今から11年前、2011年3月11日に東日本大震災は起こった。改めて亡くなられた方々、ご家族や大切な人を失われた方々、そして被災された方々に想いを馳せたい。昨年のこの日は、東日本大震災復興支援ソングの「虹を架けよう」を取り上げたので、リブログしておく。

 今日のこの日に取り上げるべき宏美さんの歌。やはりこれしかないだろう。「聖母たちのララバイ」。当日関西にいらして大きな揺れを体験していない宏美さん。東北の状況に大変心を傷めていらして、歌い手の自分に何ができるのか?と自問自答したと言う。そして、「聖母〜」のような素晴らしい歌を書いてもらったことに改めて思いを致し、歌うことによって人々に力を与えよう、日本を支えるマドンナになる、くらいの勢いで歌いたい、と考えられるようになったのだと言う。

 

 「聖母たちのララバイ」ーー言うまでもなく宏美さん最大のヒット曲であり、代表曲である。作詞:山川啓介、作曲:木森敏之・John Scott。『火曜サスペンス劇場』のエンディングテーマとして誕生したこの曲ではあったが、その時代性と普遍性の共存する歌詞や楽曲の完成度の高さ、宏美さんの優れた歌唱により、宏美さんをめぐるトピックや環境の変化、時代の流れと共に色褪せるどころか、むしろ大きな歌に育って来た、稀有な楽曲と言えるだろう。

 

 今日は、この曲のターニング・ポイントとなった歌唱や録音をいくつか取り上げ、動画や音源もご紹介していきたい。

 

●シングルバージョン(1982.5.21、編曲:木森敏之)

 

 

 当初レコード化の予定がなかったのに、主題歌カセットプレゼントに応募が殺到し(200本になんと35万通!)、緊急発売となった経緯は皆さまよくご存知だろう。私が大学3年生の時だった。学生街のレコード屋に予約しておいたものが前日に入荷、すぐ買って来て親友Oの部屋で録音。嬉しくて自慢したくて、車の窓を全開にして大音量で鳴らし、大学構内の道路を走り回ったのがついこの間のようである。

 

 

 「聖母たちのララバイ」のシングルが登場2週目で首位を獲得した時のオリコン・ウィークリーが、まだ手元に残っている。見開きで宏美さんの特集が組まれているが、その中のインタビューでこの曲について語った部分を、少々引用しよう。

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ーーー「聖母たちのララバイ」、リリースする前からスゴイ反響だったようですネ。

「そうなんです。キャンペーンなんかで随分と「檸檬」を歌ってたんですが、その時からこの曲もいいけどそれより早くアノ火曜サスペンス劇場の歌を出して下さいって声が多くて」

ーーーじゃあ、割と周囲の声からこの曲の良さを再認識したような部分もあるんですか?

「エエ、これは当初まったく発売の予定はなかったんです。それがこうした反響を聞いて『エーッ、この曲そんなにいいの』(笑)って感じで、VTRにとった“火曜…”を見てみたら、スゴクいい場面で流れているし、番組と曲の雰囲気もピッタリだったし」

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 あまり深く考えずに、素直に吹き込んだことが読み取れる。後に95年、『My Gratitude』バージョンをテレビで披露されたことがあった。その折り、「昔は歌の意味が分からず何となく歌っていた」みたいなことを言われていたが、聞き手の由紀さおりさんが、「昔のバージョンはあれはあれで、無心で歌っていて好感が持てた」と言うようなことを仰っていたのも覚えている。

 

 オリジナルバージョンのレコーディング風景は、『HIROMI SHINBUN』(1981年10月号)から引用しよう。

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 9月中旬*でのレコーディング状況は、LP**残り1曲の歌入れと全曲のミックスダウンのみ。そしてLPの他にもうひとつ。秋から開始されるTVドラマ「火曜サスペンス劇場」のテーマソング収録もこの日に行われるのです。タイトルは「聖母の子守歌」。(略)

