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古きイタリアワインの魅力を読み解く

イタリアンワインガイド ガンベロ・ロッソ 1988-1989
イタリアワイン界に多大な影響を与えるガンベロ・ロッソ Gambero Rossoですが、この初期(1988や1989当時)のレアなイタリアワインと古酒の数々を、掘り下げて解説します。

Vini d'Italia 1989 Gambero Rosso Vol.92

Aldo Conterno-Barolo Riserva Granbussia 1982 その2

 

前回の続き、まずは①②の注釈から。

 

①色・薫り・味の官能試験(試飲)をクリアし、一定条件を超えた場合のみ生産。

ベースワイン割合のRomirasco70%、Cicala15%、Colonnello15%は変動あり。

②Granbussia生産年:71,74,78,82,85,88,89,90,95(RF導入),96,97,98,99,00,01,05,06,08,09。

 

Aldo Conternoの畑地図と写真を載せました。地図の赤丸がAldo Conternoのカンティーナ場所です。写真の青・黄・緑・赤点が各クリュ場所になります。

 

さて、Aldo Conternoが息子達に薦められて導入したロータリーファーメンター(RF)に関して少しだけお書きしましょう。前回と上記のGranbussia生産年に書いた通り、1995年の収穫からAldo Conternoはロータリーファーメンターを導入し、Granbussiaにも使用しています。

1980年代後半からピエモンテを席捲したロータリーファーメンターの導入やバリックの使用を頭から否定するつもりはありませんが、Nebbioloというブドウ特性や、多岐に渡るバローロのクリュの個性を引き出すには至らなかったと思います。むしろ、ブドウの出来が悪い時や、土地条件の悪い地から収穫されたブドウを使用してワイン造りをせざる得ない場合に使用されるべき物であったと思っています。現在は行き過ぎたRFやバリックの導入に対する見直しが進み、折角高額で購入したRFを親の仇とばかりに安値で売り飛ばすカンティーナも多いのですが、それを否定し止めてしまうのでは無く、IGT用等に大いに使えば良いのにとも思っています。イタリア人、思い込みが激しく極端ですからね、でも、この思い込みの強さと極端さが、俗に言う『スーパータスカン』や『バローロボーイズ』や『オレンジワイン』『アンフォラ』を産んだと思っていますが。

 

個人的にはRF導入により磨きがかかり、導入前の『どすこい感』がなくなりバランスが良くなったと思いました。但し、私がGranbussiaに求めるのはこざっぱりと洗練された容姿では無く、胸板が厚く二の腕が太い筋骨隆々とした体躯です。特にRF導入前の1982、1985、1988、1989は忘れられません。

Granbussiaの良さは、

全体がBussiaのキャラクターで統一されており、でこぼこ感が無い。エレガント。単一クリュ物が陥りやすいキャラクターの偏りが無い。単一クリュ物に比べ、圧倒的な奥行きがある、

存在がどっしりとあり、自己主張せず、懐深く構えており、感情的な起伏が少ない。じっくり構えて対話が出来るので、時間をかければかけるほど、薫り・味での発見が多く、隅々まで細かいディテールやニュアンスを堪能できる、正に堂々とした絵画の様な一本です。

バローロやバルバレスコはブルゴーニュに例えられる事が多く、ネッビオーロはピノノワールと比較される事が多いのですが、Granbussiaを例えるなら『ブルゴーニュ最上の三つのグランクリュをボルドー赤のアプローチで混ぜ合わせ造った』という事でしょうか。それぞれ個性的なBussiaのRomirasco、Cicala、Colonnelloは単独で作品とされる出来。それを各々の性格を図りながら混ぜる%を計算し、更に優良年しか生産しないという贅沢さ。

だからこそ、上記の様な良さが感じられ、私的に偏愛される一本なのです。

 

次回はそんなAldo Conternoの人気ぶりを証明する様な、困った出来事をお書きします。

 

Barolo Riserva  Granbussia 1988 1989   バローロ リゼルヴァ グランブッシア 1988   1989

Barolo Riserva  Granbussia 1989   バローロ リゼルヴァ グランブッシア 1989

Barolo Riserva  Granbussia 1990   バローロ リゼルヴァ グランブッシア 1990

Barolo Riserva  Gran Bussia 2009    バローロ リゼルヴァ グラン ブッシア 2009

Aldo Conterno  アルド・コンテルノ カンティーナ内

Vini d'Italia 1989 Gambero Rosso Vol.91

Aldo Conterno-Barolo Riserva Granbussia 1982 その1

 

