映画「レイ」を観て
レイ・チャールズの人生を描いた「レイ」という映画(DVD)を見ました。

教科書的にはソウルやロックはゴスペルとブルースの融合だと言われており、僕らもそういうことを念頭に置いてブルースやゴスペルを聴きます。
そういうことを頭に入れてブルースやゴスペルを聴くと、ソウルやロックの中には確かにブルースやゴスペルの要素があって、「ああ、そうだな。教科書の通りだ」と思うわけです。
時代の順序を遡って聴くとそんなふうにすっと理解できて、なんかお勉強できたような感じがするのですが、この映画を見ると、ブルースとゴスペルを融合するということが、いかに斬新で驚くようなことで、チャレンジだったのかということがよくわかります。
耳慣れたレイ・チャールズの曲(映画では「ハレルヤ・アイ・ラブ・ハー・ソー」)を演っているダンスホール(?)に「悪魔の歌だ!」、「やめろ!」といって罵りながら入ってくるおとなながいたりします。
(この騒動の直後、レイが会場の聴衆に向かって「この歌を聴きたい人は“アーメン”と言って」と呼びかけ、会場が「アーメン!」と唱和します。一流のユーモアですね!)
世の中の人たちにとっては、俗な音楽であるブルースと聖な音楽であるゴスペルを合わせるなんてあり得ない発想で、おそらく、考えもしないことだったのだと思います。
けど、ブルースもゴスペルもレイにとっては子どものころから体に染みついた音楽だから、それを融合するのは彼にとっては自然だったのでしょう。
もしかすると目が見えないということも関係あるかもしれません。
天才というのは、いつも、そういうものです。
普通の人たちが絶対できないことをさらっとやってしまう。
この映画では、そういうレイの天才性が、時代を時間軸に沿って追っていくことでよくわかります。
それともうひとつ、アトランティックというレコード会社がいかに凄いかということがわかります。
レイは、アトランティックに移籍する前は、ナット・キング・コールのものまねだと言われていたのが、移籍後に革新的な音楽をどんどん出していきます。
これは、映画の中ではスタジオでの共同作業もそうだし、ステージでのアクシデント的な出来事に端を欲するものもあれば、プライベートな生活の中から出てきたものもあります。
レイ自身が覚醒していたのでしょうが、それをうまく引き出していたということでしょう。
また、アトランティックを離れてABCに移籍した後は、カントリーとか管弦楽との共演など、既存の枠組みにレイの音楽をあてはめていくようなスタイルに変わっていきます。
革新性が減っていくという印象です。
(それはそれで、凄い音楽ではあるのですが、イノベーティブではないということです。)
そう考えるとレイは天才だけど、それを引き出して、世界に発信するステージを創ったのはアトランティックというレコード会社だということです。
そして、ほかのレコード会社には、それができなかったということです。
アレサも、オーティスも、トラフィックも、ツェッペリンも、みんなアトランティックです。
なるほど。そういうことか、と思うわけです。
というわけでアトランティック時代のレイのレコードをもっと掘って聴いてみたいと思います。
レイは凄い人ですが、聖人ではありません。映画では、全盛期はドラッグでボロボロで、家庭人としては、まったくダメだったということがしっかり描かれていて、天才も人間であって、弱さがあって、それを克服することがいかに困難を伴うかというドラマにもなっています。
音楽好きならレイのファンでなくても楽しめると思います。
くじら
BGM the Definitive Ray Charles

教科書的にはソウルやロックはゴスペルとブルースの融合だと言われており、僕らもそういうことを念頭に置いてブルースやゴスペルを聴きます。
そういうことを頭に入れてブルースやゴスペルを聴くと、ソウルやロックの中には確かにブルースやゴスペルの要素があって、「ああ、そうだな。教科書の通りだ」と思うわけです。
時代の順序を遡って聴くとそんなふうにすっと理解できて、なんかお勉強できたような感じがするのですが、この映画を見ると、ブルースとゴスペルを融合するということが、いかに斬新で驚くようなことで、チャレンジだったのかということがよくわかります。
耳慣れたレイ・チャールズの曲(映画では「ハレルヤ・アイ・ラブ・ハー・ソー」)を演っているダンスホール(?)に「悪魔の歌だ!」、「やめろ!」といって罵りながら入ってくるおとなながいたりします。
(この騒動の直後、レイが会場の聴衆に向かって「この歌を聴きたい人は“アーメン”と言って」と呼びかけ、会場が「アーメン!」と唱和します。一流のユーモアですね!)
