父は私にとってスーパーマンのような存在でした。

 

商社マンで戦前から海外駐在していたため英語と北京語とドイツ語が堪能で、講道館柔道五段、乗馬も得意。

 

歌が上手くてサラリーマンをしながらLPレコードを何枚も出していて、語学、武道、スポーツのどの分野でも逆立ちしても勝てない人でした。

 

その父が78歳でアルツハイマーを発症してから亡くなるまでの8年間は傍で見てられないほど悲惨なものだったので認知症に対する恐怖心は強く、それを予防するために現在、“これが効果がある”ということは全て実行しています。

 

その中でふと気付いたのが、マレーシアでは認知症の人を、あまり見たり聞いたりしないことです。

 

多言語を話す中国系は毎日、前頭葉の違う領域を使うので脳のいい刺激になっているため?

 

インド系はターメリック豊富なカレーを常食しているので脳梗塞が起きにくい?

 

ではマレー系は・・?

 

などと考えているうちに、これはマレーシアの人に直接聞いた方がいいと思って58歳の中国系マレーシア人の友人、リムさんに、このことを聞いてみました。

 

すると彼は「まず日本とは平均寿命が違います。

 

マレーシアはやっと70歳に届いたくらいだから、認知症を発症する前に亡くなるのでしょう。

 

それと道路事情が悪く、足元が悪いので老人が出歩く環境にないので認知症の人がいても表に出ないのでしょう」との意見でした。

 

なるほど、説得性があるなと思いながら「リムさんのご両親は?」と聞くと「父は私が若い時に亡くなって母親だけがいて、現在同居してますが96歳になって、すっかり足が弱くなって車椅子生活です」とのこと。

 

「それで母上は頭の方はどうですか?」と聞くと「足腰はさっぱりですが頭はシャープで昔と変わりません」。

 

N数が少な過ぎるので、もっと調べてみる必要性ありです。

 

20年程前に久しぶりに台湾に旅行に行きました。

 

駐在員時代によく行って大好きな場所の一つである九份に行くことにしましたが、駐在員時代と違って車を持っていないので電車で行くことにしました。

 

ホテルから台北駅に行って切符を買おうと並んでいると私の前で日本人の若い女性が口論しています。

 

「あなたの中国語、全然、役に立たないじゃない!どうすんのよ!」と言うボーイッシュな女の子に友達と思われる長い髪のフェミニン女性が「だってぇ・・」と半べそ状態です。

 

そこで私が「どこまで行くのですか?よかったら私がチケットの購入のお手伝いしますから」と言うとボーイッシュの女性が「はい、ぜひお願いします。私達、きゅうふん(九份)に行きたいんです」。

 

ということで3人分のチケットを購入して一緒に九份に行くことになりました。

 

向かい同士に座った車内でもボーイッシュはフェミニンに「あなた、昨日もレストランで注文するのにモタツイていたわよね」と咎めていて、その子が「こんなことになるなんて、こっちだって思ってなかったわよ」と反論しています。

 

私が「まあまあ、ここは台湾ですから、日本語や英語が通じないのは仕方ないじゃないですか」と言うとボーイッシュが「だって、この子、北京生まれ北京育ちの中国人で北京語を話したんですよ。

 

15歳で日本に来て高校、大学が日本だとはいえ、北京語はネイティブのはずです。

 

私が台湾に行くと言ったら、“言葉は任せておいて”と言うので一緒に来て三日目だけど、ホテルでもレストランでも今日の駅ででも全然通じないのおかしいと思いませんか」と納得がいかない様子です。

 

そこで、その子に聞くと「ここの北京語、私が慣れ親しんだ発音とかなり違うんです。

 

私が何か話したら“えっ?なに?”って何度も聞き返されて、どんどん自信が無くなって声も小さくなって、すると、もっと通じなくなくなって・・」と涙目です。

 

「自信を持って大きな声で伝えたい単語を強調して」とアドバイス、九份に着いてお土産物屋のオバさんと話して何とか通じたので、そのオバさんに、その子の北京語のことを聞いてみると「あれは本場の北京語だね。

 

本格的過ぎて一般の台湾人には分かりにくいかも。私は中国本土から来る観光客を相手にするので何とか分かるけど」との話でした。

 

確かに本場の北京語にある、そり舌音、単語のr化、はっきりとした四声は台湾北京語にはないので、彼女は面食らってのでしょう。

 

