三澤トレーナー日記・「七人のボルサリーノ」 -34ページ目

三澤トレーナー日記・「七人のボルサリーノ」

①ミサワ整骨院&治療②トレーナー③社長業やもろもろの活動④プロレス⑤はまじめに健康指南⑥酔いどれて裸祭り⑦世の中や人生について語る。7人のボルサリーノ三澤が登場する、多重人格日記。毎日お楽しみください!

はくとも輝氏提供のシューズ。
これは、もしかしてトールシューズ!?

$日変わり日記・七人のボルサリーノ

あっという間にはけてしまう。
シューズはありがたがれます。

みなさん背が高くなっていたりして・・・

さて、宮古に着いての第一印象は、
市場だったのだが、みなさん明るい、活気がある、生きている!
それにくらべ、東京のどんよりとした空気。

被災地なのに我々に何か食べさせようとする。
おみやげをくれようとする。

この心のありかた。

しんみりしたって何も現地には役立たない。
何も届かない。
何も始まらない。
東京でのあり方を考えさせられる。

みんな今を生きているのだ。
傍観している時間は何も解決してくれない。
その時間で何をするかだ。
何が出来るかだ。

今回の寄せ集めチーム。
中西選手ら有名人は炊き出し。
子供相手はお得意のミヤマ親子。
私ら整骨院チームは施療。
歯科医は歯科検診。
記者は聞き役。
靴屋は靴を。
その他は様々なお手伝い。

全てがその道の役割を果たす。
なにげに素晴らしいチームでした。

息苦しいバス内も笑いありの珍道中。
というか笑わずにはいられない苦しさ。
でもそれは、現地に比べれば、どうってことはないとみんな分かっている。
だからいろんな笑いが起きる。

狭い座席で文句一つ言わずに、運転手が眠くならないようずっと話かける中西選手。
そこに男をみた。
現地でも積極的に炊き出し、子供相手にと、活躍していました。

そんなこんなで
あっという間の滞在時間で我々の帰る時間になってしまった。

我々は帰るけれど。被災地の方々にはまだ続く日常。
それを考えてしまう・・・

続く










400人ほどが暮らす、「グリーンピア三陸みやこ」にて活動開始。

6台のベットを配置し、みなさんの施療をする。

日変わり日記・七人のボルサリーノ

日変わり日記・七人のボルサリーノ

日変わり日記・七人のボルサリーノ

持ちこんだ湿布や、大阪の株式会社IPSより提供していただいた「イエーロ」と大量の消毒ジェル「マーノマーノ」

日変わり日記・七人のボルサリーノ

おじいちゃん、おばあちゃんから、青年、主婦、子供まで、
80人ほどを施療させていただいた。

今回の施療6人集
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私、整骨院スタッフの稲葉、和田、同級生の関先生、広江先生、元気堂の伊藤先生。

一方、外では
中西学選手、高橋広夢選手、レスラー陣が炊き出し。

今回、中西選手が来ることを聞きつけた宮城県食肉事業協同組合連合会などが協力を申し出てくれて、焼き肉、ラーメンなど、大がかりな炊き出しが出来ることとなった。

日変わり日記・七人のボルサリーノ

一人ひとり話しかけながら、ふるまう選手たち。

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炊き出し終了後は、
買ったおもちゃや、来れなかった新日本プロレス選手、友人らから提供いただいたおもちゃを子供たちへ。

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ちゃんばらを手にいれた子供は、和田くんを切られ役にして、遊んでいました。

そして、はくとも輝氏もおもちゃの他にある物を持参。

つづく・・・
失われた街の姿

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失われた日常

日変わり日記・七人のボルサリーノ

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街の人から言われた言葉
「車を降りて、街を歩いてしっかりと見て下さい。そしてこれを伝えて下さい。」

言葉では語れない。
写真でも伝わらないかも。

でも伝えなくてはならない。
バスの三分の一が荷物で埋まる。
はたして人は乗れるのか?

