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東京ブレイズ二代目社長のつぶやきブログ

世間ではあまり知られていない「ろう付」を生業に、日本の科学技術の下支えに本気で取り組んでいる、中小企業の2代目社長が日頃思った中小企業経営やろう付技術と業界、その他さまざまなことについてつぶやきます。

人は誰も優しい人になりたいと思っています。そして、「優しい人だよね」と言われる人は、たいてい穏やかで、誰にでも笑顔を向け、相手を否定しないように見えます。怒らず、傷つけず、波風を立てない。そんな優しさは、誰から見ても分かりやすく、好かれやすいものです。

 

でも最近、自分はこう思うようになりました。本当の優しさとは、もっと静かで、もっと深く、そして時に“厳しいもの”なのではないかと。

 

誰かが間違った方向へ進もうとしているとき、心の中で「それは違う」と分かっていながら、あえて何も言わずに見過ごしてしまう。それは“優しさ”でしょうか?その人を傷つけたくないから黙っている。確かにその気持ちも分かります。でも、本当にその人のことを思っているなら、たとえ嫌われても伝えるべき言葉があるはずです。

 

本当に優しい人は、叱るべきときに叱ってくれます。それは感情で怒るのではなく、相手の未来を信じているからこそ言う「厳しいひとこと」です。目先の関係がぎくしゃくすることを恐れず、長い目で見てその人のためになることを選ぶ。その姿勢には、覚悟と誠実さがあります。

 

親子の関係って本来はそういうことではないでしょうか。最近、親子が友達のような関係だと、自慢話のように聞くことがありますが、親子関係って本来は友達関係ではないはずです。例えで言っているだけで、親がちゃんと親としての役割を果たしていれば何の問題もありませんが…。

 

また、本当に優しい人は、「相手のために何かしてあげた」とは言わない人です。気づかれなくても構わない。見返りがなくても構わない。ただ、そっと支えてくれる。優しさをアピールしない、静かな優しさこそ、本物なのではないかと思います。

 

そして本当の優しさは、ときに「冷たく見えること」さえあります。たとえば、あえて距離を取る。手を出さない。それは突き放しているのではなく、「その人が自分の力で立ち上がる時間」を信じて待っているのです。

 

こうした“本当の優しさ”は、表面的には分かりにくいものです。気づかれずに終わってしまうこともあるし、誤解されて「冷たい人だ」と思われることさえあるでしょう。それでも、その人が本当に優しい人であることは、時間が経ってから分かるものです。

 

あるいは、人生がうまくいかなくなったとき、ふとした瞬間に「あの人が言ってくれた言葉は、本当だったんだ」と気づくこともあるでしょう。優しさとは、決して“楽をさせてくれること”ではなく、“その人が自分の力で人生を歩めるようにすること”ではないでしょうか。

 

これはとても難しく、エネルギーの要ることです。だからこそ、本当に優しい人は少なく、そして尊いのはないでしょうか。自分はまだまだその領域になっていないと思います。本当の優しい人になるべく精進が必要ですね。

 

真剣に子供を叱るお母さんのイラスト(躾)

毎年夏になるとスーパーや街角でよく見かける「土用の丑の日」の文字。うなぎを食べる日としてすっかり定着していますが、その由来や本当の意味をご存知ですか?

 

まず、「土用の丑の日」と「うなぎ」は、もともと直接的な関係はありませんでした。土用とは、季節の変わり目を示す雑節の一つで、立春・立夏・立秋・立冬の直前約18日間を指します。年に4回あり、それぞれ「春の土用」「夏の土用」「秋の土用」「冬の土用」と呼ばれます。

 

そして「丑の日」とは、十二支の丑(うし)のこと。日付を十二支で数えていくと、土用の期間中に「丑の日」が巡ってくる、というわけです。つまり、土用の丑の日は、年に複数回あるんです。しかし、一般的に私たちが「土用の丑の日」として認識しているのは、夏の土用の期間にある丑の日で、今年は7月19日(土)と7月31日(木)の2回です。

