東京ブレイズ二代目社長のつぶやきブログ

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世間ではあまり知られていない「ろう付」を生業に、日本の科学技術の下支えに本気で取り組んでいる、中小企業の2代目社長が日頃思った中小企業経営やろう付技術と業界、その他さまざまなことについてつぶやきます。

アラフィフもとっくに過ぎたおっさんですが、ふと自分には何も資格がないなと気づきました。一応自動車免許だけは持っていますが、それ以外に履歴書などに記載できる資格などは何もありません。

 

しかし世の中にはたくさんの資格があります。もちろん、その資格を有することで仕事に生かせるものもあれば、ある意味趣味で取る資格もあります。先日会社の飲み会である社員が面白い資格を持っていると話を聞きました。

 

一つは日本ビール検定です。こちらは一般社団法人日本ビール文化研究会が資格認定しているようで、3級から1級まであり彼はビア検2級の認定証を持っています。試験は全100問の出題があり、2級は70点以上で合格の様です。2級はビール文化・歴史を語ることができ、ビール通になりたい方を対象とした中級レベルとのことで、実際の問題は模擬問題がHPにあったのでちょっと覗いて見ましたがかなり難しそうでした。

 

もう一つは一般社団法人日本フライドポテト協会のアンバサダーの資格です。日本フライドポテト協会は、食べた人の人生が変わるような「世界最高のフライドポテト」を生み出すことを目的に活動しているとのことです。こちらのアンバサダー検定は、フライドポテトに関する総合的な知識を測る、日本で唯一の検定試験で、年齢、性別、学歴などに関係なく、誰でも受験できるそうです。合格者は、各級に応じた認定名刺を発行することができ、フライドポテトの魅力を伝える「フライドポテト・アンバサダー」として活動できますとHPにありました。

 

最初これらの資格の話を聞いたとき、どちらも半分冗談の資格なのだろうと思いきや、HPを見てちゃんと活動していると知り反省しました。しかしビールとフライドポテト、抜群の組み合わせではないでしょうか。こう言った資格をとってビールを飲みながらフライドポテトを食べうんちくを語る。なんてすばらしい普段の生活を豊かにする資格なのだろうと思いました。

 

さて、そういう自分も昔から気になる資格?があります。それは資格ではないのかも知れませんが、自分は昔から字が下手で自分の書く字が嫌いです。なので、ボールペン字の講座を受けてみたいとずっと思っていました。字が上手くかけたらどんなに気持ちが良いだろう。しかし思うだけで実行に移せていません。

 

資格ではなくても何かを身に付けるのは年をとってからでもできると思います。近いうちにきっと始めて見たいと思います。ただ、誰にも内緒でね(恥ずかしいので)。

 

 

今年も暑い夏が続いていますね。そんな中、近年の地球温暖化による気候変化で、自分が子どもの頃の夏と今の夏がどんどん変わってきています。

 

ある調査によると風鈴の音を涼しいと感じるのは50代以上で、それ以下の年代で特に10代の子達は風鈴の音を聞くと暑く感じるのだそうです。それは涼しい風が吹いて風鈴が鳴ると言う経験をしている10代の子は非常に少なく、猛暑の中での熱風やクーラーの室外機などによって風鈴が鳴っているイメージがあるからなのだそうです。

 

同様に夕方に“ひぐらし”が鳴くと涼しく感じる人はどんどん減ってきていると思います。そもそも夕方になっても気温が下がらず、都会では“ひぐらし”すら鳴いていません。それどころか、夜間でも街頭などで明るい中セミが鳴くことも多く、セミの鳴き声から季節感を感じにくくなってきてしまっているのではないでしょうか。

 

小学校での夏の楽しみの一つはプールでしたが、自分が子どもの頃は水温が冷たくて日陰にいると唇を真っ青にしながらブルブル震えることもありました。そして、水温が低いとプールが中止になることがあったくらいです。ところが今では暑すぎてプールが中止になります。お昼の時点で気温が35℃以上もしくは水温+気温が65℃以上の場合はプールが中止になるのです。プールは水中にいるので熱中症にならないと思われがちですが、実はプールで熱中症になることがあるのです。

 

プールに入れないのであれば海に行って海水浴、と思いますが実は最近では海水浴離れが進んでいるそうです。一つはやはり暑すぎる。海に入っているうちは良いけれど、浜に上がってしばらくすると砂は熱いし外気温も暑くてたまらない。さらに最近の子達は海に慣れていないので、海水がしょっぱいのが嫌だったり、海水が乾いて肌がベタベタするのが嫌いなのだそう。そんなの当たり前なのにと思ってしまう自分は、やはり昭和世代なのでしょう。

 

