10年数年前に次男から紹介されたマレーシア出身のクマさんという友人がいます。

 

初め次男から「クマさんというマレーシア人の友人ができた」と聞いた際はインド系かと思ってましたが、本名が熊さんでイポー出身の客家人です。

 

イポーで生まれ育ち、高校を出てすぐに日本に留学して国立大学の大学院を出て就職、30年以上、日本に住んでいます。

 

客家人は中国人の中でも秀才が多く、1980年代の東南アジアのトップの多くが客家人だったこともあり、それは中国の鄧小平主席、シンガポールのリー・クアン・ユー首相、台湾の李登輝首相、タイのタクシン首相などです。

 

クマさんも飄々とした人柄ですが、理系のエンジニアでネイティブで話せる言葉が、日本語、英語、北京語、客家語、広東語、福建語、マレー語です。(でした、が正しいかも)

 

でしたと注記したのは最初に書いた3ヶ国語は家と仕事で毎日使うのと客家語はMothier tongueですから確かにネイティブですが、日本に来てから30年の間にほとんど使わない広東語、福建語、マレー語は怪しくなってきています。

 

それは次の場面で私が実際に遭遇したことから発覚しました。

 

8年前に彼は日本人女性と結婚することになり、日本での結婚式だけでなく故郷のイポーでも結婚披露宴をすることとなり、私達夫婦で参加しました。

 

イポーに車で行く途中、昼時となって高速のSAで昼食を食べることになりましたが、おかずの取り方が分からないのは、30年前とシステムが違ったからかと思いましたが、精算の段階でレジのマレー系女性の前でマレー語が出て来ず絶句。

 

イポーに到着して披露宴が始まり小・中・高の同級生が集まって話をし始めて暫くしたら皆が「おい、クマ、お前の言ってることが分からない。なんで、そんなにつっかえ、つっかえ話すんだ」とダメ出しを喰ってました。

 

KLに戻って来てクマさんが「ドリアンを食べたい」というのでPetaling Jayaという地区にある行きつけのドリアン食べ放題の店に連れて行きました。

 

そこは中国系が経営している店だというと「それなら僕に任せてくれ。広東語か福建語でブランド品ドリアンばかり食べれるように交渉するから」とクマさん。

 

ところが駐車場に着いて店に行こうとすると立ち止まって天を仰ぐクマさんが。

 

暫く動かないので「早く行こうよ」と言うと「ちょっと待って。気合を入れて、頭の切り替えしないと言葉が出て来ない」と弱気になってきました。

 

美味しいドリアンを食べたいという欲望からか、自ら気合を入れたせいか、何とか交渉には成功して二人で合計8つのドリアンを食べましたが、やはり生まれてからずっと話していた言葉でも長年使わないと喋れなくなることを知りました。

マレーシア駐在員時代、80年代のことですから、日本から一日遅れで送られて来る日経新聞を見ていると、前年度のホテル人気投票結果の記事が出ていました。

 

”宿泊客が選んだ世界人気No.1のホテル”という見出しを見て、ヒルトンかリッツカールトンかと思って記事を読むと「バンコクのオリエンタルホテル」と出ていました。

 

“オリエンタルホテルって聞いたことないな”とその時は思って、数日してから、総合商社のKL駐在員のTさんと話をしていて、このことを話しました。

 

するとTさんは「ああ、この前、日経新聞にその記事出てましたよね」と言うので「アメリカやヨーロッパの有名ホテルでなくてタイのホテルって、なぜなんでしょうかね」と言うと、「それは泊まったことのない人でないと分かりませんよ」。

 

「え、Tさんは宿泊したことがあるのですか?」と聞くと「6年前に初めて宿泊しましたが、それ以降、バンコクではオリエンタルホテルにしか泊まりません」と言って、初めて宿泊した時のことを話してくれました。

 

Tさんは数日の休暇を取って、奥さんと当時1歳の息子さんの3人でタイへ旅行へ行き、オリエンタルホテルにチェックインしました。

 

