最近とみにハラスメントの問題が取り上げられています。兵庫県知事選、中居問題等など、何度も出てくる検察の暴走などは権力によるパワハラそのものではないか?
去年の秋口から「兼城先生」と共に「ブラック部活」が常にアクセスの上位に来ていて不思議に思っていました。この二つは別の物と思っていたのですが最近の状況を鑑みると鏡の裏表、表裏一体の関係に有るような気がしてきました。多数の橘ファンはこの二つには関係があると感じているのでは無いか?
そこでGoogle Serch Cosoleと言う物でキーワード検索を見た結果
「京橘橘高校吹奏学部事件」と「京都橘高校吹奏楽部顧問退職」が1,2位になっていました。
以下は架空の話です
京都橘にはマーチングに対して強い思いを持った人が集まってきます、しかし100人の集団ですから一人一人思うところに違いがありますが、これを大雑把に二つに分けてみます。
・右派 きっちりとした上下関係を尊び、全体の為ならば個が犠牲になるのも厭わないガチガチの体育会系
・左派 部員は等しく平等であるべきで無理矢理強要するのは反対
と昭和的な観念で(今は違うかもしれませんが)象徴してみました。これを元に京都橘を歴史的観点からみると圧倒的に右派優位で推移してきました。
1995年、T先生の赴任前のエピソードは想像を絶する物で正に「極右の時代」と言って良いでしょう。時代と共に極右から少しずつ中道に寄ってきても基本は右でした。(勿論多少の変動はあり111期などは歴史的な多人数勢力により左旋回した時もありました、この111期のOGのブログは現在でも継続しています)
「笑こら」でのこのみちゃんへの指導も今から見ればパワハラかも、 ホラッチャ先輩にレッドカード!!
単に上下関係だけではなく、有る年は2年生が3年生に対して「練習内容が緩い」と逆に文句を言うなど様々ですが対立、若しくは競争みたいなものは「当たり前」であり、逆に121期部長からこの言葉が聞かれなかったことが不思議に思っていました。
橘ファンは概ね右派を支持しています。今年のローズパレードを前回と比べて批判するような「極右?」勢力も多数存在するようです。(私は最近の変化を賞賛する「隠れ右派」で120期のパレードを絶賛しつつ、昔の汗と涙の世界を懐かしむ日和見主義者です)
変化は2018年顧問の先生の交代に始まりました、ここで中道右派になり更に2021年には左派に大きく舵を切りました。これ以降の変わり方が急激すぎて右派の反撃に遭い、今は少し中道左派に立ち位置を変えたのが現状認識です。
今後の方向ですが、定期演奏会の後1,2年生と話し合いをするも合意に至らずということなので、しばらくは(投資世界で言うところの)方向感の見えない展開が続くものと思われます。
以上はマクロから見た視点ですがミクロを見ると異なる風景が見えてきます。
今回の問題を改めて振り返るとそれまでにヒントとなるインタビューがありました。一つは常滑からマーチング全国大会の間に撮られた「吹奏楽プラス」の動画で「その137 世界に一つだけの花」でも取り上げました。その時は部長の頑張りで内部対立は珍しく無かったものと思いました。(今思えば話せない位ひどかった)再掲します。
今から思えば気になる言葉がありました。
兼城先生の言葉「マーチング練習を減らしたわけでは無い・・・・」
部長の言葉 「先生から指揮をするように言われ・・・・」
これらは「マーチング命!」の部員や、学生指揮者がいるのにそれを無視するという行為は「右派」からの反発が出てもおかしくないでしょう。
そしてローズパレード後に出てきたサンクロレラのインタビュー記事です。
兼城顧問が登場しません、しかし2021年のインタビュー記事でも生徒達を中心にということで先生は出ていなかったのでそれほど問題視はしませんでした。
問題は時期DMの姿が見えないことでした。最近は部長を全面に出すように変わってきましたが「マーチングの橘」にとって最も大事なのはDMです。
幹部5人のうち学年指揮とドラムメジャーは顧問の教師による任命で、部長と副部長は全部員の投票で決められることになったという。こうした選出プロセスの変更も、彼女たち自身のアイデアであり、これも改革のひとつだった。
にも拘わらずDM、学生指揮者の姿が無い(インタビュー時期からは決まっていなくてはならない)。
そして語られる言葉は
そのためにさまざまな改革に着手し、しかもそれらはすべて、自分たちのなかから自然発生的かつ自主的に生まれてきたものだったという。それは決してこれまでの環境が良くなかったというわけではない。逆にいえばこれまで以上の結果を得るためには、とにかく気がついたものをなんでもいいから変えてみないといけないという危機感の表れだったのだろう。そうした意識が積極性やチャレンジ精神へと繋がっていったのだという。
のように記事全体を通じて改革やチャレンジを語りつつも顧問への言及は一切無かった。むしろ自主的と言う言葉が随所に散りばめられている「不自然さ」を感じてしまう。(間違いなく箝口令が敷かれそれが徹底されていたと思われます)
そして肝心の次期DMについてはトローンボーン、トランペット、ホルンなど色々な説が流れ今のところトランペット説が有力だが本当かどうかは分らない。
これらを総合して考えた時一つの仮説が生まれてくる。無論原因が単純であるはずは無く、そこに至るまでに地下のマグマが沸々と湧き上がっていたのは間違いないだろうが、切っ掛けはDMの指名にあったのではないだろうか?