今回は私の偏愛的な一本、Aldo ConternoのGranbussiaです。

2019年10月31日から4回に渡って掲載したA.Conterno。ご存知の通り、Aldo Conternoは1969年にGiacomo Conternoから独立、Monforte d’Alba内の既存カンティーナTenuta Favotを購入して設立されました。

GranbussiaはVigna Romirasco、Vigna Cicala、Vigna Colonnelloのマルチミックスであり、多種多様な他村のクリュのマルチミックスではありません。極めてコンパクトな造りながらしっかりとした奥行きがあり、今も昔も抜栓時間を調整しないとうんともすんとも言わない。

瓶熟による経年変化期間もたっぷりと要し、このGranbussia1982を美味いと思ったのは実に15年後の1997年です。

 

Poderi Aldo Conterno(Monforte d’Alba)

創業:1969~(Tenuta Favotの買収年)、

創始者:Aldo Conterno(2012年没)、

現オーナー:Conterno兄弟(Franco, Stefano e Giacomo)、

オーナー業務:Franco Conterno、

エノロゴ:Stefano Conterno、

アグロノモ:Edoardo Monticelli、

運営担当:Giacomo Conterno

 

Barolo Riserva Granbussia (Bussia内3クリュからのセレクション。優良年のみ生産)

生産初年度:1971~ 注釈①、②

年間生産量:Mg/493本、750ml/6985本(1982当時)、

使用ブドウ:Neb100%【クローン:Michet(台木:420A)、Lampia(台木:Rupestris du Lot)】、

畑:Vigna Romirasco(割合70%、1.5h、南だれ、海抜440m、Guyot、3200本/h),

Vigna Cicala(割合15%、1.75h、南だれ、海抜440m、Guyot、3200本/h),

Vigna Colonnello(割合15%、1.0h、南だれ、海抜440m、Guyot、3200本/h)、

樹齢:各畑から最高樹齢のものからの選抜。50年以上の樹齢が多い、

土壌性質:石灰、マール、トルトニアン、砂質、

収穫法:手摘み、畑にて最高樹齢の樹からのみセレクションする、

resa:65~70qli、

ファーマ容器:ロータリーファーメンター(取材当時)、自動温度調整、

ファーマ&マセ日数:30日間、

ファーマ温度:最高32℃、

マセ容器:INOX、

熟成容器:スロヴェニアンオークの大樽、古くはGAMBA、最近はF.Stockinger、

熟成期間:最低8年6ヵ月以上、

 

注釈①②の解説を含め、次回から詳しくお書きします。

 

アルド コンテルノ バローロ リゼルヴァ グランブッシア 1982

グラン ブッシア 1974

Gambero Rosso  Vini d'Italia 1989 解説

右側にアルド・コンテルノのカンティーナ場所
水色点がロミラスコ、黄点がチカラ、赤点がコロンネッロ、緑点がブッシア・ソプラーナ

アルド・コンテルノのカンティーナ全景

アルド・コンテルノの畑地図。赤丸がアルド・コンテルノのカンティーナ場所

Vigna Romirasco   ロミラスコ畑

Vigna Cicala チカラ畑

Vigna Colonnello  コロンネッロ畑

Vini d'Italia 1989 Gambero Rosso Vol. 90

Distillati&Liquori di Gualtiero Marchesi

特別編:Duca di Salaparuta-ALA

 

マルケージのワゴンからハードリカー系のご紹介をしましょう。今回はALAです。

Duca Enricoの時、ちらっとご紹介しましたね。

隣り合うテーブルのワインを注ぎ間違え、お詫びでご提供した加糖された薬草酒の一種です。

 

ALA。Antico Liquorvino Amarascatoの頭文字なので、最近は(正式に)全て大文字表記されますが、60年代中頃まではAlaと表記されていました。古来よりシチリアに伝わる甘口ワインの製法の一つをベースに、Duca Enrico、つまりEnrico Alliata自らが奥様Sonia de Ortusarの為に1900年初頭に考案・作成したとされています。特に彼女が好んだチョコレートに合う様に調合されていたので、我々ソムリエはチョコレートに合わせるワインとしては鉄板の扱いでした。

Corvo Rossoと同じくシチリアの土着ブドウ品種をベースとした赤ワインを大樽で7年以上熟成させ、マラスカ(ブラックチェリーの一種、マラスキーノの原料)葉のアンフュージョンと糖分(ごく初期は濃いマラスカ果汁)を加えて造られます。当然の事ながら詳しいレシピは門外不出です。

 