 

では、なぜ夏の土用の丑の日だけが、これほどまでにクローズアップされ、うなぎと結びついたのでしょうか?実は、この習慣を広めたのは、江戸時代の有名な学者である平賀源内だと言われています。彼が相談を受けたのは、夏にうなぎが売れなくて困っていたうなぎ屋さん。「夏場にうなぎが売れるようにするにはどうしたら良いか」と尋ねられた平賀源内は、店の前に「本日丑の日」と書いた張り紙を出すことを提案しました。

 

「丑の日に『う』のつく食べ物を食べると夏バテしない」という当時の風習と結びつけた、現代でいうところのキャッチコピーなのです。このアイデアが見事に当たり、うなぎ屋は大繁盛。これがきっかけとなり、「土用の丑の日にはうなぎを食べる」という風習が、日本中に広まったとされています。

 

平賀源内のアイデアにもあったように、土用の丑の日には「う」のつくものを食べると良いとされていました。これは、丑の日の「う」にちなんでいるだけでなく、暑い夏を乗り切るための昔からの知恵でもあります。

 

うなぎの他にも、昔から食べられてきた「う」のつく食べ物には、以下のものがあります。

 

梅干し(うめぼし): 疲労回復や食欲増進に効果的。

瓜(うり): きゅうり、スイカ、メロンなど。体の熱を冷まし、水分補給にも役立ちます。

うどん: さっぱりと食べやすく、消化にも良い。

 

もちろん、うなぎには豊富なビタミンA、B群、Eなどが含まれており、栄養満点で夏バテ防止には最適です。でも、もしうなぎが苦手だったり、少し予算が…という場合は、これらの「う」のつく食べ物で夏を乗り切るのも良いでしょう。

 

今年の土用の丑の日には、うなぎを食べましたか。そして食べる予定はありますか?今年は昨年より少し安いようですが、昨今の物価高の影響でやはり高価ですよね。そんなときは、うなぎではなく、他にスタミナのあるものを食べて、今年の猛暑も乗り切って行きましょう!

 

うなぎのキャラクター

かつての日本は戦後の焼け野原から立ち上がり、「経済大国」という目標のもとでひたすら物質的な豊かさを追い求めてきました。家電三種の神器(今の若い人は知らないだろうな)、マイホーム、マイカーなど、これらを手に入れることが「幸せ」であり、「成功」であると信じられていた時代です。しかし令和の時代、私たち日本人の価値観は静かに、しかし確実に変わり始めていると思います。

 

最近の日本人、特に若い人たちを見ていてふと感じることがあります。「何も困っていないのに、なぜか満たされない」、「夢や目標が見つからない」、「SNSで見える他人の幸せに焦る」。そんな話を聞くことが少なくないのです。

 

今の若い人たちはモノのない時代を知りません。生まれたときからインターネットがあり、スマートフォンがあり、コンビニもどこにでもあり、欲しいものはクリック一つで手に入る世界で育ってきました。まさに“物質的には豊か”な社会で生きているのです。まあ、ある意味50代半ばの自分もほぼ同じでしょう。インターネットやスマホはありませんでしたが、物質的に満たされていました。

 

でも、その便利さと豊かさの中で、逆に「何かが足りない」と感じている若者が増えているように思います。それは、目に見えるモノではなく、「心が満たされる経験」や「自分の存在が誰かに必要とされているという実感」なのかもしれません。

 

この問題は日本だけではありません。実は世界中の先進国が抱えている共通のテーマです。アメリカやヨーロッパ諸国でも、物質的な豊かさの裏側で、うつ病や不安障害、孤独感を抱える若者が増加しています。教育や経済の仕組みが整い、生活の基盤はしっかりしているはずなのに、なぜこんなにも「心の不調」が広がっているのでしょうか。

 

