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東京ブレイズ二代目社長のつぶやきブログ

世間ではあまり知られていない「ろう付」を生業に、日本の科学技術の下支えに本気で取り組んでいる、中小企業の2代目社長が日頃思った中小企業経営やろう付技術と業界、その他さまざまなことについてつぶやきます。

街中でよく見かける50CCの原動機付自転車、いわゆる原付バイクが、もう新しく作られなくなってしまいます。

 

自分も高校生で初めて原付免許を取って以来、原付50CCバイクを乗り継ぎました。速度メーターが70㎞/hまであった旧ジョグ、カッコ良く速かったけど燃費が悪かったチャンプ、油圧サスが斬新だったDJ1、メットインが画期的だったDio。なつかしいですね。

 

日本の道路を支えてきた原付バイクの歴史は、戦後の高度経済成長期にさかのぼります。当時はまだ車が一般的ではなかった時代、手軽で安価な移動手段として、ホンダのスーパーカブやヤマハのメイト、スズキのバーディーといった実用的なバイクが爆発的に普及しました。

 

その後、1980年代には若者文化の象徴として、より個性的でデザイン性の高いモデルが登場。スクータータイプが主流となり、通学や通勤、買い物など、私たちの生活に欠かせない存在となりました。

 

しかし、時代が進むにつれて、人々の移動手段は多様化していきます。自動車の普及、鉄道網の整備、そして自転車や電動アシスト自転車の進化。原付バイクの需要は徐々に減少し、市場規模は縮小していきました。

 

そして、今回の50CC原付バイク製造中止の最大の理由が、年々厳しくなっている「排出ガス規制」です。地球環境への配慮から、自動車やバイクから排出される有害物質の量を抑えるための規制は、世界的に強化されています。日本でも、2020年に「令和2年排出ガス規制」が導入されました。

 

この規制をクリアするためには、エンジンや排気システムに高度な技術とコストを投入する必要があります。しかし、市場規模が縮小している50CCの原付バイクに、膨大な開発費用をかけることは、メーカーにとって大きな負担となってしまいました。そして、この厳しい現実に各メーカーは50CC原付バイクの新規生産を断念せざるを得ないという決断を下しました。

 

50CCの原付バイクは製造中止となりますが、完全に日本の道路から消えるわけではありません。現在、各メーカーは、原付一種の代替となる新しいカテゴリーの開発を進めています。その一つが、電動バイクです。モーター駆動なので排出ガスはゼロ。充電設備やバッテリー性能の向上など、課題は残るものの、環境に優しい次世代の移動手段として期待されています。

 

でも何だかさみしいですね。これも世の中の流れと技術の進歩の結果なのでしょうが、自分はまた2ストロークエンジンの原付バイクに乗ってみたいです。

 

スクーターに乗る人のイラスト(女性)

長らく日本の気候に影響を与えてきた「黒潮大蛇行」がついに終息したと気象庁が発表しました。今回はこの大規模な海洋現象がもたらした影響と、今後の気候の行方について調べてみました。

 

そもそも黒潮大蛇行とは、日本の南の太平洋を流れる黒潮が大きくS字状に蛇行する現象です。この現象は数年から10年以上にわたって続くことがあり、日本の気候に大きな影響を与えてきました。

 

今回の黒潮大蛇行は、2017年から約8年間も継続しました。この間、日本各地で様々な気候変動が見られました。

 

大蛇行によって、本州の南岸から離れた場所に冷たい海水(沿岸湧昇)が湧き上がりました。これにより、特に近畿地方や東海地方では、夏に冷たい空気が流れ込みやすくなり、気温が低くなる傾向が見られました。例えば、猛暑が続く年でも、この地域では比較的涼しい夏を経験することがありました。

 

一方、大蛇行によって形成された冷水域は、冬の天気にも影響を及ぼしました。大陸からの季節風がこの冷水域を通過する際に冷やされ、上空の気圧配置と組み合わさることで、日本の南岸で発達した低気圧(南岸低気圧)が発生しやすくなりました。これにより、太平洋側の地域で大雪が降る原因となることがありました。2018年に首都圏を襲った大雪も、この影響が一部にあると指摘されています。

 

気象庁の発表によると、今回の黒潮大蛇行は終息し、黒潮の流れは元のまっすぐな状態に戻りつつあります。これにより、私たちの生活にどのような変化が訪れるのでしょうか。

 

黒潮の流れが元に戻ることで、沿岸に湧き上がっていた冷水域が消滅します。これにより、これまで冷たい風が吹き込んでいた近畿や東海地方では、夏の気温が平年並み、もしくはそれ以上に高くなる可能性があります。猛暑の傾向が強まることが予想されるため、熱中症対策がより一層重要になります。

