歳をとってからのチャレンジ | 東京ブレイズ二代目社長のつぶやきブログ

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世間ではあまり知られていない「ろう付」を生業に、日本の科学技術の下支えに本気で取り組んでいる、中小企業の2代目社長が日頃思った中小企業経営やろう付技術と業界、その他さまざまなことについてつぶやきます。

人生100年時代と言われるようになりました。昔は60歳で定年を迎え、その後は悠々自適な隠居生活を夢見ていましたが、今の時代そんなことは言っていられません。年金の支給はどんどん遅くなっていくし、30年以上続いた経済停滞が終わり、インフレで物価が上昇して来ています。どんなに貯蓄があってもその価値は年々下がって行くばかりです。

 

そこで、定年後など第2の人生をどのように過ごすかですが、政府は「リスキリング」などと言う言葉で「自分自身で新たにスキルを付けて働いて稼いで老後を乗り切って下さい」と言っています。なんとまあお金に苦労しない政治家たちが勝手なことを言っていると思いつつも、一部では確かにそうだなと思う節もあります。

 

しかし、歴史を見ると歳を取ってから活躍した人はいくらでもいます。

 

映画にもなりましたが、マクドナルドの創業者のレイ・ロックは52歳で創業しました。その方法はともかく(映画を見て下さい)、もともとはマクドナルド兄弟が始めた画期的なハンバーガー屋を世界的なチェーン店にまで成長させました。

 

白い髭で有名なカーネルサンダースは、世界で初めてのフランチャイズビジネスでケンタッキーフライドチキンを創業したのが何と65歳です。それまではただの町のレストランのオーナー兼シェフでした。

 

NHKの朝ドラにもなった安藤百福はチキンラーメンの生みの親です。後に日清食品を立ち上げました。彼がチキンラーメンを発明したのが48歳の時で、その10年後に前社から商号変更して日清食品が生まれました。

 

かなり昔の話ですが、東芝の前身を作った田中久重が田中製作所を作ったのが75歳の時です。明治8年(1873年)の事でした。会社は田中久重の養子と2代目が跡を継ぎ、芝浦製作所になりました。後に東京電機株式会社と合併、東京芝浦電気株式会社となり、これが現在の東芝の基礎となりました。

 

これ以外にも、歴史に名が残っていなくても素晴らしい偉人はたくさんいます。知らないだけです。そして、彼らに共通するのは「一度きりの人生何かをやり遂げよう」と言う強い意志だと思います。

 

結局自分たちの未来を国は、政府は守ってくれないことには間違いありません。ある意味それも当たり前なのかも知れません。自分の老後を100%国に依存するなんておかしいかも知れません。なので、自分で何とか生きて行くことを考えなければなりません。どうせなら自分の人生を自分で納得が行くよう、何かを始めるのもいいかも知れませんね。年を取ってからのチャレンジは大変ですが、それは自分次第なのです。