当日ドタキャンの人もあり、大丈夫かと思ったが、一人がどうしても乗れず。
泣く泣く辞退されました。
残り17人がなんとか乗り込み、夜21:30に横浜を出発。
ぎゅうぎゅう詰めのバスの旅スタートです。

狭い席。
ジャンプする高速道。
眠れない夜のバスを過ごし、朝方、宮古に入る。

報道で見た印象を越える現実の世界がそこにあった。

日変わり日記・七人のボルサリーノ

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避難所の一つである崎山小学校へ到着。

ミヤマ仮面親子&中西選手が子供たちと交流。

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医療班チームは簡易整骨院と歯科医院を開設。

日変わり日記・七人のボルサリーノ

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つかの間の時間を過ごさせていただき、田老に向かう。

そこに待ち受けていたのはさらなる強烈な現実であった。

東日本大震災が起きた後、戦う歯科医師・甲斐先生と緊急ミーティング。
ファイティングエイドで何かしましょう!と。
とりあえずは、イベントではなく、現地で何か出来ないか?

我々の専門は医療。
医療チームで行きましょう、という話になった。

しかし休みが合わないままに時が経つ。
震災から一ヶ月近くでようやく現地に行けることになった。
正式決定したのは出発5日前。

整骨院チームは、ミサワ整骨院スタッフと学校時代の同級生、甲斐先生の仲間、と6名が集結。
歯科チームは甲斐先生と患者さんでもある歯科アシスタント。

しかし、移動の車はどうしよう?
困ったときのはくとも輝氏に相談。
ふたつ返事で、バスをレンタルして提供してくれる。

はくとも輝氏のところで決起集会。
バスが用意出来たのでいろいろと声をかけてみる。
ファイティングエイド繫がりであるミヤマ仮面が即座に応答。
ライターのヤスカクさんも同行決定。
新日本プロレスからは、中西学選手と高橋広夢選手が意思表示。
大型免許を持つ運転希望者も3人集まる。
一人は広島から駆けつけるという。

出発まで短時間しかないというのに、多くの同志が集まって来た。
こういうときの仲間は頼もしい。

現地の手配は、仙台の裸祭りで知り合った青年会議所の方に依頼。
青年会議所のネットワークで迅速に動いていただいた。
裸祭りがここまでの縁に発展したのだ。

前日になって、子どものオモチャが足りていない、と連絡が入る。
前日の呼びかけにもかかわらず、
参加出来なかった新日本プロレス選手、仲間から、多くのオモチャや遊び道具が集まる。

しかし、これが予想外の大荷物で人が乗れない事体になろうとは・・・・

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座席を潰して積み込んだ荷物の山を、崩れないよう押さえる、の図。

果たして、全員乗れるのか?
ようやく被災地へ出陣。

何かしなければと思いながら時間が過ぎてしまった。

そんな思いを持つ仲間とバスに乗り合わせて向かっています。

ファイティングエイドの同志、甲斐先生。
バスを用意してくれたはくとも輝氏。
整骨院の仲間。
仕事仲間。
患者さん。
中西学選手、高橋広夢選手。
ミヤマ仮面、チビミヤマ仮面。

仲間から寄付してもらったいろいろの物資。
仕事関係から提供してもらった品々。
新日本プロレス選手から集まった子どもたちへのオモチャ。

それらを載せて、
バスはギュウギュウだけど、
思いと心も載せて、
宮古へ向かいます。

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そろそろ報道側が動き出した。
遠まわしではあるが、2011年4月6日、東京新聞の【世界の街から】にこんな記事が。

ミドルタウン 米原発事故経験者は

 赤茶けた小さな新聞の切り抜きの束は、すべて地元紙に載った乳幼児の死亡記事だった。米東部ペンシルベニア州ミドルタウンで、スリーマイル島原発事故が起きた一九七九年から八三年まで計百五十枚。多いか少ないかは判断しかねるが、原発近くに住み、当時世界最悪といわれた事故を経験したヘレン・ホッカーさん(84)にとっては無視できない数だ。

 その後も近所の親類や知人が次々に甲状腺がんなどで亡くなり、八六年には当時四十歳だった最愛の長女を胸腺がんで失った。

 「とても尋常とは思えない」と、州都ハリスバーグや首都ワシントンでたびたび危険を訴えた。行政側の対応はなしのつぶてだったが、原子力規制委員会(NRC)のあるメンバーがホッカーさんの同僚に「運動を絶対にやめるな。事故はまた起こるから」と、ささやいたのが忘れられない。

 その通り八六年にはチェルノブイリ事故が起き、今は福島第一原発の悲惨な事故の映像が毎日テレビから流れてくる。だが、のどかな街で福島とスリーマイル島の悪夢を重ね合わせる人は少ない。

 「近所には、いまでも私たちが訴えることを信じようとしない人がいる。特に若い人たちはね」とヘレンさん。

 事故を経験していないからだろうが、経験してからでは遅い。 (岩田仲弘)