 

また、冬には南岸低気圧が発生しにくくなるため、太平洋側での大雪のリスクが減ると期待されます。しかし、気象現象は複雑であり、これだけで全ての天候が決まるわけではありません。今後も最新の気象情報を確認することが大切です。

 

今回の黒潮大蛇行の終息は、日本の気候が新たな局面を迎えるサインかもしれません。近年、日本近海でサンマが取れなくなったり、逆にカツオが良くとれていたり、私たちの食生活にも大きな影響がありました。私たちは、この自然の大きな変化に適応しながら、これからも安全で快適な生活を送るための備えを続けていく必要がありますね。

 

アオダイショウのイラスト

 

私の趣味はキャンピングカーでの旅行です。キャンピングカー歴は13年になりました。贅沢な趣味だねと言われますが、まあ本当にそうなのだと思います。

 

今でこそ非常に高価なキャンピングカーですが、自分が買った時も確かに高価でしたが、今の半額くらいで購入することが出来ました。当時はまだまだ円高で、消費税も5%でした。それから少しずつ改良を重ね、今の形(装備や仕様)になってきています。

 

さて、キャンピングカーでの旅行の醍醐味と言えば、ホテルや旅館などを予約することなく、思いついたところで宿泊できることです。自分のキャンピングカーにはシャワー設備はありませんが、トイレもキッチンもあります。なので、お風呂はスーパー銭湯や日帰り温泉で済ませて、あとは駐車できる場所さえあれば、全てキャンピングカー内で生活することが出来ます。

 

夏場もサブバッテリーで家庭用エアコンを動かすことが出来るので、一晩でしたらエンジンを回したり、外部電源がなくても涼しく快適に過ごせます。高速道路のパーキングエリアでトラックがエンジンを回したまま休んでいたりしますが、自分はそのようなことは全くしません。

 

それでも、やはり宿泊場所として高速道路のパーキングエリアや道の駅の駐車場は利用させてもらっています。本来どちらも基本的に「仮眠をとる」ための休憩場所として開放されていますので、宿泊は禁止されています。しかし、出来るだけ迷惑をかけないように注意しながら利用しています。

 

しかし最近、一部の人たちの心ない行動が原因で、車中泊が禁止になる場所が増えているのをご存知でしょうか。一部の人たちは、道の駅の駐車場をまるでキャンプ場のように振る舞っています。駐車スペースにテーブルやイスを広げて場所を占拠したり、大声で騒いで深夜までエンジンをかけっぱなしにしたり、社外で炊事やBBQをしたり、ゴミを放置して帰るなど。

 

このような行為は、本来の利用目的から逸脱しており、他の利用者に多大な迷惑をかけてしまいます。施設側も、こうした迷惑行為がエスカレートすれば、苦渋の決断として「車中泊禁止」の看板を出すしかなくなってしまうのです。

 

私たちキャンピングカー愛好家にとって、道の駅やSA・PAは大切な旅の拠点です。この素晴らしい場所を、未来もずっと利用できるようにするために、一人ひとりがマナーを守ることが何よりも重要になります。そのために最低限、テーブルやイスを出さない、夜中まで騒がない、エンジンは停止する、ゴミは必ず持ち帰ることを心がけて欲しいです。

 

最近はRVパークと言う施設があります。そこでは電源が取れたり、ごみを回収してくれるところもあります。金額もお手頃ですので、我が家でも最近はRVパークを多用しています。

 

車中泊は、自由で気ままな旅のスタイル。だからこそ、その自由を守るために、みんなで責任ある行動を心がけたいですね。

 

キャンピングカーのイラスト

先日、妻と子供が夏休みで10日ほど帰省していました。その間、自分は仕事があったので一緒には帰省できませんでしたが、久しぶりの一人暮らしでした。とは言っても、母が一緒に住んでいるので完全には一人暮らしではありませんが、二世帯住宅の我が家ではほぼ一人暮らしを満喫することが出来ました。

 

私の一人暮らし歴は結構長いです。学生時代、大学4年生で研究室に入ってから親元を離れ、大学の近くでアパート住まいを始めました。そして大学院修士課程を卒業するまでの3年間、一人暮らしをしました。

 

学生時代は時間があってもお金がありません。当たり前ですが、炊事・洗濯何でも自分でやりました。お昼代も少しでも浮かせるように自炊してお弁当も持って行きました。要は少ないやりくりの中で、飲み代を少しでも残しておきたかったのです。

 

