この人の魂が
宇宙を感じて次元上昇してないから
お金に執着しているから
失格なんだというならば
わたしは
「神」も「仏」も「宇宙」も
何もかも信じない
http://ameblo.jp/akaneironoyakusoku/entry-10154357723.html
- 第一の優先は正しい食物の適切な供給である。
- 第二に、すべての者のための適切な住宅や宿である。
- 第三に、普遍的権利としての健康管理と教育である。
http://sharejapan.org/index.html
マイトレーヤ最初の助言
第一の優先事項は飢えたる何百万の人々を救うことです。これは緊急を要します。豊かな世界の中にあって何百万の人々が飢え死にしているという事実は人間性に対する冒涜であり、マイトレーヤはこれを罪悪と呼びます。これが私たちの直中にある癌です。マイトレーヤが公に出現されるとき、彼はまず飢えたる何百万の人々を救済するための緊急援助の必要を訴えるでしょう。そしてその呼びかけへの反応として、かつてない規模での援助計画が実行されることになるでしょう。
飢餓の問題が解消されたら、その後の第一の優先事項はこの惑星を救うことと持続可能な経済を可能にする政治的、経済的な機構の変革でしょう。
世界は今、資源の誤用に深く苦しんでいます。私たちはこの惑星を非常に汚染してきたため、私たち自身がつくり出した汚染から免れる人々は、今日世界におそらく覚者以外には一人としていないでしょう。世界の大気、陸地、海洋は、私たちが私たち自身の種族と下層王国(動物界、植物界、鉱物界)を本当に危うくするほどまでに汚染されています。これらは正されなければならない変化であり、これらの汚染物質の結果として私たちの免疫組織に変化が起こっています。世界の変革には徹底した変革が必要です。そのような変革は起こるでしょう。
現在の世界の経済制度の崩壊
今日私たちは非常に分裂した世界に生きています。すなわち,先進国と開発途上国という二つのグループがあり、人類の3分の1を占める先進国の人々が世界の食糧の4分の3と資源の8割以上を消費している一方で、第三世界と呼ばれる国々は残りの資源でやっていかなければなりません。その結果、世界には一人当たり10%の余剰食糧があるにもかかわらず、第三世界ではこの瞬間にも数百万もの人々が飢え死にしています。この世界資源の分配のとてつもない不均衡が世界の様々な問題の根源にあり、そこから生まれる緊張はやがて第三次世界大戦につながる危険を孕んでいます。先進諸国はいつまでも第三世界が今の状態に我慢していると期待することはできません。
現在世界の国々の新しい信条は“市場のフォース”に基づく商業主義であり、それは競争と貪欲に基づくものです。マイトレーヤの見解では、商業主義とは、他の人々が飢えているのにお金を儲けることであり、彼は市場のフォースを“悪の勢力”と呼びます。なぜなら、それはその機構そのものの中に不公平を抱えており、何百万もの人々の生活を犠牲にして、ごく少数の人々に豊かな生活をもたらすからです。人々は経済的効率の名の下に文字通り死に追いやられてきました。商業主義の論理が社会的福利をも蝕んでいます。
分かち合いの原則
それぞれの国家は、その環境と人口等によって、様々な必要条件を持っています。豊かな国々は自国の必要を超えた多くの食糧、原料、エネルギー、テクノロジーを支配して、その余剰分を売ろうとし、貧しい国々(その多くは旧植民地国)は自国に必要な食糧さえ自給できず、その結果世界で何百万もの人々が飢え死にしています。現在、世界には一人当たり10%の余剰食糧が存在するのです。この人々は飢える必要はないのです。「倉庫の中で大量に腐敗している食物を欠くために、多くの者が惨めに死んでいる」とマイトレーヤは、語っています。
公平な分配の基本理念、つまり分かち合いの原則の基本理念は、人類は国家や民族の違いを超えた一つのグループであり、食糧、資源、エネルギー、科学技術、教育施設はすべての人々に属するものだということです。
具体的には、各国は国民の生活に基本的に必要とされる食糧、資源、エネルギーなどの明細目録を作成し、所有する物資の中で必要以上の余剰分を共通の信託として預けることを要請されるでしょう。こうして世界資源の「ケーキ」の大きさが知られます。そしてその資源のプールの中から、各々の国家の必要に応じて、公平に分配されるでしょう。資源の分配のみを扱う新しい国連機関が、覚者か第三段階以上のイニシエート の監督下に形成されるでしょう。
