日米★つまみ食い育児ログ -2ページ目

親にとっての「早期」の意味


相良敦子『幼児期には2度チャンスがある―復活する子どもたち』を再読しかけたとたん、しばらく下火になっていたモンテッソーリへの憧れが“復活”してしまった。
以前、我が子のプリスクール選びで近所のモンテッソーリ校を見学したときは、まず学費の高さに驚き、あまりに整然とした人工的な雰囲気にも違和感を感じて、すぐ候補からはずした。
それでも、本で読むモンテッソーリ教育が魅力的・説得的であることに変わりはなく、今回も、相良さんの本のあちこちで、子ども自身がもつ力に対する信頼と、それを守り育てるために必要な大人の長期的なまなざしのあり方について考えさせられた。
この本の詳細については、後日また。

さて、学校に通わせるのを断念した以上、それでもモンテッソーリ的な教育がしたければ、家の中で取り入れるしかない。
できる範囲で家庭内環境を整えようとはしてみるものの(→10/20/2004)、自己流ではどうも今ひとつ自信がもてない。
できたら学校や家庭で実践している他の人の話が知りたいなあ・・・と考えていて、そういえばメーリングリストがあったことを思い出した。
〈モンテッソーリを考えよう-ほのぼのモンテッソーリ-〉

バックナンバーを最初から読んでみると、管理人ilさんのコメントには、さすがに参考になる話が多い。
たとえばNo.4(2001/07/16〉では、モンテッソーリは早期教育ではなく、その方針とされている「早期からの正しい環境」というのは「ゆっくりとした緩やかな環境」という意味だ、とし、さらにこう書いておられる。

一人一人の自発的な活動を尊重しますので、強制的に教える、教えられる、ということはありません。自発的に体験しながら学ぶ(勉強ではなく)と言うことが重要視されていますから、私自身、その環境を用意する、というのがモンテッソーリの「早期」の意味だと捉えています。

子どもの興味にたいする“親”の目配りと準備が先に必要、という意味での「早期」、という表現には、思わずはっとした。
やはり、“今の我が子”をよく観察しながら、そのつど思いつく限り・できる限りの環境を、先回りして整えていくことが大事で、それしかモンテッソーリ教育の実践方法はないのだ。
その合い間をぬって、本やこのMLのバックナンバーも、確実に読み進めていくことにしよう。

母国語と他国語への反応


山鳥 重『ヒトはなぜことばを使えるか―脳と心のふしぎ』より。

人は誕生直後には、人類が使っている音韻のすべてを区別する能力を備えているらしい。
しかし短期間のうちに、そのような能力は消滅とまではゆかなくとも、減弱してしまうようである。
そして自国語の音韻の弁別能力だけを発達させてゆく。
(p.21)

この「短期間のうちに」というのは、米国のクールという学者の実験(1992発表)の紹介によると、なんと「生後6ヵ月以内」らしい。

6ヵ月の幼児は、まだしゃべりはじめてはいないが、すでに母国語の単位音の変化にのみ反応し、他国語の音韻特性には反応できなくなりはじめていたのである。(p.21)

生後6ヵ月ですでに、自国語と異なる音素分布をもつ他国語が聞き取れなくなってしまうとしたら、日本における早期英語教育などは無意味だ、ということになってしまうのだろうか?
日本に住む日本人夫婦の家庭で、子どもとの日常会話を「英語」にする、などという極端な試みさえ行なわれているようだが、子ども自身がしゃべり始める頃にはとっくに母国語(日本語)優勢が決まっているとすれば、これも“労多くして功少なし”になりかねない。

それとは別に、多言語国家や国際結婚家庭に生まれ、「同時並行的」に複数言語の中で育つ子どもたちの場合はどうなるのか、という疑問も残る。

日米行事のP.O.I. 11月分


三石由起子『天才児を育てる魔法のカレンダー―家庭でできる英才教育の12ヵ月メニュー』の11月の項を読む。
“日本”の11月の伝統行事を中心に、秋にちなんだ料理(レシピつき)・動植物・歌など、季節感のある文化的知識や体験のアイディアが挙げられている。
アメリカ在住の我が家では、この本のメニューをさらにバイリンガル風にアレンジ。

(1)“日本”の行事「文化の日・立冬・七五三・勤労感謝の日・小雪」は、「英語」表記も合わせて整理する。
今月は、ハッピーマンデー法による移動祝日がなく、「日付」ごと覚えてしまえるので助かる。

