生田 武志
ルポ最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書 673)



桐野 夏生
メタボラ
「美しい国ニッポン」なんて空ろな絵空事をのたまっていた、安倍氏も記者会見では虚ろな目をしていて、その無責任ぶりに怒りを通り越して悲しみを覚えるのだが、小泉改革によって行われた、小さな政府を目指す市場主義経済改革路線を批判する材料として「格差社会」や「ワーキングプア」と言った事柄が、声だかに主張されるに至っては、イメージ先行で、その内実が不可視で曖昧なところが、そのイメージのみで改革からの反動、旧態依然の保守主義者の後先考えない、選挙対策めいていた言説として流布していることは、もはや作為的なものを感じ、悲しんでもいられない、とばかりに実態はどうなっているのだろう?と関連書籍を読み漁っているところなのではあるが、読んでいて感じたことは、「格差」「ワーキングプア」と言ったものを論じている、評者そのものがその言葉を親身になって感じることができないのではないか?という御身分なのである。フィールドワークで集めたその「実態」は机上で論理付けされるための資料でしか過ぎなく、その「論理」なるものも非常に空疎なものが多かった。つまりは自分の立ち位置とは違う人を、選民思想的感覚で俯瞰し、哀れみやもしくは自己責任を説くための御託にしか過ぎないと言うことである。このことは安倍氏や福田氏が政治家2世として首相となっている、その選民思想と類似している構造だ。つまりは、内実を伴わない空疎な理念はまるで、経済アナリストが市場を語っているように限りなく不確定、疑わしいものである。
 このように、「格差社会」を扱った本が不甲斐無いなかで、本書はルポルタージュの力を真に示す優れた本である。このことは著者が、生の現場に入り込み、そこでの実体験からたたき上げた理念が実社会に深い孔を穿つまでに強靭にその足腰を鍛え上げれれていることにある。実際の経験がその理念の強さ(正しさではない)を担保しているのである。このような「現場主義」的なスタンスは、先に亡くなられた佐藤真氏や氏が影響を受けた小川紳介などの優れたドキュメンタリー映像作家にも通低するスタンスなのではあるが、その「現場主義」的スタンスは時として、対象(映像や文章として立ち上げたときの被写体や文に書かれる人としての意味)の「私」性と対象者が生きる社会の構造、とそれを支える構造(マルクスのいう上部構造)との間に齟齬を生み出す可能性がある。観察者は常に目の前にいる「私」性を伴った個人の生々しさと、それが特異であればあるほど、社会の構造との乖離を感じるのではないか?その個人から何らかの理念を抽出することへのためらいといったような・・・さらには、その社会の構造に投げ込まれた自分の立ち位置といったものへの嫌悪さえも。まあ、もっとも俯瞰的位置から見下すように開き直ってしまえば元も子も無いのだが。
 このような、ルポ、ドキュメンタリーの抱える、困難さを著者も日本最大のドヤ街「釜ヶ崎」に20年もの長きにわたって、内側から観察したその当初に当たっては痛感していたようである。
 それが証拠に、氏は釜ヶ崎の労働者の実態を知るべくその現場に足を踏み入れるきっかけを以下のように語っている。

 「そのとき大学2年のぼくは、数学や物理学の論理的基礎を学んでいたが、一方で自分自身と世界との生きた接点が見つけ出せないという現実喪失感に苦しんでいた。もともと、社会にある貧困の問題に関心は持っていたが、それと自分固有の問題とをどうつながりをつければいいのか、解けない問題のように感じられていた。下層の労働運動に関わりながら独自のキリスト教体験を重ねた思想化、シモーヌ・ヴェイユの著作集を読んで強く惹きつけられたのはこの頃だった。ちょうどその時期、この釜ヶ崎の番組を見た。」

