日米★つまみ食い育児ログ -3ページ目

おはなし雑誌の役割

以前、数冊だけ取り寄せたことのある小学館の月刊おはなし雑誌《おひさま》のバックナンバーが出てきた。
当時はまだ長めのお話が聞ける年齢ではなく、思うように活用できなかったものだ。
親としても、“単行本”の絵本や物語をたくさん集めているのだから、わざわざ“雑誌”を買う必要はないだろう、という気持ちがあった。

今年の夏、お友達の家にあった《おひさま》を一緒に読み聞かせたら、前よりぐっと興味を示すようになっていた。
記憶力もついてきたので、同じシリーズのお話の続きを来月まで待つ楽しみも、今なら味わえそうだ。

さらに、“雑誌”に対する私自身の考えも変わった。
大人の読書にも、古典と新刊、あるいは、くり返し読むものと読み捨てるものがある。
定番の名作絵本だけではなく、今、あるいはこれから活躍する絵本作家さんたちの新作を読んでみることも大事なことなのではないか。
親子ともども“読まず嫌い”にならず、本の良し悪し・自分の好き嫌いを見きわめる練習だと思って、来年から《おひさま》を定期購読してみるつもりだ。

「旬教育」をきょうだいに応用?

七田式右脳教育をベースにした英才教育のサイト「旬教育~太陽の子~」を読む。
ちょうど今日、メールマガジンの最新号が届いたのだ。

このサイトが提唱する「旬教育」には、共感できる部分がとても多い。
多くの早期教育法を検討した上で、あくまで我が子の「旬」に合わせた活用法を自然体で実践されている。

私は、人間は30代が勝負と思っているので、早期教育や英才教育の話を聞くと、そういう教育を受けた子どもたちが“どんな大人”になったか、追跡結果が知りたいと思うのだが、巷ではほとんどそういう情報を見かけない。
でも、このサイトでは、「旬教育」的な教育を受けて成人した実際例について触れられている点も興味深い。

反面、二人きょうだいの我が家にとっては、これはやはり一人っ子さん用の実践内容だなぁと思ってしまう部分もある。
きょうだい一人一人の異なる「旬」に、どう柔軟に対応していくかは、我が家流に試行錯誤していくしかないのだろうな。

ほるぷ「こども図書館」で絵本整理

ほるぷ「こども図書館」の最新版(第13次改訂版)を参考に、子どもたちの絵本の整理を始めた。
ほるぷの各コース収録作品リストは公表されていないようだが、表紙の拡大画像が見られる通販サイト(たとえばこちら)もあるし、ありがたいことに一覧を載せてくださっている個人サイトもいくつか見つかった(ただしいずれも「旧版」のラインナップ)。
めだかコースひよこコースこりすコース
めだかB・ひよこコース
ひよこコース
また、各コースに対応した子どもの発達段階も参考になる。

年内いっぱいを目途に、「めだかコース」から順にもう一度読み返していこう。
その上で、もう卒業していいものは年下のお友達にさしあげて、今読むべき本を取り出しやすい位置に並べ直すつもり。

リビングに教具コーナー

相良敦子『お母さんの「発見」―モンテッソーリ教育で学ぶ子どもの見方・たすけ方』を再読中。
冒頭から、ああ、最初に読んだとき、やってみようと思ったのに、結局それっきりになってたなぁ・・・と思い出すことがいろいろ出てくる。
たとえばこんな部分(p.15)。

「子どもが自分自身の成長のために必要な活動を好きなときに自由に選んで、その活動に心ゆくまでじっくり取り組むことのできる状況を子どもに与え」る

「教具棚を子どもの寝室から居間に移し、いつでも子どもの目に触れ手を出しやすいように」


大人のものを触って叱られるのは、子どもが悪いのではない。
「触っちゃいけない」と言う前に、それとは別に「自由に触っていいもの」を十分に与えていないことを親が反省しなくてはならないのだ。
本当に触られてはいけないものなら、それが守れる年齢になるまでは、触れないところに置いておけばいい。
子ども自身のための環境を整えておけないくらいなら、何もしないで無気力にぶらぶらされるよりは、親のものだろうと、何かに熱中して時間を過ごしている方がずっとましだ、と思うべきなのだ。

「子どもが触っていいもの」(教具というほどのものはないが)を“どこ”に置くかは・・・ちょっと悩んでしまう。
リビングにはなるべく子どものものを置きたくない、と思っていたのだが、現実には、毎日、子どもたちが子供部屋からおもちゃや絵本を持ってきてはリビングに散らかし、私が雷を落とす原因になっている。
裏を返せば、子どもたちはそれだけリビングで過ごしている、過ごしたがっている、ということだ。
実際、一番明るく広く使えるスペースなのだから、もっと柔軟に、来客時とそうでない時の使い分けを考えるべきなのだろう。
家で過ごす時間は、私の目の届くリビングで、子どもたちが自由に作業(いわゆる「お仕事」)を選んでできるように、飾り棚の一部を子ども用コーナーにしてみようか。
その方が、来客は来客でも子連れのお友達なら、子どもたちを遊ばせながら親子ともリビングで過ごすことができて、一石二鳥だ。
体裁を気にして“隠す収納”にしてしまうと、子どもたちが気軽に選べなくなってしまうから、大きさの揃った整理箱を並べてラベルをつけるなど、“見えそうで見えない収納”を工夫してみよう。

死と向き合う学習

子どもと一緒に「死」について考えられるようになるのは、何歳くらいからなのだろうか。
「日刊・小学校教師用ニュースマガジン」最新号(1484号・10/19発行)を読んで、ふと考えた。
今号の投稿者、札幌の大野睦仁先生は、担任2年目となった小学校6年生のクラスで「死と向き合う学習」をスタートさせたという。
6年生といえば12歳か13歳か・・・やはりそれくらいの年齢までは、現実の死を理解して糧にするのは難しいのかな。
少なくとも、親の方から敢えて死の問題と向き合わせるような取り組みは、論理的な理解力の方が優位になる9歳以降までは待った方がいいのかもしれない。

でも、その年齢に達する前に、子どもが身近な死に接するようなことがあった場合は、不自然に目をそむけさせるわけにもいかないだろう。
大野先生が授業の導入に使ったという下記の絵本は、そんなときに助けになってくれそうな一冊。
『おじいちゃんは106さい』(ポプラ社)
主人公は6歳の男の子。題材は、ひいおじいちゃんの死である。

もう一冊、下記の本も紹介されている。
『さよなら エルマおばあさん』(小学館)
こちらは写真絵本なので、より現実的。
子どもに見せる時期については慎重になった方がよさそうだが、大人の鑑賞にも耐える名作のようなので、親のために持っていてもいいかもしれない。