以下はTさんから聞いた話です。

 

 

チェックインカウンターには二十歳ちょっとにしか見えない若い女性スタッフがいて、“微笑みの国”ならではの飛び切りの笑顔で迎えてくれました。

 

チェックインを済ませてルームキーをもらった後、妻が、その女性にこう聞きました。

 

「ドラッグストアはこの近くにありますか?」すると女性は「はい、あそこのメイン出口を出て右に300m程行ったところにありますが、どなたか、お加減が悪いのでしょうか?」と心配そうな顔で聞いてきました。

 

「いえ、そうじゃなくて、この子のオムツが切れてしまって、買いに行かないといけないもので」。

 

すると女性が「そうですか。可愛いお嬢さんですね。今何歳ですか?」と笑顔に戻って聞かれたので、「いいえ、この子、男の子なんです。今、1歳半です」。

 

部屋に入って、荷解きをしていると、ドアフォンが“ピンポ~ン”となったので、ドアを開けると先程の受付けの女性があの笑顔で立っていました。

 

そして「これをどうぞ」と差し出したのが、1歳~2歳の男の子用のオムツで「もし、サイズが合わなかったり肌触りが良くなかったら、言って下さい。違うものを買って来ますから」と。

 

 

「あ、大丈夫です。このブランドはマレーシアで使っているのと同じですから。

それで代金はいくらですか?」と聞くと「いいえ、結構です」と言って、また笑顔でフロントに帰って行きました。

 

このことがあってから私はビジネスでもプライベートでもオリエンタルホテルにしか泊まりません。

 

 

Tさんの話は以上ですが、私が感じたのは次のことです。

 

フロントの女性は、お客さんからドラッグストアの場所を聞かれた時、その場所を答えた(answer)だけでなく、お客さんのニーズを聞いてresponse(応えた)わけです。

 

そして、更にスゴいと思ったのは、まだ若い女性スタッフに少額とはいえ接待費も持たせていることです。

 

接客業や営業で最も大事なのはリピーターを作ることです。

 

リピーターとなった人は知り合いに自分が経験したことを伝えて、これが新規顧客を作ることになります。

 

営業の本質を再認識させてもらえたTさんの体験談でした。

前章で書いたように、カーメーカーと部品納入者の間では半年に一度、必ず価格改定があります。

 

各カーメーカーから、次の半期の納入価格の値下げ率が提示されて、それを社内に持って帰り、シュミレーションを繰り返した結果をもってカーメーカーと価格交渉するという仕事ですが、これが大変な仕事量になります。

 

カーメーカー1社で最低何百という納入部品があり、私の会社の場合、厚さ・色別素材単価(十数種類)✕部品m2、エッジ面取り単価、穴あけ単価、表面加工費、などを部品毎に計算しないと一つの部品の納入単価は出ません。

 

カーメーカーから「時期6ヶ月間の納入総金額で1.1%の原価低減をして下さい」と言われると社内に持って帰り、上司、東京本社の指示で「素材単価を2%安く」とか「現在の穴1個の単価15円を14円にして」とか「面取り価格を5%下げて」などのシュミレーション指示が出ます。

 

本社や上司は簡単に「穴1個の単価を1円下げたら全体で何%の値下げになるか計算して」と言いますが、部品1個づつ、“これは2個、穴があるから2円。この部品は穴が3個だから3円”と当てはめて計算していくわけです。

 

それを、昭和57年のことですから、紙の表を作って、一つ一つ計算していくといく気の遠くなるような作業です。

 

そこへきて、そそっかしい私は数字の書き間違い、計算ミスがあり、当然、縦横の合計値が合わないところに加えて、普段のペーパーワークが終わった23時頃から始めるので頭は朦朧として、パフォーマンスは更に低下し、よりミスが増えるという悪循環です。

 

営業車の中で1週間、聞きながら学習した表計算の作り方を元に土日出勤して約一ヶ月かけて作業しました。

 

