東京ブレイズ二代目社長のつぶやきブログ

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世間ではあまり知られていない「ろう付」を生業に、日本の科学技術の下支えに本気で取り組んでいる、中小企業の2代目社長が日頃思った中小企業経営やろう付技術と業界、その他さまざまなことについてつぶやきます。

最近、「映えないSNS」が流行っていると聞きました。

 

かつては、綺麗に加工された写真や、計算されたおしゃれな空間、演出された理想の自分を投稿するのがSNSの当たり前でした。しかし、そのキラキラした世界を維持し続けることや、見続けること自体に多くの人が疲れを覚えており、今はその反動が起きている様です。最近の若者が求めているのは、過剰な「リア充」の演出ではなく、ありのままのリアルな日常を共有する心地よさへとシフトしているみたいですね。

 

若者たちは、不特定多数からの「いいね」や、一過性の「バズり」から関心が離れつつあるのではないでしょうか。見栄えの良い外食や、キメ顔の自撮りよりも、お皿に雑に盛られたおうちご飯や、友達と話している最中に不意に撮られた素の表情。そんな飾り気のない日常を、本当に仲の良い友達同士だけに見せ合うクローズドなコミュニケーションこそが、最近の若い世代に強い支持を集め始めている様です。それは、他人の目を気にせず、自分が自分らしくいられる安心感があるからなのかもしれません。

 

その「映えないSNS」のトレンドの代表格となっているのが、「BeReal」というアプリです。このアプリの最大の特徴は、毎日ランダムな時間に届く通知と、強制的な2分間の制限にあります。通知が来てから2分以内に、内カメラと外カメラの両方で同時に写真を撮影しなければなりません。そのため、ポーズを作ったりおしゃれな場所を選んだりする余裕は一切ありません。寝起きのすっぴんや、仕事や勉強に追われているリアルな手元がそのまま映し出されます。盛ることが物理的に不可能な仕組みこそが、最大の魅力となっているのです。

 

世の中の流行り廃りは昔から繰り返されてきましたが、インターネットやSNSの時代になってからというもの、その変化のスピードはあまりにも加速しています。次から次へと新しいプラットフォームや文化が登場し、正直なところおじさん世代の私は、すっかり付いていくだけで精一杯です(笑)。

 

この調子では、そのうちすっかり時代から置いていかれてしまうのではないかと、そんな不安を覚えつつも若者たちが作り出す新しい時代の空気感や、息苦しさから抜け出そうとする柔軟な知恵には、どこか感心させられてしまいます。そして、人間最後はやはりありのまま、素の姿に戻っていくものなのだなとも思ってしまいます。

 

ちなみに、中学生の娘に「BeRealって知ってる?」と聞いてみましたが、全然知らないとのことでした。彼女たちの年齢では、まだそこまでSNSに疲れを感じるほど利用していないのかもしれませんね。

 

見栄を張ることから解放され、素の自分に戻れる場所を求める若者たちの行動は、おそらくSNSの原点であり、人間本来の自然な姿なのかもしれません。テクノロジーがどれだけ進化しても、人と人との心地よい距離感を模索する旅は、これからも続いていくのでしょう。

 

人間は知らず知らずのうちに、自分の心の中に勝手な限界を作り出してしまう生き物です。前例がないから難しい、今の自分には無理だと、仕事でもプライベートでも、そんな言葉を耳にしたり、自分自身で口にしたりしたことはありませんか。しかし、そんな私たちの思い込みを打ち砕いた非常に有名な心理現象があります。それが「バニスター効果」です。

 

かつて陸上界では、1マイル(約1.6キロメートルを4分未満で走ることは人間の生理的限界を超えていて、そんなスピードを出せば、人間の臓器が耐えられずに破壊されてしまうと、医学界をも巻き込んで本気で信じられていました。どれだけ優れたランナーであっても、4分の壁を破ることは不可能だと誰もが諦めていたのです。しかし1954年、イギリスの陸上選手であるロジャー・バニスター氏が、その不可能な壁を歴史上初めて打ち破りました。彼の記録は3分59秒4でした。

 

ここからが、このエピソードの最も興味深いところです。バニスター選手が1マイル4分の壁を突破した途端、それまで誰も超えられなかったはずの記録が次々と塗り替えられ始めました。なんと、そのわずか1年の間に何十人もの選手たちが次々と4分を切るタイムを叩き出したのです。人間の身体能力や筋肉が、この1年の間に突然進化して劇的に跳ね上がったわけではありません。変わったのは、選手たちの「脳の認識」だけでした。

 

絶対に不可能だという強烈な思い込みに縛られていたときは、いくら練習しても無意識のブレーキがかかってしまい限界を超えることができませんでした。しかし、誰かがその思い込みの限界を超えた時に、人々の心理的な限界がいとも簡単に外れたのです。不可能という鎖から解放された脳は、それまで発揮できなかった潜在能力を次々と引き出し始めました。まさに信じる力が現実を動かした瞬間でした。