 と、氏の立ち位置はそのはじめから、社会の問題を自己の問題として取り扱うことの困難さ、その誠意あるスタンスを「不在の神を待ち続ける」ヴェイユと重ね合わせ吐露している。そこには俯瞰的な視座は微塵も感じられない。しかし、それは途方も無い困難な道であった。常に被観察者と自己の境界が侵犯されるからである。事実、氏は1990年に勃発した「釜ヶ崎暴動」(その記述はパリコミューンを彷彿とさせる)を機に、深い悩みのうちへと沈んでゆく。

 「ぼく自身も、「様々な立場の人とともに差別と闘う」ことを自分の問題として考えようとしながら、それをどう引き受ければいいのか、わからなくなっていた。釜ヶ崎で日雇労働を始めたとき、それまでの自分が嘘くさいものに見えてきたように、釜ヶ崎に関わる自分への疑問が再びのしかかっていた。混乱した状態のまま、ほとんどの活動を中止した。」

 こうして貧困問題を自己の問題として、弁証法的にいうなら「昇華」できなかった氏は、悩みながらも日雇労働を続けながら、釜ヶ崎に滞在し続ける。そして、転機は外から、悲劇の形をとってやってくるのだ。すなわち1995年に大阪道頓堀の戎橋で起こった野宿者、日雇い労働者藤本さんへの暴行致死事件である。つまり世に言うところの「ホームレス襲撃」事件である。このことに衝撃を受けた氏は、「自分でもなぜかよくわからないまま」現場へと駆けつける。そうして、

 「釜ヶ崎や野宿者の問題は自分にとって引き剥がそうとすれば自分の肉や血を引き剥がすことになる。そんなものになってると実感せざるをえなかった。しかし、だとすればその自分が、次々と殺されていく人たちがいる中で何もしないでいるのはなぜなのか。事実、野宿者襲撃は次々と起こり続けている。そして、若者のの襲撃で殺されなくても、日雇労働者や野宿者は仕事がないというだけの理由で次々と死んでいる。しかもそれは社会的に黙殺され、放置され続けている。そのたびに、明日、あさってと橋から路上から公園から花を投げるのか。」

と、再び自己の問題として釜ヶ崎を見つめなおしてゆくのだ。それは、問題が「昇華」されたのではなく並立する問題に目を向けた、つまり平行な視線の視野を広げた、といっていいだろう。このようにルポにおける、対象と自己の葛藤から生まれた氏の考え、批評についてはまた別に記そうと思うが、なんせ、20年の身を投じた上での現場で鍛え上げられた理念である。力強いのである。ここでは、貧困が構造的な問題、決して自己責任に還元されるべき問題では無いとのみ述べておく。そしてその構造が生きる個人をいかに絶望へ、それは経済的絶望のみならず、内面の荒廃も含むということは、派遣労働者の実態からその悲劇的な顛末を描いた桐島夏生の『メタボラ』というエンターテインメントのテーマになっていることからもわかる。
 さらには、対象と自己の侵犯と和解への運動は文学サイドからは笙野頼子が『一、二、三、死、今日を生きよう!』という面白い小説もあるので、そのことも次回以降触れてみたいと思う。
 本書はルポの力を感じる力作である。

 

 



福岡 伸一
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)



リチャード・ドーキンス, 垂水 雄二
神は妄想である―宗教との決別
 庭が美しいことさえわかれば十分じゃないのか?花の下に妖精がいるなんて信じなくても (ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイクガイド』)

 そしてもし、海辺だということ自体がそんなに素敵で素晴らしいことならば、それならこんふうにあたり一面、おもちゃ箱をひっくり返したみたいに娯楽設備を用意する必要なんか無いはずじゃないか。(グレアム・スウィフト『最後の注文』)

