1、教育

占領された日本の民は

洗脳のための歴史・社会・科学を学び

支配者の母国語である

「英語」を学ぶ義務があります


2、労働

占領国日本の民は貧しいので

永遠に働く義務があります


3、納税

日本の民は働いて得たお金を

支配者や霞ヶ関へ上納する義務があります





色々見えますね

「映像の世紀」 ビデオあるので改めて見直してみます

確か12時間くらいあります

ヒトラーも沢山でてます




(一部)

http://jp.youtube.com/watch?v=3DBUQ0DR_yY&feature=related


真珠湾攻撃 ・・・テロ国家の罠

ぺり・真っ赤サ ・・・フリー名損

昭和天皇 ・・・人間宣言

児玉・笹川 ・・・A級戦犯→テロ国家スパイ転身


などなど、これだけでも重い内容だけど、

全部観るとかなり疲れます

精神力に自信の無い方は観ない方がいいです


外山恒一氏の政見放送を見たほうが面白いです

http://jp.youtube.com/watch?v=l2C9lv5t0yQ&feature=related


第24太陽活動周期が開始

http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200810172231


【Technobahn 2008/10/17 22:31】NASAの太陽観測衛星「SOHO」の観測結果により太陽に第1005番黒点群が出現していたことが14日までに明らかとなった。第1005番黒点群はその後、消失し、16日現在のところ第1006番黒点群が出現。これらの黒点群の観測結果から太陽は第24太陽活動周期 入りをしたことはほぼ確実な情勢となってきた。
これまでの研究では太陽は11年周期で活動期と沈静期を繰り返すことが知られており、世界各国の主要天文台の観測結果から太陽は今年の1月に第24太陽活動周期入りをしたことが確認されていた。
しかし、その後、9月に入ると太陽の黒点がまったく観測されないという状況が発生すると同時に太陽風の水準も観測史上最低水準にまで低下。
これらの結果から、太陽が1月に第24太陽活動周期入りをしたのは実は誤りではないかとする見方も広まっていた。

宇宙天気情報センター(黒点)

http://swc.nict.go.jp/sunspot/


●「太陽活動と景気」 三菱UFJ証券景気循環研究所 (PDFファイル)
http://www.sc.mufg.jp/inv_info/business_cycle/sn_report/pdf/snb20070809.pdf#search=
●「太陽活動サイクルと地球文明」 (PDFファイル)
http://www.peaceseed.org/sunlogy/maunder_minimum.pdf#search=



「 和を以って貴しと為せ 」


聖徳太子(574-622)は推古天皇の摂政として活躍しました。
大きな事績は以下のとおりです。
①崇仏論争で蘇我馬子とともに戦い、仏教興隆の基盤を形成しました。
②603年に冠位十二階、604年に憲法十七条を制定しました。

③法隆寺・四天王寺を造営しました。
このころは、「日本」という国名も定かではなく、年号も制定されていません。

律令国家体制の整備が始まるのも、およそ半世紀後のことです。
律令体制が本格的に運用され、中央集権国家にふさわしい本格的な都が造営されるのは710年のことです。
そのとき、[歴史]が記述されました。『古事記』と『日本書紀』です。
そこでは、天皇はアマテラス以来の神々の系譜に連なる高貴な血筋とされ、異国の宗教である仏教との関係は明確にされませんでした。
奈良時代になると、鎮護国家の思想に基づき東大寺を中心に国分寺・国分尼寺が各国に建てられ、仏教は国家宗教的な色合いを帯びてきます。
このとき、天皇(王法)と仏教(仏法)との関係が問題になっていきます。
そこで注目されたのは、天皇家の血筋をひきながら仏法の導入に主導的な力を果たした聖徳太子です。
8世紀後半には,絵伝が制作され、善男善女に作善を勧める法師が現れたようです。
その後も聖徳太子信仰は広まっていき、院政期には現在・未来に寿福をもたらす観音の化身として定着しました。
現在残っている聖徳太子絵伝のもっとも古いものは、延久元年(1069)法隆寺東院絵殿に秦致貞(はたのむねさだ)が描いた障子絵とされています。
鎌倉時代になると、太子信仰は隆盛の一途をたどり、親鸞をはじめとして,鎌倉時代新仏教の祖師たちが日本仏教の祖と仰いで信奉するに至ります。
庶民は、死者の追善や浄土への引摂を願いました。為政者は、王法仏法相即の体現者として信仰の対象としました。

