今日は誕生日記事を一旦お休みし、展覧会記事をアップ。
訪問記をアップすることで、興味を持たれて訪問される方が増えると嬉しいです。
開催期間は11月3日(月・祝)までです。
10月のこと、しづちゃんと六本木で待ち合わせ。
向かったのは、「東京ミッドタウン」。
ここに来れば毎回撮影する、安田侃氏の作品、「意心帰」。
何時もと違うアングルで撮影すると、全く違う作品のように感じる。
待ち合わせの場所は、「サントリー美術館」。
今日は「幕末土佐の天才絵師 絵金」展を観に来た。
昨年(2024年)7月に高知に旅した時、香南市赤岡で開催された”絵金祭り”に行ったので、”絵金”には馴染みがある。
その時の記事はこちら。
赤岡には懇意にしている高木酒造がある。
ここの日本酒の銘柄名は豊能梅と土佐金蔵。
土佐金蔵は、まさに絵金の名を冠した美味い酒だ。
高木酒造の五代目とのツーショット。
五代目は”絵金祭り”でも中心的な役割を担われている。
この日は猛暑日で、私は汗びっしょり。
土佐の金蔵(1812~76)は高知城下に生まれ、幕末から明治初期にかけて数多くの芝居絵屏風を描いた狩野派の絵師。
絵師金蔵、略して絵金さんは地元で愛された絵師で、歌舞伎や浄瑠璃のストーリーを極彩色で絵画化した芝居絵屏風は人気で、今も夏祭りの間に神社や商店街の軒下に飾られ、提灯や蝋燭の灯りで怪しく浮かび上がる絵は強いインパクトを持っている。
では、絵金とはどんな人物だったのか。
絵金は文化9年(1812)に高知城下・新市町(現・はりまや町)の髪結いの子として誕生。
同じ町内の南画家や土佐藩御用絵師に絵を学び、18歳のときに土佐藩主の息女・徳姫の駕籠かきの名目で江戸にのぼり、駿河台狩野派の土佐藩御用絵師・前村洞和の下で3年間修業する。
帰郷後、土佐藩家老の御用絵師となったが、33歳の頃、高知城下から追放されてしまう。
贋作事件に巻き込まれたとも言われている。
その後、藩内を転々とし、赤岡(現・香南市赤岡町)の叔母の家に一時滞在していたと伝えられ、赤岡に多くの芝居絵屏風が残されている。
明治9年(1876)、数え65歳で他界。
第一章 絵金の芝居絵屏風 (写真撮影禁止)
高知県には絵金の芝居絵屏風類が約200点現存している。
ここでは高知県香南市赤岡に保存されている芝居屏風絵を中心に、32点が展示されている。
以下、代表作3点をアップ。
写真撮影禁止だったので、”絵金祭り”の際に撮影した画像を使用。
「伊達競阿国戯場 累」(だてくらべおくにかぶき かさね)
「伽羅先代萩」の名称で上演されることが多い人気の演目。
この右の女性がポスターに使われている。
「花衣いろは縁起 鷲の段」(はなごろもいろはえんぎ わしのだん)
子供が鷲にさらわれ、苦労の末に再会を果たす物語。
「浮世柄比翼稲妻 鈴ヶ森」(うきよづかひよくのいなづま すずがもり)
左は白井権八、右は幡随院長兵衛。
白井権八に切り捨てられた雲助たちの死体が散らばっている凄惨な場面。
第二章 高知の夏祭り (一部写真撮影可)
絵金の芝居絵屏風を神社の夏祭りに飾る風習は幕末から続き、今も約10か所の神社で屏風を絵馬台(台提灯)に飾る昔ながらの夏祭りが行われている。
ここには朝倉神社や八王子宮の祭礼につかわれる絵馬台や、最近発見された絵馬提灯「釜淵双級巴」など、53点が展示されている。
大きな絵馬台に絵金の芝居絵が飾られているのは、高知市の朝倉神社の祭礼を再現したもの。
これが朝倉神社の祭礼の様子。
部屋の奥にあるのは、香美市の八王子宮の祭礼に使われる、手長足長絵馬台。
これが八王子宮の祭礼の様子。
八王子宮の手長足長絵馬台右側の二枚。
右:「岸姫松轡鑑 朝比奈上使」(きしのひめまつくつわかがみ あさひなじょうし)
左:「芦屋道満大内鑑 葛の葉子別れ」(あしやどうまんおおうちかがみ くずのはこわかれ)
中央:「由良湊千軒長者」(ゆらのみなとせんげんちょうじゃ)
三庄大夫に売られ、こき使われている安寿姫と厨子王。
左側の二枚。
右:「絵本太功記 杉の森とりで」(えほんたいこうき すぎのもりとりで)
左:「玉藻前曦袂 道春館」(たまものまえあさひのたもと みちはるやかた)
ここからは朝倉神社の絵馬台。
右:「伽羅先代萩 御殿」(めいぼくせんだいはぎ ごてん)
左:「仮名手本忠臣蔵 判官切腹」(かなてほんちゅうしんぐら はんがんせっぷく)
右:「嬢景清八島日記 日向島」(むすめかげきよやしまにっき ひゅうがじま)
左:「妹背山婦女庭訓 吉野川」(いもせやまおんなていきん よしのがわ)
この二枚は絵金の作品ではなく、弟子の河田小龍作。
右:「加賀見山旧錦絵 鶴岡八幡」(かがみやまこきょうのにしきえ つるがおかはちまん)
左:「伊賀越道中双六 岡崎」(いがごえどうちゅうすごろく おかざき)
右:「近江源治先陣館 盛綱陣屋」(おうみげんじせんじんやかた もりつなじんや)
左:「船弁慶」(ふなべんけい)
右:「敵討優曇華亀山 赤堀屋敷」(うききのかめやま あかほりやしき)
左:「蝶花形名歌島台 小坂部館」(ちょうはながたまいかのしまだい おさかべやかた)
夏祭りのもうひとつの風物である絵馬提灯も展示されている。
行燈絵とも呼ばれる絵馬提灯は毎年新調されたため、現存作は非常に少ないのだそうだ。
「第七 六段目 勘平切腹」
高知県立美術館所蔵で、12点の「図太平記実録代忠臣蔵」の中の1点。
「第八 七段目 祇園一力茶屋」
「第九 九段目 山科閑居」
近年発見された、石川五右衛門の生誕から窯茹ででの処刑までを描いた「釜淵双級巴」、第一~第二十五(第十七は欠品)も展示されているが、撮影禁止。
第三章 絵金と周辺の絵師たち (写真撮影禁止)
ここでは、屏風、絵巻、軸物以外の絵金の作品と、絵金と深い関わりのあった絵師の作品、13点が紹介されている。
絵金夫妻の墓(高知市薊野)の碑文によると、絵金の教えを受けた弟子は数百人に及ぶとのこと。
残念ながら撮影禁止だったので、ご紹介はここまで。
赤岡の”絵金祭り”も観て、絵金についてある程度の知識を持っていたつもりだが、この大規模な展覧会のお陰で更に知見を深めることが出来た。
「サントリー美術館」を出た二人は、絵画鑑賞の疲れと喉の渇きを癒すため、ディナーに向かうことにする。
しづちゃんと過ごす六本木の楽しい夜は続きます。