 生命の不思議にうたれるとき、私たちはまずその造作の繊細さ、脅威に打たれるのではないか。蝶の羽の模様の繊細さに、海岸で拾った貝殻の造作の複雑さに。サバンナを賭けるライオンの鬣の輝きに・・・そうした生命の不思議に幻惑するとき、同時に、何故このようにも美しいのだろうか?なぜ、このように調和がとれているのだろうか?と思わずにはいられないのではないだろうか?
 その、素朴な畏怖と疑問が生命の特徴である「自己複製」に端を発するものであったと指摘するのは、生物学者の福岡伸一とリチャード・ドーキンスである。DNAの複製過程としての生命の多様さ、複雑さの出現はいまさら驚くべき事実ではないのだけれど。分子レヴェルで見たときのその生命観の新しさは、まさに驚きである。福岡はそれを「動的平衡」と名づける。分子レヴェルで見た時、その生命を構築するタンパク質は膨大の量の原子からなっているのであるが、その原子はランダムに拡散していく運動を行っている(ブラウン運動)。では何故、そのランダムな拡散=エントロピーの拡大によって、生命は霧散してしまわないのか?エントロピーの最大化によってカオスに取り込まれてしまわないのか?そのことを知るキーワードが「動的平衡」である。ルドルフ・シェーンハイマーの検証によると生命を作るさまざまなアミノ酸は驚くべき速さで代謝を繰り返しているというのだ。そればかりかアミノ酸レヴェルではなくもっとミニマムなレヴェルでの構成元素の代謝が行われていると言うのだ。つまり生命はエントロピーの拡大によるカオス化を逃れるために、強固な防御として構成をより確かなものにする代わりに、常に消滅と再生を繰り返す緩やかな構成を選択していると言うのだ。そのことが「動的平衡」と言うことである。このことに関してドーキンスも同様の指摘をしている。そして彼はコンピュータ・サイエンティストのスティーブ・グラントの『創造-生命とそのつくりかた』という本から次のような引用を引いている。長いが「動的平衡」を考える上で分かりやすいので孫引きすると、

 「子供時代のある経験を考えてみてほしい。あなたが鮮明に覚えているもの、あなたがまるでそこにいるかのように、目で見、感じ、ひょっとしたらにおいさえ嗅ぐことのできるようなものを。結局のところ、あなたはそのとき、そこにいたんじゃなかったのですか?そうでなければ、どうしてあなたはそれを思いだすことができるのか。それでは、ここで爆弾発言をしよう。実は、あなたはそこにはいなかったのだ。いまのあなたの体にある原子の一つとして、その出来事がおきたとき、そこにはいなかったのだ。・・・・・・物質はある場所から別の場所へと流れていき、束の間だけ寄り集まってあなたをつくる。

 つまりはカフカのようなもので、昨日寝る前のあなたと、今朝のあなたとではまったく同じではないということなのだ。これは単にメタファーではなく、事実なのである。シェーンハイマーがネズミによって実験した(同位元素を使用し、その行方を追跡する方法によって)結果、3日間同位元素でマーキングされた餌の質量の実に56.5パーセントが身体を構成するタンパク質の中に取り込まれていたのである。と言うことは、子供の頃のあなたどころか一週間前のあなたとでは、構成する物質は原子レヴェルでは大半が入れ替わっていることになる。
 で?それがそんなにびっくりすることか?と思うかもしれないが、つまり生命維持活動におけるこのミニマムな事実は、エントロピーの拡大、最大化に抗するために、その平衡状態の維持のために物質の平均的状態、安定した状態を維持するための、必要不可欠な要素なのである。原子のランダムな動きを一定のベクトルを維持させる状態に保つために、膨大な原子量によって身体を構成し、しかも常に消滅と生成を繰り返すことによって刷新するということは物質がもともともっているnの平方根の例外的な特異な運動を無視できるくらいに小さくすると同時に、システムを維持するための最良の方法なのである。
 このような、ミニマムな現象は私たちが普段知覚する感覚とは非常にかけ離れたサイズをもっているがゆえに、理解しがたく、時にそれが神秘的なものと結びついてしまったり、オカルトじみた文脈で語られることが多いのだが、ミニマムな分子生物学、そして量子力学に対するマクシマムな宇宙論とが、非常に似通った、たとえば消滅-生成といったキーワードで語り始められている、そのこと自体が何か知のパラダイムが大きく変化するその余震のように思えてワクワクするのだ。
 もっとも、そんなことは知らなくても、かくも世界は美しく。精緻なのである。そのことを知ってさえいれば、妖精や神(娯楽施設)をださなくったて、楽しいのである。