1982年のことですから、我々のような営業社員が使えるパソコンは大阪本社に数台しかなく、8インチのフロッピーディスクに入った表計算ソフトと格闘、何とか原単位表と部品単価表、更に各部品の納入予測量の表の3つが完成しました。

 

実際に過去に手計算でやったシュミレーションを試しに入力してみたところ、それまで2週間、徹夜を繰り返して、やっと出てくる計算結果が原単位表の数字を修正しただけで瞬時に出てくるではありませんか。

 

その頃、そんな言葉は影も形もなかったのですが、正にIT革命です。

 

ただ、このことは東京本社にはオフレコにしました。

 

というのは、数分でシュミレーションが済むというのが分かると、シュミレーションのパターンが増えるだけで、業務は減らないだろうと読んだからです。

 

これに味をしめた私は他の業務にも表計算を使うようになり、連日、午前様帰宅だったのが、20時か21時には仕事が終わるようになりました。

 

当然、しばらくすると課長が気付いて「なんで、そんなに早く帰宅できるようになったの?」と聞くので、PIPSのことを話し、どうせ社内で知れることになるのだと思い、社内の改善提案として出すと金賞を受賞して十万円の報奨金をもらえました。

 

これに味をしめた私は再び計数部に行って、当時出たての日本語ワープロの使い方も教えてもらうことにしました。

 

転職して3年目に入った1982年、上司である課長から「計数部(今で言う情報システム部)が主催する勉強会に各課から1人参加するよう言われているので出てくれ」と言われました。

 

連日、深夜帰宅で繁忙を極めていて「またなんで俺が・・」と思いましたが、私の課で一番若かく、他の誰も出たがらないので嫌々参加したのは当時まだ珍しい表計算ソフト、PIPSの勉強会でした。

 

その年に入社した新入社員の女性が講師で「皆さん、こんにちは。今からボーリング大会の点数表を作ります。

え~~、まず最初に5人の参加者の名前と3ゲームの各点数を入力して下さい」と3時間の勉強会が始まりました。

 

”やれやれ大事な就業時間を使ってボーリングの点数表作りかよ”と内心思いましたが、講師の子が活舌よく話して、可愛かったので大人しく受講することにしました。

 

言われたまま入力が完成すると講師が「では3ゲームの合計を出す方法を教えます」、「次にアベレージを出すやり方を教えます」、「最後に順位を付けるために、アベレージの高い順から並べ替える方法です」。

 

ここまで来た時“不純だった動機”が興味と淡い期待に変わりました。

 

私は小学校から大学までまともな勉強をしたことがない劣等生だったため、数学や現国の文章読解能力といった基本的な学力が平均以下です。

 

最初に入社した会社はファッション系だったので、感性で仕事すればよかったのが、27歳で転職した会社が旧財閥系の製造業で、顧客もカーメーカーだったので普通以上の事務処理能力が要求される職場でした。

 

特に大変だったのが半年に1回あるカーメーカーとの価格交渉での社内資料作りで、普段でも毎日終電に間に合えば喜んでいたのが、その時期は午前2~3時までは当たり前で完徹の日も何日かあるほどでした。

 

デイリー・ワークが終わった23時頃から誰もいないフロアで1人、資料作りを始めるのですが、その時点でかなりパフォーマンスが落ちているので表計算の縦横の数字が合わず、イライラしてタバコを吸うので、これが十二指腸潰瘍と虹彩炎性緑内障の原因となりました。

 

表計算PIPSの勉強会で興味を持ったきっかけが、基本そそっかしい私がボーリングの点数を間違って入力して、それに気付いて訂正したところ瞬時に合計値、平均値が修正された数字になったことでした。

 

“これは!”と閃くものがあって、3時間の勉強会が終わり他の参加者が、そそくさと職場に帰って行くなか、私は研修室に残って計数部の課長に、その表計算の詳細を聞きました。

 