自己(真我)実現
私たちは真我 であり、すなわち不滅の存在であり、私たちが経験する困難や苦難は真我でないところのものと自分を同一認することから生じるのです。
マイトレーヤは言われます、「自分自身に『私は誰か』と問いなさい。そうすれば肉体や心や生気と自分を同一認している自分に気づくでしょう」と。「真我のみが大切である。私たちが心に正直であり、生気に誠実であり、肉体に正しい食物を与え、無執着を実践するならば、私たちは自分の真我を知るだろう」とマイトレーヤは言われます。
もし私たちが裡なる真我を体験して、自分が心(マインド)や生気(スピリット)や肉体とはまったく分離した不滅の存在であることを知るようになるとき、私たちはこれらの主の宮殿(心、生気、肉体)を創造的に、認識をもって利用することを学ぶでしょう。真我を知るとき、他の人々を目覚めさせることができるのです。
心の正直さ
心の正直さというのは、マイトレーヤによれば、単に嘘をつかないこと、私たちがいう“正直である”ということを意味しているのではありません。もちろんそれも含まれますが、本質的には条件付けられていない心を意味しています。様々なイデオロギーに条件付けられていない心(マインド)、それ自体に正直な心を持つということは、一瞬、一瞬、自由でオープンな人生を経験することです。それ自体を完全に、純粋に、自然に、条件付けなしに表現することです。条件付けられていない心のみが自由を知ることができます。つまり、それは真実な言動と思考を行う能力ということになります。
生気の誠実さ
マイトレーヤが言われる生気の意味とは、エネルギー の総体、つまり、アストラル/感情エネルギーとエーテルエネルギー、生命の気、個人のパワー、あるいは“シャクティ”をすべて含めたものです。
生気(スピリット)の誠実さというのは、リアリティー(実体)を歪曲なしに見ることを意味します。すべての人間が、多かれ少なかれ、幻覚(イリュージョン )の中で生活しています。その幻覚が物質界にあるときには、それをマヤと呼び、幻覚が感情、アストラル界 にあるときはグラマー と呼びます。幻覚がメンタル界にあるときには、イリュージョンと呼びます。しかしこれらは皆、イリュージョンの異なった側面です。生気(スピリット)に誠実であるということは、グラマーなしに情緒的経験に反応することを意味します、つまり情緒感情界のグラマー(幻覚)から自由であることです。人生経験における通常のあり方としては率直で、開放的で、自然で、包括性を持つこと。つまり全体的に誠実な人間であることです。
無執着
無執着とは、人が自分を肉体(物質面)と心(思考面)と生気(エネルギーや力の面)と同一認しなくなっていく過程です。あなたが心の正直さ、生気の誠実さを持つようになればなるほど、ますます無執着になれるのです。そして無執着になればなる程、あなたの心は、ますます条件付けられなくなり、アストラル界のグラマーに条件付けられることも少なくなります。これら三つの面(心の正直、生気の誠実、無執着)は一緒に働きます。
無執着ということは、関心を持たないことではありません。関心を持っており、しかも同時に、それらの関心が活動を妨げることなしに機能できることです。例えば、非常に関心の高い人々、マザー・テレサのような人々が持っているものは関心であり、奉仕したいという心(ハート)からの反応であり、そして同時に奉仕を実施することができるだけの無執着な心なのです。したがって、苦難を直視し、それらに背を向けずにそれを自分自身の苦難として非常に強力に体験するために奉仕するのですが、それと同時に、自分の感情的な反応にとらわれないのです。多くの人は自分の感情を抑圧しますが、感情を抑圧することは感情に溺れるのと同じくらい悪いことです。感情に溺れず、また押さえつけることなく、ただそれを見ること、それと自分を同一認しないことを学ばなければなりません。
正しい関係