佐藤 亜紀
ミノタウロス

ショーロホフ, 横田 瑞穂
静かなドン (1) (岩波文庫)
 ロシア革命下の動乱の中での人間模様を描くものとして、読む前に私はショーロホフの『静かなドン』のような壮大な叙事詩を想像していた。装丁の深い轍を大地に刻みながら進む砲身と、その向こうに見える荒れた、本来は肥沃なはずの大地の絵もその予想を補完するにあまりあった。
 しかし、読み進めるとその想像はずれ、しかも新たな視点でもって、描かれるロシア革命を生きる人々の姿に引き込まれた。そこには革命の大義に身を投じるような高尚さは微塵も無くただひたすら、自己の欲望に忠実な、資産階級の青年と、革命に乗じて干渉したオーストリアの脱走兵との、無慈悲な暴力と、奔放な彷徨が描かれているのであった。
 革命という巨大暴力に対抗するかのように、卑屈な自己の欲望に忠実な矮小な暴力の横溢はかえって、歴史、国家に奪取されるかを拒むかのような、自由への希求とも思えてくるのだ。著者の硬質な美文によって描かれる、卑屈な暴力。それは「ミノタウロス」=牛頭半身の怪物を描くことによって、巨大な暴力を無力化しようとする無謀な試みのような気がするのだ。そこに、怪物の悲しき末路を知る。
 山歩きをしていると、廃村、廃屋の類に出会うことも多い。その多くは、メジャーな登山ルートからはすれたところに多いのだが、意外と首都圏の山中にも散見される。東京から高速で小一時間の山中にもある。そこには江戸時代の山岳信仰の名残が見受けられる宗教施設と廃村がある。足元を探ると生活のための雑器が転がっている。朽ちた家屋にはゆがんだ像を映しこんだ和ガラスがはまっている。瑠璃色の破片はウランガラスと思われる。
 下北くんだりの骨董店では破格の値段で取引される雑器の破片。過日、ここに住まった人々の声が聞こえてきそうだ。山は静かに秋の気配を漂わせている。人の参らなくなった神社の狛犬に大きな蜘蛛が歩いていた。和ガラスコレクターにはたまらないなーと思いながらも、拾った雑器を元の場所に戻し、朽ちた神社に野の花を添える。
 


坂崎 幸之助
和ガラスに抱かれて―坂崎幸之助のガラス・コレクション (コロナ・ブックス)