顧問の指名した次期DMは部員達(恐らく1,2年生)の望む人ではなかったし、そもそも自分たちが選ぶべきで顧問とはいえ勝手に指名されたくない、というもの。これは1,2年生の意向であり再度話し合いをしても妥協できるはずが無い。
この仮説が本当だとしたらこの件に関しては「何も言えない」のは当然だろう。
顧問という肩書きを使ったパワハラと言えるかもしれない。
民主化を指導してきた先生が何故?という疑問が出てくるが、「自由・平等・博愛」を掲げたフランス革命もそれを率いたロベスピエールが独裁者に変貌するなど珍しいことでも無い(先生がそうだと言うつもりはありませんが、あの橘を此処までにしたという傲りが・・・人間ですから)
それにしてもこれだけの大問題を抱えながら、「何でもありませーん」、どいつもこいつもそれをスルーした態度を貫き通すなんて
「役者じゃの~」
ローズパレード、定期演奏会、何も知らない私たちにあれほどのパフォーマンスを見せてくれた。単なる普通の高校生ではない、もう呆れ果てて物も言えない。完全に脱帽し拍手を送るしか無い。
京都橘に身を置いた者には「内輪の話は墓場へ持って行け」という掟があるのではないか?と冗談半分に考えていたがまんざらでもない気がしてくる。そして例の111期のブログが絵文字だらけの判読不可能な文面も単なる遊びではなく刺客から逃れる手段かも・・・・
もう一人の役者は島コーチ、彼女がいなければ恐らく部は混乱を乗り切れなかっただろう。橘OGなるが故に部員達の気持ちは誰より理解出来たはず、しかしどうしたら良いか・・・・
サンクロレラのインタビュー記事の中でローズパレードについて次期部長は
事前に先生方とも『日本ではできないことをやろう』と話していたので、曲の間にハイタッチしたりして
とローズパレードで目の当たりにした「今までに見たことの無い橘」の背景をそのまま語っている。恐らく追い詰められた結果、コーチ、OG、現役そういった物を一切無くして全員で目標を決めて走り抜いたのだろう。外部者の目には全く見えなかったけれど・・・
この辺のことを定期演奏会の最後に島コーチ自身がオブラートに包みながらも「大きな困難が何度もあった」と初めて外部に向けて語っている、感動のスピーチだった。老人は涙腺が緩みっぱなしになった。
偶然なのだろうが、彼女はあの111期!!なのだ。どうも橘を調べると不思議なことが一杯出てくる、例の「三つのいっぱい」に追加したいくらいだ。
元気いっぱい
笑顔いっぱい
夢 いっぱい
不思議いっぱい
尚、兼城先生は今期から中学で音楽を担当されるとの話を教えて頂いた。それならば、ほとぼりが冷めた頃に復帰されるという希望の光が見えてきた。(新顧問が定年を迎え、この問題を経験した部員が卒業する時)今期の顧問団の名前の中に有力者が並び懸念をもたれる方もおられるようだがこれは単に外からの防波堤を作っただけであり、その中ではのびのびとした自主的な部活動が継続するのではないか。それだけ京都橘学園にとっても吹奏学部は無くせない存在になっている、そんな気がします。
当面は方向感が見えない展開だがその後は再上昇!!
ここでミクロとマクロ分析が一致した。
以上はあくまでも想像の産物に過ぎませんので「取扱注意」です。(橘の刺客が怖い・・・・?)