無害であることが基本的な人間関係であり、これは非常に実際的な機能を持ちます。無害であることは単なる良いアイデアというだけではなく、絶対必要なことであり、そうでなければ私たちは自分自身を害することになるでしょう。私たちのすべての思考と行為が原因を始動させ、これらの原因から発する結果が、良きにつけ、悪しきにつけ、私たちの人生をつくります。苦痛なものであれ、快いものであれ、私たち自身が、単に過去世においてのみではなく、先週、昨日、今この瞬間、一瞬一瞬、自分の思考と行動を通して、自分自身の人生の経験を創始しているのです。それは役に立つものであることも、非常に破壊的であることもあり得ます。もし破壊的であれば、自分自身にとってのみではなく、社会にとっても破壊的です。
正しい人間関係ということは、私たちがお互いを害することなく共に生き、各人の存在(裡なる神)が、それぞれの方法でそれぞれの時期に、誰からの干渉もなしに、成長し開花し、顕示されるようにすることです。
あなた自身のままでありなさい
マイトレーヤは言われます。「あなたはあなた自身のままでありなさい。人の後に従ってはいけない。自分自身に対する尊敬の念、尊厳を他人に放棄してはならない。もし本来の自分ではなく他人に従うならば、自分の輝きを失い、個性の光を反映することはできない。その光なしには、人生における進歩はない」と。
さらにマイトレーヤは、「わたしを崇拝してはならない。もしわたしを崇拝するならば、あなたはあなた自身を低めようとしている。わたしはこれを欲しない。わたしはあなたに同等であって欲しい。あなたは至高なる存在の閃光である。あなたはわたしよりも低いと考えてはならない」と言われます。
こうであればすべて納得できるしとっても良いのですが、誰もが考える一般的なことだし人智を超えてないのでは?
救世主出現のシナリオは期待しないほうがよいかと・・・。
大宣言の日って?
2008年~2009年の冬にフランス・イギリス辺りから発生するようですが如何に・・・。
(ヤスの備忘録)
http://ytaka2011.blog105.fc2.com/
最後の悪あがきの可能性は否定できません。
もはや、勢力は失っていますが、発動権は保持しています。
日本で地震が起こるなら、オバマに移るまでのこの時期でしょう。
郵貯・簡保のお金は銀行と違って本物の国民のお金です。
(銀行には元々お金はありません)
まだ移ってないようなので、
「ポチがせっかく民営化したのに意味ないじゃん」
とご立腹のようですが、
手切れ金に少し渡してやればよいのです。
どの道、紙くずになるのだから・・・。
でも地震は、ウルトラマンが黙ってません!ね。
これからの時代を白洲が語るなら
「我々は最終戦に勝ったのであり、奴隷から開放されたのだ!」
とでも言って歓喜するのでしょうか?
これから我々は、お金では決して買えなかった
人間としての 「本当の自由」 を手にするのです
生きている限り、変化を楽しんで泳げばよいのです
(白洲の過去記事)
http://ameblo.jp/buaisou/entry-10107761638.html#cbox
http://ameblo.jp/buaisou/entry-10087853063.html
これからは「相互扶助」の精神です!
生きる意味を勉強する、大きなチャンスです。
藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2008年10月21日 ハイパーインフレの生き方
デュークさんありがとうございます。
http://ameblo.jp/dukeearl/entry-10154537816.html
(追記14:00)
私見ですが、神の国・日本が生き残る可能性は99%あります。
でも、ハイパーインフレ・一時的な食糧不足を含め、
想像以上の混乱は避けられないと思います。
混沌の変化に対応できない方は、
精神的・身体的に病んでしまう人もいるでしょう。
しかし 「感謝」して「和を以って貴しとなせ」
の精神で互助すれば、そこではじめて助かります。
一方、世界的に見れば、90%の可能性で食料危機があるでしょうか?
隣国の中国は都市部は97%・韓国は99%の可能性。
精神的に病み、モノの奪い合いや暴動・犯罪が横行します。
現在、中国内陸の貧困な農村部や北朝鮮で
苦しんでいる方々が報われる時代です。
さて、世界中が苦しむなかで、日本人だけ安泰であれば良いか?
それでは、悪霊(低級霊)に地球を占拠されてしまいます。
日本人は人類の模範になれるのか?