グレアム・スウィフト, 真野 泰
ウォーターランド (新潮クレスト・ブックス)
グレアム・スウィフトの『ウォーター・ランド』は優れた小説である。イングランドの湿地帯「フェンズ」に住む家族の歴史を描いた小説である。フェンズの歴史は開発と自然の反逆の歴史である。干拓と浚渫と氾濫の歴史である。人為と自然の拮抗の歴史である。そこに、フェンズに住まう家族の歴史が重ね合わさった叙事詩である。その物語の重要な通奏低音として、フェンズに住まうウナギが出てくる。ウナギ釣りをし、わなを仕掛け、時には子供たちの遊びの格好の獲物になるウナギ。しかし、ウナギはそうした生活の場面に近しい場所に住みながらはるかかなた、サルガッソーの海へと産卵のために何千キロもの旅をする。そうしてまた、川に還ってくるのだ。スウィフトはそんなウナギに人知をを超えた悠久の歴史、フェンズの歴史を重ね合わせているようにも見える。ミニマムな事象を優しく包む目もくらむような悠久の歴史の体現者としてのウナギ。それはまさに畏怖する大きな存在である。そのウナギによせるスウィフトの関心。それは、自分さらには家族、フェンズとともにその内で生かされているといった、大いなるものとの交感の入り口なのである。
 過日、河川の上流部に泳ぎに行ったとき、大きな淵があり緑の水面下に巨大な生物を見た気がした。それが、川底に沈む車のタイヤの一部であったとしても、まあ、そうなのだが、「げ!何かいるぞー」とあたかも巨大ウナギの一部が見えたかの様に振舞ったことがある。嘘である。しかし、私は、タイヤの一部が本当にウナギに見えた瞬間があったのだ。たとえそれが私の願望の投射だとしても、あの淵には巨大ウナギが似つかわしい。いまはタイヤしかなくてもいつかきっと・・・と思いながら「本当にいたんだってば!」と意地を張ったのだった。
 昨日、深海と巨大生物をめぐる本について書いたが、深海やそこに潜む謎めいたものは、深く人の心理に影響をあたえるもののようで、そーいや最近、「潜水艦」の夢を見ないなーとすこし考えることがあるので、そのことについて書いてみる。
 別に、軍事もののマニアではないのだが、好きな映画のひとつとしてヴォルフガング・ペーターセンの『U・ボート』は時たま思い出したかのようにDVDで再生するし、『目標!伊号潜水艦』はお気にいりの小説のひとつだ。しかし、どちらも、なぜか疲れたなーとか、ああ、もう新しいものは読んだり観たくないなーといったモードのときに手に取ることが多い。新刊書や新作映画に食傷したときに、そこに戻ってくるような・・・
 数年前、深刻な不眠症に悩まされたことがあった。仕事で体や頭は疲れているのだが、どーしても眠れない。そんな夜が続いたときに、ふとしたことで「潜水艦」について考えてみたら、気分がすーっと落ち着き、自然と眠りにつけるようになった。それからは、数年間、眠るときには必ず「潜水艦」のことを考えながら眠るのが癖になってしまった時期があった。ひどく疲れたときなどは、第二次大戦中に米軍が捕捉して、撃沈した日本海軍の潜水艦(大西洋でドイツU・ボートとランデヴーしようとしたところを撃沈された)のソナーによって録音されたスクリュー音、機雷の爆発音、船体が圧壊する音、浸水音・・・をヘッドフォンで聞きながら眠りについていた。病んでいる。と、今では思うが。当時は「潜水艦」の何かにすがるようになっていたのかもしれない。そして、眠りの中で「潜水艦」の夢を見た。
 良く知られるように、作戦行動中の潜水艦は完全なスタンドアローンの状態にある。すべての無線を封鎖し、自らのスクリュー音を最小化し、艦内で発生するさまざまな作業音、生活音の低減のために、遮音装備を施すのみならず、乗務員は極度の節制を強いられる。つまり、孤独、なのだ。光も届かず、音とてしない深海を、その孤独な「潜水艦」は静かに、そしてより深く潜行する。その「潜水艦」は、不眠症であった私にとって何を表象するものであったのか・・・「それ」=「潜水艦」を考えることによって癒されていった。「それ」とは?
 そのことの答えを見つけたのは2004年に目黒区美術館で開かれた『小林孝宣展-終わらない夏』で小林孝宣の絵画を見たときだ。
 水の無いプールに置かれた「潜水艦」。人の居なくなった教室にぽっんとある「潜水艦」。遊園地の滑り台の下に、割れた水槽から飛び出すように、黒い貝の中に、丸いフォルムで中に緊張した圧を秘めたかのような「潜水艦」が描かれている一連の作品群は、小林が1986年に美術学部を卒業してから書きはじめられ、約8年間、一貫して書き続けられたもので、展覧会には「潜水艦」をモチーフとした初期作品の中心的なものが展示されていた。そして、小林は、1994年の『Water Fountain』や1995年の『House Dog』で「潜水艦」をモチーフとした作品と決別し展覧会のタイトルにもあるように「終わらない夏」を彷彿とさせる、光、木漏れ日を描き始め、やがて小林孝宣と聞いて誰もが思い浮かべる『sumall Death』シリーズで柔らかい光の中で眠りつく人々を描き始める。小林は「潜水艦」を描くことで何を表象したかったのか?そして光あふれる作品への移行は、彼の内面でどんな変化があったのだろうか?そのことを、「潜水艦」から光へと移り変わる作品を見ながら、私は自分の癒しの過程を、勝手ながらそこに見出していた。展覧会のパンフに載せられた藤原新也との対談で、藤原は一連の潜水艦をモチーフにした作品について「どっちかというと自閉的な人だと思った。全体に自閉的なトーンが一貫しているというかな。その自閉というのは、病的な自己ではなくて、引きこもりと一般的に言われているものですね。」と指摘する。それをうけ小林は以下のように答えている。