大学卒業後、アメリカに留学しました。当初は大学の寮に入り、食事はカフェテリアでしていました。その後ホームステイを経て、学校の友人達とシェアハウスで生活を始めました。アメリカの学生は、当時から少しでも安く住むためのシェアハウスがあたりまえでした。そこではもちろん、炊事・洗濯等何でも自分でやりました。

 

特に食事は日本食が恋しかったので、いろいろと食材を買い込んで自分で和食を作りました。もちろんお米も炊きましたし、カツを揚げてかつ丼を作ったりもしました。外食で食べるよりかなり安く美味しくできたものでした。たまに友達におすそ分けして、和食を楽しんでもらいました。

 

帰国後就職して、しばらくは実家から通っていましたが、すぐに一人暮らしを始めました。帰国後の一人暮らしは10年以上続き、当時は何でも自分でやるのが当たり前で、普通にこなしていました。

 

しかし、気付くと結婚後は炊事・洗濯、特に洗濯はほとんどやって来ていませんでした。なので、今回久しぶりに家族が帰省している間、いろいろとやったのですが、まずどこに洗剤があるのか分かりません。洗濯機の使い方も迷ってしまう始末でした。食事も食材をどれくらい買ってくるのか、どの食材がどれくらい保存できるのか、明日や明後日の献立はどうしようか。完全に感覚が鈍っていました。

 

改めて思うと、結婚してから身の回りのことを全て妻に依存していたのだと気付きました。自分は外で仕事しているからと、家のことはすべて妻任せでしたが、これではいけないと思いました。

 

もし先に妻に先立たれたら…、変なことまで考え始める始末で、少しでも家事に手を出そうとの気になりました。それにしても、妻には感謝しなければなりませんね。いなくなって初めて分かる、当たり前が当たり前ではないことを。

 

今では、食器洗いや洗濯物をたたむ作業を率先してやるようになったのでした。

 

一人暮らしのイラスト(男性)

今年は戦後80年という節目の年です。先の大戦を終えてから、もう80年もの月日が流れました。この長い時間の流れの中で、戦争を直接体験した方々は、残念ながら年々少なくなっています。それに伴い、テレビやメディアで戦争の記憶を語る機会も減ってきているように感じます。

 

しかし、今私たちはもう一度、日本の歴史と戦争について真剣に考えなければならないのではないでしょうか。戦後80年が経ち、戦争は私たちにとって、教科書の中の出来事、あるいは昔の映画やドラマの中の世界のように感じられるかもしれません。しかし、それは決して過去の遠い話ではありません。私たちが今享受している平和な暮らしは、多くの犠牲の上に成り立っているという事実を忘れてはなりません。

 

日本は世界で唯一、原子爆弾を投下された国です。広島と長崎に落とされた原爆の悲劇は、言葉では言い表せないほどの苦しみと悲しみをもたらしました。その記憶は、単なる歴史の一ページではなく、私たちが核兵器の恐ろしさを世界に訴え続けるための、かけがえのない教訓です。

 

「戦争を知らない世代」が増えることは、ある意味で平和の証かもしれません。しかし、同時に、戦争の悲惨さや核兵器の脅威に対する感覚が鈍くなってしまう懸念も抱えています。世界では今もなお、各地で紛争や戦争が起きています。これらの出来事を「遠い国の話」と捉えるのではなく、自分たちの問題として捉えるためにも、私たちは日本の歴史を学び、戦争の記憶を風化させない努力を続ける必要があります。

 

今年3月、家族で長崎へ旅行に行きました。その際に長崎原爆資料館を訪れました。どうしても子供たちに戦争や原爆の悲惨さを教えたかったのです。折しも、昨年の2024年に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞した後でしたので、特別展示もありました。

 

思いのほか、子どもたちは真剣にその展示を見ていました。外国人観光客(米軍関連の人たちなのでしょうか?)も多くいたのが印象的でした。子どもたちは、「外国の人たちも興味があるんだ」と感じたようです。その後平和公園まで散歩し、平和記念像を見てきました。

 

先日8月9日、被爆80周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典をテレビで見ました。数カ月前に訪問した場所が映し出されていて、子どもたちもすぐに画面に見入っていました。そして、一緒に黙とうをささげ、戦争が如何に悲惨で何も生み出さないかを話す機会が持てました。

 

戦争の記憶を次世代へ語り継ぐことは、私たちの使命です。私たちは、日本の歴史を知り、戦争の悲惨さを心に刻むことで、改めて平和の尊さを感じ、核兵器廃絶への思いを強くすることができるはずです。

 

このブログを読んでくださった皆さんと一緒に、改めて平和について考えていけたら嬉しいです。

 

平和祈念像のイラスト