冬の朝に“Kind of Blue”
新年もあけて既に5日になりますが、今年最初にじっくり聞いた一枚は、マイルス・デイビスのKind of Blueです。
名盤ですので今更紹介するまでもありませんが、この作品は、冬の日のピンと張りつめた空気に添います。夜に聴くことが多いのですが、朝もいけます。
冬の朝の空気はワレモノのようで選曲は重要です。きわめて少ない音数で見事に世界が細部まで表現されているこのCDは、冬の朝の気持ちよさを際立たせます。そっと、気持ちを高めてくれる感じでしょうか。
ジャズ聴きの人にとってはいまさらですがロックから入った僕にとっては、
このCDは衝撃的でした。
こういうミニマムな音で壮大な世界をつくるような表現はロックでは難しいのだろうなとも思います。
1曲目(So What)の静かな入りがいいですね。
耳を澄まさないと聞き取れないくらいの音。
ジャズの詳しいことはまったくわかりませんが、ロック喫茶のお客さんにも聴いていただきたい1枚です。
店主
BGM
Kind of Blue / Miles Davis (album 1959)
名盤ですので今更紹介するまでもありませんが、この作品は、冬の日のピンと張りつめた空気に添います。夜に聴くことが多いのですが、朝もいけます。
冬の朝の空気はワレモノのようで選曲は重要です。きわめて少ない音数で見事に世界が細部まで表現されているこのCDは、冬の朝の気持ちよさを際立たせます。そっと、気持ちを高めてくれる感じでしょうか。
ジャズ聴きの人にとってはいまさらですがロックから入った僕にとっては、
このCDは衝撃的でした。
こういうミニマムな音で壮大な世界をつくるような表現はロックでは難しいのだろうなとも思います。
1曲目(So What)の静かな入りがいいですね。
耳を澄まさないと聞き取れないくらいの音。
ジャズの詳しいことはまったくわかりませんが、ロック喫茶のお客さんにも聴いていただきたい1枚です。
店主
BGM
Kind of Blue / Miles Davis (album 1959)
消費社会とビジネスの変化~「「心の時代」にモノを売る方法」
あけましておめでとうございます。
新年最初のブログもブックレビューです。
ロック喫茶の看板は偽りになりつつあります。
音楽関係も、また書きますのでご容赦を。
-----
「「心の時代」にモノを売る方法」(小阪裕司著/角川oneテーマ21)
年末年始に読んだ一冊です。
僕が嫌いなノウハウ本のようなタイトルですが、中身はそうではありませんでした。
消費社会の変化とそれに伴うビジネスの変化について、実践家であり研究者でもある著者自身の調査と実践事例を踏まえて紹介した一冊です。
著者は、消費者の欲求は1980年代以降から徐々に変わりつつあり、今まさに変化の途上にあり、そのような新しい消費社会では、顧客はモノではなく「心の豊」かさと「毎日の精神的充足感」を求めるようになって行くと言います。
本書では、このような流れの中で、消費者や企業(ビジネス)は実際にどう変わっているのかを、事例や背景の説明などを交えながら紹介しています。
具体的事例としては、棚に飾ることを目的とした鍋を販売するルクルーゼや木のある豊かな生活を提案しながら高級床材を販売するライブナチュラルの事例など。
また、消費社会の変化については、たとえば、山崎正和氏の著書「社交する人間」を引用しながら、「(前略)長らく-おそらく産業革命以来200年以上も-「生産と分配」の経済の陰に隠れていたもうひとつの系統、「贈与と交換」そして「社交と商業」の経済が再び表舞台に出てきたのである。」(同書より)と述べています。
本当にそのとおりだと思います。
自分の周囲を見ていても、従来の物質的に満たされることが人生の豊かさとイコールであったような生産と消費のあり方は変わってきているということを強く感じます。
そうしたことは恐らく多くの人たちが感じているでしょう。
ですから、本書の取り扱っていることは、いわば、多くの人にとって既にあたりまえのことなのかもしれません。
しかし、本書は、その周知の事柄を具体的事例を参照しながら、その変化の内容を体系的に整理している点に価値があります。
具体的な事例は重要です。