 

このバニスター効果は、スポーツの世界だけに留まる話ではありません。私たちのビジネスや日常の挑戦においても、全く同じことが言えます。前例がないから、この企画は絶対にうまくいかない、うちの業界ではこのやり方は無理だ、自分には高度すぎるスキルだから学ぶだけ無駄だと、私たちは挑戦する前から勝手にできない理由を並べてあきらめてしまいがちです。しかし、それらの限界の多くは、実体のないただの思い込みにすぎないのかも知れません。

 

もしあなたが今、何か新しいプロジェクトや高い目標を前にして、自分には無理かもしれないと足がすくんでいるなら思い出してください。それは本当に物理的な限界でしょうか。それとも、ただ誰もまだやっていない(ように見える)からという心のブレーキではないでしょうか。最初の一歩を踏み出すのはいつだって勇気がいりますが、誰かができたという前例を作れば、その後に続く人たちのハードルは驚くほど低くなります。

 

もし周りに前例がないのなら、あなたが最初の「バニスター」になってみるのも面白いかもしれません。あなたが自分の限界を突破する姿を見せることで、次は同僚や後輩、友人たちの心理的限界を外してあげることにつながるからです。

 

でも、まず自分自身が心のブレーキを外してそのお手本を見せなければなりませんね。

 

EUは以前、2035年までに新車販売を温室効果ガスを排出しないゼロエミッション車(ZEV)に限定する目標を掲げました。この方針は実質的に、高い技術力を持つ日本メーカーのハイブリッド車(HV)を市場から締め出す狙いを含んでいました。しかしその後、急成長した安価な中国製EVに市場を席巻される事態となり、EUは自ら重視してきた自由貿易の原則と矛盾する形で、中国製EVに対する追加関税措置の導入に踏み切ることとなりました。

 

2024年から2025年にかけて伸び悩んでいたEUのEV市場は、2026年に入り一時的な急拡大を見せています。イラン発のエネルギーショックに伴い化石燃料価格が再び高騰したことが引き金となり、2026年上半期のEU新車登録台数ではEVが前年比40.5%増と、ハイブリッド車などを大きく上回る伸びを記録しました。しかし、こうした燃料高騰に依存した「第2次EVブーム」は決して長続きするものではないと考えられています。

 

市場の動向を最も鋭敏に察知する自動車メーカー各社は、すでに高らかに掲げていたEVシフトの方針修正を進めています。ホンダやメルセデス・ベンツなど、かつて近いうちに新車供給を完全なEVへ移行すると宣言していた主要メーカーであっても、需要の現実や収益性の懸念から計画の撤回や下方修正を余儀なくされているのが現状です。

 

さらに政策の旗振り役であった各国の動きにも変化が生じています。脱炭素化を強く推進する英国の労働党政権は、2030年までに新車登録に占めるZEVの割合を80%とする目標を掲げていましたが、その大幅な下方修正に向けた協議を開始しました。環境政策を看板に掲げる政権であっても市場や利用条件の現実から目標維持が困難であると判断しており、EVシフトの壁の厚さを如実に物語っています。

 

根底にある重大な問題は、EVの運用に必要な電力インフラとエネルギー源の不備です。EUが掲げる理想である完璧なカーボンフリーモビリティを実現するには、EVに充電する電力をすべて再生可能エネルギーで賄う必要があります。しかし現在の発電能力ではこれを到底カバーできず、結果としてEUは原子力発電やガス火力発電への依存を容認せざるを得ない状況に陥っています。日本車の排除から中国車への保護主義的関税への転換、そして再エネ不足という多くの課題を抱えた欧州のEV主導政策は、市場の現実とエネルギー基盤の限界によって大きな行き詰まりを迎えています。

 

そのような状況下で、フォルクスワーゲンは2026年9月3日、2030年までに世界全体で従業員5万人を追加削減する大規模な経営再建計画を正式に決定しました。既に公表済みの計画と合わせ、全従業員の約15%に相当する10万人規模の削減となる見込みです。

 

EVの台頭により自動車市場のパラダイムシフトはまだまだ加速していくことでしょう。今後EUの自動車政策はどのようになるのでしょうか?日本の自動車政策と日系自動車メーカーの戦略にも大きな影響が出てくることは必至ですね。

 

 

 

写真はスマホで撮るのが当たり前の時代ですが、フィルム市場がピークを迎えた2000年頃、カメラ業界には巨大なデジタル化の波が押し寄せていました。わずか10年ほどで写真フィルムの需要がほぼゼロになるという破滅的な外部環境の変化に対し、世界の2大巨頭だったコダックと富士フイルムは、全く異なる戦略で挑むことになります。同じ危機に直面しながら、なぜコダックは倒産し、富士フイルムは過去最高益を更新するほど劇的な復活を遂げられたのでしょうか。その明暗を分けたのは、自社事業の定義と、コア技術に対する捉え方の違いでした。

