ここ4、5日、10月とは思えない暑さが続いている。このバカ暑さもとりあえず今日で一段落、明日からようやく秋本番となるらしい。新型コロナウィルスは、よく理由は分からないものの、ここひと月ほど急激にその勢力を弱めている。世の中も少しずつ通常に戻りつつあり、少しホッとしていいのだろうか。

 

 秋と言えば、食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、そして芸術の秋などと言われるが、皆さんはどれが一番しっくりくるだろうか。スポーツでは、私の大好きな駅伝シーズンが開幕した。昨年はコロナの影響で中止となってしまった出雲駅伝が、昨日2年ぶりの号砲となった。本命駒澤、そしてアンカーにヴィンセントを擁する東京国際が、好位置につければ逆転も、という戦前の予想。蓋を開けたら駒澤は失速、東京国際は3区丹所くんの爆走で、青学原監督が早々と白旗宣言をするほど。見事東京国際は初優勝を果たした。

 

 芸術の秋で言えば、5年に一度のショパン国際ピアノコンクールがこれも昨年はコロナ禍で実施できず、今年ようやく開催。現在2次予選の真っ只中だ。驚くべきは世の中の進歩である。「ショパンコンクールアプリ」なるものがあり、コンクールの最新情報やライブ配信はもちろんのこと、全ての参加者の紹介ビデオや予備予選からの演奏動画が、全てアーカイブとなっていて、いつでも好きな時に好きな人の演奏が聴けるのだ。日本の方は8名も2次予選に残っている。現在私の推しは、リンフェイくん(中国/カナダ)とスヨンさん(韓国)である。何とか本選まで残って、コンチェルトを聴かせて欲しいものだ。

 

 何かと影響され易い私は、この土日は久しぶりに走ったり、ピアノを弾いたりした(笑)。やりたいことがてんこ盛りで、「睡眠不足の秋」になりそうである。😜

 

 

 さて、秋本番と言えば真っ先に思い出されるのはこの曲、「思秋期」である。岩崎宏美の代表曲というにとどまらず、もはや日本のスタンダードであると言っても差し支えないであろう。作詞:阿久悠、作編曲:三木たかし。その後中森明菜さん、森山直太朗さんや薬師丸ひろ子さんなど、多くのアーティストによってカバーされている名曲である。この曲なかりせば、今の宏美さんはなかったかも知れない。

 

 阿久先生が「ずっと岩崎宏美をどう成人させようか考えていた」という想いが結実した作品。萩田光雄先生は、「曲の素晴らしさに感動して泣いてしまい、仕事人になり切れなかった」と言い、萩田アレンジは不採用となった。そのバージョンは、後に『岩崎宏美のすべて』に収録されたと言うことは、宏美ファンの皆様はよくご存知だろう。三木先生のメロディーとアレンジはとてもシンプルで美しく、「シェルブールの雨傘」を彷彿とさせる映画音楽のようなトーンでわれわれの心を揺さぶるのだ。

 

シングル・バージョン 編曲:三木たかし

 

 レコーディングで何度も宏美さんが泣いてしまってNGを連発した話は有名である。その件に関し、『Dear Friends Box』(2010)のブックレットに掲載されている、当時のディレクターだった飯田久彦氏の貴重な証言を一部引用しよう。

ーーーーーーーーーーーーーーー

(前略)当時ビクターの303という小さなスタジオでボーカル録りをしていて、私がガラス越しに歌っている宏美さんの姿をちらっと見ると、最初から涙、涙で声にならない。でも、実のところは、それを見ていた阿久さんも三木さんも、そして私も皆もらい泣きしていたんですよ(笑)。“感極まる”ってこういう事を言うんだなって思いました。それで、どうしても上手くいかず、日を改めてレコーディングしたんですが、実は、「思秋期」は最後の最後のテイクを使ったんじゃなくて、涙をこらえてこらえて…っていうテイクを採用しているんです。そのテイクが何度聴いても一番良かったんですね。(後略)

