母国語と他国語への反応
山鳥 重『ヒトはなぜことばを使えるか―脳と心のふしぎ』より。
人は誕生直後には、人類が使っている音韻のすべてを区別する能力を備えているらしい。
しかし短期間のうちに、そのような能力は消滅とまではゆかなくとも、減弱してしまうようである。
そして自国語の音韻の弁別能力だけを発達させてゆく。(p.21)
この「短期間のうちに」というのは、米国のクールという学者の実験(1992発表)の紹介によると、なんと「生後6ヵ月以内」らしい。
6ヵ月の幼児は、まだしゃべりはじめてはいないが、すでに母国語の単位音の変化にのみ反応し、他国語の音韻特性には反応できなくなりはじめていたのである。(p.21)
生後6ヵ月ですでに、自国語と異なる音素分布をもつ他国語が聞き取れなくなってしまうとしたら、日本における早期英語教育などは無意味だ、ということになってしまうのだろうか?
日本に住む日本人夫婦の家庭で、子どもとの日常会話を「英語」にする、などという極端な試みさえ行なわれているようだが、子ども自身がしゃべり始める頃にはとっくに母国語(日本語)優勢が決まっているとすれば、これも“労多くして功少なし”になりかねない。
それとは別に、多言語国家や国際結婚家庭に生まれ、「同時並行的」に複数言語の中で育つ子どもたちの場合はどうなるのか、という疑問も残る。