 さて、スタジオ準備も整い、飯田ディレクター***の合図でレコーディング開始。流れてきたイントロは、「聖母の子守歌」。大人のムードたっぷりのシックな曲。かなり音域も必要とされる曲で、ずいぶんと難しそう…。軽く通して歌ったあとで、ディレクターからこと細かに注意をうけ、真剣な顔でうなずくヒロリン。「出だしの発音が甘くなるから気を少しつけて…」「“ぬ”の音がダメだよ」などなど、その注意説明は素人には全然わからぬ抽象的なことばかり。何度も何度も歌い、やっとディレクターからOKが出ても、今度はヒロリン自身がうなづ(※ママ)かない。プレイバックした自分の歌声を聞きながらじっくり考え、「やっぱりダメです。もう1回やらせてください」と根性発言。さすがヒロリン、納得いかないものは絶対許さない、という歌に対する真剣な意気込みが充分感じられた。

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*1981年9月

**『すみれ色の涙から…』

***飯田久彦さんのこと

 

 タイトルが「聖母(マドンナ)の子守歌」と単数形になっているのも興味深い。私の推測では、番組では毎回マドンナが違うので「聖母たち」と複数形にしたのかな、と単純に思っている。

 

●『PYRAMID』バージョン(1986.12.16、編曲:和田春彦)

 

 

 これは宏美さんがあちこちでお話しになっているので、耳タコだったらご容赦願いたい。ピラミッド前でのコンサート前夜、日本の駐在員の家族を前に歌う場が設けられたそうだ。その時「聖母たちのララバイ」に聴き入る企業戦士たちを見て、「ああ、日本を離れて戦う彼らはまさしく戦士、そしてここは戦場なのだ」と実感し、初めてこの歌の内容が自分の中に落ちたと言う。その翌日(10月21日)のこの歌は、生まれ変わった画期的な「聖母たちのララバイ」なのである。

 

●『誕生』バージョン(1989.11.21、編曲:樋口康雄、益田宏美名義)

 

 

 お腹の大きい宏美さんが吹き込んだ、まさに“胎教"アルバム『誕生』に収録されたバージョン。クラシカルなオーケストラをバックに、新しい生命をお腹に宿した宏美さんが歌うこの録音は神々しくさえあり、まさに“聖母”の歌声と言うにふさわしい。この録音を以て「聖母たちのララバイ」の最高峰、と言う方もおられる。

 

●『江東区手をつなぐ親の会 第3回チャリティーコンサート 岩崎宏美』に於ける歌唱(2000.5.21、ティアラこうとう)

 

 これは、録音や映像が残されているわけではない。特別なアレンジやバージョンでもない。このコンサートは、障害者の方々が、住み慣れた地域で生涯を送れるよう、生活寮を開設するために開催されたのだ。前方の席には、姿勢の保持が難しい方や、お声を出さずにはいられない方なども複数いらした。コンサート終盤となり、「聖母たちのララバイ」が歌われた。いつもと同じ演奏、そして宏美さんのお声なのに、私にはその歌詞の今まで全く気がつかなった側面が聞こえたのだ。私の中でこの歌の幅というか、包容力が広がった瞬間だった。

 

♪ どうぞ 心の痛みをぬぐって
 

 小さな子供の昔に帰って


 熱い胸に 甘えて

 

 

 そう私にだけ 見せてくれた
 

 あなたのその涙
 

 あの日から決めたの
 

 その夢を支えて 生きてゆこうと

 

 そう、この親御さんたちは皆マドンナなのである。

 

●『kizuna311』バージョン(2011.5.16、ギター編曲:古川昌義)

 

14分20秒くらいから

 

 俳優の渡辺謙さんが立ち上げた震災被災者応援サイト『kizuna311』にアップされたバージョン。古川さんのギター一本で歌われている。この曲特有の歌い上げは一切封印され、まさしく鎮魂の子守歌、レクイエムである。言葉は要らない。是非じっくりお聴きください。

 

 

 そして、今ーーー。ウクライナの都会(まち)は、喩えではなく本当に戦場と化している。男だけでなく、住み慣れた地域に残ることを選択した市民は皆戦士である。宏美さんの「聖母たちのララバイ」が、今度はどのようにわれわれの胸に、ウクライナの傷ついた市民の胸に響くのだろうかーーー。

 

(1982.5.21 シングル)