変化していることは、なんとなく、わかっている。けど、それじゃ、ビジネスの現場では実際どのようなことが起きているのか。
その説明があることで、「何となく」感じていることが、「何となく」ではなく、事実であることが確認できます。
しかし、これも、周囲に具体的事例を持っている人にとってはたいしたことではないかもしれません。実際、僕の周囲にも具体的な事例はいくつもあります。
本書において具体的事例以上に重要な点は、その変化の内容を体系的に整理しているという点でしょう。
たとえば、「新しいビジネス6つの要件」と題した第4章では、消費社会が変化した結果、ビジネスに求められる6つの要件として、「価値創造」、「商品力(感性価値)」、「顧客コミュニティの育成」、「新基準の品揃え」、「もてなしとしつらえ」、「人材育成(感性と実践知)」を挙げています。
これらの要素は、いずれも「工業社会」のビジネスに求められる要素との対比により、また、これまでの事例と変化の背景の説明に基づき、分類整理し、紹介されており、納得感があります。
この章があることでノウハウ本的に見られますが、まさに本書の肝といってよいでしょう。
このように整理して俯瞰的に見ることでビジネスの変化を大きな視点で捉えることができます。
具体的な小さな事例を大きなマップに位置付けて見ることができるようになります。
そうすることで、戦略的な思考も可能になるでしょう。自分の仕事にとっても価値のある見取り図です。
さらに終章では、こうしたビジネスの変化を踏まえた能力開発にも触れています。
この部分も、若い読者にはおおいに参考になるのではないでしょうか。
以上のように、本書は、消費社会の変化に伴うビジネスの変化を事例に基づき体系的に整理し、紹介しています。
自分自身の経験とも重なりあうところが多く、すっきりと読むことができまし、仕事に貢献することの多い一冊だと感じました。
ただし、個人的には、消費社会が変わりつつあるのはわかっていることであり、その結果、ビジネスがわかっていくことも承知していることです。ですから、本書を読んですっきりはしたものの、特段に新しい刺激はありませんでした。
僕自身の関心は、消費社会が変わった先にどのような社会があるのか、ということです。
先の山崎正和氏の著書には「贈与と交換」の経済というキーワードがあります。
恐らく、現在、主流をなしている貨幣を媒介とする経済は縮小していくだろうということは、なんとなく想像できます。しかし、それが具体的にどのような形をなすのか。
地域通貨のようなものが普及していくのか、あるいは、地域単位の互助的な都市型コミュニティの形成が急速に進んでいくのか、さらに、そうした社会においてエネルギーや食糧、福祉の問題はどのように解決されていくのかなど。
「知りたい」と記載しましたが、こうしたことは、自分を含めた社会を担うひとりひとりが、現場での経験を土台に、思索し、実践していくことなのかもしれません。
そのためには、大きな見取り図を持つことが必要だと感じます。
思索も含め、自分にできることはやっていかねばならないと感じています。
店主
BGM
Far from Home / Traffic (album 1994)
新年最初のブログもブックレビューです。
ロック喫茶の看板は偽りになりつつあります。
音楽関係も、また書きますのでご容赦を。
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「「心の時代」にモノを売る方法」(小阪裕司著/角川oneテーマ21)
年末年始に読んだ一冊です。
僕が嫌いなノウハウ本のようなタイトルですが、中身はそうではありませんでした。
消費社会の変化とそれに伴うビジネスの変化について、実践家であり研究者でもある著者自身の調査と実践事例を踏まえて紹介した一冊です。
著者は、消費者の欲求は1980年代以降から徐々に変わりつつあり、今まさに変化の途上にあり、そのような新しい消費社会では、顧客はモノではなく「心の豊」かさと「毎日の精神的充足感」を求めるようになって行くと言います。
本書では、このような流れの中で、消費者や企業(ビジネス)は実際にどう変わっているのかを、事例や背景の説明などを交えながら紹介しています。