(2)“アメリカ”でなじみの深い11月行事を加える。
11/1 All Saints' Day(キリスト教)
11/2 Election Day
11/11 Veteran's Day
11/25 Thanksgiving Day(11月第4木曜)
11/28 First Sunday of Advent(キリスト教・クリスマス4週間前の日曜)

(3) 日本とアメリカの共通点・相違点を整理する。
今月は「勤労感謝の日」と「Thanksgiving Day」。

(4) 上記の情報をそろえた後、項目ごとにP.O.I.を作成。
その後、実際に活用していく中で思いついたアイディアや新たに調べた情報は、余白に記入しておき、来年、新バージョンを作る際にアップデートする。

ところで、2002年3月刊行のこの本を最後に、三石氏は新刊を出していない。
本業の教室経営でお忙しいのか、マスコミの取材攻勢(バッシング?)に嫌気が差したのか、それとも、三石メソードに関して書くべきことはもう書き尽くしたということなのだろうか。
どの著作でも、彼女の確信に満ちた歯切れのいい書きっぷりに好感をもってきた読者としては、残念なことだ。

マザーズテスト第1回結果

「子どものやる気をのばす・育てるマザーズテスト」をやってみた。
元は下山 剛『子どものやる気をのばす・育てる―かしこい親になるための10章』に載っていたテストの無料体験版。
こういう診断を受けてみようと思うこと自体、私がいかに子育てに自信がないか、の証明なのだろうけれど(否定できません)。

結果は次の通り。

A お子さんをあたたかく受け入れる=28(段階4と3のボーダー)
B お子さんの自発性を大切にする =25(段階3の真ん中)
C お子さんをきちんとしつけする  =34(段階5と4のボーダー)
D お子さんのやるきを育てる    =32(段階4の真ん中)

段階1・・・・・・・・かなり低い。親の態度としては、かなり要注意。
段階2・・・・・・・・やや低い。親の態度としては、やや要注意。
段階3・・・・・・・・ふつう。
段階4・・・・・・・・やや高い。親の態度としては、望ましい。
段階5・・・・・・・・かなり高い。親の態度としては、たいへん望ましい。


「しつけ」には比較的厳しく、「やるき」を持たせようと「あたたかく」励ましたりもしているが、それが子どもの「自発性」を削いでいる面もある・・・
こう解釈すれば、思い当たることはたくさんあり、現在の私の態度にかなり近いような気がする。
これをいい反省材料にして軌道修正を心がけ、数ヶ月経ったらもう一度試してみよう。

育ったようにしか育てられない?


保坂展人『ちょっと待って!早期教育』を読み直す。
公文式を批判した同著者の『危ない公文式早期教育』に続いて、この本では、主に「七田式早期教育」の功罪が論じられている。

自分の子どもに意思が宿り、幼くても確かな心があると感じるか、
また、子どもは不完全で親に絶対的に従属するしかなくて、何をやらせるのも親の意のままと感じるのかには、
その人自身が過ごしてきた「子ども時代」の記憶と深く関わりあっている・・・(「まえがきにかえて」)


今回興味深かったのは、“早期教育の是非”以上に、子どもに早期教育をする“親自身”がどんな育ち方をしてきたのか、という視点。

「60年代後半に生まれて80年代前半に思春期を過ごし」、
「いわば『情報の海』を泳ぐのにたけた世代」の母たちは、
「情報過疎」と「ルールなき育児」の戦いにおいて
「情報の飢えを雑誌に、あるいは幼児教室でのお喋りに求め、
『育児のハウツウ』を『早期教育マニュアル』に求めてしまいたくなる」
(p.37)

これなど、70年代生まれの私にも、かなりあてはまっていると思う。
実際、こうして育児書を読みあさっているのは、マニュアルを求めていることに他ならないのだから。

一方、そうやって早期教育にのめり込んだ妻を心配するある父親は、我が子とは対照的に、
「子ども時代は野山を駆けまわる、はつらつとした日々を過ごしたことが、いい思い出としていまも鮮明に残っている」(p.5)
という。
現在は大手製造メーカーの課長だというこの父親は、実社会で求められる資質(人付き合い、創造性、自分の意志など)についても明確なビジョンをもっており、母親よりもずっと真っ当な常識人、という印象。
欲を言えば、自分によく似た“早期教育ママ”の生い立ちより、この父親のような人たちがいったいどんなふうに育てられてきたのか、の方をもっと詳しく知りたかった。