階段で転んで額を負傷し、救急車と救急病院のお世話になってから4週間経った。抜糸も終わり、痛みも腫れも引いから怪我したことも忘れがちだが、絆創膏が目立つのか、「どうされました?」と今も聞かれることがある。


そこで、事細かに説明を試みるのだが、私が階段を踏み外したと聞き、「目測を誤られたんですね」と言ってくださった方がいて、これは上手い表現だと思い、以後、「目測を誤りました」を連発してきた。が、ある日、これは違うと気が付いた。予定していた場所まで私の一歩目の右足が到達しなかったのだから、目測を誤ったのではなく、自分の運動能力を見誤ったのだ。


それからはいろんな「見誤り」があるのではと気になり出した。ウクライナに侵攻したロシアに見誤りはなかったか。それを迎え撃ったウクライナに見誤りはなかったか。対立が続く米中各々に見誤りはなかったか。金融緩和を続ける日銀に見誤りはなかったか。


そんな世の中の見誤りについて妻に話をしそうになり、しかし、危ういところで口を閉じて黙り込んだ。下手に言えば、「私もあなたのことを見誤ったわ」と言われそうだから(汗)

同志社混声合唱団の重鎮、S橋さんから美術展への招待状が届いた。これまでも何度か「日本アンデパンダン展」のご案内は頂いているが、今回頂いた招待状には「第78回 現展」とある。「現展」は初めて聞いた名称だし、何のことかと調べたら、1948年結成の日本を代表する美術家団体と書かれていた。その団体の公募にS橋さんの作品が入選したのだから、これは凄いことだと会場の国立新美術館へと向かった。


受付でS橋さんからの招待状を出したら、「S橋さんの作品がどこにあるか、お調べしましょうか?」と尋ねられた。一瞬迷ったが、「いや、結構です」とお断わりし、最初から一枚々々作品を見て行くこととした。

 

最初に目を引かれた作品は「MATSURI」という作品だ。大文字焼きに花火や神社の鳥居、賑やかな通りは先斗町か木屋町か。京都人としては素通りできない作品だろう。



 次に良いなぁと思ったの「中世の佇まいが美しい」という作品だ。何度か出張で訪れたイタリアで、このように落ち着きのある街並みを見たように思う。イタリア人は歴史の中で暮らしているんだ、と思ったものだ。



 そして、S橋さんの作品が出てきた。「雲海の高尾山(京都)」という作品だ。雲海が静かに高尾山を下り、街にせまっているように見える。



紅葉が始まっているが、森の緑にも紅葉にも濃淡があって色に深みがある。更には雲海がそれらを柔らかく包み込んでいるから、じっと眺めていると、まだまだ色に変化が起こりそうに思えてくる。絵そのものは静かな風景だが、私はそこに動きを感じた。


字は性格を表すというが、絵もそれを描いた人の性格を表すのではないか。S橋さんは物静かに見えるが、実はじっとはしていられない好奇心や情熱をお持ちなのかもと思う。あまり偉そうに言うと、「じゃ、君も描いてみなさい」と言われそうだが、どんな絵になるかを考えたら怖くて描けない(笑)

アマゾンプライムで「ジーサンズ」という映画を観た。3人の老人が銀行強盗をするという荒唐無稽の物語だったが、人が撃たれたり殺されたりすることはないし、逆に、ところどころにプッと吹き出したり、ジーンと胸に迫ってくる場面があり、安心して観られる面白い映画だった。



原題は「Going in style」で、多分「カッコ良く生きる」という意味だろうか。確かに、私から見ると3人ともカッコ良く生きるジーサンだった。以下、役名ではなく、登場する老人たちを俳優名で語ると・・・

銀行強盗を計画し、着実に準備を重ねるマイケル・ケインは自分のことは自分で何とかするぞという自立の人だし、モーガン・フリーマンは病を抱えながらも弱音を吐かず、家族や回りの人たちに笑顔で接する強い人だ。アラン・アーキンは無愛想な老人だが、サックスを見事に奏でるし、年老いてもチャーミングなアン・マーグレットと出会って恋に落ちる情熱家だ。

同窓会も参加者が70才、80才になると前半は昔話、後半は病気と薬の話になるという。そういう時間があっても良いと思うが、それだけだとつまらない。私も「爺さん」ではなく「ジーサン」の分類に入れるよう頑張ってみよう。