前回のつづき
隘路を抜けると、集落に出た。山の方向から道が合流しており、その合流する道を登ってゆくとすぐに、右手に牛舎が見える。木造の牛舎の中で黒々とした牛が見える。しばし、逡巡するも牛舎の入り口に車の頭を入れ、車を降りた。前方に白い軽トラックが止まっているのが見える。荷台の上の窓から振り返ってこちらを見る視線を感じる。年のころ14,5の少年とも少女とも見える視線がチェックのキャップ越しにこちらを見ていた。と運転席のドアが開き、おじさんが少し怪訝そうな面持ちでこちらに歩いてくる。私は、おじさんに向かって声を掛けた。「すみません。これは飛騨牛でしょうか?」「そうや」と答えるおじさんは私が指差す牛舎を見ながら「飛騨牛や」という。口調にやわらかい関西のイントネーションが感じられる。「あの、昨日町で、とてもおいしい飛騨牛をいただきまして、ハイ。あまりにおいしかったものだから感動して、それで、その店の人に、近くに飛騨牛を飼っている人がいると聞いたので、ハイ、見に来ました。あの、私た横浜から来ました。ハイ。で、少し見せていただいてもよろしいですか?」と一気にまくし立てるように、言う。すると、おじさんは突然、花が咲いたかのように破顔し、「そーかい、横浜から、わざわざ。」「よか、よか見てって下さい。」と言ってくれた。おじさんは痩身でグレーのワークパンツに水色のポロシャツは少し生地が薄くなり、とても着心地がよさそうな、でも顔には想像していた、牛飼いの人(北の国からの五郎見たいな無骨な人を想像していた)とは違って、髪の毛に藁はついているものの細い顔は笑顔にしわがより、しかし細面の顔は、外仕事より事務仕事が似合いそうな、知的な雰囲気を漂わせて、まあ、勝手に想像していた「農夫」といったイメージを見事に払拭させるようなさわやかさで、牛舎を案内してくれた。牛舎は清潔で、匂いも思っていたほど強くはなく、むしろ乾いた干草が太陽をいっぱいに吸収したような、香ばしく鼻腔をくすぐるわくわくするような匂いと、とうもろこしのような穀物の匂いはちょっとしたパン屋のよう。あまり広くはないとはいえ、黒光りした木の柱に支えられた、スレート吹きの牛舎は5棟ほど、どれも風通しがよさそうで、光が牛の鼻先まで届いている。「あっちから、若い順にいるんや」とおじさんは入り口近くを指す。なるほど一番、左手の棟にいる5頭ほどはどれも私の腰程度の背丈で、楽しそうに飛び跳ねている。子供たちである。子供の牛も大人の牛も柱や柵につながれるようなこともなく、牛舎に収まっている。子供たちはてんでばらばらにあっちを向いたりこっちを向いたりしているが、大人たちはみなきれいに顔をこちらに向けている。その総数は30頭には及ばないのではないかと思う。広くはない牛舎だが、きゅうくつ感は感じられない。こっちを向いた牛たちのまなざしが数十注がれる。みな、おとなしい。黒潤んだ瞳は大きく、そして優しげだ。体は思ったほど筋肉質ではなくしかし、しっかりと張りがある。腰高の骨格は墨汁のような漆黒の毛に覆われているが、不思議と剛毛の感じがしない。「おとなしいんですね。」と聞くと、「そうやな、きょうは、涼しいから、過ごしやすいんかな。」とおじさん。「うちのは、うまれると、角落とすから」「角落とさんと、突きあうから」とおじさんは掌自分の腹を突くしぐさをする。「こっち、にいるのが今年12月に出荷するやつや」「こいつなんか、ちーさいけど中は、詰まっているよ。」と寝そべる1頭の肩をぽんぽんたたく。そのたたき方は愛おしくて仕方が無いといった感じ。そーか、つぶらな瞳に、一瞬、食肉牛であることを忘れていた私は、少し寂しくなる。飛騨牛がおいしかったからここに来たというのに。12月に出荷されるという3頭のうちの1頭が鼻頭を伸ばして私の匂いを嗅ぎ、ぶひひん!とくしゃみをする。可愛い。「写真撮ってもいいですか?」とつれあい「いいよ」とおじさんは「これ、起きてこっち向け!」と寝そべる1頭を足で蹴飛ばす。