具体的事例としては、棚に飾ることを目的とした鍋を販売するルクルーゼや木のある豊かな生活を提案しながら高級床材を販売するライブナチュラルの事例など。
また、消費社会の変化については、たとえば、山崎正和氏の著書「社交する人間」を引用しながら、「(前略)長らく-おそらく産業革命以来200年以上も-「生産と分配」の経済の陰に隠れていたもうひとつの系統、「贈与と交換」そして「社交と商業」の経済が再び表舞台に出てきたのである。」(同書より)と述べています。
本当にそのとおりだと思います。
自分の周囲を見ていても、従来の物質的に満たされることが人生の豊かさとイコールであったような生産と消費のあり方は変わってきているということを強く感じます。
そうしたことは恐らく多くの人たちが感じているでしょう。
ですから、本書の取り扱っていることは、いわば、多くの人にとって既にあたりまえのことなのかもしれません。
しかし、本書は、その周知の事柄を具体的事例を参照しながら、その変化の内容を体系的に整理している点に価値があります。
具体的な事例は重要です。
変化していることは、なんとなく、わかっている。けど、それじゃ、ビジネスの現場では実際どのようなことが起きているのか。
その説明があることで、「何となく」感じていることが、「何となく」ではなく、事実であることが確認できます。
しかし、これも、周囲に具体的事例を持っている人にとってはたいしたことではないかもしれません。実際、僕の周囲にも具体的な事例はいくつもあります。
本書において具体的事例以上に重要な点は、その変化の内容を体系的に整理しているという点でしょう。
たとえば、「新しいビジネス6つの要件」と題した第4章では、消費社会が変化した結果、ビジネスに求められる6つの要件として、「価値創造」、「商品力(感性価値)」、「顧客コミュニティの育成」、「新基準の品揃え」、「もてなしとしつらえ」、「人材育成(感性と実践知)」を挙げています。
これらの要素は、いずれも「工業社会」のビジネスに求められる要素との対比により、また、これまでの事例と変化の背景の説明に基づき、分類整理し、紹介されており、納得感があります。
この章があることでノウハウ本的に見られますが、まさに本書の肝といってよいでしょう。
このように整理して俯瞰的に見ることでビジネスの変化を大きな視点で捉えることができます。
具体的な小さな事例を大きなマップに位置付けて見ることができるようになります。
そうすることで、戦略的な思考も可能になるでしょう。自分の仕事にとっても価値のある見取り図です。
さらに終章では、こうしたビジネスの変化を踏まえた能力開発にも触れています。
この部分も、若い読者にはおおいに参考になるのではないでしょうか。
以上のように、本書は、消費社会の変化に伴うビジネスの変化を事例に基づき体系的に整理し、紹介しています。
自分自身の経験とも重なりあうところが多く、すっきりと読むことができまし、仕事に貢献することの多い一冊だと感じました。
ただし、個人的には、消費社会が変わりつつあるのはわかっていることであり、その結果、ビジネスがわかっていくことも承知していることです。ですから、本書を読んですっきりはしたものの、特段に新しい刺激はありませんでした。
僕自身の関心は、消費社会が変わった先にどのような社会があるのか、ということです。
先の山崎正和氏の著書には「贈与と交換」の経済というキーワードがあります。
恐らく、現在、主流をなしている貨幣を媒介とする経済は縮小していくだろうということは、なんとなく想像できます。しかし、それが具体的にどのような形をなすのか。
地域通貨のようなものが普及していくのか、あるいは、地域単位の互助的な都市型コミュニティの形成が急速に進んでいくのか、さらに、そうした社会においてエネルギーや食糧、福祉の問題はどのように解決されていくのかなど。
「知りたい」と記載しましたが、こうしたことは、自分を含めた社会を担うひとりひとりが、現場での経験を土台に、思索し、実践していくことなのかもしれません。
そのためには、大きな見取り図を持つことが必要だと感じます。
思索も含め、自分にできることはやっていかねばならないと感じています。
店主
BGM
Far from Home / Traffic (album 1994)
