バーチャル・ロック喫茶 くじら亭 -5ページ目

農を通じて新しい社会を構想する~「食べることも愛することも、耕すことから始まる」

ブックレビューです。
明日の読書会の課題図書です。
少し長めのレビューです。ご容赦ください。

---
「食べることも愛することも、耕すことから始まる」
クリスティン・キンボール著、小梨直訳、河出書房新社

本書は、ニューヨークでフリーランスのライターをしていた著者がパートナー(マーク)と出会い、地域支援型の農場(CSA:地域住民が会員となって農場で生産された野菜や肉を譲りうけるシステム。農場は会員の会費により運営される)を立ち上げ、運営を軌道に乗せるまでの過程を描いた記録だ。本書では、2人が出会い、冬に農場に移住し、秋に結婚式を行うまでの間に起きるさまざまな出来事が描かれる。都心の真ん中で「不便なことなどなにひとつない暮らし」をしていた著者が、農業を通じて変えられていく。パートナー、土地、農作物、動物、地域の人たち等、農を取り巻くさまざまな対象との関わりは、数多くの困難をもたらすとともに、彼女に新しい価値観をもたらす。

本書を読むと、農という営みが、いかに困難の多いものであるかがつぶさにわかる。同時に、いかに大きな喜びをもたらすものかということも。最も大きな喜びのひとつは、食事に関するものである。本書には数多く食事の場面があり、素材の調達から調理の過程が丁寧に描かれている。文章のみで料理の魅力を伝えるのは難しいはずなのだが、目には見えず味わうこともできない料理がどれもとてもおいしそうに感じてしまう。旬の素材を保存や流通の時間を経ずしていただくことは、人間にとって根源的な喜びであることがわかる。

一方で、それを得るためにどれほどの困難があることか。乳牛飼育に伴う日々の搾乳や乾草づくり、馬を使った耕作の難しさ、鶏や牛等の賭畜、真夏の草刈り、寒い日のメープルシロップの採取等。

著者は農場を立ち上げる過程で何度もパートナーとは結婚できないのではないかという不安に襲われる。マークは農を中心とした生活に強い確信を持っているが、著者は元ニューヨーカーであり、パートナーを通じて初めてこうした生活にエントリーした未経験者だ。当然、こうした生活に対する確信があるわけではない。しかし、相手の確信が変わらない以上、自分がこの生活を受け入れられなければ2人が繋がることはできない。農を中心とした生活を受け入れることが、パートナーと繋がることとイコールになる。そのため、農に伴う困難がパートナーとの関係を不安定にしてしまう。それでも最終的に、著者はこれらの困難を乗り越え、いわば、マークを通じて農の魅力に惹きこまれる形で、新しい農場の運営を軌道に乗せていく。「以前はうわべだけきらびやかな、どうでもいいものばかり手に入れて束の間の満足感に浸るのが好きだったわたしが、飽くなき挑戦をしてこそ心の安らぎが得られることを悟りはじめていた。」という過程を経て、最後は、「この暮らしに出会えて-というより、ついうっかり飛び込むはめになって-よかった。同じような思いの人と結婚できてよかった、と。」思うようになる。

本書の男女の関係の過程は、たとえば、「農業は人を繋げる媒介になる」というように一般化できるものではないだろう。著者とマークは出会うべくしてであったのであり、全く特殊なカップルだ。私自身も貨幣経済に疑問を持ってはいるものの、マークのように農を中心にその影響の及ばない生活を構築できるという確信はないし、そもそもこんなに過酷な農作業をすることができないだろう。また、著者のように、マークの考え方に惹きつけられはするものの、ともに生活を営むことはできないと思う。しかし、もし、家の近くにCSAがあれば会員になってもよいと思うし、こうした生き方をしたいと思う人がいれば、できるだけ応援したいとは思っている。

本書が示す生き方は、「お金がなくても、精神的に豊かでいられるところが好きでたまらない」と著者が言うように、貨幣経済の限界をどのように乗り越えるかのひとつの方策ではある。しかし、誰もがエントリーできる方法ではないだろう。著者も「農業に「単純素朴」だの「平和で静か」だのはありえない。金儲けにもならなければ、安定もしないし、安心安全でも、気楽でもない。作業によっては泣きたくなることがあるくらいだ。」と言っている。そんな世界に誰もが踏み込むことは、できないだろう。しかし、そうであれば、では、どこまでならできるのか、あるいは、どのような別の方法があるのかということを考えることが求められだろう。そのような意味で、本書は、純粋に読んで面白い物語であるということに加え、持続可能な社会や貨幣経済を越える社会をどのように構想していくかといったテーマを考える際に多くの示唆を与えてくれる。