 そうですね。僕がいつも思っているのは、自分の皮膚感覚というか、自分自身がいちばん前面にある最先端なもので、そこで感じたものをどうやって表現に反映できるか、根本的にもっている自分の感覚を絵にどうやって反映できるか(中略)だから、自分自身が社会の中でどのように暮らしているか、関わりあっているのかということが重要じゃないかと。僕は僕なりの関わり方しかできないんです

と。そうして「潜水艦」から人物、寝ている人物へ移行していったことを次のように述べる。
 
 潜水艦自体に自分のリアリティが感じられなくなってきた93年頃に、もう潜水艦はよそうと考えました。
2002年に寝ている人の顔だけ描いて、その後で日光浴をしている人というふうに自然とつながっていったんです。
人間というものはいちばん面白いと思いながら、自分の距離のとり方で、人には近づけないというか、まだ人は描けないと思っていました。それが、目をつぶっていれば人が描けるようになってきて、いまは目をつぶってる人が自分のなかではギリギリのところですが・・・

「潜水艦」が浮上して、光の中へ。そこには創作に隠された内面の動きと繊細さのもつしなやかな思いが見え隠れしている。その誠実さに、自らを重ね合わせて、不遜ながら自分の癒しとした。
 小林孝宣の一連の作品はTakanobu Kobayashi offical web site でみることができる。





ジェネオン エンタテインメント
U・ボート ディレクターズ・カット

アントニイ トルー, 海津 正彦
目標!伊号潜水艦



藤崎 慎吾
鯨の王
 友人とドライブをしていて、小さな河川を渡っていたとき、ふと彼が話したことが今でも気になっている。「この、川にさー、この川幅いっぱいにさー、大きな鯨が泳いでいたら面白いよね。ばっさーって黒い背中が見えてさ、岸なんか、鯨が起こす波でざぶざぶ洗われてさ。」と。そのときは「そうだね」とか「面白いね」とか適当な相槌を打って聞き流していたが・・・
 今から数十年前の話である。大学を卒業して、僕は民間の会社に就職し、友人は郷里に帰り国家公務員の試験を目指して、就職浪人をしていた。早くも私は会社生活に辟易し、休暇を幸いに、郷里の友人を訪ねたときであった。つまり、二人ともなんとなく今に不安で、漠然とした将来にも、また不安であったのだろう。そんな思いを、ありえないこと、小さな河川を埋め尽くす、巨大生物の黒々した背中、変化への期待、なにか変わる、わくわくしたもの、に投射していたのかもしれない。ざぶざぶと波を搔き分けて進む巨大鯨。それは、若かった頃の二人の願望であったのかもしれない・・・あれから、数十年。友よ、君は君の鯨を見つけたかい?僕は僕の鯨を見つけたのだろうか?
 そんな、巨大生物への畏怖、願望を本書を読みながら思い出していた。いつの時代も深海に潜む巨大生物は僕たちの憧れであり続ける。
 巨大な鯨骨から、未知の鯨を追い続ける海洋学者、深海で米海軍の原子力潜水艦に起こる奇怪な事故。深海資源開発のために設けられた、国際的製薬会社の運営する海底基地の裏に隠された、放射線廃棄物遺棄の疑惑。その暗部を穿つ巨大生物の人為を多い尽くすなぞめいた力。海洋エンターテインメントの快作である。優れて現代的な問題と、海洋ロマンの程よいブレンド加減がつぼに入る人には入るのではないだろうか?それぞれの読者の思いを背負い、静かに深く鯨は泳ぎ続けている・・・
 