ふと、視線を感じる。先ほどの少年との少女ともつかない、おそらくおじさんの子供だろうと思われる彼<彼女>がトラックを降りて地面にしゃがんででいる。一瞬私と視線が交差するもつかのま、彼<彼女>の周りには子猫が数匹。彼<彼女>の手にする藁にじゃれ付いている。私はその視線の先に手を振ってみる。少しだけちらりとこちらを見ると、立ち上がりまた車に乗ってしまう。恥ずかしがりやさん。私は、そんな私のしぐさを見ている、おじさんの視線を感じる。つれあいは牛に夢中で気づかない。私はしばし、自分の仕事、発達障害の臨床系のそれ、を口におじさんにたずねようかとも思ったが、止める。
「とても、良いとこですね。こんなところですごすから、牛もおいしく育つんですね。」と笑顔で尋ねる。彼<彼女>のことは聞かない。一瞬、息を呑んだおじさんも笑顔で「そや。いいとこや。水はきれいやし」と。
それから、餌や飼育環境、牛を飼う苦労なんかを聞き、「ありがとうございました。楽しかったです。」「うしさんさようなら」と別れを告げると、おじさんは車まで送ってくれようと歩き出す。藁の山で寝転んでいた子猫が列を作っておじさんの周りを踊るように跳ねる。うも!と潤んだまなざしの大人の一頭が短く啼く。車に乗った、彼<彼女>はじっとフロントガラスを見ている。遠くから川のせせらぎが聞こえる。
「さようなら!」牛さん。おじさん、彼<彼女>さん、子猫たち。
「さよなら!きいつけてな。ありがとう。」おじさんはあふれるような笑顔。
「さようなら!がんばってください!」
車中の私たちは、交わす言葉がなかった。胸の奥から何か、懐かしいそして熱いものがこみ上げてくる。橋を超え、トンネルを抜け、涙が収まった頃、つれあいにぽつりと聞いてみる。「なあ、気づいたか?あの車の中のあの子、そのしょうがい・・・・・」「いや、いいんだ。」と私。しばらく走った後につれあいがこうつぶやいた。「うん。気づいてた。牛さん可愛かったね。みんな幸せそうだったね。」「そうだね」私は力強く言った。「そうだね。幸せだね。」と。
隘路を抜けると、集落に出た。山の方向から道が合流しており、その合流する道を登ってゆくとすぐに、右手に牛舎が見える。木造の牛舎の中で黒々とした牛が見える。しばし、逡巡するも牛舎の入り口に車の頭を入れ、車を降りた。前方に白い軽トラックが止まっているのが見える。荷台の上の窓から振り返ってこちらを見る視線を感じる。年のころ14,5の少年とも少女とも見える視線がチェックのキャップ越しにこちらを見ていた。と運転席のドアが開き、おじさんが少し怪訝そうな面持ちでこちらに歩いてくる。私は、おじさんに向かって声を掛けた。「すみません。これは飛騨牛でしょうか?」「そうや」と答えるおじさんは私が指差す牛舎を見ながら「飛騨牛や」という。口調にやわらかい関西のイントネーションが感じられる。「あの、昨日町で、とてもおいしい飛騨牛をいただきまして、ハイ。あまりにおいしかったものだから感動して、それで、その店の人に、近くに飛騨牛を飼っている人がいると聞いたので、ハイ、見に来ました。あの、私た横浜から来ました。ハイ。で、少し見せていただいてもよろしいですか?」と一気にまくし立てるように、言う。すると、おじさんは突然、花が咲いたかのように破顔し、「そーかい、横浜から、わざわざ。」「よか、よか見てって下さい。」と言ってくれた。おじさんは痩身でグレーのワークパンツに水色のポロシャツは少し生地が薄くなり、とても着心地がよさそうな、でも顔には想像していた、牛飼いの人(北の国からの五郎見たいな無骨な人を想像していた)とは違って、髪の毛に藁はついているものの細い顔は笑顔にしわがより、しかし細面の顔は、外仕事より事務仕事が似合いそうな、知的な雰囲気を漂わせて、まあ、勝手に想像していた「農夫」といったイメージを見事に払拭させるようなさわやかさで、牛舎を案内してくれた。牛舎は清潔で、匂いも思っていたほど強くはなく、むしろ乾いた干草が太陽をいっぱいに吸収したような、香ばしく鼻腔をくすぐるわくわくするような匂いと、とうもろこしのような穀物の匂いはちょっとしたパン屋のよう。