抜栓時のチェリーの薫りは鮮烈。甘くほろ苦く、後味や余韻も非常に長い。澱が少ないので、Portoの様にペーパーフィルターやネル使用でのデカンタージュが必要ありません。コルクはハードリカーコルクだったと記憶。べたつかず、パンスで挟み開ける事はありませんでした。但し、酒精強化ワインでは無いので、個人的には開栓後には一週間以内で販売する事をお勧めします。

 

製法・味などは決して一般的ではないこのワインですが、マルケージでは以前ご紹介したAnghelu Rujuと共に大量に発注し販売しました。当時のマルケージのデザートは、はっきりとした個性的な品が多く、以前ご紹介したTre gusti per un dolce(チョコムース&コーヒームース&ヴァニラムース)やフォンダンショコラ。極め付きはAbbinamentoとしては捻り技のDoppio Panettone(通常の倍以上のフルーツなどを混ぜ込んであるPanettone。マルケージ曰く、オリジンはこの私だ、との事)などに良く合うのです。通常のMoscatoでは太刀打ちできない味の濃さのDoppio Panettone。チョコがけやチョコチップ入りの場合は殊更良い相性です。

更に、マルケージではレストランでのワインリストのみならずバーリストにも掲載してグラスで提供していました。グラス売り用のボトルには底部に開栓日のラベルを貼り管理していました。バー横には暖炉があり、秋~初春は火が灯ります。暖炉前でALAを一杯やりながらチョコレートを齧る、特にModicaとは相性抜群。Modicaの風味が口内に長く残っている間にALAをキュッとやりつつショートシガーなどを燻らせれば、しばし陶然となります。冬の時期、是非お試し下さい。

 

ご来店する度に毎回ALAを一本丸々お召し上がりになるご夫婦、Duca Enrico時にご紹介した注ぎ間違いのカップル二組、Modica、他にも沢山の想い出があり、今でもそこそこ大きかったマルケージワイン倉庫のどの場所がALAの棚だったかを鮮明に覚えています。上記の理由でNatale期間にはDoppio Panettoneと共にALAがバカ売れし、調子に乗っていたら見る間にストックが無くなり、Natale前に売り尽くし、倉庫内の空っぽのALA棚を前に茫然としている私。

懐かしいマルケージワイン倉庫内部写真を数枚載せました。グラグラする執務用の机前がALAの場所。Natale時期はホントにすっからかんでした。

良いワインには良い想い出が一杯なのですがね。

 

この項 了。

 

Ala  オールドボトル

モディカ チョコレート

シチリア 世界遺産であるモディカの街並み。

ミラノ モンテナポレオーネに在った、フードブティック グアルティエロ・マルケージで販売していたチョコレートの数々。

ブティックの立ち上げとオープニングレセプションは大変でした

マルケージ考案の『ドッピオ・パネットーネ』 。麻紐とごわごわした包装紙が乙。

マルケージ バー棚。上段左端からBarolo Chinato、ALA、Anghelu Ruju

マルケージ セラー内写真 一枠で22~24本入れます。写真はピエモンテ赤の場所。
例えば中央左にはSSLorenzo1989が22本ありますね。

こちらはブルゴーニュ赤とローヌ赤。ラ・ターシュやルーミエのボンヌ・マールが読み取れます。

白ワインとフランチアコルタ&シャンパーニュセラー。奥に執務用の机があります。その前がALAの場所でした。

Vini d'Italia 1989 Gambero Rosso Vol.89

Cantina Sebaste (Sylla Sebaste)-Barolo (Riserva Bussia) 1984 その2

 

前回の続き、Sebasteの歴史です。

“dama di Langa” ランゲの貴婦人ことSylla Sebaste。まだまだ男社会であった1950年代にBaroloの地を華麗に駆け抜けた彼女の貴重な写真が見つかりましたので載せておきます。彼女が逝去したのが1985年、息子のMauro Sebasteはビジネスパートナーを得、母の名を付けた法人を設立しました。Vini d’Italia1988では28歳の若さでCantina Sebasteのワイン3種にDueBicchieriをもたらし、この89年版ではRis.Bussia84で、更に90年版ではBussia85でTreBicchieriを獲得します。しかし、彼は彼が理想とするワインと、経営の為のワインとのギャップに苦しみ始め、後にMauroは実家を離れます。彼が造るワインが想像以上に高価で取引される事へ違和感を覚え決別した訳で、量産型ワインの生産を強いられた訳ではないと記録に残っています。

1991年にMauroは自分の名を付けたワイナリーを設立します。つまりこれ以降、本家は人の手に渡りながら依然生産を行い(Sylla Sebaste)、Mauroは母の教えを受け継ぎながらも自分の理想を追求するワイン造りを行う(Mauro Sebaste)という、Sebasteが二社共存する状態になります。なお、Vini d’Italia1992ではCantina Sebaste(=Sylla Sebaste)にはSebaste家ゆかりの人物は誰も残っていないと明記しています。