聖徳太子の夢

http://www7a.biglobe.ne.jp/~yasui_yutaka/shotoku/taishinoyume.htm




渥美 「それに比べりゃ、軍隊は天国じゃ」


長門 「こんなに絞られてか?」


渥美 「ああ、雨降っても三度のメシ食えるけんのお


     天国じゃ、天国じゃ・・・・」


長門 「おっ、はよ行かんと絞られる」


渥美 「まあ、ゆっくりせいや、天国じゃけんのお」





(追)

天皇陛下や戦争をテーマにしたものではないです。

その時代を生きた一人の男の映画です。

続編もあります。


わたしの記憶では、お笑い芸人から役者に転向し始めたころの渥美清は

「こうゆう役をやりたかったんだ!」

と言っています。

戦中・戦後の動乱の世を経て、アメ横のヤミ市を見て過ごした男の行き着いた心境とは・・・。


野村芳太郎監督は

「渥美さんのように優しい目と怖い目を表現できる役者はいない」

と評しています。


渥美清(wikipedia)

1928年(昭和3年)3月10日に、上野の車坂で地方新聞の新聞記者をしていた父友次郎と、元小学校教諭で内職の封筒貼りをする母タツとの間に次男として生まれる。兄に健一郎がいる。

1934年11月、上野の板橋尋常小学校 に入学。1936年、一家で板橋区 志村清水町に転居。それに伴い、志村第一尋常小学校 へ転入。小学生時代はいわゆる欠食児童 であったという。加えて、病弱でもあり小児腎臓炎小児関節炎膀胱カタル 等の様々な病を患っていた。その為、学校は欠席がちで、3年次と4年次では長期病欠であった。欠席中は、日がな一日ラジオ に耳を傾け徳川夢声 や落語を聴いて過ごし、覚えた落語を学校で披露すると大変な評判だったという。

1940年に、板橋城山高等小学校 に入学。1942年、巣鴨中学校 に入学するが、学徒動員 で板橋の軍需工場 へ駆り出される。1945年、同校を卒業するも、3月10日の東京大空襲 で自宅が被災し焼け出される。

卒業後は工員として働きながら、一時期、担ぎ屋やテキ屋 の手伝いもしていた。この幼少期に培った知識が後の「男はつらいよ」シリーズの寅次郎のスタイルを産むきっかけになったといえる。



寅   「分からねえもんだなあ、人の命なんて」

さくら 「そうねえ」

寅   「早い話がさ、俺だって今夜ぐっすり眠って、

     明日パッと眼をさましたら、
  

      死んでるかもしれねえよ」

満男  「死んでたら眼さまさないよ」

寅   「子どもは勉強してろ!」






「まけるものか!」と言う言葉は

勝負事にではなく

自分の弱い心に対し

「まけるものか!」

の意味です。


http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/s/%C0%D6%C4%CD


苦しさを通り越すと、笑うしかない。

と言う狂気を含んだ逞しさや、極限に潜む笑いを垣間見られたのでしょう。

将来、出世する人には、朗らかな人物が多いです。
どんなに貧乏で苦しい境遇でも、朗らかな人は大丈夫です。
それだけ、心が広く強いのです。

常人よりも内在神が表に発露している人とも言えます。
ただ、朗らかさとは、天性のものなんて無いです。
辛い事は辛いものですから、それに負けずに心を朗らかに努力した人なのです。