日本をつくるキー概念~「「世間」とは何か」
立て続けにブックレビューです。
ロック喫茶なのに。
おもしろい本を読んでしまったのでご容赦ください。
ショートバージョンはFBに掲載しましたのでこちらはロングバージョンです。
語り口はライトバージョンです。
------
「「世間」とは何か」(阿部勤也著/講談社現代新書)という本を読みました。
タイトルどおり「世間」とはどういうものなのかについての論考です。
この本を読んでずいぶんぱっと視界が開けた感じがしました。
世間という言葉は知っていてもその概念についてはよくわかっていない。
まず、「世間」と「社会」は違うということ。「社会」というのは西欧から持ち込まれた概念で個人が前提となります。尊厳のある個人の意思に基づいて社会のあり方は決まります。
しかし、「世間」はそうではない。
では、どういうものかと言えば、
「世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結びつけている。しかし、個人が自分からすすんで世間をつくるわけではない。何となく、自分の位置がそこにあるものとして生きている。」(同書より)
というものです。
そして、「日本人は皆世間から相手にされなくなることを恐れており、世間から排除されないように常に言動に気をつけているのである。」(同書より)
また、「しばしば「自分は無実だが、世間を騒がせたことについては謝罪したい」と語ることがある。」(同書より)のです。
一方でそうしたネガティブな側面だけでなく、世間には贈与・互酬の原理があるといいます。
「したがってあまり有能とはいえない人でも、その世間の掟を守っている限りそこから排除されることはない。これは裏からみれば、有能な人がそれなりの位置をうるというわけではないということもできる。」(同書より)ということです。
本書ではこのような日本独自の「世間」というものについて、主に歴史の流れに沿って説明をしています。
「世間」が日本人の人間関係の相当部分を規定していたということを踏まえると、今現在の自分自身の関心ごとのいろいろが「すうっー」と理解できるような気がしたのです。
たとえば、日本企業で成果主義がうまく導入できなかったのはなぜか、ということも「世間」があるからと考えると理解できます。成果の評価方法が難しいなどといったことではなく、実力のある者の抜擢や降格人事などは、日本人に潜在的にある「世間」の規範が受け入れられないということではないでしょうか。結局、日本企業は社会ではなく、世間であったということです。
また、独居高齢者が孤立したり身寄りのない人たちが孤独死したりという事件は、地域社会の中から世間が消えつつあることと関係があるかもしれません。都市生活者は、無意識的に、「世間」というのは、しがらみがあってごちゃごちゃして鬱陶しいものだと考えていて、排除してきたのではないでしょうか。しかし、実は、その鬱陶しい「世間」がセーフティネットだったというわけです。
一方、僕の周囲で「うまく仕事をまわしている」と感じる人は、「世間」を大切にしているように感じます。
それは具体的にいえば、直接的に仕事の成果に結びつかないような、けど、人と人との関係を契り結ぶためには必要な活動に重きを置いているということです。
僕も少しはそういうことを意識しています。たとえば、おつきあいのある企業さんなどに「近くに来たので寄りました。」というようなことです。「用がないなら来てくれなくていいよ。時間もったいないでしょ」というのは「社会」で、「近くに来たなら顔出してよ、水くさいね」というのが「世間」ではないでしょうか。
昔のような「ムラ社会」的な世間を復活させることは無理でしょうし、誰も望んでいないでしょう。しかし、広井良典先生がおっしゃるような「個人と個人がつながるような「都市型コミュニティ」」(「創造的福祉社会」広井良典著より)をこれからつくっていくときに、「世間」という概念を意識的に考慮していくことが必要なのではないかと思うのです。
十分な説明ではないと思いますが、「世間」という概念は、この国の明日を考えるときに非常に重要なキー概念ではないかと思います。
店主
BGM
Feelin' Alright / Traffic (Album)