 

さて、表題の1984に関して。

1989年版のVini d’ItaliaではBarolo1984としか記載がありませんが、その後、それはRiserva Bussiaだったと訂正が成されます。Mauro SebasteはBussia に畑を所有していないので、この作品は現在Mauro Sebasteが経営している彼の畑からの物では無く、Mauroが離れたSylla Sebaste社の所有する畑からの作品であると判断出来ます。つまり、Sylla健在時の最晩年にBussiaから収穫されたブドウを息子Mauroが醸し、しかも最上級のRiserva Bussiaに仕立てたという、二人の最後の共作でありSyllaの遺言であり、当然の如く傑作となりました。添付写真の様に、Vini d’Italiaはたっぷり二段を使ってこのワインについて褒め称えますが、未来のMauroの旅立ちまでは予期しておらず、彼とエノロゴのDonato Lanati(Gancia出身のエノロゴ。添付したVini d’Italia89年版にはRenato Lamatiと明記していますが、いい加減な名前間違いです。黎明期のVini d'Italiaは書き間違えが多く注意が必要です)の活躍を褒めるに留まっています。

 

Mauroがいつの日かBussiaを造る日が来るのであれば、その時に漸くこのワインの真の意味での復活となるのでしょう。今回は三代目当主となる現行オーナーのBarolo Bussia(悪くありません)のテクニカルデータや畑情報などを掲載しましたが、スタイル・味などはSyllaの流れを汲んでいる訳ではありません。実はMauroが手放した後から現オーナーが買い取るまでの過渡期の間に二代目オーナーが存在したのですが、この二代目運営時に著しく評判を下げてしまい、三代目オーナーはすっかりやり方を変えなければならなかったのです。つまり、創業者の考え方・思想などは、二回に渡る譲渡の時に無くなってしまったのです。残念。

 

私の渡伊当時は既にSyllaはご逝去後。沢山の本数を生産している訳でも無く、さほど流通もされず、大手でも無いSebaste。『ランゲの貴婦人=dama di Langa』とも呼ばれ、1950年代からワイン業界に身を投じた彼女の作品、一足遅く飲めず仕舞いとは残念無念。イタリア滞在当時に成し遂げられなかった心残りの一つです。ぎりぎりのタイミングでMauroの仕込んだBussia85(90年版でTreBicchieri)を一回だけ飲めた事は幸運。堂々たる体格。優良年でもあったので、心行くまでクラシックBussiaを堪能した事だけ覚えています。

 

いつかSyllaの事も書きますね。

この項 了。

 

左から右へ新しい順 シッラ・セバステ3種、現行マウロ・セバステ2種

“dama di Langa” ランゲの貴婦人 Sylla Sebaste

Gambero Rosso Vini d'Italia1989               

Mauro Sebaste マウロ・セバステ カンティーナ 場所

Mauro Sebaste Barolo Riserva Ghe テクニカルシート

Vini d'Italia 1989 Gambero Rosso Vol.88

Cantina Sebaste (Sylla Sebaste)-Barolo (Riserva Bussia) 1984 その1

 

ランゲの貴婦人=dama di Langa、Sylla Sebaste。このカンティーナは現状を書き表しにくい。実は後継ぎのMauroは実母Syllaの逝去後に、実家であるSylla Sebasteから独立して別カンティーナを経営しているのです。Mauroが実家の経営権を譲渡した結果、現在はカンティーナ名に女傑・Sylla Sebasteの名を遺したまま、Sebaste家とは全く別の人物が運営しているのです。

 

設立年:1985(旧オーナーSylla Sebasteの逝去後、二代目オーナーに譲渡された年)

オーナー名:Fabrizio Merlo(2000年~、三代目のオーナー。二代目オーナーとの間に血縁関係は無い)、

エノロゴ:Ugo Merlo、

アグロノモ:Franco Dott. Domenico

生産初年度:1950年代(度重なる所有者変更により詳細年不明。なお、現所有者は2000からの経営となる)、使用ブドウ品種:Neb100、

年間生産量:5000本(2012年)、

畑土壌性質:中程度の粘性、アレナリエ・ディアーノ・ダルバ砂岩と砂の影響を強く受け、サンタガタ・マルヌ粘灰土の地層からはカルシウム分が多い地層の影響を受ける、

畑展開方位:南~南東だれ、

樹齢:2001年に植え替え、

収穫方法:手摘み、

ファーマ容器:INOX、

ファーマ温度:28℃、

ファーマ&マセ日数:15日間、カッペッロ・ソンメルソ実施、

ルモンタージュ:一日複数回、

マセ温度:18~20℃、自動調整、

マロ:実施、

熟成容器:オーク中型樽、

樽齢:混合、新樽率30%、他1~2年あり、

トースト:中程度、

熟成期間:36ヵ月、

瓶熟期間:15ヵ月以上

 

