このところ、野口五郎さんとのコラボ、そして宏美さんの筒美作品を集めたCD+DVDの発売、と嬉しいニュースが続いている。そのニュース記事の中で、私としてはとても気になったのが「筒美京平が岩崎宏美に提供したのは74曲」という部分だ。

 

 昨年10月、京平先生が亡くなった折り、宏美さんが「私は筒美先生に80曲ぐらい書いていただいた」と仰っていた。それがキッカケとなり、私は宏美さんの全作品を作家別にカウントするという作業に取りかかったのだった。

 

 その時の私のカウントでは「79曲」となっていたのだ。ここ数日、私のExcelデータを精査して、正解が判明したのでお知らせしておきたい。まず私のミスが2つ。カバー曲を1曲、セルフカバーを1曲カウントしてしまっていた。単純なケアレスミスで、お恥ずかしい限りだ。その時のブログ記事「宏美さんへの提供楽曲が多い作曲家ベスト20❣️」の方にもお詫びと訂正を追記させていただいた。

 

 それでも77曲。その差の3曲は数え方の違いによる。私がカウントした時に自分で決めたルールの中に、

 

②ライブ・アルバムであっても、『雪物語』「Music Lovers」のような、宏美さんのための書き下ろし作品はカウントした。

 

「Wishes」「深川 その1/その2」のように、アルバムの中で2回に分かれて収録されているものは、2曲と数えた。

 

というものがあり、これによる違いだろうと推測される。

 

 つまり、私はロック・ミュージカル『ハムレット』の実況録音盤に含まれる「愛はハーモニー」「オフィーリアの子守唄」もカウント、さらに『Wish』で最初と最後に分かれて収録されている「Wishes」を2曲と数えているので、これでプラス3曲。めでたく新聞記事の公式発表と齟齬がないことが確認された。😊

 

 

 さて、本日のお題「パーティーズ・オーバー(The Party’s Over)」は、1956年にブロードウェイ・ミュージカルの『ベルズ・アー・リンギング(Bells Are Ringing)』のために書かれた曲である。作詞はベティ・コムデンとアドルフ・グリーン、そして作曲はジュール・スタイン。歌ったのは、初演の舞台も映画版(1960)もジュディ・ホリデイだ。この曲にはナット・キング・コール、ドリス・デイ他100以上のカバーが存在すると言われ、完全にスタンダード化している。最初に歌ったジュディのバージョンだけご紹介しておこう。

 

 

 宏美さんは、9年間続いた秋のリサイタルの最後の1983年、アンコールでこの曲を歌われた。「エアポートまで」で着替えた黒のドレスに、鳥の羽根のようなショールを纏って再登場。リサイタルのステージを楽しく華やかなパーティーに見立てた、幕を閉じるのにドンピシャの楽曲である。

 

 歌の内容は、山川啓介さんによる訳詞が伝えている通りの雰囲気である。編曲は小野寺忠和さん。「♪ また会う日のために ひとは別れる〜」と、テンポフリーのバース(前歌)から始まる。バースがあるのは、ドリスのオリジナル盤通り。「♪ ほほえんで 見送れるから」で、すでに感極まったのか宏美さんの声が震える。

 

 バースが終わって、「♪ ザ・パーティーズ・オーバー」でインテンポ。スイング・ジャズ・スタイルのオーソドックスな静かなバックの演奏に乗せて、宏美さんがパーティーの、いやリサイタルの残り火を惜しむように歌う。ドラムスのブラシの音が耳に心地よい。

 

 ワンコーラス終わって半音上がり、エレピのソロが入る。その後の宏美さんの歌い方が粋である。「♪ 愛に酔って 歌って抱き合った」の、赤字部分は声を張ってフォルテで、青字部分は息で歌うようなピアノで。交互に歌い方を自在にに変えておられるのだ。この天性の表現力がたまらない。

 

 最後の「♪ すべてはー」でバックの演奏が止まり、「♪ おしまいー」の「いー」は無伴奏で歌われる。宏美さんは、この音をピンと糸を張ったような緊張感のある美しい声で、しかもピアノで余韻を残すように歌い切っている。

 

 

 このリサイタルの翌年、宏美さんは事務所から独立した。コンサート活動、まして秋のリサイタルのような大きなステージは当然難しくなった。それを知ってから、私はこの83年リサイタルの終盤2曲「ステイ・ゴールド」「パーティーズ・オーバー」が、全く違った聞こえ方をするようになったのだ。

 

 宏美さんは、すでにあの時独立の決意を胸に秘め、その想いをこの2曲に託したのではないか。今の煌めきを思い出にせず、ステイ・ゴールド。また会う日のために、微笑んで見送る。ーーー今、ひとたび皆さんの前から姿を消しても、私は必ずまたこの輝かしいステージに戻って来る。そんな強烈な想いが、こんな静かな曲からヒシヒシと伝わってくるようになったのだ。

 

 その後のことは、皆様よくご案内の通り。雌伏の時は思ったより短く、宏美さんはひと回りもふた回りも大きなステージシンガーとして、われわれの前に戻ってきてくれたのである。

 

(1983.12.16 アルバム『’83 岩崎宏美リサイタル』収録)