〔追記〕
本書を読んで、肉を食べるというのはどういうことかを改めて考えさせられた。野鳥を料理する場面、鶏をつぶす場面、そして何より、牛をしとめる場面は、心がざわめき、冷静に読むことができなかった。そのような自分は、肉を食べる権利はないのかもしれない。一方、魚も動物であるが、魚を食べる場面は本書にはなかった。日本人は昔から魚を主たるタンパク源としてきた。魚を食べることと、鶏や牛の肉を食べることは同じことなのだろうか。さらに広げて考えれば、野菜も命である。野菜を収穫するときに、牛や鶏を屠るときと同じ感情が湧きおこることはない。それはなぜだろうか。植物には目がないからだろうか。

本書で著者が、自分が死んだら堆肥にして欲しいと語るシーンがある。さらに、心臓や肝臓は何かが食べてくれるといいとまで言う。この感覚に、私は素直に共感することはできない。それは、日々、肉をいただくときに動物の命をいただいているという感覚が欠如しているからなのだと思う。肉を食べているときに常に頭に生きて動いている豚や牛の姿が思い浮かぶようであれば、彼女のように考えることは自然なことなのかもしれない。食の源は命である。そのことを頭では理解していても身体に染みついた感覚にはなっていないということだろう。それは、なんとなく、よくないことのように思える。しかし、どうすればいいということはわからない。少し前に「動物に魂はあるのか」という本を読んだ。もし、動物に魂があるのであれば、家畜が屠られた時、その魂はどうなってしまうのだろうか。そんなことも考えてしまう。これが正しいことかどうかはわからないが、今、肉をいただくときに、本書のいくつかの場面を意識的に思い起こすようにしている。

$バーチャル・ロック喫茶 くじら亭


店主

BGM Let's Get It On / Marvin Gaye

It's a Shame about Ray

Lemonheadsの"It's a Shame about Ray"というCDです。

$バーチャル・ロック喫茶 くじら亭

僕にしては珍しいジャケ買いでした。クレジットを見ると1992年ですからまだ会社に入る前、大学4年生のころです。

ふと思い出して、久しぶりに引っ張り出して聴いています。どれも2分前後の超わかりやすく、覚えやすいメロディのギターロック(当時はオルタナという漠っとした括りだったと思います)。

もしかするととりたてて優れた作品ではないのかもしれませんが、このジャケットのイメージも含め僕にとっては大切な一枚です。懐かしいだけなのかもしれませんけど。

当時はS&Gの"Mrs.Robinson"のパンクなカバーが売れたようですが、アルバム収録のオリジナル作品のほうが圧倒的に良いと思います。

Lemonheadsは、その後、音沙汰を聞きません・・。

それにしてもかっこいいジャケットだと思いませんか?
あまりいいという声は聞きませんけど。

音のほうだって、"Bit Part"の少年の掛け声のイントロとか、かっちょいいです。


店主


BGM

It's a Shame about Ray / Lemonheads (1992/album)

これからの経済社会を考える~「成熟社会の経済学-長期不況をどう克服するか」

ブックレビューです。


経済学のことをわかりやすく説明した良書です。
この国の明日を考える際に大切なことがたくさん書かれていました。


-------
「成熟社会の経済学-長期不況をどう克服するか」/小野善康著(岩波新書)

昨年末の政権交代以降、円安が進み株価が上昇し、日本経済が活力を取り戻しつつあるような雰囲気が広がっている。しかし、実際の私たちの日々の生活に変化の実感はなく、何も変わっていないのに円相場や株価が動くというのはどうも不自然に思えてしまう。こういうことが起こるということは、いつかまた逆のこと、すなわち、何も変わっていないのに円高になったり株価が下がったりすることもあるということではないだろうか。結局のところ、経済学者や政治学者などの専門家ではない私たちには本当のことはよくわからないというのが正直な感覚だろう。

本書は、バブル崩壊以後20年間続く不況を「成熟社会」と捉え、そのような社会は経済学の視点ではどのように見えるのか、また、成熟社会を乗り越えていくにはどのような経済学的な処方箋が必要なのかを論じている。