東京WEB
world/worldtown/CK2011040602000196.htmlhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/

柴山哲也も毎日つぶやいているし、ラジオからも、新聞からもチラホラと。

一見遠回しな表現から何を読み取るか。
経験せずに学ぶには何が必要か。

想像力である。

距離と時間は我々から想像力を失わせる。

想像力を持つこと。
それが一番大切。






歌はその人に必要なときに心につきささる。

清志郎はこんな詩を歌っていた。

RCサクセション サマータイムブルース~LOVE ME TENDER
http://www.youtube.com/watch?v=aJdMa1VI0do&feature=player_embedded#at=533

そしてこの詩が心に響く。

ウクライナ美女が"千と千尋~"主題歌を熱唱 Nataliya Gudziy sings "Spirited Away"
http://www.youtube.com/watch?v=ry_WACFd8Ds&feature=player_embedded

なぜもっと早くに耳を傾けなかったのか。
繰り返しになるが、公式なデーターの裏には、認められなかったデーターが数多く存在する。
彼らの声は、時にドキュメンタリーや書籍として取り上げられることもあるが、多くは闇に潜む。
特に保障問題がからむときは裁判で認められることは少ない。
医療問題は時に、専門の研究者よりも町医者の声に真実の多くがあることもある。

以上を踏まえてこれをどうみるか。


英ガーディアンJohn Vidal氏による論説記事を紹介しているブログより。
http://masahirono.seesaa.net/article/193901894.html?1301760086

一部翻訳を抜粋します。(全文はリンク先を見て下さい)

私はむしろロシア科学アカデミー会員で、ゴルバチョフ大統領のアドバイザーであったアレクセイ・ヤブロコフ(注4)の言葉のほうを好む。「もしあなたが(放射線による)『直ちに害はない』という言葉を聞いたなら、出来る限り遠くに、出来るだけ早く逃げるべきだ。」

5年前、私はウクライナとベラルーシ国境にある、まだ高度に汚染された地域を訪れたことがある。そこには、1986年4月26日にチェルノブイリからの放射性煙が降下した。私は、主席科学者のジョン・ベッディントン(注5)やジョージ・モンビオ(注6)のような環境主義者やそのほか放射線の危険性を軽視している評論家たちに対して、あの大きな原発事故の影響のもとにとりのこされている医師、科学者、母親、子供、そして村民と話してみろといいたい。

それは残酷だった。私たちは、病院から病院へと、汚染された村から村へと渡り歩いた(注7)。私たちは病棟で、奇形で、遺伝的に変異した赤ん坊たちを見つけた。家でみじめな病気を煩っている子供を見つけた。成長障害で小人症の胴体をもつ青年たちをみた。足や指がない胎児を見つけた。そして、村民達は、かれらの家族は全員が病気を抱えていると言った。

これは事故から20年後のことであったが、私たちは、稀な骨癌患者が集団発生しているとも聞いた。ひとりの医師は、涙を流しながら、その同じ地域で、3人に一人の妊娠が奇形であり、免疫・内分泌系の病気をかかえた患者を前に精神的に押しつぶされそうだともいう。他のものは、この最も汚染された地域から遠く離れたところで、母親の母乳からセシウムとストロンチウムがいまだに検出され、食物連鎖中にまだ多量の放射性物質があるという.村々は、「チェルノブイリのネックレス」(甲状腺癌の印、注8)はあまりに普通にみかけるため目立ちさえしない。そして多くの者が早期老化の兆候を示していた。

この大災害に直接取り組んだ医師と科学者たちは、国連国際原子力機関(IAEA)チェルノブイリ部会の「公的発表の」被害者数である、(直接的な)50人死亡と最終的な4000人の死亡は、侮辱的であり、ひどく単純化したものだと言った。ウクライナ放射線科学センターは、小児の死亡率が事故後20-30%増加したと見積もっていて、このデータが有名科学雑誌に載っていないという理由で国連に受理してもらえないと言った(注9)。

チェルノブイリからの放射線の影響について東ヨーロッパからの数千の研究があるが、そのうちほんの幾つかしか国連には受理されていない。そして、被害の全体数を評価するための国際研究はほんの少数しか行われてこなかった。研究結果は様々であり、原子放射線の影響についての国連科学委員会(注10)の研究では、57人の直接死亡と推定4千人の発癌という結果だが、核戦争防止国際医師会議(注11)によれば、甲状腺癌だけでも1万人以上が発病、さらに5万人にこれから影響がでてくると見られている。