お昼ごはんをご馳走してあげたら、少し元気を取り戻して次の目的地に向かって行きました。

毎年、KLで季節性インフルエンザの予防駐車を受けに行くKLの日系クリニックでのことです。

 

受付けも全て日本語で、クリニック内に貼ってある掲示物も置いてある本も全て日本語で、流れているDVDは「となりのトトロ」と、このクリニック内は“小日本”です。

 

受付けで順番を待っていると、入り口の子ども用お絵かきコーナーから可愛い子供の声が聞こえてきました。

 

「パパ、ほら、こんなにうまく描けたよ!」という声の方を振り向くと日本人の子供はいなくて、インド系の女の子がパパの前でお絵かきしてます。

 

「ほんとだ、上手に描けたね」と応える、これもインド系のパパは流暢ではありますが、女の子のようなネイティブの日本語ではありません。

 

女の子はパパより肌の色が黒くてお母さんが日本人ではないようです。

 

台北日本人学校で運動会のことで、親子競争の出場者の名前が貼り出してあり、アンドレ、マルチーヌ、ピエール、シモーヌとカタカナで書いてあります。

 

妻が「本名でなくて、ニックネームを登録しているなんていいのかしら」と言って見ていると白人の4人の親子がムカデ競争に参加してます。

 

競技が終わって、お話する機会があって聞くと「子供達は日本生まれ日本育ちで日本語しかできません。

 

日本人学校の向かいにインターナショナルスクールや、少し離れた場所にフランス系の学校もあるので一応、見学に行ったのですが馴染めなくて、子供達がどうしても日本人学校がいいというもので」との話でした。

 

1990年のクリスマスにマレーシアから一家でセーシェルに旅行した時のことでした。

 

レンタカーで島内をドライブしていたらブティックを見つけて妻が覗いてみたいというので入店しました。

 

すると奥の方で試着をしているローカルの女性がいます。(話している言葉から旅行者ではなくてローカルだということが分かります)

 

少し年配の女性ですが、かなり派手はワンピースを着て試着室から出てきて店員さんと、あれこれ話しています。

 

横にいた妻が「あれって、南国とはいえ、ちょっと派手過ぎない?」と私に言った時、その女性がこちらを振り向いて「え?これって似合ってませんか?」と日本語で話しかけてきました。

 

その時の妻のバツの悪そうな顔といったらありませんでした。

 

後で、その女性と話したらセーシェルで日本人相手のガイドをしているとのことでした。

 

逆のケースもあります、

 

台湾から本帰国して暫くして、妻と出掛けた帰りの電車内で知り合いから「母が亡くなりました。お通夜は明日の晩で告別式は明後日です」とのメールが入って来ました。

 

電車内で葬式のことを話すのはナニかと思い、隣に座っていたメールを妻に見せて北京語で「お葬式に出るけど、お香典いくら位にしようか?」と言うと妻が「そうね、5千円でいいんじゃない」。

 

すると私達の前に立っていた中年男性が“你们是台湾人吗?”(あなた達、台湾人ですか?)と聞いてきました。

 

我々は台湾で北京語を覚えたので台湾訛りが出て、話しかけられたようです。

 

こんなことが有ってから、どこで、誰が聞いているか分からないので言動には注意するようになりました。

 

マレーシアの医療は東南アジアでは高いレベルにあり、1980年代でも持病の虹彩炎性緑内障が毎月の様に発症し眼圧が上がりましたが、ロンドン大学医学部出身の主治医は適切な治療をしてくれました。

 

妻はKLに引っ越した1月半後、両膝の人工関節入替え手術を受けて術後、5日で退院させられ、その後は通院でリハビリを受けましたが特に大きな問題は出ていません。

 

その時、妻はまだ日本に住民票があり、150万円の医療費を国保に請求したところ、きっちり7割が給付されました。

 

その頃はまだ国母の審査も緩く、パソコンでダウンロードした申請書に医療費の領収書の写メを撮ったものを添付して日本の次男に「これでいいか?市役所に行ってチェックしてもらって」と頼むと30分後にメールが来て「これで受理するのでもう原紙を送らなくていい」と言われました。

 

KLとその近郊には日本語通訳のいるの総合病院がいくつか、ありますが、医療費は高いのと過剰医療をします。

 