すると、参加者の中でたった1人、興味を持った私のことを喜んだ課長はPIPSのマニュアルと営業車運転中に聞けるカセットに入った音声マニュアルを貸し出してくれました。

 

大阪、京都、奈良と営業車で走っている最中に、そのカセットを聞くと、「これは使い方によっては作業効率を大幅にアップできるぞ」と確信しました。

 

To be continued

 

柔道家だった父は家のテレビで野球やゴルフを観ることはなく、スポーツ番組といえば相撲やボクシングばかりだったので私も幼少時から格闘技が好きでした。

 

50歳になってから、ある出来事がきっかけで拳法を習うことになりましたが黒帯を取得した時、道場主から「市の武道館での練習で指導員をやってくれ」と言われ、また暫くすると「市民の無料体験会の取りまとめもやってくれ」と言われました。

 

私も1年前に、この市が開催する無料体験会で拳法を始めて、体験終了後に正式に入門した、いわゆるOBでした。

 

この体験会は、週1回の市の武道館での練習の時に2ヶ月間、無料で参加ができて、毎回30人程の体験入門者が参加して、そのうち2~3人が入門するというのがパターンでした。

 

私の時も約30人が体験コースに来て、そのうちの3人が正規の道場生となりましたが、体験会に参加する人の世代はバラバラで幼稚園の子から始まって中・高・大学生、また子供の同伴のお母さんや社会人もいました。

 

任されたからには、キチンとやろうと思いましたが、自分が体験参加した際に不満に思ったことがあったのと、長年の営業の癖がつい出てしまって、それまでにやらなかった体験参加者へのアンケート作りから始めました。

 

約30人集まった体験入門者の人に書いてもらうのは、今までのスポーツ歴、体験入門の動機、拳法を習って将来どうしたい、ということを書いてもらいました。

 

すると、幼稚園や小学校の子はその頃人気だった少林サッカーを観て興味を持ったとか、学校でのイジメに会わないようにとか、付き添いのお母さんはダイエットになることを期待してとか、若い女性の中には護身術として、また高校生や大学生はK1を見てやりたくなった、とか動機は様々でした。

 

それまでの体験入門者は幼児から大人まで全て同じカリキュラムをやらしていたのですが、基本練習が終わったら年代別、志望動機別のグループを作って、数人いる指導員仲間に、そのグループの合った練習してもらいました。

 

それは小さな子供には遊び心を刺激するようなゲーム的な内容を入れて、ダイエット希望のお母さんには突きと蹴りの反復による有酸素運動と道具を使わずにできる筋トレなど。

 

また本格的に格闘技としてやりたいグループには指導員が防具を付けて実際に打たせてあげたり、指導員同士の組み手もデモンストレーション的に行いました。

 

暫くすると道場主が「今回はいつもと少し違うなあ。最初の1~2回来てから、来なくなる人が多いのが、毎週ほぼ全員が参加してくる」と首を傾げていました。

 

2ヶ月間が終わる最後の回では、もう一度、アンケートで、体験した感想、良かったこと、悪かったこと、今後に望むもの、などを書いてもらいました。

 

回収したアンケートを読んでいると道場主が、「おい、今、入門希望の用紙を回収したら20人以上が入門したいと言ってきている」とあたふたしていました。

 

やはり、どの分野でも顧客のニーズを聞いて、それに合ったことを行えば成果が出るということを再認識した次第ですが、一つだけ思わぬところからクレームが出ました。

 

それは市の体躯課の方からで「勝手にアンケートを取るというようなことは困る。今後、前例のないことを行う場合は事前に市の許可を取ってからにして下さい」ということでした。

 

笑顔で「はい、申し訳ありませんでした」と言いましたが、心の中では“なるほど、これがお役所仕事か”と呟いていました。

 

暫くして国内外の出張が増えて、道場からは遠ざかりましたが、あの中から那須川天心や武尊、井上尚弥が出てきているのではないかと密かに思っています。