次回、Sebasteの過去と現在をご説明します。

 

オールド バローロ セバステ

現行品 バローロ ブッシア シッラ セバステ

現行 シッラ セバステ カンティーナ 場所

Vini d'Italia 1989 Gambero Rosso Vol. 87

Ruffino-Cabreo Il Borgo 1985 その2

 

Cabreo Il Borgo 1985、前回の続きです。

 

Ruffinoは1877年にIlario&Leopoldo Ruffinoにより創業されますが、1911年にFolonari一族によって買収されます。Folonari一族はその後、Ruffinoとは別に経営されていたTenute del Cabreoを1967年に、Tenuta di Nozzoleを1971年にそれぞれ買収し、Ruffinoと併せて一大ワイン企業と成長します。Ruffinoとして多産且つ良質なワイン造りを行いながらも、Tenute del CabreoとTenuta di Nozzoleに莫大な投資を行い、両ブランドラベルをトスカーナにおける多産型高品質ワインの筆頭として大成功させます。

今回ご紹介しているCabreo Il BorgoはSvベースにCSを混ぜるスタイルは私の大好きな構成を採用しています。同一ブランドのCabreo La Pietraである樽熟シャルドネと併せ、何かと重宝していた白赤です。共に価格の手頃さや安定供給等も含め、1980年代から2000年に至るまで、日本でも活躍した言う事無しの一本でしょう。

 

1999~2000年にFolonari一族の中のAmbrogioと Giovanniが分立します。その時に彼らが譲り受けたカンティーナの一つがTenute del Cabreoでした。我々お馴染みのワインで言えば、Chianti Classico Ducale OroやBrunello di Montalcino Il Greppone Mazzi、SantedameはRuffinoに残りますが、CabreoやNozzoleは新会社Tenute Folonari(Ambrogio e Giovanni Folonari)に移りTenuta la Fugaなどと共に新しいポートフォリオを構成し、Ruffinoとは袂を分かちつつ販売されています。

Cabreo。紆余曲折を経てもまだまだ人気で販売中。今でも元気に活躍している姿を見ると嬉しくなります。

 

さて、昔懐かしいラベルのボトルを他社のワインも含め掲載しました。呼称が使用されなくなったPredicato名も載っています。

4種類のPredicato、まだ全て覚えていますか?

 

使用されているブドウとレギュレーションは?

各々代表的なワインは?

 

Predicato di B______:レギュレーション/Sv+最低?%のCS、代表的なワイン名/Cabreo Il Borgo、M_______

Predicato(Capitolare) del M____________:レギュレーション/Chardonnay、代表的なワイン名/?

Predicato del S_____________:レギュレーション/?、 代表的なワイン名/?

Predicato di C________:レギュレーション/?、 代表的なワイン名/?

 

写真をご覧になりながら答え合わせをどうぞ。

 

この項 了。

 

現行品 カブレオ イル ボルゴ フォロナーリ社のラベルです

現行品 カブレオ イル ボルゴ テクニカルシート

Predicato di Biturica  Mormoreto モルモレート

この時代を席捲した樽熟シャルドネ 三英傑

Predicato del Muschio  Cabreo Vigneto La Pietra カブレオ ラ ピエトラ

Predicato del Selvante  Vergena  ヴェルジェーナ

Predicato di Cardisco  Coltifredi  コルティフレーディ

Vini d'Italia 1989 Gambero Rosso Vol. 86

Ruffino-Cabreo Il Borgo 1985 その1

 

スーパータスカンの先駆者、Cabreo Il Borgo1985がTreBicchieriを獲得。

この時代、このワインをイタリア赤の基準として方も多かった事でしょう。

当時はRuffino、今は違う会社からの販売となっていますが、それも含めて解説します。

 