地球をアセッションできるのか?
いよいよ神様が大和魂を試される時でしょうか。
かなりの急展開です!
週刊現代、まだ売ってるでしょうか?
(船井さん)
http://funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=200810005
船井さんの言ってることは全く事実です。
日本のマスコミでは決して報道しません(できません)し、国会でも取り上げられませんが、毎年この時期、アメリカは日本に「年次改革要望書」(略称)と呼ばれている脅迫状を堂々と送りつけてきています。
これを奴隷のように受け入れないと、罰として要人の更迭や殺人や地震といった制裁が執行されます。
漫画にあるように「郵政民営化」も、アメリカの命令でやった代表的なものです。恐喝されて400兆円を献上したわけです。
しかし、講談社もたいしたものです。見直しました。
(船井さんコメント)
それでもこのようなマンガが日本の代表的週刊誌に画かれるようになったのはびっくりです。
これで日本人も多少は目覚めるかもしれません。
まったく同感です!!
これに日本国民が気づくだけで大きな前進です。
常識がひっくり返る→意識上昇→アセッションが進みます。
今までは有り得ないことで本当にびっくり!少々興奮してます。
先週分はまたこれで凄いのですが・・・
http://www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=200810004
(コメント)
私たちの故郷は、どうやら「あの世」らしい。そして私たちの本体は、霊魂=意識体である。この地球という学校へ勉強に来て、いま寄宿生活をしている。故郷へ帰りたがってはいけないから、学校へ入るときに、一時的に故郷の記憶は、みんな消去させられる。
この学校での生活は、制約があって、努力しないと非常に生活しにくいように仕組まれている。だから、だれもが、いやおうなく勉強する。ここでは、肉体という不便な入れ物の中に各自が閉じ込められる。「あの世」では見たいものは何でも見えた。他の人たちの気持ちも、そのままわかった。どこへでも行きたい所へすぐ行けた。これでは、楽で便利すぎて、なかなか努力しないから、この世の制約のある肉体という入れ物の中で、霊魂という生命体の本体に勉強させるのである。この学校や寄宿舎では、だれもが努力して食べていかなければならない。他人にも負けたくない、向上もしたいと考えるようにできている。そうしなければ、生活しにくいのである。こうして勉強している間に、やがて入れ物=肉体が老化し、故障し、こわれて、なつかしい故郷「あの世」へ帰れるようになる。
ただ、学校=この世に入る時に、故郷のこと=「あの世」の記憶は消去されているし、なるべく、学校でいろいろ学ぶために、この学校(この世)は最高の場所だと教えられる。そのため入れ物=肉体はなるべく大事にし、老化や故障を起こさないようにし、他の仲間と仲良くするのがよいのだなということを、学校に入ってから自然とおぼえるように仕組まれている。
また、学校で効率的に勉強させるために、故郷で親しかった者や、昔、学校で知りあいであった霊魂たちを、なるべく一緒にするようなこともよく行われる。学校や寄宿舎での記録は全部残しておかれるし、今度、この学校へ再教育のために入る時に、それを参考にして入学日とか入れ物とか仲間が決まることになるようだ。
さらに、この学校で学習したことは、霊魂の中に貯えられ「あの世」=故郷で整理され霊魂のものとなるし、また再び学校に入学した時に、それが生かされることになると考えれば、だいたいご理解いただけよう。
こう考えると、「あの世」のことや、「死は終わりではない」などということは、人間は知らないほうがよいともいえる。
ただ現在では、人間という生命体の本体である魂のレベルが進化し、高くなった人も多くなったので、生と死の原理などが、われわれ人間に、徐々にではあるが明らかにされてきた、と解釈したい。人間は、野獣より、神に一歩近づいたようだ。だから、これからは天地自然の理を魂のレベルに合わせて少しは知ってもよいし、もっと知るよう努力するべきだ・・・。
これまた、同感です・・・。
風の吹くまま気の向くままってやつだよ
道の真ん中でよ
こうやって、指にツバキをつけるだろ
で、こうやって出すわけだよ
ふっと風が吹いてきたなって方へ
一緒に連れられて
フワフワフワフワっと
行っちゃうわけだ







