森下 雨村
猿猴 川に死す―現代によみがえった幻の釣りエッセイ (小学館文庫)



森下 雨村
釣りは天国 (小学館文庫)
 先日、ウナギのことを書いていて久しぶりに雨村の釣りエッセイを読み返した。このエッセイは以前にも触れたことがあるのだが、(日本の原風景で釣る)何度読み返してもすばらしいエッセイである。雨村はうなぎ釣り師としても知られた人物で、昭和初期のうなぎが川にあふれかえっていたときの様子を以下のように生き生きと描写している。
 春日川の川筋にうなぎの多かったことは間違いなかった。いまの日本の住宅難のように、年ごとに遡上してくるうなぎは、その棲家がなくて、川岸の穴にせりっこをしていただろうと思われるほど多かった。その証拠には、一かかえほどの石を十ほど並べたほんの一と跳びというほどの石橋の根で、小さいけれどもつぎつぎと五,六匹のうなぎを釣った記憶がある。(同書『とおい昔』)
雨村の幼少時の話なので大正の頃の高知県下の郷里佐川村の川でのことである「釣った」とあるが、雨村の釣り方は独特のもので「ヒゴ釣り」と呼ばれるものである。この釣法は、私も幼い頃、祖父に連れられてうなぎ釣りに連れて行ってもらった時に、うっすらながら記憶にある。岩場などにもぐりこんだうなぎの穴に「ヒゴ」と呼ばれる竹を細く削って作った仕掛けの先にミミズなどをつけて、喰いついたところを、穴から引きずりだすように、「ヒゴ」をひっぱて釣る方法である。竿などを使わない伝統漁法といえよう。うなぎの棲家を見つけることがこの釣りで肝要なところであるから、当然、河川にそのような自然環境が保持されていなければ、そもそも、この釣法は通用しないのである。しかも、川に半身をつけての釣りなので、まさに川遊び的な要素もあり、まさに川餓鬼といった様相を呈していたのではないかと想像できる。事実、祖父もうなぎを釣りに行くときは、もっぱら遊びに興じる餓鬼の様であったと母が言っていた。
 このような、うなぎが生息する河川も護岸の整備や、水質の悪化などで少なくなるに従い雨村のような川餓鬼にもお目にかかれなくなって久しい。
 先日、岐阜の郡上市を訪れたとき、その懐かしい川餓鬼に遭遇した。清流を半パンで泳ぐ子供たちの嬌声。空には天に届けとばかり入道雲がそびえていた。蝉時雨は山にその嬌声とともにこだました。「正しい夏休み」を見たきがした。後日、調べると郡上、粥川は950年頃、藤原氏の一人、藤原高光という人が、鬼退治のために山に入ったが道に迷うい、うなぎの案内でやっとこ鬼の住処にたどり着き鬼を退治した、爾来、うなぎを神様の使いとしてあがめ大切にしたという。その習慣が今でも残っていて、この川のうなぎはことのほか巨大であるという。(井田徹治著『ウナギ』より)そのうなぎは現在、国の天然記念物として保護されている。
 うなぎのすむ清流、川と戯れる川餓鬼。森下雨村の昭和初期には珍しくなかった地方の光景は、いまや天然記念物なみに貴重である。私たちは戦後何をしてきたのだろうかと、川餓鬼の声を遠くに聞きながら思った。蛇足だが、この流域にはこれまた天然記念物のオオサンショウウオも住んでるという。いつまでも清流が保たれるよう祈るばかりである。