから」に息づく徳山村の人々の姿が、私にはとても繊細で好感が持てた。この夏、岐阜に行く予定がある。湖底になったかつての村を訪ねてみようかと思っている。そのことを大西氏に話すと、氏は「ぜひに!」と素敵な笑顔で答えたのだった。 興味のあるかたはぜひ 『水になった村』公式サイト