Cabreo Il Borgo 

生産初年度:1982、

生産本数:約90,000本、

使用ブドウ品種:Sv70,CS30、

畑名:Tenute del Cabreo内、Vigneto Il Borgo、

畑面積:12h、

畑展開方角:東~西だれ、

畑海抜:300~350m、

土壌性質:シルト、更にガレストロとアルベレーゼを含む※、

栽培方法:Cordone Speronato、

密植度:4500株/h、

樹齢:20年、

resa:60qli、一株当たり1.3㎏、

収穫法:手摘み、

ファーマ容器:INOX、

ファーマ温度:28~32℃、温度調整プラント付き、

ファーマ日数:7日間、

マセ日数:7~15日間、

ルモンタージュ:実施、他パンチングダウンも実施、一日数回実施、

マロ:実施しない、

熟成容器:アリエとトロンセのバリック、225~228l、

樽齢:新樽~3年目、

熟成期間:樽内で10~14ヵ月間、他瓶詰前にINOXにて4カ月間、

清澄:卵白、

※シルト:沈泥質。砂より小さく粘土より粗い砕屑物により構成される土壌。

ガレストロ:トスカーナ特有の石灰質を帯びた粘土の瓦礫土壌。

アルベレーゼ(別名コロンビーノ):炭酸カルシウムを多く含む泥灰土の岩石土壌。

 

次回は歴史をご紹介します。

 

カブレオ イル ボルゴ オールドボトル

現在のカブレオの場所 オーベルジュになっています

 

Vini d'Italia 1989 Gambero Rosso Vol.85

Distillati&Liquori di Gualtiero Marchesi

Montenegro S.r.l.-Vecchia Romagna Etichetta nera

Buton-Qualità Rara Riserva Jean Buton

 

今回はマルケージのワゴンからハードリカー系を一本ご紹介しましょう。

余りにも有名な、あのイタリアンブランデーにしましょうか。イタリア全土どこのBarでも置いてある、三角形ボトルブランデーですが、なかなかこれの誕生した背景などは知らない人が多いのでは。次いでレアボトルまで。

 

1820年、ナポレオン一世宮廷付きのマスターディスティレーター、Jean Boutonは故郷のフランス・シャラントを後にし、故郷と気候・土壌条件が良く似たイタリア・ボローニャ近郊に本拠地を構えます。自身の名前をイタリア風にJean BoutonからGiovanni Butonへと改め、共同経営者として貴族のFilippo Sassoli de’ Bianchiの助力も得て、イタリア初となる蒸留酒製造所を開きます。

蒸留酒を造るに当たり、ブドウ品種は故郷に倣いユニ・ブラン=トレッビアーノを使い、フランス仕込みのテクニックでブランデー造りを開始しました。1939年、彼はたまたま見本市会場で見つけた、形が印象的な三角形ボトルを採用し、『コニャック・ブトン』の名前を『ヴェッキア・ロマーニャ』と改めたところ大ヒット商品となり、瞬く間にイタリア全土に広まりました。

今回は堂々と『コニャック』と表記されている初代ボトルを載せておきます。勿論、現行法では名乗れません。

 

Butonと言えばリキュールも有名でしたね。コカ・ブトン、ヴェルモットのロッソ・アンティーコは絶品です(昔のリキュールは何故こうも美味いのか。最近はなかなか良品に巡り合いませんね)。紆余曲折を経てButon社は1993年にディアジオの経営になりますが、1999年にはAmaro Montenegroで有名なGruppo Montenegro(同じく本社はボローニャ)に吸収されます。現在Buton社は解散され、各々のブランド名を残したままMontenegro社で生産が続けられています。現在Vecchia RomagnaはMontenegro社の工場(Bologna 南部Zona Predosa)とは別に、1970年に建設されたボローニャ東部のSan Lazzaro工場での生産が続けられます。何れも掲載した写真をご覧ください。

 

現在のポートフォリオでは3種類のVecchia Romagnaが存在します。Classica(1年以上)、Etichetta Nera(3年以上)Riserva(10年以上)。他にも数種の熟成年違いと創設者Giovanni Butonの名を付けたQualità rara riserva Jean Butonがあります。Qualita Raraは創業150周年を記念して、1820~1970の原酒をセレクト(原酒割合などは非公表)。150周年にかけて1500mlのマグナムボトルなので、サービスしやすい様にシルバーのパニエ付き。1977年に証明書付きでリリースされ、マルケージではこのマグナムボトルをサービスしますが、実は想い出が多いのは、三角ボトルEtichetta Neraの方です。

 

この三角ボトル、イタリアを旅行した人は勿論、イタリアで働いていた人には懐かしい一本では?これを観ると、お客様の事よりも、一緒に働いた仲間の顔を想い出します。どこでも買え、さほど懐は痛まず、外のBarで一杯飲むのもこれかな。いい具合に酔え、寮では仲間と回し飲みながらバカな事をしながらの毎日。