 

世界で初めてデジカメを発明したコダックの最大の悲劇は、あまりに優秀なビジネスモデルを自ら確立していたことにあります。彼らはカメラ本体を安く売り、高利益なフィルムの販売と現像代で稼ぐ高収益構造を誇っていました。そのため、デジタル化の波をいち早く察知していながらも、「デジカメを普及させれば、一番儲かるフィルムが売れなくなってしまう」という共食いの恐怖に囚われてしまったのです。また、コダックは自社をどこまでも「写真を記録・印刷する会社」と定義し続けました。結果として、デジカメやプリンターなど写真の枠組みの中で足掻くことになり、フィルムの失われた膨大な利益を埋められぬまま衰退していきました。

 

一方の富士フイルムも、主力のフィルム事業が崩壊する絶体絶命の危機に直面していました。しかし彼らは、自社の立ち位置を「写真の会社」ではなく、「高度な化学や物理の技術を持つ会社」として根本から再定義したのです。写真フィルムの製造には、写真をきれいに保つ抗酸化技術やコラーゲン研究、ナノ粒子を均一に塗る精密な塗工技術など、極めて複雑で高度な化学技術が集約されていました。富士フイルムはこれらの要素技術を徹底的に解体・分析し、写真以外の全く新しい市場へ応用する道を選んだのです。

 

こうして富士フイルムは、フィルムの抗酸化技術を化粧品(アスタリフト)へ、精密な画像処理やナノ技術を医薬品やバイオ、医療機器へと応用し、事業ポートフォリオを大胆に塗り替えていきました。

 

既存の製品に固執して過去の成功を守ろうとしたコダックと、自らの技術の本質を見抜き、全く異なる市場へと挑戦した富士フイルム。デジタル化という抗えない時代の波の中で、自社の強みをどう定義し直すかという経営戦略の違いが、二つの巨人の運命を決定的に分けることになりました。

 

「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き残るのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」というダーウィンの進化論の教えは、現代のビジネスにもそのまま当てはまります。

 

市場環境が激変する中で過去の成功体験に執着すれば、どれほど巨大な企業であっても衰退を免れません。時代の変化を敏感に察知し、自らの形を柔軟に変え続けられる企業こそが、生き残り未来を切り拓くのです。

 

世界中のあらゆるモノの価格が上がり続ける中、日本国内に目を向けると相変わらず「安くて良いもの」であふれていますが、その背景にある歴史的な円安と長引くデフレ経済の影響を直視すると、恐ろしい現実が見えてきます。

 

いま、日本という国、そしてそこで働く日本人そのものが、世界から“お買い得なバーゲン品”として買いたたかれているのです。海外からの旅行者が日本の高級寿司屋やラーメン店を訪れ、「こんなに美味しいのに母国の半額以下だ」と歓喜するニュースをよく目にしますし、日本の優秀な製品やサービスも外貨ベースで見れば驚くほど割安になりました。

 

世界のインフレに置いていかれ、為替が円安に振れた結果、日本の相対的な購買力は著しく低下し、世界の一等国であったはずの日本が、気付けば世界から見れば物価の安い貧困国へと変貌しつつあります。

 

そして、この買いやすさの波は製品やサービスだけでなく、人の労働力にまで及んでいます。特に深刻なのが、日本の技術者やITエンジニアたちの置かれた状況です。長年培ってきた高い技術力、真面目で緻密な仕事ぶり、品質へのこだわりを持つ日本のエンジニアは世界的に見ても非常に優秀です。しかし、日本国内の給与水準が長らく横ばいを続ける中で極端な円安が追い打ちをかけ、ドル建てで給料を払える海外企業や外資系企業から見れば、日本の優秀な技術者は信じられないほど低コストで雇える極上人材に映っています。

 

米国などでエンジニアの平均年収が1,500万円から2,000万円以上に達することも珍しくない中、日本のエンジニアの平均年収は500万円から700万円程度にとどまっており、外資系企業からすれば本国の半額以下のコストでトップクラスのエンジニアを確保できる状態、まさに技術と労働力の買いたたきが起きていると言えます。

 

海外企業に直接雇用されるエンジニアにとっては外貨建てで高収入を得られるメリットがあるかもしれませんが、国全体として見ればこれは極めて危険な状況です。日本国内の企業は圧倒的な資金力を持つ海外勢に給料で太刀打ちできず、優秀な人材から順番に買いたたかれて奪われてしまい、その結果として国内には技術革新の芽が残らず、さらに経済が停滞するという悪循環に陥ってしまいます。

 

「日本の技術はすごい」と過去の栄光に浸っている間に、その技術と労働力の価値は世界基準の安売りセールにかけられています。これからの日本の生き残る道は、良い製品を安く作ることではなく、付加価値の高い製品を高く販売することではないでしょうか。それで自分たちの技術と労働力に対しての対価を高めて行かなければ、日本が豊かな国として復活することは到底できないと思います。