 初秋のアウトドアシーズンとのことで、本も読まずにまた、自然と戯れている。勤務先のお世話になっている人の息子(8歳)が不登校で困っているとの、相談を受けた。聞くと歩くのが好きで、週末は近隣をピクニックしているという。でも学校はイヤとのことらしい。発達障害を持っているため少し多動気味で、困っているとの話を聞き、ならば、山登りは?と尋ねると、いいと思います。との返事。てなことで8歳クラスが登れる山を下見しようと、丹沢近辺に繰り出した。登山道もしっかりしていてエスケープルートも多く、アクセスも容易なこの辺なら、と下見がてら登ってみた。
 過日の台風でやや登山道は荒れていたが、充分な手ごたえ、これなら子供でもイケルな、と思いつつ、自分の息が上がってくるのでペースダウン。
 すると登山道の脇から何かが転げ落ちてくる、がさ、がさと。良く見ると、蛇!しかも頭部がやや変形しているヤマカカシ。その強大化した頭部に「うへー!」と一瞬たじろぐ。蛇はそのまま足元にうごめいている。そして、よくよく見るとなんと拳小の蛙を半分ほど飲み込んでいるのであった。蛙は半身を蛇に飲み込まれ、うつろなまなざしをしているが、のど元が収縮しているから生きていることが分かる。蛇は何だこいつ!といった感じで私をねめつけるが、自分の頭部より大きな蛙を咥えているので目はへんてこな位置にあって、ひどく怒っている。そのくせ自由が利かないようで、後ろ向きにぬたぬた歩む。蛙の伸ばした前足が前進には邪魔なようだ。
 おおーこれぞ、自然の脅威。弱肉強食やー。と思うが蛙と目が合うと、そのうつろなまなざしは明らかに「たちけてくで、げろ」と言っているように思う。蛇のほうはというと「じゃましたら、しょうちせんへんど、おらおら」といった感じで威圧してくる。
 仕方なしに手は出さず、蛙を応援することとする。幸い台風にあてられて、小枝が多く散乱している。うつろな蛙に、「あきらめるな!」「がんばれ!」「手を使うんだ!手を!手で枝を掴みしっかり掴みぬけだせー」と声を張り上げる。静かな山中。異様な光景である。すると、蛙の右手が僅かに枝を掴む。そして、飲み込まれまいとその前肢に力が入るのが見えた。そして左右に大きく手を広げると、その瞬間、うえっぷ!と蛇の吸引力が弱まり、ずるってな感じで半身が口から出てくる、腹が見える。後足が見えてくると、刹那、蛇はあごの関節をずらし更なる大口で蛙を咥えなおすと、不気味なぜん動を繰り返し、飲み込みにかかる。蛇の頭部は最大限まで肥大化し、鱗の合わせ目が開き、地肌が不気味に白い。やがて蛙の両手が徐々に閉まってゆく。右手の指が枝から離れる。コンパスを閉じてゆくように、かえるの手がまっすぐ前ならえとなったときに、かえるの頭部にかぶさる仮面のように蛇の頭部がかぶさって、かえるの目の位置に蛇の目がくると、がくっとあごがはまる音がして、口が閉じ始める。蛙のてが左手からゆっくりと飲み込まれてゆく。水におぼれ、沈んでゆくように蛇の体内に飲み込まれてゆく。水かきの手は最後までさよならをするかのように、開かれている。数ミリに閉じた口のはしで、指先がちらちらしたかと思うと、蛇、蛙を喰らっていた。
 蛇はピンポン玉を飲み込んだかのようにのど元をふくらませたまま、静かに山奥に前進をし始めた。
 その夜、私は蛙の夢を見た。
 以前ぬちゃについて書いたが、その最後に「願わくば今度の大波でそのタイドプールが崩れ、ぬちゃが大海で自由に泳ぎだしますように」との些細な願いを書いた記憶がある。
 過日の台風で真鶴半島近辺に被害があったとの報道を見て、久しぶりにぬちゃに逢いに出かけた。途中の西湘バイパスは橋脚がくずれ、真鶴周辺の道路も海岸部は被害を受けている様子が見て取れた。被害を受けた関係者にはお悔やみ申し上げる。さて、ぬちゃが住む、観音さまの入り江だが、やはり高波に洗われたとみえ、地形が変わっていた。大波は観音さまの祠近くまで達し、地面の土が抉り取られ、祠の脇の松の大木が倒れていた。いよいよ荒廃の色を濃くしているような風情だが、観音さまは潮に吹かれ心なしか落ち着いた表情であった。で、件の人工構造物であるが、やはり台風の大波に激しく打ち付けられたようで、中央部が崩れ外海の波が入り込んでいた。その広いタイドプールには、ほとんどぬちゃはいなくなっており、つれあいと目を皿のようにして探したものの、ようよう2匹が確認されたのみであった。こうして、私のささやかな願いは成就した。
 そのぬちゃのいなくなった入り江は、もはや邪気もなくただただ自然の様相を呈していたのだった。いつか波が今度は観音さまの祠を洗うような気がするが、そのときまで、真鶴を訪れることがあったら、様子を見に来ようと考えている。ぬちゃのいなくなった観音さまはぬちゃを追って海へと旅たとうとしているようにも見え、その日はそんなに遠くないように思えてならない。
 帰りに、ぬちゃの自由を祝って、山中にある「からみもち」屋でからみもちを食した。ここのもちはつきたてで、それが辛味のある大根おろしと相性が良く、絶品である。「からみもち」の「み」の字が異常に小さく表示されているのが、前から気になっていたのだが、店の人によると特段意味はないとのことであった、が、小さい「み」。何か意味があるに違いないと勝手に思い込み、また新しい謎を真鶴にでっち上げ、その解明を理由にこの地を訪ねる言い訳にしようとしている。ぬちゃの次は「み」が気になる。そのついでに観音様を参ろうと・・・



