前回のブログで、30年来の旧友たちと同窓会を行ったことを書きました。昔話に花が咲いて、30年前のことが色々と思い出されましたが、さすがに忘れてしまっていることも多いです。しかし、30年前の1995年は今思い起こすと歴史に残る災害や事件があり、ある意味激動の時代だったような気がします。
1995年当時、自分は大学院の2年生で、年明けから修士論文の執筆で大学に泊まり込んでいました。現在は大学に泊まり込むような学生はほとんどいないようですが、自分たちの時代はそれが当たり前でした。1995年1月17日早朝、阪神淡路大震災が発生しました。自分は明け方、シャワーを浴びに大学から下宿先のアパートへ帰る時に、東名高速道路の電光掲示板に大阪方面通行止めの案内が出ていたのを記憶しています。その後、仮眠をとって昼過ぎに大学へ戻る前に、何気なくテレビをつけて映し出された映像の衝撃を今でも忘れることができません。
自分が渡米したのは1995年の3月2日です。これはなぜか鮮明に覚えています。そして、アメリカに到着してから、たくさんの人に聞かれたのが「空港はどうだった?」と言うことでした。なんでそんなことを聞かれるのか不思議でしたが、私が降り立ったコロラド州のデンバー国際空港(通称DIA)が3月1日にオープンしたとのことでした。確かに巨大で綺麗な空港だと思いましたが、まさかオープンしたてだとは知らなかったのでみんなが興味を持っていたのだと後から知りました。
当時は今のように携帯電話やネットが整備されているわけではありません。語学学校を修了後、大学に入学して初めてメールアドレスなるものをもらいました。日本の大学では電子メールなど使ったこともなかったので、この文字の羅列を渡されても、何にどうやって使うのか分かりませんでした。おかげで、しばらく大学からの連絡を全くメールチェックせず、授業を数回さぼってしまいました。ちなみにこの年にウィンドウズ95が発売されています。
当時の通信はそんな状況でしたから、日本で起きたことも今のようにネットニュースで知ることはできません。1995年3月20日には地下鉄サリン事件が起きました。これを最初に知ったのは、当時の語学学校の先生が新聞の小さい切り抜きを持ってきてくれたことでした。「日本で爆弾テロ事件が起きたようだ」と言う先生。しかし、「そんな馬鹿な」、と言うのが当時の日本人学生たちの直感でした。しかしその後、日本人同士でいろんな情報を集めると大変なことが起きていると知るのでした。自分は当時国際電話が非常に高額だったので、実家からFAXを送ってもらいました。一方でアメリカのニュースではこの事件があまり取り上げられませんでした。特に4月19日にオクラホマシティ連邦政府ビルの爆破事件が発生してからは、全くと言っていいほど地下鉄サリン事件のニュースは流れませんでした。
でも悪いニュースばかりでもありません。当時アメリカで野茂英雄投手がメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースで活躍していました。1995年シーズンには最多勝、最多奪三振などタイトルを独占し新人王に選ばれました。さらに1996年、自分たちの地元のデンバーにあるクアーズフィールドでノーヒットノーランも達成しています。これには日本人学生たちはどれだけ勇気と希望をもらったことでしょう。今は同じドジャースで大谷翔平選手が大活躍していますが、自分たちにとってはドジャースと言えば野茂選手なのです。
思えばあれからあっという間の30年でした。そして良い時代だったと思います。昔を懐かしむのも良いですが、これからを憂いて少しでも良い時代にすることが大事だなと考えてしまうのでした。