他に夏の楽しみと言えば花火大会です。近所では必ずどこかで大小関わらずお祭りがあって花火大会が開かれていたものでした。ところが近年花火大会がどんどん中止になっています。一つはやはり予算の問題が大きいです。花火大会の予算は2019年と比べると2024年は1.8倍の価格になっているそうです。理由としては、ウクライナ侵攻の影響で火薬が値上がりしているのだそう。こんなところに影響があるなんて驚きです。さらに警備費用の問題もあります。過去に色々と事故があったため安全の面を考えると警備は必須ですが、人が集まらずバイトの時給を上げているそうです。有料席の設置が解決策の一つとも言われていますが、これまで無料だったのにと反発も多いそうです。

 

何だか、気が付けば一昔前の夏とは大きく変わってしまっているのだなと改めて思いました。しかし子どもの頃の夏休みの思い出は一生残ります。自分の子どもたちには、何らかの形で楽しい夏の思い出を残してあげたいなと思っています。

 

夏になるとスイカやかき氷、そして自分の世代は屋台で売られていたラムネが風物詩でした。しかし、最近はラムネを見かけることが少なくなりましたし、そもそもラムネ自体についても知らないことばかりでした。

 

ラムネの歴史を紐解くと、ラムネが日本にやってきたのは何と江戸時代の様です。時は幕末(1853年・嘉永6年)、アメリカのペリー提督率いる黒船が浦賀に来航。ペリーは艦上での交渉時、江戸幕府の役人に「ラムネ」(炭酸レモネード)を振舞ったとされています。当時のラムネ瓶はコルク栓を使用していたので、栓が乾かないようにするために寝かせておく必要がありました。また、底が尖った形をしており「キュウリ型瓶」と呼ばれ、コルク栓がガス圧で飛び出さないように針金で縛っていました。「ラムネ」という名称は、このレモネードがなまったものと言われています。

 

このラムネ、実はちゃんと定義があり、昭和34年7月1日に農林省農林経済局長名にて「玉ラムネびんに詰められた炭酸ガス入り飲料」をいうとあります。さらに昭和53年3月27日特許庁審査第一部商標課長名にて、商標法施行規則第29類中の「ラムネ」とあるのは、「甘味、香料などを加えた水に炭酸ガスをとかし、びんにつめ、ガラス玉にて密栓することを特徴とする炭酸飲料の一種」として取扱っているとあります。

 

しかし今はありとあらゆる炭酸飲料水があり、ラムネもなかなか見かけなくなってしまいましたね。しかもラムネ自体大手飲料水企業が作ることができないのだそうです。わが国には「分野調整法」という法律があります。これは大企業と中小企業が共存共栄していくために定められた法律です。ラムネ・シャンメリー・びん詰コーヒー飲料・びん詰クリームソーダ・ポリエチレン詰清涼飲料(いわゆるチューチュー)・焼酎割り用飲料の6種類は中小企業特有の商品と規定されています。

 

ラムネの特徴として、ラムネは他の清涼飲料と違い「ビー玉」が栓の役割をしています。現在のように王冠・スクリューキャップのない時代には、もともとコルクで栓をしていました。その後、イギリスのコッドという人がビー玉で栓をする方法を考えました。「コッド瓶」です。1888年にその「コッド瓶」の特許が切れた際に、大阪の徳永玉吉という人が日本で始めてビー玉を使い栓をするラムネ瓶を作ったと言われています。ビー玉が栓の役割を果たす仕組みは、製造段階でビー玉が真中に落ちた状態の時に、原液と炭酸を入れ、その後すばやく瓶を逆さまにすると、ラムネ液に含まれる炭酸ガスの圧力でビー玉が口部に圧着され栓となります。

 

ところでこのビー玉、なぜビー玉と呼ぶか知っていますか?その昔、大阪でラムネの栓に利用できるビー玉を「ええ玉=(良品の玉)」と言ってました。「ええ玉」は「A玉=(A級の玉)」となり、反対に、基準外のビー玉を「B玉=(B級の玉)=ビー玉」と呼ぶようになりました。商売上手な大阪商人はラムネの栓には利用できない「B玉」も子供のおもちゃの「ビー玉」として販売を始めました。とホンマかいなという話です。別の説では、ポルトガル語でガラスを意味する「ビードロ」がなまり、「ビードロの玉」すなわち「ビー玉」となった説もあります。

 

ラムネだけでこんなに盛り上がってしまいました。今はあまり見かけなくなったラムネですが、たまにお祭りの縁日などで見かけます。その時には買ってなつかしい味を楽しみたいと思います。

 

