ご存知、井上陽水さんが提供した中森明菜さんのデビュー3年目、10枚目のシングル。私はリアルタイムでよく覚えているが、ちょっとした路線転換があり、「おっ⁉️」と思った。それが成功し、結果として「セカンド・ラブ」「ミ・アモーレ」に次ぐ明菜さんご自身のシングル第3位のセールスとなった。明菜さんがステップアップした楽曲であったことは間違いない。

 

 宏美さんで言えば、「思秋期」に相当するのではないか。同じくデビュー3年目、11枚目のシングルであり、「ロマンス」「聖母たちのララバイ」「センチメンタル」に次ぐ4番目の売り上げを記録している。

 

 どんなに歌の上手い歌手でも、質の高い楽曲であっても、流行歌手の宿命である「飽き」をかわすには、針路変更というか、若干の冒険は避けられないであろう。それが見事に図に当たったのが「飾りじゃないのよ涙は」であり、「思秋期」であったと言えるのではないか。

 

 この「飾りじゃないのよ涙は」について述べた秀逸な論考があるので、紹介しておきたい。

 

 

 この曲のオリジナルの編曲を担当した萩田光雄先生が、この曲の誕生について、興味深い記述をしていらっしゃる。これも『ヒット曲の料理人 編曲家萩田光雄の時代』から引用しよう。

ーーーーーーーーーーーー

 「飾りじゃないのよ涙は」(1984年)では、作曲した井上陽水さんが突然スタジオに現れて仮歌を歌った。これにはミュージシャンもビックリ!彼らの演奏がガラッと変わったのは言うまでもない。(略)この曲に代表されることだが、アレンジですごい量のエネルギーを放出していることがわかる。まずディレクターが私にそれを放出するように持っていき、それを今度は私が、ミュージシャンに精一杯放出してもらうようにアレンジする。そこでできあがった曲を聴いた人が、そのエネルギーを快感として受け取る、そういった伝達が1曲の中に込められているのだ。(略)音楽とはエネルギーの伝達なのだ。

ーーーーーーーーーーーー

 

 秋元康さんは、この曲の出だしの「♪ 私は泣いたことがない」という歌詞を、はじめ「阿久悠だと思った」そうで、陽水さんの作品と知り、「あの男はやはりタダ者じゃない」と書いている。

 

 

 このような詞・曲・アレンジ・歌唱が一体となった大作のリメイクに臨んだ宏美さんの苦労は推して知るべし。ライナーノーツにも「このリズムが身体に入るまでは試行錯誤の歌、歌…陽水さんも明菜さんも、実に軽やかに歌っていた印象があるだけに、私は悩みました」と書かれている。

 

 私は宏美さんが悩まれた原因の一つに、古川さんのアレンジもあると思う。いや、悪いというのではない。明菜さんver.も陽水さんver.も、実にバックが心地よくバウンス*しているのだ。ただこの『Dear Friends』シリーズは、オリジナルとまた違ったカラーのアレンジを売りにしてきた(Ⅷを除く)。その流れもあり、おそらく意識的にテンポもオリジナルよりちょっとアップされ、その分ややイーブン*に寄った演奏になっている。当然、軽やかなハネた歌い方は難しかったであろうことは容易に想像できる。

 

 しかし、そこはやはり岩崎宏美もタダ者ではない(笑)。考えられたキー設定(G♯マイナー、明菜さんより+2)で、「♪ 飾りじゃないのよ涙は HA HAN〜」からのサビでは、地声の音域いっぱいで、シャウトするようなボーカルが心地よい。同じ音程なのに、コーダの「♪ Lalala・・・・」はファルセットを使用して変化をつけている。また、「♪ 私泣いたりするのは違うと感じてた」のあとすぐサビに行かず、オリジナルよりインストだけを4小節も追加している。このように、テンポもキーも上げて様々工夫されたアレンジの上に、彼女なりの「飾りじゃないのよ涙は」の世界を構築していると言えるのではないだろうか。

 

 

 私は自分の学生時代から、明菜さんも応援していた。『スター誕生!』に出ている頃から注目していたのだ。ちょうどその頃、わが地方の学生街にもレンタルレコードという文化が伝播してきた。街のレンタルレコード屋で初めて借りたレコードが、明菜さんのファースト・アルバムの『プロローグ〈序幕〉』だったことは、よく覚えている。応援はしていても、明菜さんはレンタル、宏美さんは購入。この厳然たる差は、その後一貫して変わることがなかった。

 

(2008.10.22 アルバム『Dear Friends Ⅳ』収録)

 

*バウンスとかシャッフルと言うのは、8分音符が2つ並んだものを、2:1に近い長さの割合でいわゆる「ハネた」演奏をするスタイル。逆に、イーブンとかストレートと言うのは、1:1で元の譜面通りに均等な長さで演奏する。