ロック喫茶なのに。
おもしろい本を読んでしまったのでご容赦ください。
ショートバージョンはFBに掲載しましたのでこちらはロングバージョンです。
語り口はライトバージョンです。
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「「世間」とは何か」(阿部勤也著/講談社現代新書)という本を読みました。
タイトルどおり「世間」とはどういうものなのかについての論考です。
この本を読んでずいぶんぱっと視界が開けた感じがしました。
世間という言葉は知っていてもその概念についてはよくわかっていない。
まず、「世間」と「社会」は違うということ。「社会」というのは西欧から持ち込まれた概念で個人が前提となります。尊厳のある個人の意思に基づいて社会のあり方は決まります。
しかし、「世間」はそうではない。
では、どういうものかと言えば、
「世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結びつけている。しかし、個人が自分からすすんで世間をつくるわけではない。何となく、自分の位置がそこにあるものとして生きている。」(同書より)
というものです。
そして、「日本人は皆世間から相手にされなくなることを恐れており、世間から排除されないように常に言動に気をつけているのである。」(同書より)
また、「しばしば「自分は無実だが、世間を騒がせたことについては謝罪したい」と語ることがある。」(同書より)のです。
一方でそうしたネガティブな側面だけでなく、世間には贈与・互酬の原理があるといいます。
「したがってあまり有能とはいえない人でも、その世間の掟を守っている限りそこから排除されることはない。これは裏からみれば、有能な人がそれなりの位置をうるというわけではないということもできる。」(同書より)ということです。
本書ではこのような日本独自の「世間」というものについて、主に歴史の流れに沿って説明をしています。
「世間」が日本人の人間関係の相当部分を規定していたということを踏まえると、今現在の自分自身の関心ごとのいろいろが「すうっー」と理解できるような気がしたのです。
たとえば、日本企業で成果主義がうまく導入できなかったのはなぜか、ということも「世間」があるからと考えると理解できます。成果の評価方法が難しいなどといったことではなく、実力のある者の抜擢や降格人事などは、日本人に潜在的にある「世間」の規範が受け入れられないということではないでしょうか。結局、日本企業は社会ではなく、世間であったということです。
また、独居高齢者が孤立したり身寄りのない人たちが孤独死したりという事件は、地域社会の中から世間が消えつつあることと関係があるかもしれません。都市生活者は、無意識的に、「世間」というのは、しがらみがあってごちゃごちゃして鬱陶しいものだと考えていて、排除してきたのではないでしょうか。しかし、実は、その鬱陶しい「世間」がセーフティネットだったというわけです。
一方、僕の周囲で「うまく仕事をまわしている」と感じる人は、「世間」を大切にしているように感じます。
それは具体的にいえば、直接的に仕事の成果に結びつかないような、けど、人と人との関係を契り結ぶためには必要な活動に重きを置いているということです。
僕も少しはそういうことを意識しています。たとえば、おつきあいのある企業さんなどに「近くに来たので寄りました。」というようなことです。「用がないなら来てくれなくていいよ。時間もったいないでしょ」というのは「社会」で、「近くに来たなら顔出してよ、水くさいね」というのが「世間」ではないでしょうか。
昔のような「ムラ社会」的な世間を復活させることは無理でしょうし、誰も望んでいないでしょう。しかし、広井良典先生がおっしゃるような「個人と個人がつながるような「都市型コミュニティ」」(「創造的福祉社会」広井良典著より)をこれからつくっていくときに、「世間」という概念を意識的に考慮していくことが必要なのではないかと思うのです。
十分な説明ではないと思いますが、「世間」という概念は、この国の明日を考えるときに非常に重要なキー概念ではないかと思います。
店主
BGM
Feelin' Alright / Traffic (Album)