盆も過ぎ残暑厳しいなか、里帰りできなかった詫びにと母に電話を入れた。郷里の盆では親戚一同が集まり、昔噺に花が咲いたことなどを、つらつらと話す母の声を受話器の向こうに聞きながら、私は以前、母が語った戦争の話を思い出していた。
 太平洋に、大きな河川の流れ込むところ、そこが、母の生まれた土地だ。河口の豊かな土壌は稲作をはぐくみ、川は、初夏には鮎、秋には鮭、そうして通年でうなぎの良い漁場であった。祖父は半農半漁の生活を営みながら、長患いの妻を黄泉に送り出してからは、母を長女に4人の子供を育てていた。時は昭和18年の頃である。敗戦の気配も、田舎のどこかほうけた暮らしにはまだ感じられなかったという。
 そんな、田舎にある日、川沿いから米国の艦載機がその金属製の腹を陽光にきらめかせながら、飛来すると、一帯を機銃で掃射するといったことが起こった。母は幼い弟たちをリヤカーに乗せると、その弟たちを筵で多い、裏の山まで走ったという。その後、艦載機は頻繁に訪れ、やがて洋上に黒い戦艦が現れると、艦砲射撃が始まったという。問わず語りに母が語った内容は、たぶん、こんな感じだった。史実では、艦砲射撃の犠牲者の慰霊碑が丘の上に立っていることからも、おそらくそんなことがあったのだろうと推測される。
 川を目印に、まるで川に戻る鮭の銀鱗をきらめかせるように、ギラリとその金属の腹をなびかせ、太陽になぶられる、黒味を帯びた芋の葉の上に、一瞬、黒々とその不気味な影を落とすと、その影のなかに葉の葉脈の、紫がかった深赤が、血のように浮かび上がる。その、刹那、脳裏を掠めるいやな予感。緊張に乾いた口の中に、鉄の匂いが広がる。
 ウナギのひごを石からそうっと引き出す祖父の耳に、突然、グラマンの猛るエンジン音が響く。稲穂をやさしくなぶる風の流れが、波のように見えるもつかの間、その波を反対から旋風が、稲穂をなぎ倒す勢いで巻く。ばっしゅ!ばっしゅ!と機銃の立てる水柱がそれに先行する。
 こういった記憶は、はたして母の話からなのか、山川方夫の『夏の葬列』から得たものなのか、もはや私の記憶の中で二つは曖昧に合わさってしまっている。その曖昧さをとくために、いつか話を聞こうと思っていた祖父も鬼門に入り久しい。その祖父の墓を、今年も参らなかったことを詫び、母への電話を切る。



山川 方夫
夏の葬列 (集英社文庫)