世の中の人たちにとっては、俗な音楽であるブルースと聖な音楽であるゴスペルを合わせるなんてあり得ない発想で、おそらく、考えもしないことだったのだと思います。
けど、ブルースもゴスペルもレイにとっては子どものころから体に染みついた音楽だから、それを融合するのは彼にとっては自然だったのでしょう。
もしかすると目が見えないということも関係あるかもしれません。
天才というのは、いつも、そういうものです。
普通の人たちが絶対できないことをさらっとやってしまう。
この映画では、そういうレイの天才性が、時代を時間軸に沿って追っていくことでよくわかります。
それともうひとつ、アトランティックというレコード会社がいかに凄いかということがわかります。
レイは、アトランティックに移籍する前は、ナット・キング・コールのものまねだと言われていたのが、移籍後に革新的な音楽をどんどん出していきます。
これは、映画の中ではスタジオでの共同作業もそうだし、ステージでのアクシデント的な出来事に端を欲するものもあれば、プライベートな生活の中から出てきたものもあります。
レイ自身が覚醒していたのでしょうが、それをうまく引き出していたということでしょう。
また、アトランティックを離れてABCに移籍した後は、カントリーとか管弦楽との共演など、既存の枠組みにレイの音楽をあてはめていくようなスタイルに変わっていきます。
革新性が減っていくという印象です。
(それはそれで、凄い音楽ではあるのですが、イノベーティブではないということです。)
そう考えるとレイは天才だけど、それを引き出して、世界に発信するステージを創ったのはアトランティックというレコード会社だということです。
そして、ほかのレコード会社には、それができなかったということです。
アレサも、オーティスも、トラフィックも、ツェッペリンも、みんなアトランティックです。
なるほど。そういうことか、と思うわけです。
というわけでアトランティック時代のレイのレコードをもっと掘って聴いてみたいと思います。
レイは凄い人ですが、聖人ではありません。映画では、全盛期はドラッグでボロボロで、家庭人としては、まったくダメだったということがしっかり描かれていて、天才も人間であって、弱さがあって、それを克服することがいかに困難を伴うかというドラマにもなっています。
音楽好きならレイのファンでなくても楽しめると思います。
くじら
BGM the Definitive Ray Charles
大阪ブルース
有山じゅんじと上田正樹のライブDVD「ぼちぼちいこか」を観ました。
知人のお勧めでお借りした次第です。
それで思ったのは、ブルースと大阪弁はおどろくほど相性がいいということです。
東京弁ではこの味は出ないでしょう。言葉にはリズムがあるので、音楽との相性というのはあっておかしくないと思います。大阪ブルース。
それと、哀しみやしんどさを笑い飛ばそうとするブルースの表現も合っているのだと思います。
大真面目なこともなんだかユーモラスに聞こえてしまう大阪弁ならではでしょう。
それにしてもほとんど初めて彼らの音楽に触れたのですが、いや、めちゃめちゃかっこいいです。
ブルースはブルースですけど、これはマネ(たとえば、「日本のブルース」とかではないということ)ではなく、完全に別の音楽の種類です。
オリジナルのアルバムは70年代だそうです。聞いてみたいです。

くじら
BGM DVD「ぼちぼちいこか」
知人のお勧めでお借りした次第です。
それで思ったのは、ブルースと大阪弁はおどろくほど相性がいいということです。
東京弁ではこの味は出ないでしょう。言葉にはリズムがあるので、音楽との相性というのはあっておかしくないと思います。大阪ブルース。
それと、哀しみやしんどさを笑い飛ばそうとするブルースの表現も合っているのだと思います。
大真面目なこともなんだかユーモラスに聞こえてしまう大阪弁ならではでしょう。
それにしてもほとんど初めて彼らの音楽に触れたのですが、いや、めちゃめちゃかっこいいです。
ブルースはブルースですけど、これはマネ(たとえば、「日本のブルース」とかではないということ)ではなく、完全に別の音楽の種類です。
オリジナルのアルバムは70年代だそうです。聞いてみたいです。

くじら
BGM DVD「ぼちぼちいこか」
態度経済に基づく新しい社会システムの構想 ~「独立国家のつくり方」坂口恭平著
坂口恭平さんの「独立国家のつくり方」という本を読みました。
話題の本ですし、以前、ビッグイシューでも紹介されていて興味を持ったこともありますが、
知人との読書会の課題図書だったので、じっくり読んだ次第です。
少し堅めのレビューです。
------
「独立国家のつくり方」/坂口恭平著(講談社現代新書)
著者は、熊本市に首相官邸を有する独立国家の内閣総理大臣である。著者が言う独立国家とは、日本国やアメリカといったような国際法に基づく国家のことではない。現状の政府に絶望し、既存の社会システムとは異なる新しい視点や立ち位置(本書では「レイヤー」(=層)という語を使っている。)で世の中を見た著者が、あるべき社会システムの姿を具現化するための方法論である。とはいえ、首相官邸もあるし、大臣もいるし、領土もあるし、外交も行っており、こうした点は既存の独立国家と同じである。
