
重松 清
かっぽん屋 (角川文庫)
前回、川餓鬼の正しい夏休みについて書いたので、「正しくない夏休み」ってものについて考えてみた。すぐに、頭に浮かぶのは、夏休み明けの新学期ひそかに想い焦がれていた清楚だった女子が茶髪ではすっぱになっていたりした中学生の頃の思い出である。彼女にとっての夏休みが何か「正しくない」ものであるのは容易に想像がついたのだが、こういった思い出はあまりに生々しいし、「ひと夏の過ち」みたいでなんかしっくりしない。そんなことを思いながら、夏休みをテーマに書庫をあさってみると、ありました。しっくりする小説が。重松清の『かっぽん屋』である。本書の中の『すいか』という短編はまさに「正しくない夏休み」を描く秀作だと思う。
主人公のヨシヒロは小学校6年。悪友のコウジとともにすいか畑で「かっぽん」する男女を草むらから覗いている。ある日ヨシヒロは、女が男に突かれながら切なげにその乳房を押し付けていたそのすいかを両手に抱き、「まあるいすいかを抱いていると、なにか別の、もっと大きなものに抱かれている気分にな」り、「地面にこすりつけるように腰を動かし」ているのを女に見つかってしまう。「ちょっと、あんたなにしよるん?」「いやらしいな、子供のくせに」と女につめ寄られる。やがて「おちんちん、見せて」と言われたヨシオは、気がつくと女の乳房にむしゃぶりついていた・・・・・・そんなことがあった後、ヨシヒロがひそかに恋焦がれる同級生のカヨコの優しげな声に思わず「うるせえのう」と邪険にしてしまうヨシヒロ。思春期の切なくて正しくない夏休みを重松清の筆が陰鬱になることなく描いた快作である。