著者は、成熟社会においては、80年代までの成長を前提とした社会(成長社会)とは異なる経済学の考え方が必要だという。成熟社会では、人々は生活に必要な物はひととおり手に入れてしまったので、お金を得ても新たなモノやサービスを購入したいという動機がない。むしろ、デフレで物価は下がっていく(=貨幣の価値が上がっていく)ので、今はお金を貯めておいて後で使おうという意識が働き、その結果として、長期に渡る不況が起きている。この状況を打破するためには、とにかく需要を創りだすこと。政策として貨幣をばらまいても人々はお金を貯め込むだけであり、そうではなく、人々が消費したくなるようなモノやサービスを生み出すように促すことが必要なのだと著者は言う。

このことについて、本書では「成熟社会に必要な知恵」として、「ブルーレイや3Dテレビ、ゲーム機やiPad、ネット・サービスのように、消費者に新たな楽しみを与え、購入するために前日から並ぶような物を次から次へと考案し続けること。このような創造力こそが重要です。」(p.26)と説明している。そのような前提のうえで雇用創出政策については「まず、目先の必需品ではなく、たとえ経営的には赤字であっても、ぜいたく品、不要不急品と思われるような分野において雇用を作る必要があります。」(p.96)と述べている。また、成熟社会においては、企業がコスト削減等により生産性を向上させても失業が増えるだけであり、同じ視点から、政策として職業訓練を推し進めることは結局のところ生産性の向上につながり、さらなる失業を増やすだと主張する。結論としては、成熟社会においては、産業政策においても雇用政策においても内需の拡大に結び付くような政策を取るべきだと言う。

これは、恐らく、経済学の視点では適切な処方箋なのだろう。しかし、もしそうだとすると、私は、そのような社会にはどうしても憧れることができない。資本主義経済の物差しでみれば生活必需品でない不要不急の新しいモノやサービスを次々に生み出していくことが重要なのかもしれないが、それが真の創造性とは思われない。結局のところ、企業でいえば利益向上、社会全体でいえば経済成長という価値基準に縛られた営みではないのか。また、生産性向上や職業訓練の否定についても、ひとりひとりが成長や能力の向上を目指したり、あるいは、それを支えたりすることができない社会というのは不自然ではないのか。少なくとも私にはそのような社会が魅力的だとはどうしても思えない。

本書では、今後、政府が支援すべき分野として、環境、介護、保育、観光などを挙げている。私もそのことには賛成である。しかし、その分野に注力する理由が、「市場経済では成立しないから」とか「不要不急だけれど需要を喚起できるから」という視点ではなく、たとえば環境に関しては、資源枯渇やエネルギー問題を考えれば人類史的に見て喫緊の課題であるということ、介護に関しても人口動態を考えれば喫緊の課題であり、また、その分野が充実することにより人々の暮らしがより豊かになるという見通しが立つ分野であるということから、支援していくことが必要なのではないだろうか。

それが、既存の経済社会=貨幣経済の仕組みで実現することが難しいと言うのであれば、それはもしかすると貨幣経済はある意味で限界であり、そうではない新しい枠組みを見出していくことが必要なのではないだろうか。そんなことは非現実的だと言われるかもしれない。しかし、山崎亮氏が手掛けている島しょ地域や地方都市における地域づくりに代表される動きや、ごく身近なところにあるいろいろなソーシャルビジネスやコミュニティビジネスなどは、貨幣経済の原理のみで動いていないということは確かだろう。そのようなことを考えると、たとえば、山崎正和氏の提唱する「贈与と交換」あるいは「社交と商業」の経済や、坂口恭平氏の提唱する「態度経済」、広井良典先生の「創造的福祉社会」というキーワードが思い起こされる。

今、まさに、大きな時代の転換期であるということ、また、私自身は、やはり、貨幣経済とは異なる、新しい経済社会を志向していきたいということを改めて感じた。

〔追記〕
上記の書評は本書に対して批判的に書いているような印象を与えるかもしれないが、あくまでも私自身の感想であり、本書に対する批判では全くない。本書そのものは、経済のあり方について、まるでこちらからの質問に答えるように丁寧に説明がなされており、非常にわかりやすく、説得力がある。経済学の基礎知識が十分にない自分のような者にもよく理解できるように構成されている。「なるほどそういうことだったのか」と思うことが数多くあった。難解なことをわかりやすく説明することほど難しいことはなく、この点はさすがで、特に経済学を専門としない社会人全般に広くお勧めしたい一冊である。



店主

BGM Warm Your Heart / Aaron Neville (album)