 何かBe-PALっぽいタイトルになってしまったが、先に森下雨村の昭和初期の頃にいた川餓鬼について書いたが、都会に住む私たちにとって、身近な水辺はなかなか川遊びなどできるものではない、かといって上流部の渓谷に行ってもどこもかしこの河原もにわかキャンパーたちの焚き火のあとや花火のごみであふれていて嘆かわしいばかりである。となると、もっと源流部にということでやむなくシャワークライミングになってゆくのだが、装備、技術面でクライミングの初心者にはちと難しいものがある。そんなこんなでなかなかアウトドア慣れしない人が川餓鬼になるのが難しい現状があるのだが、奥多摩、秋川水系の沢には、初心者でも入れる沢が何本かあって、私もつれあいと良く秋川の沢に入ったりしている。五日市の市外から車で15分ほどのアプローチで初級の某沢は、入渓後すぐに息をつかす間もなく小滝が現れ、ゴルジュなので滝を巻くのはやや困難なのだが、ザイルを持参しなくても登れる程度である。ただし、初心者がいる場合はお助け紐程度は必要かなといった程度。入渓地点にはヤマメが群れ、上流部には川岸がオーバーハングした淵もあり、沢登り後の汗を流すにはもってこいである。深々と深山の緑を水面に映す淵は薄暗く足も届かないので、つれあいにはライフジャケットを着てもらう。水底には何か巨大な魚かなんかがいそうである。名もない淵なので、私たちは「竜の巣」とそこを名づけることにした。竜の巣でひと泳ぎした後は、河原に張ったタープでお昼寝。午後は、また川遊び。清流のヤマメは手づかみで取れるが禁漁区なのでリリース。もちろん河原を汚さぬよう焚き火は焚き火台を使用し、暖をとる。都会で川餓鬼になった一日である。山の宵が迫る頃、山間の住居から夕餉の香りがほのかに漂ってくる。都会でも工夫次第で川餓鬼もどき体験ができるのである。ただ、シャワークライミングは危険が伴うので、事前の準備は怠りなく。



深瀬 信夫, 宗像 兵一, 中村 成勝
沢登り (ヤマケイ・テクニカルブック 登山技術全書)