それは豊かになりすぎた社会の副作用なのだと思います。本来、人間は「誰かとつながること」、「必要とされること」、「意味のあることに取り組むこと」で、心の充足を得てきました。しかし、効率や成果が優先され、人と比べることが当たり前になり、日々の暮らしが“数字”や“評価”で測られるようになると、そうした心のよりどころが見えづらくなってしまうのです。

 

物質的な豊かさは確かに大切です。衣食住が安定してこそ、心の平穏も得られます。でも、それだけでは「生きていてよかった」と思えるような深い喜びや感動にはつながらない。逆に、豊かであるがゆえに、「心の居場所」が見つからない人が増えているのが今の時代の現実なのではないでしょうか。

 

だからこそ、私たちはいま、「本当の豊かさとは何か?」をもう一度考え直す必要があると思います。それは、「誰かと笑い合えること」、「気持ちを分かち合えること」、「自分の中に静かな充実感があること」、目には見えなくても心のなかで確かに感じられるものなのだと思います。

 

そんな心の豊かさが、本当の意味で人を幸せにするのだと思います。

 

将来のことを考える人のイラスト(女性)

私たちが暮らす日本という国が危機的な状況にあります。人口が減り、少子高齢化が進む、そんな言葉は何年も前から聞いてきました。そして、その未来の話がいよいよ私たちの目の前に現れています。

 

総務省統計局の最新データによると、2025年(令和7年)6月1日現在で日本の人口は前年同月比で62万人減少しています。島根県の人口が約64万人ですから、昨年一年間で島根県の人口とほぼ同数の人口が減少したことになります。

 

第二次世界大戦中も戦時下で人口が大きく減りました。1940年から1945年の日本の総人口の減少は111万6千人でした。しかし、これは国勢調査や人口調査の数値であり、実際の戦争による死者数(軍人・軍属、一般市民を含む)は、これよりもはるかに多いとされています。諸説ありますが、太平洋戦争による日本の死者総数は310万人とも言われています。

 

それでも年平均で計算すると、310万÷6年間=約52万人の減少です。つまり、今は戦争のない平時なのに、戦時下よりも人口の減少が大きいのです。

 

現在、地方の商店街ではシャッターが下り、近所の病院は後継者不足で閉院、小学校は統廃合され、バスの本数も減っていく。それらは、すべてこの国の人口構造の変化によって起きていることなのです。

 

少子高齢化がもたらしている現実で、労働力不足があります。物流、建設、医療、介護などなど、あらゆる現場で人手不足が叫ばれています。24時間営業だったはずのコンビニが、今では人が集まらず深夜に閉めてしまう。高齢者が増える中で、介護職員が足りずに施設の入居待ちが続く。誰かが代わりをすればいい、そんな時代は終わりました。今、働ける世代そのものが少なくなっているのです。

 

社会保障も問題です。高齢者が増える一方で、それを支える若い世代は減少の一途。年金はどうなるのか。医療費は、保険でどこまでまかなえるのか。不安を抱えたまま、将来が見えにくくなっています。

 

このまま人口減少が進むと、まず間違いなく経済は縮小します。働く人が減る → 消費が減る → 企業の売上が減る → 税収も減る。負のスパイラルです。

 

地方の町は消え、行政サービスが届かない「空白地帯」が広がるかもしれません。医療、福祉、教育、交通インフラ──それらを支えるお金も人も、足りなくなっていく。

 

また、家族構成も変化していきます。兄弟もいない、親戚も少ない、独り暮らしの高齢者が増え、孤独死や介護難民といった深刻な問題も増えていくでしょう。

 

では、どうすればいいのか。未来が暗く感じられるかもしれません。でも、諦めるにはまだ早いと思います。今、私たちにできることもたくさんあるはずです。子どもを産み育てやすい社会をつくる、高齢者の力をもっと生かす、地方をもっと元気にするなどなど。

 

でもこれって本来政治が先導して対策してこなければならないことですよね。もちろん、与党政権も野党もこのような議論は常に行われて来ています。国家予算も使って何か対策をして来たでしょう。しかし結果はどうでしょうか。何も変わらないどころか、どんどん悪化してきていると思いませんか。