さらに数字は大きくなる。緑の党欧州議会議員のための2006年報告書によれば、6万人もの死亡に因果関係が推測されるとした。グリーンピースは、52人の科学者の科学的証拠に基づいて、9万3千人の死亡と末期がん発症を引き起こし、おそらく将来この数に加えてさらに14万人が発症・死亡すると見積もられている(http://www.greenpeace.org/international/en/news/features/chernobyl-deaths-180406/)。他のデータでは、ロシア医科学アカデミーが2006年に21万2千人がチェルノブイリの直接的な影響で死亡したと宣言した。

2006年の終わりには、ヤブロコフとその二人の同僚により、事故後の世界的な出生数減少とがん患者の増加の要因として、98万5千人のひとびとがこれまでに死亡、環境が壊滅的打撃をうけてきた、という研究をニューヨーク科学アカデミー年報誌に発表した(http://www.nyas.org/Publications/Annals/Detail.aspx?cid=f3f3bd16-51ba-4d7b-a086-753f44b3bfc1)。こうした知見はWHOおよび産業界からはほぼ完全に無視されてきた。


そしてこのような内容に近いことを、NHKは2006年4月16日(日) 午後9時から9時49分の総合テレビ「汚された大地で~チェルノブイリ 20年後の真実~」でとりあげていたらしい。
今でもNHK ONLINEで見ることができるとのこと。

一方、福島原発の事故が起こった後、 NHK は「このくらいの放射線なら大丈夫だ」という放送を繰り返してきた。

もちろんこれらが真実かどうか調べる術は私にはない。

さて、どうとらえるか?
何が真実か?

ちなみに、ドイツ気象サービスでは、その日の放射線物質飛散シュミレーションを公表しています。
行動する際の参考にするとよいでしょう。
http://www.dwd.de/bvbw/generator/DWDWWW/Content/Oeffentlichkeit/KU/KUPK/Homepage/Aktuelles/Sonderbericht__Bild5,templateId=poster,property=poster.gif

世の中のお父さん、お母さん、悩むことでしょう。

くれぐれも自分の判断で行動し、将来、後悔しないような選択になることを願っています。






健康には相乗効果というものがある。

単品で栄養を摂取しても効果があまりないが、いろいろなもと合わせて摂取することにより身体に効果を及ぼす。

逆もまたあり。

単品では影響がそうでもないが、他の影響と混じると、悪い反応を身体に引き起こす。
薬の飲み合わせもそう。

一年摂取しても、一年過ごしても問題ないとされる放射線の基準値。
しかし我々は放射線だけを浴びて暮らしているわけではないのだ。
健康に害を及ぼすレベルではないとされる量の農薬。
健康に害を及ぼすレベルではないとされる量の添加物。
健康に害を及ぼすレベルではないとされる大気汚染。
そして、酒やたばこ。
飛行機にも乗る。
病気になればレントゲン検査。CT検査。
副作用があるかもしれない薬。

我々は日常、健康に害を及ぼすレベルではないとされる量の、もろもろに囲まれて生活している。

それらが組み合わさったときの身体に及ぼす影響は?
放射線の高い環境はそれらのリスクを高めるか?
そして、ちりも積もれば山となる。

レントゲンと比べたり、たばこより発ガン率が低いと発言したり。
それは単独でのこと。

単独ではたしかに影響のないレベルを証明できたとしても、
多数組み合わさったときの影響は証明できない。
証明できないのだから、影響はない。
これが世の中の事実。

現代社会にガンが増えた理由は一つだけではない。
チェルノブイリ原発事故と日本のガン死者数の関連を指摘する研究もある。
しかしその関連性は証明されることはない。
核実験の頃の大気の放射線量が発生率に影響しているとは誰も証明できない。
被爆が原因かもしれない病気も、認定されない限りは、公式のデーター数には反映されない。
公害による病気も認定されないもののなんと多いことか。

世の中に起こる病気と結果、その様々な原因の関連性を全て調べることは難しい。

今が、後世の研究者の研究対象にならなければ良いのだが・・・


何度でも言います。
子供を守るのは大人の責任です。
今騒がなくていつ騒ぐのか。
今知識を得ずしていつ得るのか。
今の子供たちが病気になってからでは遅いのです。
武田邦彦ブログhttp://takedanet.com/わかりやすく解説しています。
一読を。