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 この曲については、あちこちで語り尽くされていると思うので、私が今まであまり聞いたり読んだりした記憶がない視点から、2つほど書かせていただくことにする。

 

 まず、歌詞の解釈についてである。同様にお感じの方も多いと思うのだが、私には、どうも「高校時代好きだった彼との別れを思い出す19才の秋」という単純な内容には捉えられないのだ。まず歌詞に、男子生徒を思わせる箇所が3箇所出てくる。

 

ア: 無口だけれど あたたかい

 心を持った あのひと

 別れの言葉抱きしめ やがて十九に

 

イ: ふとしたことで はじめての

 くちづけをした あのひと

 ごめんといった それきり 声もかけない

 

ウ: 卒業式の前の日に

 心を告げに 来たひと

 私の悩む顔見て 肩をすぼめた

 

 ア、イまで聴いた時は、両方に出てくる「あのひと」は、同一人物だと思い、何の疑いも持たなかった。だが、ウで卒業式前日に告白に来たひとは、大切な別れの言葉を言ったひとや、ふとしたことでで口づけをしたひとと同じと考えるのはやや不自然であろう。

 

 そこへさらに「♪ 誰も彼も 通り過ぎて 二度とここへ来ない」「♪ お元気ですかみなさん」の歌詞が現れ、私はアイウの3人は別のひとだ、と考えるに至ったのだ。

 

 私は高校時代、合唱部の仲間たちと濃密な3年間を過ごした。私の母校では合唱部の男子生徒も多く、その中で何人か今でも集まるような親しい男女数人がいた。高校生の頃は「誰は誰を好きらしい」とか「誰と誰がデートした」などと言う話はよく聞いたが、ちゃんとしたカップルは一つも生まれなかった。その中の女の子一人が、大学時代に会った折りに、こう言ったのだ。

「私たちって、みんな少しずつ恋愛感情が混ざってると思うんだよね」

この言葉を聞いて、私は自分の「思秋期」の解釈が間違っていない、と確信した。あの不確かな、それでいて感受性の強い時代。誰も彼も、皆そうだったのだ。

 

 もう一つは、曲構成に関してである。シンプルで分かりやすいが、とても変わった作りになっていると思うのだ。キーはEマイナーで始まり、AA’BC×2+A’(Fマイナー)+A’(F♯マイナー)。すごく面白いのは、2コーラス聴いたところまででは、AメロはあくまでAメロ、サビは普通にCパート(♪ 青春はこわれもの〜)と思える。だが、A’のパートがリフレインとなり、2度の転調を繰り返しながら(→「半音上がって盛り上がる宏美さんの歌ベスト20❣️」参照)クライマックスを迎えるところでは、A’のパートが恰もサビであるかのように振る舞うのだ。「♪ 無ー邪ー気な春の〜」の2度のフェルマータからのブラスも入ったドラマティックな三木先生のアレンジ。そして、宏美さんの若き日の豊かな声の響きと、ウェットな絶唱が絶大な効果を発揮していることは言うまでもない。こういう構成は、宏美さんの曲に限らず、ちょっと他に思い当たらない。

 

 

 最後に、この歌で思い出すことをもう一つご紹介して終わりたい。今上陛下がご成人を迎えられた折り(当時は浩宮様)、ご感想を求められて「誰かの歌にあったように、『青春は過ぎてから気がつく』という感じです」というようなことを仰ったのだ。当然ながら、マスコミはそれを「岩崎宏美」の「思秋期」と特定。浩宮様ご成人の新聞記事の隅に、宏美さんのコメントが載ったことをよく覚えている。

 

 阿久先生の詞、三木先生の音楽、そして宏美さんの歌唱が一体となった「思秋期」。多くの方の耳に残り、そして心を揺さぶり、秋を代表する昭和の名曲となったのである。

 

(1977.9.5 シングル)