 

しかし考えて見て下さい。日本は民主主義国家です。政治家は国民の投票で選ばれています。つまりこれまで結果を出して来なかった政治と、何をしてきたか分からない政治家は、我々国民が選んできたのです。しかしその選挙ですが、最近のデータでは第50回衆議院議員総選挙(2024年10月):で53.85%、第26回参議院議員通常選挙(2022年7月):で52.05%と二人に一人しか投票していません。

 

日本が直面している少子高齢化という課題は、決して一朝一夕で解決できるものではありません。しかし、放っておけば確実に深刻化していきます。このまま手をこまねいていたら、日本は静かに沈んでいくでしょう。でも、知恵を出し合い行動すれば、まだ希望はあるはずです。

 

大切なのは、「誰かがやってくれるだろう」と思わないことではないでしょうか。一人ひとりがこの問題を「自分ごと」として考え、選挙で意思を示し、自分たちの力で国を動かすことです。7/20の参議院議員選挙、是非投票して我々一人一人の国民が国を変えて行きましょう。

 

投票箱のイラスト(選挙)

年をとればとるほど、新しく人と知り合うことって少なくなってくるなと思う今日この頃です。新しい会合に参加するようになって、新しく人と知り合っても、若いころのようにすぐに打ち解けて一緒に飲みに行くような関係にはなりづらいです。

 

そうなると、若いころに知り合った人って重要ですよね。中学や高校、大学時代の友人は何年会っていなくても、会えばすぐに昨日まで会っていたかのように話せるものです。

 

人は生きていく上で、必ず誰かと関わりを持って生きています。無人島で一人自給自足の生活をしていない限り、必ず誰かに支えられて生きています。それが他人だとしても。社会の一員であると言うことは、誰かの何かが関わって生きているのです。

 

だから、縁のある人はもっともっと大切にしなければなりません。縁ある人に愛情を持って接することは、私たちが幸福で充実した人生を送るために不可欠なことです。一番身近なのは家族でしょう。家族を大事にしていますか?特に配偶者がいる人は、その存在が近すぎるため、おざなりになってはいませんか?←自分に言っています(汗)

 

愛情を持って接するってどういうことでしょうか。それはただ単に「親切にする」ことではなく、相手に対して「思いやり」を持つことです。例えば、忙しい日常の中で相手の話に耳を傾けること、疲れている時に気遣いの言葉をかけること、どんな些細なことでも感謝の気持ちを伝えることが、相手にとって大きな支えとなります。愛情が込められた言葉や行動は、予想以上に相手の心を温かくし、つながりを深めていきます。

 

また、私たちが愛情をもって接すると、その思いやりの輪は広がっていきます。人は周囲の環境に影響されやすいため、自分が愛情をもって接した相手も次第に他の人に対しても優しさや思いやりを持つようになることがあります。子どもはその典型的な例ですね。優しい家庭で育った子どもは心が優しいものです。

 

人生にはさまざまな困難があり、時には人との関係で悩んだり、傷ついたりすることもあります。しかし、そうした時でも愛情を持って接することを忘れないでいると、次第にそれが自分自身を支える力となります。相手のことを思いやることで、自分もまた心が豊かになり、強くなれるのです。愛情を注ぐことで、どんなに小さなことでも感謝の気持ちを伝え、支え合うことで、より深い絆が生まれます。

 

私たちの周りにはさまざまな人々がいます。その一人ひとりと心をこめて接することは、単に自分のためだけでなく、周囲の人々にとっても大きな意味を持ちます。縁ある人々との絆を大切にし、愛情を持って接することで、私たちの人生はきっとより豊かで充実したものになっていくことでしょう。だからこそ毎日の小さな接し方が、未来に大きな影響を与えることを心に留めておきたいと思います。

 

忘年会のイラスト(飲み会・鍋)