昨日は台湾で双+節の式典があった。10月10日が双+ということだ。遠く辛亥革命の記念日として台湾の建国記念日を国民が祝う大切な日。そんな重大な式典とは知らずに引き受けてしまったと顧問が言っていたような・・・・偶然かどうかSINGのフォーメションの中に双+が入っていた。

 

式典は全国から選ばれた団体が広場前でパフォーマンスを次々と披露する。その裏で外国からの招待客を再英文総統が握手をしながらお迎えする。そして総統の挨拶、戦闘機の編隊が上空を通過、その後に紹介があり去年は橘がパレード曲で入場、ドリルステージで魅せお茶目に退場していった。

 

今年は農大2高が出演した。ピット楽器を使用するのでパレードはなし。農大2高はマーチングで全国トップの実力校。前半はアニメソングのようで「踊るぽんぽこりん」なんかをやって「何これ?」と思ったが台湾でのアニメブームに配慮したのかもしれない。続いて多分今年のコンテスト演目だろうが今年のテーマはロシアと言うことでチャイコフスキーをメインにして構成していたがこの時期にロシアは?

さすが農大2高らしい演技だったが去年の橘フィーバーには遠く及ばないか、動画を見てもコメントの数が少ない。奇麗なのだが楽しさがない、多分この違いなのだろう。橘の場合には演奏する方見る方の間に笑顔による共感作用が働いている、理由は無いけれど”楽しい”これに尽きる。

 

今年の農大2高の出演に際し政治的に使われているのではないかという危惧を持った。来年1月に迫った総統選挙である。案の定、次に出てきたのはアメリカのUCLAのマーチングバンドこれで我が台湾は日本、アメリカから支持されていますと強いメッセージになった。おまけにその後日本の議員50名がパレードしていた・・・

 

UCLAのマーチングははっきり言えば見る価値もないものだった、アメリカ人らしく自分たちだけが盛り上がっただけの自己中心的なマーチングだった。もっと素晴らしいバンドがあるのに何故こんな所が・・・

 

話はオレンジの衣装に、現在はこれが橘の代名詞になっているが昔は違っていたのではないか?

1988年のマーチングコンテストでは青ユニに加えて白手袋、マーチングハットとミリタリー調がプンプンしていた。だからこの頃までは青ユニが正服だったと考えられる。10年以上前にオレンジの衣装は出来ていた。

卒業生が持ち込んできた。

「先生 こんなのどうでしょう?」

なんでも皆ファミリー大好きの平松先生

「良いよ良いよ」

と第2ユニフォームの誕生である。これが次第にオレンジ派が増えて1991年からは第1ユニになった(のではないか?)

衣装については以下が詳しい

 

次に靴下と靴の色だが2004年までは白、2006年のアメリカ遠征でで黒に変わっていた。これで完成かと思ったのだが未だ少し違和感があった。青ユニは白、オレンジは黒なのだが昔の画像では靴が少し硬い印象。1994年のではっきりしたのは靴紐の存在である。マーチングシューズで検索するとやはり靴紐があった。最初は普通にマーチングシューズを履いていた。その後2007年まで靴の周囲に白い線のようなものが見える。これもおかしい、T顧問が言っていた

「白い上履きをマジックで黒く塗るんですよ、最近は関東で黒があることが分かりこれを買い込むようになった・・・」

に反する。何よりあれほど見た目重視の橘がこの白い線の存在を許していたのはそれしか無かったということだろう。

2008年に白に変わった、多分マジックを塗って。

この上履きシューズの威力については以下の考察がある。

 

最近のシューズは「早く走る」「遠くに飛ぶ」などに特化しているが、所謂上履きは地面の感覚を正直に伝える為身体が疲れないように自然の動きをする。昔の飛脚はそうだったのだろう、速度は落ちても遠くまで走れるように。

ここに書かれている「腰をストンと落とす」のはこのみちゃんが出来なかったもの、数年後のスーザ男子も出来なくてOGのDMから「ちゃんとしとき」と言われていた。

でもいつの間にか皆出来るようになっている。このベアフットランニングと言うものの存在を知っているかどうかは分からないが所謂「秘伝」みたいに伝わっているのかもしれない。

 

ある日の出来事

「あ~あ シューズ入ってない」

「またかいなあ いつもやんか そこの上履きでも履いとき」

少し経ってから

「なんかステップ楽な気いするんやけど・・・」

「ちょっと貸して・・・ほんまやあ」

みたいなことがあったに違いない、そうでなければ伝統が一気に変わることは無い。

さらに言えば2008年というのは久しく遠ざかっていた”全国金賞”の年である。

 

これは偶然だろうか?

橘には無数のドラマがある(勝手に作るな!と言われそうだが)