本書は、著者がなぜ、独立国家を運営するようになったのか、そのようなことを考えるに至るまでの歩みと、思想、そして、未来の構想が綴られている。大学の建築学科で路上生活者の住居を調査することを通じて、独自のレイヤーで世の中を見て生活を営んでいる路上生活者(鈴木さん)と出会う。このことが著者に大きな衝撃を与える。それ以後、子どものころから考えていたいくつもの疑問に対し、異なるレイヤーで世の中を見ることで解決を図っていく。たとえば、簡易な箱型のスペースに車輪を付けた居住スペース=「モバイルハウス」を提案する。住宅に車輪を付けることにより、土地に縛られることがなくなる。また、簡易な構造であるため、誰もが自分の手で住宅を建設することができる。こうした発想は、住宅というのは「地面に基礎を打って建てるものである」とか「工務店や大工さんが建てるものである」という既存の価値観(レイヤー)でものを見ていたのでは出て来ない発想である。レイヤーを変えることで「住む」とはどういうことかの本質を問い直すことができる。このようにレイヤーを飛び越えることにより、既存の社会システムの根源を問い直し、その先に、新しい政府(独立国家)をつくることを構想していく。
独立国家の構想や運営を進めていくにあたって著者は「態度経済」なる概念の重要性を説く。これは、現状の貨幣経済に対する概念であり、言葉のとおり、貨幣の代わりに態度を交換するという考え方である。たとえば、著者は福島の子どもたちを熊本に無料で招待するサマーキャンプを計画する。当然、参加者の交通費や滞在費がかかる。その必要経費の半額(150万円)は自前で負担し、残りの半額はこの計画を知ったフォロワーが負担した。これを、著者は、募金ではなく、「僕の態度に対する投資だと考えている」と言う。これが態度経済である。
この態度経済という概念は、私たちが進むべき未来社会の姿のひとつの重要な側面を提示していると私は考える。90年代以降、資本主義に基づく貨幣経済が窮状に陥りつつあることは、多くの人が感じていることではないだろうか。その代替となる経済社会が多くの識者らによって模索されており、たとえば、山崎正和氏は「交換と贈与の経済」を示している。そのような新しい経済社会では、「態度」という要素が重要な位置を占めることは、確かなことのように思われる。自分の周囲を見渡しても、経済的な利益ではなく、態度が人や組織を動かしていくという事例は、枚挙にいとまがない。
貨幣経済が一気にゼロになるということはないだろう。それは、どのようなレイヤーで世の中を捉えるかは人それぞれなので、既存の価値観に基づくレイヤーで世の中を見る人がいきなりゼロになることはないと考えられるからである。しかし、貨幣経済と態度経済のバランスは徐々に変わっていき、態度経済のウェイトはどんどん増していくと考えられる。そうなると、態度を示さない人は、社会の中で価値を発揮できないということになる。
来るべき未来においては、自分がどのような「態度」を持つべきかということをしっかり考えていくことが何より必要になるだろう。そのようなことを考える際、著者の思想と行動は、これから社会を担っていくすべての人たちにとって大いに参考になるだろう。自分は独立国家の何大臣になれるのか。それを考えていくことが端緒になるだろう。
<追記>
細かなことを言えば、本書で著者が構想している世界は無理があることが多々ある。たとえば、植物を植えて勝手に育つのを待ってそれを分け合って食べるということは現実的には難しいだろう。バナナのみ食べて生きていくことはできないだろうから、人為的な農業は必要だろう。また、モバイルハウスの材料となる廃材は誰が用意するのか、河川敷の整備は誰がやるのかといったことも考える必要があるだろう。さらに、個人的には労働(という言葉のイメージが悪ければ勤労と言い換えてもよい。)そのものには人間が生理的に求める喜びがあると思っているので、労働から解き放たれることにより、「抑制された芸術、社会を変えるための行動が求められる。」ということには単純に賛同はできない。日々の労働の中から生まれてくる社会変革や芸術へ向かう力というものもある。もちろん、それは、レイヤーの違いなのだろうが。
こうした細かな詰めの甘さを含めても、著者の思想と行動には新しい社会を作っていこうという強い意志があり、その方向性には前記のとおり賛同するものである。

店主
BGM
Brother's Keeper / The Neville Brothers (album)
話題の本ですし、以前、ビッグイシューでも紹介されていて興味を持ったこともありますが、
知人との読書会の課題図書だったので、じっくり読んだ次第です。
少し堅めのレビューです。
------
「独立国家のつくり方」/坂口恭平著(講談社現代新書)