あまり広くはないとはいえ、黒光りした木の柱に支えられた、スレート吹きの牛舎は5棟ほど、どれも風通しがよさそうで、光が牛の鼻先まで届いている。「あっちから、若い順にいるんや」とおじさんは入り口近くを指す。なるほど一番、左手の棟にいる5頭ほどはどれも私の腰程度の背丈で、楽しそうに飛び跳ねている。子供たちである。子供の牛も大人の牛も柱や柵につながれるようなこともなく、牛舎に収まっている。子供たちはてんでばらばらにあっちを向いたりこっちを向いたりしているが、大人たちはみなきれいに顔をこちらに向けている。その総数は30頭には及ばないのではないかと思う。広くはない牛舎だが、きゅうくつ感は感じられない。こっちを向いた牛たちのまなざしが数十注がれる。みな、おとなしい。黒潤んだ瞳は大きく、そして優しげだ。体は思ったほど筋肉質ではなくしかし、しっかりと張りがある。腰高の骨格は墨汁のような漆黒の毛に覆われているが、不思議と剛毛の感じがしない。「おとなしいんですね。」と聞くと、「そうやな、きょうは、涼しいから、過ごしやすいんかな。」とおじさん。「うちのは、うまれると、角落とすから」「角落とさんと、突きあうから」とおじさんは掌自分の腹を突くしぐさをする。「こっち、にいるのが今年12月に出荷するやつや」「こいつなんか、ちーさいけど中は、詰まっているよ。」と寝そべる1頭の肩をぽんぽんたたく。そのたたき方は愛おしくて仕方が無いといった感じ。そーか、つぶらな瞳に、一瞬、食肉牛であることを忘れていた私は、少し寂しくなる。飛騨牛がおいしかったからここに来たというのに。12月に出荷されるという3頭のうちの1頭が鼻頭を伸ばして私の匂いを嗅ぎ、ぶひひん!とくしゃみをする。可愛い。「写真撮ってもいいですか?」とつれあい「いいよ」とおじさんは「これ、起きてこっち向け!」と寝そべる1頭を足で蹴飛ばす。
ふと、視線を感じる。先ほどの少年との少女ともつかない、おそらくおじさんの子供だろうと思われる彼<彼女>がトラックを降りて地面にしゃがんででいる。一瞬私と視線が交差するもつかのま、彼<彼女>の周りには子猫が数匹。彼<彼女>の手にする藁にじゃれ付いている。私はその視線の先に手を振ってみる。少しだけちらりとこちらを見ると、立ち上がりまた車に乗ってしまう。恥ずかしがりやさん。私は、そんな私のしぐさを見ている、おじさんの視線を感じる。つれあいは牛に夢中で気づかない。私はしばし、自分の仕事、発達障害の臨床系のそれ、を口におじさんにたずねようかとも思ったが、止める。
「とても、良いとこですね。こんなところですごすから、牛もおいしく育つんですね。」と笑顔で尋ねる。彼<彼女>のことは聞かない。一瞬、息を呑んだおじさんも笑顔で「そや。いいとこや。水はきれいやし」と。
それから、餌や飼育環境、牛を飼う苦労なんかを聞き、「ありがとうございました。楽しかったです。」「うしさんさようなら」と別れを告げると、おじさんは車まで送ってくれようと歩き出す。藁の山で寝転んでいた子猫が列を作っておじさんの周りを踊るように跳ねる。うも!と潤んだまなざしの大人の一頭が短く啼く。車に乗った、彼<彼女>はじっとフロントガラスを見ている。遠くから川のせせらぎが聞こえる。
「さようなら!」牛さん。おじさん、彼<彼女>さん、子猫たち。
「さよなら!きいつけてな。ありがとう。」おじさんはあふれるような笑顔。
「さようなら!がんばってください!」
車中の私たちは、交わす言葉がなかった。胸の奥から何か、懐かしいそして熱いものがこみ上げてくる。橋を超え、トンネルを抜け、涙が収まった頃、つれあいにぽつりと聞いてみる。「なあ、気づいたか?あの車の中のあの子、そのしょうがい・・・・・」「いや、いいんだ。」と私。しばらく走った後につれあいがこうつぶやいた。「うん。気づいてた。牛さん可愛かったね。みんな幸せそうだったね。」「そうだね」私は力強く言った。「そうだね。幸せだね。」と。