決して受身で授かるものではありません。

「これで、いいのだ~~」

・・・バカボンパパのこの言葉は深いです。

赤塚さんが垣間見られた心の境涯が、この言葉だけで分かります。
圧倒的な
全肯定
です。

親鸞にも通じる境涯です。
今の、あなたのままで、良いのです。
ただ、何をして
遊ぶ
かだけです。

この世を・・・。

生かして頂いて ありがとう御座位ます



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玉蔵さん

http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-date-200711.html


今、ある辛い境遇に自分がおかれたとして、
その状況を辛いと見るか、楽しいと思うか。

あることをネガティブに見るかポジティブにとらえるか。
それは、その人の自由で、実はどっちにとらえても同じことです。
めそめそしながらいじけて腐って生きていくのも人生。
前向きにとらえて生きていくのも人生。
でも、ならば、ポジティブにとらえて生きた方が楽しいではないかという非常にシンプルなメッセージだと思います。

人間、本当に辛い時に笑えるものではありません。
しかし、そこをあえて笑って過ごすところに その人の心意気というか、品性というか、そういうものが出るのではないでしょうか。

物質的には貧乏でも魂までは売らない。
どんなにつらい状況でも、しゃんと背筋を伸ばして堂々と生きていく。
そういう人間の底力というか、こういった最近の拝金主義が横行する腐った世の中に奥底からともる光明を見る思いがしますた。



伊勢-白山道

http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/4fe8a5c24de74563846d08437f7dd76c


人間は昔から、神は本当にいるの?見れるの?居るなら、どこに? と、誰もが疑問に思ったことが有るでしょう。
例えば、キリストは実在した人物でした。人間なのです。
私の霊眼に映るキリストの姿は、痩せこけたオドオドする男性です。一見、頼り無さそうな、母性本能をくすぐる様なタイプです。2千年後の自分自身の評価・歴史を、キリスト自身が一番驚いているでしょう。
キリストが天に居る父と呼んだ神は、国常立太神であり、キリストを背後から支えた、女性マリアは天照太御神の分霊を宿した人でした。霊性的には、キリストよりもマリアが上です。キリストは、人間でした。この人間キリストを天から援助した神が、国常立太神であり、地上
で援助したのが天照太御神の霊を宿す神憑り女性、マリアだったのですキリストは、両神(両親)に挟まれて役目を演じ切った訳です。

さて、この両神の本体が、現代の日本の伊勢に何故か居るのです。伊勢の伊雑宮には、天照太御神がオレンジ色の日輪の姿で居ます。丸い日輪の外輪郭は、呼吸するように小さく波打つています。このオレンジ色は、チベット密教の法着の色と似ているのは興味深いです。
伊勢の外宮には、天の父たる、
天之御中主神=国常立太神が北極星の姿で居ます。
世界一の超能力者と言われた、ブルガリアのべラ・コチェフスカさんが、伊勢外宮の多賀宮の前で額づいて「唯一無二の聖地」と評して、ヤハウェが鎮まる地だと霊視したのは、正しいです。
内宮が観光客を引き付けて呉れている御蔭で、両神の神聖が維持されている、神の配慮は人知を超えています。

多くの人類が、伊勢へ行けば神の姿は見えないかも知れませんが、何かが存在することを感じるのは、容易いです。
日本人が、この両神を預かっている、任されている事の重大性を多数の人が認識した時、何かが始まるでしょう。

日本に 生かして頂いて ありがとうございます



伊雑宮



多賀宮


いよいよ、始まりますよ~

マスコミさんの恐怖心の煽りが!

金融の次は、「食」って・・・。

観る方は、心を武装して大いに笑いましょう!


①2008/10/17(金) 19:30~20:45

NHKスペシャル「世界同時食糧危機(1)アメリカ頼みの“食”が破綻する」

▽世界各地で深刻化する食糧危機。日本をはじめ世界各地の最新の状況を取材し、その原因を掘り下げて考える。


②2008/10/19(日) 21:00~22:00

わたしは外出で観れません。見た方は、感想を教えてくださいませ~