著者は、熊本市に首相官邸を有する独立国家の内閣総理大臣である。著者が言う独立国家とは、日本国やアメリカといったような国際法に基づく国家のことではない。現状の政府に絶望し、既存の社会システムとは異なる新しい視点や立ち位置(本書では「レイヤー」(=層)という語を使っている。)で世の中を見た著者が、あるべき社会システムの姿を具現化するための方法論である。とはいえ、首相官邸もあるし、大臣もいるし、領土もあるし、外交も行っており、こうした点は既存の独立国家と同じである。
本書は、著者がなぜ、独立国家を運営するようになったのか、そのようなことを考えるに至るまでの歩みと、思想、そして、未来の構想が綴られている。大学の建築学科で路上生活者の住居を調査することを通じて、独自のレイヤーで世の中を見て生活を営んでいる路上生活者(鈴木さん)と出会う。このことが著者に大きな衝撃を与える。それ以後、子どものころから考えていたいくつもの疑問に対し、異なるレイヤーで世の中を見ることで解決を図っていく。たとえば、簡易な箱型のスペースに車輪を付けた居住スペース=「モバイルハウス」を提案する。住宅に車輪を付けることにより、土地に縛られることがなくなる。また、簡易な構造であるため、誰もが自分の手で住宅を建設することができる。こうした発想は、住宅というのは「地面に基礎を打って建てるものである」とか「工務店や大工さんが建てるものである」という既存の価値観(レイヤー)でものを見ていたのでは出て来ない発想である。レイヤーを変えることで「住む」とはどういうことかの本質を問い直すことができる。このようにレイヤーを飛び越えることにより、既存の社会システムの根源を問い直し、その先に、新しい政府(独立国家)をつくることを構想していく。
独立国家の構想や運営を進めていくにあたって著者は「態度経済」なる概念の重要性を説く。これは、現状の貨幣経済に対する概念であり、言葉のとおり、貨幣の代わりに態度を交換するという考え方である。たとえば、著者は福島の子どもたちを熊本に無料で招待するサマーキャンプを計画する。当然、参加者の交通費や滞在費がかかる。その必要経費の半額(150万円)は自前で負担し、残りの半額はこの計画を知ったフォロワーが負担した。これを、著者は、募金ではなく、「僕の態度に対する投資だと考えている」と言う。これが態度経済である。
この態度経済という概念は、私たちが進むべき未来社会の姿のひとつの重要な側面を提示していると私は考える。90年代以降、資本主義に基づく貨幣経済が窮状に陥りつつあることは、多くの人が感じていることではないだろうか。その代替となる経済社会が多くの識者らによって模索されており、たとえば、山崎正和氏は「交換と贈与の経済」を示している。そのような新しい経済社会では、「態度」という要素が重要な位置を占めることは、確かなことのように思われる。自分の周囲を見渡しても、経済的な利益ではなく、態度が人や組織を動かしていくという事例は、枚挙にいとまがない。
貨幣経済が一気にゼロになるということはないだろう。それは、どのようなレイヤーで世の中を捉えるかは人それぞれなので、既存の価値観に基づくレイヤーで世の中を見る人がいきなりゼロになることはないと考えられるからである。しかし、貨幣経済と態度経済のバランスは徐々に変わっていき、態度経済のウェイトはどんどん増していくと考えられる。そうなると、態度を示さない人は、社会の中で価値を発揮できないということになる。
来るべき未来においては、自分がどのような「態度」を持つべきかということをしっかり考えていくことが何より必要になるだろう。そのようなことを考える際、著者の思想と行動は、これから社会を担っていくすべての人たちにとって大いに参考になるだろう。自分は独立国家の何大臣になれるのか。それを考えていくことが端緒になるだろう。
<追記>
細かなことを言えば、本書で著者が構想している世界は無理があることが多々ある。たとえば、植物を植えて勝手に育つのを待ってそれを分け合って食べるということは現実的には難しいだろう。バナナのみ食べて生きていくことはできないだろうから、人為的な農業は必要だろう。また、モバイルハウスの材料となる廃材は誰が用意するのか、河川敷の整備は誰がやるのかといったことも考える必要があるだろう。さらに、個人的には労働(という言葉のイメージが悪ければ勤労と言い換えてもよい。)そのものには人間が生理的に求める喜びがあると思っているので、労働から解き放たれることにより、「抑制された芸術、社会を変えるための行動が求められる。」ということには単純に賛同はできない。日々の労働の中から生まれてくる社会変革や芸術へ向かう力というものもある。もちろん、それは、レイヤーの違いなのだろうが。
こうした細かな詰めの甘さを含めても、著者の思想と行動には新しい社会を作っていこうという強い意志があり、その方向性には前記のとおり賛同するものである。

店主
BGM
Brother's Keeper / The Neville Brothers (album)