NTT東日本およびNTT西日本は、2026年3月31日に、職業別電話帳である「タウンページ」と、番号案内の「104番」サービスの提供を終了すると発表しました。電話帳と番号案内は135年の歴史がありましたが、時代の流れでその歴史が幕を閉じることに。

 

最後にタウンページや104を使ったのはいつか覚えていません。やはり今の時代、調べ物があるとすぐにネットでググってしまいますよね。時代の変化やテクノロジーの進化とともに、これらのサービスが役割を終えたとしてNTTとしても提供を終了するのは仕方のないものです。

 

しかし、今まであったものがなくなってしまうのには、ちょっと寂しい気持ちもあります。家族でNTTにはこんなサービスがあるんだよって話をしていましたが、我が家の子どもたちはもちろんこんな番号のことは知りませんでした。それどころか「番号案内なんてヤバくない?個人情報じゃん」とのこと。あー、確かにそうだな。昭和世代の自分には当たり前のことだったのでハッとしました。

 

104以外にもNTT東日本が提供している3桁番号のサービスがたくさんあります。

 

110 警察への事件・事故の急報

113 電話の故障

115 電報のお申し込み

116 電話の新設・移転・各種ご相談

117 時報

118 海上の事件・事故の急報

119 火事・救助・救急車

171 災害用伝言ダイヤル

177 天気予報

188 消費者ホットライン

189 児童相談所虐待対応ダイヤル

 

さすがに今でも「警察は110番」、「救急車と消防車は119番」くらいは覚えているし、子どもたちにも覚えさせていますが、他の番号は全く使いませんね。過去には時報の117番と天気予報の177番は使っていた記憶はありますが、今では電波時計やインターネットで時刻は狂わないし、天気予報もネットで見ます。

 

デジタル化でいろいろなことが便利になったことは良いことです。しかし、アナログにはアナログのよいところもあります。電話番号一つ調べるのでも確かにデジタルの方が楽ですが、オペレーターと話をして、住所や漢字の種類などを説明して電話番号を検索してもらうのも良いものでした。良いものは良いものとして、昭和世代としてはできるだけアナログでも残して行きたいですね。そうやってどんどん時代から取り残されて行くのかな…。

 

 

人生100年時代と言われるようになりました。昔は60歳で定年を迎え、その後は悠々自適な隠居生活を夢見ていましたが、今の時代そんなことは言っていられません。年金の支給はどんどん遅くなっていくし、30年以上続いた経済停滞が終わり、インフレで物価が上昇して来ています。どんなに貯蓄があってもその価値は年々下がって行くばかりです。

 

そこで、定年後など第2の人生をどのように過ごすかですが、政府は「リスキリング」などと言う言葉で「自分自身で新たにスキルを付けて働いて稼いで老後を乗り切って下さい」と言っています。なんとまあお金に苦労しない政治家たちが勝手なことを言っていると思いつつも、一部では確かにそうだなと思う節もあります。

 

しかし、歴史を見ると歳を取ってから活躍した人はいくらでもいます。

 

映画にもなりましたが、マクドナルドの創業者のレイ・ロックは52歳で創業しました。その方法はともかく(映画を見て下さい)、もともとはマクドナルド兄弟が始めた画期的なハンバーガー屋を世界的なチェーン店にまで成長させました。

 

白い髭で有名なカーネルサンダースは、世界で初めてのフランチャイズビジネスでケンタッキーフライドチキンを創業したのが何と65歳です。それまではただの町のレストランのオーナー兼シェフでした。

 

NHKの朝ドラにもなった安藤百福はチキンラーメンの生みの親です。後に日清食品を立ち上げました。彼がチキンラーメンを発明したのが48歳の時で、その10年後に前社から商号変更して日清食品が生まれました。

 

かなり昔の話ですが、東芝の前身を作った田中久重が田中製作所を作ったのが75歳の時です。明治8年(1873年)の事でした。会社は田中久重の養子と2代目が跡を継ぎ、芝浦製作所になりました。後に東京電機株式会社と合併、東京芝浦電気株式会社となり、これが現在の東芝の基礎となりました。

 

これ以外にも、歴史に名が残っていなくても素晴らしい偉人はたくさんいます。知らないだけです。そして、彼らに共通するのは「一度きりの人生何かをやり遂げよう」と言う強い意志だと思います。

 

結局自分たちの未来を国は、政府は守ってくれないことには間違いありません。ある意味それも当たり前なのかも知れません。自分の老後を100%国に依存するなんておかしいかも知れません。なので、自分で何とか生きて行くことを考えなければなりません。どうせなら自分の人生を自分で納得が行くよう、何かを始めるのもいいかも知れませんね。年を取ってからのチャレンジは大変ですが、それは自分次第なのです。