フランス人のパティシエGuillaumeは、自分の寮室内に、私が上げたワイン木箱に寮部屋のドアを外して渡しかけて机を造り、ターンテーブルとミキサーを乗っけて夜な夜な楽しんでいました。Vecchia Romagnaをラッパ飲みしながら、爆音で。

Vecchia RomagnaのHP  https://www.vecchiaromagna.it/ では、冒頭にそんな動画が流れますが、25年前に体験済、と言いたくなります。しかもこちとらルレ・エ・シャトー&ミシュラン三つ星施設内でのクラブ騒ぎだぜ。

我々の寮の二階上はかなりの値がするツイン部屋でした。当時お泊りの方々は、さぞやお困りの事だったろうと思います。

 

この項 了。

ヴェッキアロマーニャ 現行 ポートフォリオ

ヴェッキアロマーニャ ブラックラベル エティケッタネーラ

初期 コニャックラベル

クラシックボトル

ヴェッキアロマーニャ 25年物 

150周年記念ボトル

コカブトン

ヴェルモット ロッソアンティーコ

モンテネグロ 製造所 場所

 

 

 

 

 

 

Vini d'Italia 1989 Gambero Rosso Vol. 84

Montevertine-Montevertine Riserva 1985 その2

 

前回の続きです。Montevertine Riservaの立ち位置を確認しましょう。

 

Le Pergole TorteがMontevertineのポートフォリオ最上級品であり、Montevertine RiservaがChianti Classicoオリジンである事には、当時も今も間違いありません。

伝説のToscanaヴィンテージ1985では、Le Pergole TorteはDue Bicchieri、但しこのMontevertine Riserva1985がTreBicchieriを受賞するという逆転が起こっています。Sv100に拘り造られたLe Pergole Torte1985の様に、固めの酒質のワインはVini d’Italia1989でジャッジする(1985は1987~1988にリリースされ、ガンベロロッソガイド1989用の一斉試飲は1988の春~夏に行います)には熟成時間が短すぎた。元来が柔らかい酒質のConcertoやFlaccianelloはTreBicchieri受賞、一年遅らせてVini d’Italia1990にエントリーしたSassicaia1985はTreBicchieriを受賞しますが、SolaiaやPercarlo、一連のCapannelleの作品などは受賞を逃します。こうした事実を鑑みると1985は柔らかい酒質の物か、長期熟成でこなれたRiservaタイプの物が中心の受賞していると解ります。

 

1977年にLe Pergole Torte造りを始めたSergioは、それ以前の1971からChiantiも仕込んでいました。白ブドウ品種に関しては栽培するも果たして混醸していたかどうか。組合はその事を黙認していたのか或いは注意勧告していたのか定かではありませんが、1981年のChianti用サンプルを組合に送った時、組合から『もしこのヴィンテージが既に瓶詰してあるとすれば、これらはパーフェクトではない』との返答が届きます。1981はSergioの会心の作、それまでに造った中でベストの出来であると自負していた為、今回の組合からの否定的な回答に激怒し、組合からの即時脱退と今後一切のChiantiを造らずに全てVdTでMontevertine (Riserva)として出荷すると誓います。

 

では、何故Sergioは晩熟で固い酒質のSv100に拘りLe Pergole Torteを造ったのでしょう。究極のChiantiを造る為?いえ、実はSergioにとってLe Pergole Torteは『Brunelloを名乗らないBrunello』だったのです。Toscanaに惚れてワイン造りを始めたSergioですが、彼の夢は『Brunello』を作る事でした。つまり、ワイン造りの理想であり完成形としたのは究極のChiantiでは無く究極のBrunelloでした。但し、彼が間借り、後に購入出来たのはChianti地区の畑。その地においてSv100でワインを造ったとしてもBrunelloを名乗れませんが、それでも彼は、その地でBrunelloを超える存在のSv100を造り続けたかったのです(Sergioの実子で現オーナーのMartino談)。私が大好きなVecchie Terre di MontefiliのRoccaldo AcutiもBrunelloに恋い焦がれ、Sergioと同様の試みを行い、Bruno di Rocca(Roccaldo のBrunelloの意と言われる)をリリースしますが、初リリースとなる1983からSv100に拘る事無く、エノロゴVittorio Fioreの意見に従いCSを入れ(初ヴィンテージ1983はSv50&CS50)、酒質を和らげてリリースします。が、Sergioは断固混ぜ物拒否、外来種拒否。Le Pergole Torte=Sv100を頑として曲げず、その品質に納得できない場合は生産せず、SvをMontevertine Riserva等に遠慮なく回し、金に換え、次回への投資を行ってきました。その為Montevertine RiservaはLe Pergole Torteのセカンドであるというイメージが付きましたが、Le Pergole Torte=究極のBrunello、Montevertine Riserva=理想のChiantiと、そもそもの立ち位置が違うのです。

 

もしSergioがBrunello地区に農家を購入出来ていたら?

