2014シーズン、京都はJ2で9位に終わりました。
例年と同じく、今季の振り返りをしていこうと思います。
今のところ全4回を考えていますが、取り留めもないまま書いていくので伸びるかもしれません。
まぁ、シーズンが早く終わっちゃったのでこっちで長々やってもいいでしょう(笑)



「自由」の崩壊


2011シーズンから3年間指揮を執った大木武監督に替わり、今季からブラジル人のバドゥ監督を迎えました。
大木体制からの「アップデート」による攻撃的サッカーを標榜しましたが、残念ながら結果は出ず、6月に解任。
バドゥ体制を敷いたチームの狙いと失敗について感じたところは6月にまとめていますので、詳細はこちら にということで。


大木体制の反省を踏まえ、縦への速さを強めることや選手の自主性を育むといったことは、狙いとして理解できます。
前者については昨シーズンにも山瀬功治と駒井善成をウイングに配したスリートップを敷くことによって改善しようとした経緯もありますし、後者は若い選手の多い京都にとって重要なポイントでしたからね。


しかし、あまりに「自由」を掲げる一方、チームとしての約束事はほぼ確立されないままシーズンに突入。
その結果、個人能力に大きく左右されることになりました。
開幕戦の北九州戦 では、まさにその個人能力で相手を圧倒して勝利を収めましたが、最終順位で北九州が5位に入ったことを考えると、シーズンにおける積み上げの差を感じずにはいられません。

試合を経るに連れて監督・コーチ陣の役割もハッキリしなくなっていきました。
また、自主性を重んじられた割にピッチ上での要求が少なかったり、そもそも試合に臨むためのコンディショニングが万全でなさそうであったりといったところで、選手たちの足りなさも感じられてしまいました。

特に、守備のスタート位置とビルドアップにしわ寄せが来ていたでしょうか。
この辺りが上手くいくと第8節・松本戦 のようにチームの高いポテンシャルを感じさせる試合になりました。特に、体の強い有田光希やキープ力のある横谷繁が前線に入ると後方からパスを出しやすく、スムーズに回りやすいという印象はありました。ただ、大黒将志が絶対的エースとして中央に君臨していたため、前線が重たくなり、バランスを取るのが難しい印象もありましたが・・・。
ここでバランスを上手く取ってくれたのが三平和司で、スリートップの一角に横谷とともに入った第11節・讃岐戦 からチームは3連勝。

ようやく、チームとして上向いていくかと思われましたが、このバランスは実に微妙なところで成り立っているだけのものでした。
第14節・水戸戦 で個人の軽いプレーから傷口をどんどん広げていき、大敗を喫すると、この試合から5試合で4敗。それも自分たちからバランスを崩して崩壊するという試合が続きましたし、監督解任はやむを得ない判断であったでしょう。


バドゥ監督の掲げた自由は、理想論としては興味深く、個人的にも概念として共感できるのですが、一方でその自由を享受できるための成熟さも必要だったように思います。
昨季のベースを活かして、と考えていたのだとは思いますが、新戦力も多いうえ、昨季のどの部分を重視するのかといったところまで曖昧ではやはり困難であったと言わざるを得ないでしょう。



曖昧なままだった森下コーチの役割


バドゥ監督解任後、森下仁志コーチが監督代行に就きました。

昨季途中まで磐田の監督を務めていた森下コーチは、今季から京都のコーチになっていました。
磐田時代はショートパスでの繋ぎを中心としたサッカーを志向していたように思いますので、大木体制下で積み上げてきたパスサッカーを繋ぐ役割を期待されていたのではないかと推察しています。
練習の指揮を執ることも多かったようですし、バドゥ体制において重要な役割を担う立場だったと考えて良いのではないでしょうか。
磐田で降格の引き金を引いたとはいえ、まだ若い指導者ですし、バドゥ監督の下である程度の実権を与えながらゆくゆくは監督にと考えているのかなとも思いました。

ただ、試合の采配を振るうのはバドゥ監督であったわけですし、結局のところ役割分担がどのようになっていたのかは気になるところです。
おそらく、この辺りのコミュニケーションが上手く行っていなかったのだろうなとは思いますが・・・。


その意味で、バドゥ監督と同様に責任を取るべき人物と個人的には思っていました。
一方で、チームの状況はよく知っているはずですし、昨季までの経験もありますから正式に後任監督に据えるという選択肢も同様にあってしかるべきだったと思います。

その中でクラブが選択したのは「監督代行」という立場。
あくまで「代行」ですので、新監督が決まればコーチに戻すことが念頭に置かれていた選択でしたね。
このことからも、個人的には「指導者の育成」を目論んでいるのかなと思いました。


森下監督代行が指揮を執ったのは第19節・熊本戦第20節・岡山戦
時間も限られていましたし、折しもこの時期は負傷者が続出していた頃で、メンバーのやり繰りも難しかったと思います。
しかしこの難しい局面で、田村亮介や磐瀬剛などの若手を抜擢しながら前線からの守備を統一し、戦えるチームに戻したのは良い仕事ぶりでした。
修正はメンタル面を中心に、縦への速さを重視したシンプルなサッカーを徹底しましたし、引き継ぎもしやすかったのでは。

その後、川勝監督が就任し(川勝体制については次の記事で述べます)、森下さんはコーチに戻ることになりましたが、その後は若手を中心に見ていた感じでしょうか。
引き継ぎ役からサポート役ということで、年長の監督の下に付くという形はバドゥ体制と同じ。
昇格を逃したところで川勝監督の退任は決定的でしたが、森下コーチの処遇はどうなるのかなと思っていたら、こちらも退任が発表されました。

一体、森下コーチの立ち位置をどのあたりに考えていたのか。
推測していた育成という概念はそもそもなかったのか。それとも、強化体制一新の割りを食った形なのか。
どちらなのかは判然としませんが、森下コーチの曖昧なポジションが、今季のチーム作りのあやふやさを示しているようにも思えます。