私達夫婦は通常自宅近くのクリニックを利用しますが、風邪を引いたりして初診、診察、投薬でRM30~40ほどです。

 

自宅から数分で行けるのと待たされることもなく、ホームドクター的存在なので信頼でき、もし症状が深刻な場合、総合病院での受診を勧めてくれます。

 

これがもし総合病院に行くと同じ風邪でもRM100~150取られるのと待ち時間が非常に長くなります。

 

最近は日本語通訳のいるクリニックが日本人の多いエリアに複数開院してますが、ここも一般のクリニックより割高なのと、とにかく大量の薬が出て追加検査も色々勧められます。

 

海外医療保険は数年前まで掛け金が年間10万円だったのが、最近は70歳未満で20万円、70歳を越えると40万円になりました。

 

タイを一ヶ月旅行中に体調を崩してチェンマイの総合病院に行きましたが、英語がよく通じるのと、薬の説明書が日本語だったのには驚きました。

 

 

テレビでマレーシアを紹介する番組でステレオタイプの表現が“物価が三分の一”と“治安がいい”ですが、後者は日本人が額面のまま捉えると非常に危険です。

 

基本的に日本人を含む先進国の人が外を出歩くことは危険で、私のコンドミニアムから徒歩10分のところに電車の駅が出来た時、1ヶ月で二組の日本人夫婦が引ったくりに会いました。

 

日本の知り合いでスリ、引ったくりに会ったという人は聞いたことがありませんが、マレーシアのロングステイヤー仲間の多くが、こうした被害に会っています。

 

では冒頭の“治安がいい”というのは何かというと“World Standardの中で”ということだと思いますが、2017年のデータ“東南アジアで犯罪発生率の高い都市”の1位がマレーシアのSelangor州で2位がクアラルンプールという不名誉な2トップでしたから一概に世界基準で見ても治安がいいとは言えません。

 

家族付き合いしているロンドン出身のほぼ同世代のイギリス人男性が近くに住んでいますが、2年前久しぶりにロンドンに帰った際、驚いたのが治安が悪化していることで、場所によっては昼間、男性でも独り歩きは危険で「自分が若い頃はこんなことはなかった」と嘆いてました。

 

違う章でタイの治安の良さを書きました。

 

チェンマイまでマイカーで行った際、チェンマイ日本人クラブを訪問して20数年、タイに暮らしているロングステイヤーから話を聞いていた際、70代後半の老婦人が一人で杖を付いて日本人クラブにやって来ました。

 

「これって、大丈夫なのですか?」と私が聞くと「え?何がですか?」と逆に聞かれたので「KLの日本人会で徒歩でやってくる会員は稀ですし、実際に引ったくりにあった人を何人も知っています」と言うと「チェンマイに住んで20年以上ですが、そのような話は聞いたことがありません」とのことでした。

 

実際にチェンマイのナイトマーケットで買い物・飲食した若い日本人女性が夜の10時過ぎに宿泊先のホテルまで歩いて帰るのを何人も見ました。

 

3年前にバンコクのエカマイ地区という日本人が多い地区に友達がコンドミニアムを借りていて10日間ほど滞在したことがありました。

 

朝食を摂りに朝8時前にコンドを出たところ、若いお母さんがベビーバギーに赤ちゃんを乗せて歩いていて、4~5歳の男の子がその後ろからトコトコ付いていくのを見ました。

 

暫く行くと幼稚園が有って、その男の子が通園しているところでした。

 

これもマレーシアでは考えられない光景で、私の住んでいるコンドの斜め向かいにKL日本人学校があって、徒歩3~4分ですが、コンドからスクールバスが出ていて徒歩通学は禁止になっています。

 

ではタイがKLやロンドンと比べて一番大きな違いは?というと外国人労働者の数です。

 

マレーシアの人口は3,200万人ですが労働ビザを取得して働いている外国人が1,000万人いて、不法労働者も数多くいるそうです。

 

タイはロングステイビザもこれまで1年更新でしたし、私の元の会社の後輩は奥さんがチェンマイ出身のタイ人で彼もタイで働いて10年経ちますが、毎年、配偶者ビザの審査があって大変ということでした。

 

日本でも最近、研修名目で日本で働いている外国人が犯罪を犯すケースが増えていますが、政府が外国人労働者を増やそうとする中、日本がマレーシア化しないことを祈るばかりです。