Gianfranco Solderaの様な拘り満載のワインが誕生していたでしょう。但し、Brunelloとしては生産しなさそうです。組合に所属するも、何かをきっかけとして怒って脱退し、今の様な女性の顔ラベルのワインを造っている事でしょう。

Gianfranco SolderaとSergio Manettiは共通項が多い。他地方生まれ、転職者(Solderaはミラノ出身の保険外交員、Manettiはミラノ生まれ、20歳に引越しPoggibonsiの鉄鋼業からの転身)、G.Gambelliの関与、組合と喧嘩して脱退、セラー設計に凝る等々。もちろん性格も似ていそうです。案外、意気投合したかも。見たかったですね、そんな光景。

 

何れにせよ、Manettiはトスカーナ土着品種の他のブドウ品種には目もくれなかった事は事実です。

頑固者、いいですね。

 

この項 了。

Montevertine Riservaの前身、Chianti Classico Riserva1978

Montevertine の畑

モンテヴェルティーネのカンティーナ

Gambero Rosso ガイド Vini d'Italia1989の評価

Montevertine 発行のヴィンテージチャート

Vini d'Italia20周年ガイドの評価

 

Vini d'Italia 1989 Gambero Rosso Vol. 83

Montevertine-Montevertine Riserva 1985 その1

 

Vini d’Italia1989でTreBicchieriを受賞したのはMontevertine Riserva1985です。今回は地味ながらも光る存在だったこのワインをご紹介します。

なお、2019年12月10~11日にLe Pergole Torteの1983をご紹介しましたので良ければそちらもご覧ください。

 

Montevertine 正式名称:Soc. Agricola Montevertine S.S.di S. & M. Manetti & c.、

創立年:1967、

創立者:Sergio Manetti、

現代表:Martino Manetti(Sergio Manetti,の実子)、

エノロゴ:Sergio Manetti&Giulio Gambelli→Martino Manetti&Paolo Salvi

 

Montevertine Riserva(データは1994年)

生産初年度:1981(但し前身のChianti Classicoは1971から生産されている)、

年間生産本数:10000本、

使用ブドウ品種:Sv85%、Canaiolo15%

(2000以降に名前をMontevertineに統一、Sv90、Ca5、Colorino5となる)

ブドウ畑:下記の3畑。前から順に 植樹開始年、耕地面積、展開方角、海抜

Le Pergole Torte:1968~、2h、北~北東だれ、400~450m

Montevertine:1982~、2.5h、南東~南だれ、400~450m

Il Sodaccio:1972~、1.5h、南東だれ、400~450m

畑土壌性質:メッシニアン-トルトニアン、樹木生育に適している、ガレストロ、

栽培方法:Guyot、

密植度:2600~2800株/h、

平均樹齢:30年、

resa:65qli、一株2.5㎏、

収穫法:手摘み、

ファーマ容器:15000lセメント(ガラス張り)、

ファーマ温度:温度記録無し、温度調整無し、

ファーマ&マセ日数:20~30日、

ルモンタージュ:一日複数回実施、

マロ:一部実施、

熟成:スロヴェニアンオーク800~1600lで18カ月、アリエバリック225lで6カ月、セメントタンクで混ぜ合わせた後に瓶詰め、

樽齢:不明、

 

Montevertine Riservaの85と88の写真を載せました。85のエティケッタ内容は88と変わらず。要約すると、『ブドウ品種はSangiovetoとCanaioloでブドウの選別と醸造はSergio Manettiの手により、カンティニエーレのBruno BiniとマエストロテイスターのGiulio Gambelliとのコラボによって造られた。熟成と瓶詰はFattoria Montevertineで行われた』と書かれています。前回も書きましたが、この時代はSergioの意見が絶対的であり、

Giulio Gambelliはエノロゴというよりテイスターとしての助言に留まっています。

 

Toscana1985とMontevertine Riservaを語るには、Le Pergole Torteとの立ち位置の違いを明確にする必要があります。はい、Montevertine RiservaはLe Pergole Torteのセカンドに非ず。

次回にはそこを触れつつ、Montevertine Riservaをまとめます。

 

モンテヴェルティーネ:モンテヴェルティーネ リゼルヴァ 1988

モンテヴェルティーネ:モンテヴェルティーネ リゼルヴァ 1985

セルジオ マネッティ

モンテヴェルティーネ カンティーナ 場所 黄点は新しく開拓した畑です