一気に読んだ。

副題は「大学ラグビー部員たちの生と死」、帯には「戦争に翻弄されたラガーマンたちの青春の秘史」とあり、読み進むにつれ、戦争で命を落とされたラガーマンや、ラグビーを途中で諦めざるを得なかったラガーマンに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。



救いは三つあった。一つは、私の現役時代、指導に来てくださっていた京大ラグビー部OBの星名 泰先生のエピソードだ。話には聞いていたが、星名先生はテキサス生れだったことから「テキさん」と呼ばれていたこと、京大卒業後は満鉄に就職され「特急アジア号」の設計に携われたこと、敗戦後は日本に引き揚げる人たちのために尽力されたこと等が紹介されていた。星名先生は温厚な学者肌の紳士にしか見えなかったが、厳しい時代を戦い抜かれたラガーマンだっのだ。

 

二つ目は、敵性語の「ラグビー」が「闘球」と呼ばれるようになり、更には学徒出陣の断行や公式リーグ戦の中止から試合ができなくなった京大、東大のラグビー部が、「戦死する前に最後の定期戦をやろう」と国にも学校にも伏せて「秘密の定期戦」を実現されたエピソードだ。「試合後、両チームの選手たちは互いに肩を組み合って慟哭し、そして笑い、最後には声を合わせて唄った」というくだりで目頭が熱くなったが、ラガーマンの不屈の精神や潔さを物語るエピソードだ。

 

三つめは、広島で被爆された京大OB白水聖親さんのエピソードだ。昭和19年、陸軍に入隊された白水さんは広島の陸軍被服支廠に赴任される。原爆投下の日は市内に居られなかったので命拾いされるが、被災者救援のため市内に入って被爆される。それでも周りには被爆者であることを言わず、生来の明るく愉快な性格から周りの方々をいつも笑わせ、九州の迷惑ラグビー倶楽部では応援団長を長らく務めて若者を励まされ、多くの方から敬愛されていたそうだ。その白水さんが病床で息を引き取られる寸前、息子さんの「おい、中洲、行くぞ」という呼びかけに「うん」と頷かれ、その場にいた看護師さんまで思わず笑われたのだとか。最後の時まで周りを明るくされるとは、なんとも素敵なラガーマンではないか。

 

早稲田でラグビーをしていた父も学徒出陣しているので、あぁ、父はどんな気持ちでいたんだろうと、父の気持ちも想像しながら読んだ。平和な時代に生まれたことに感謝。

この本は、2021年の1月から4月に行われた同志社大学での講義をもとに構成されたものだとか。佐藤優さんのお話は校友会のイベントで何度かお聞きしているが、その博識ぶりや独特の視点、分析力には毎回感心させられる。今回も大変勉強になった。



 「産業社会に対応するためには、識字能力と計算能力が必要だ。そういった教育を広く行うことができるのは、国家しかない。国家による教育によって、国民の言語や認識が共通化される。そのようにして国家は文化的に同質な組織になる。そこからナショナリズムの意識は生まれてくるわけだ。つまり、ナショナリズムは教育が発端となっているわけで、その根源が人間の本性にあるわけではない。」

 

確かにそうだ。尖閣諸島周辺の領海に侵入する中国海警局の船や、竹島を実効支配している韓国は許せないと思うが、ほとんどの人は尖閣諸島や竹島には行ったことがないだろうし、この許せないという感情は私たちが自然に自分の家、町、故郷に抱く愛情とは違うように思う。

 

「教育現場でタブレット端末が導入されているが、その危険性に皆さんは気付いているかな? タブレット端末で検索すれば直ぐに答えが出てくる。しかし、検索はできるが自分の頭で考えられなくなる。そうすると子供たちは『ビッグデータやAIの方が自分たちより頭脳が上なんだ』と潜在的に刷り込まれる。将来、新しい形のプロレタリアートを増産するための教育だよね。」

 

恐い話だが一理ある。だから、イギリスやアメリカのエリート層はプラットフォームやアプリケーションを構築する側に回ろうとするし、ビッグデータやAIには敵わないという一般大衆は、だから低賃金で当たり前、という使われる方に回ってしまうという訳だ。う~ん、考えさせられる話だ。

 

救いはフランス革命のスローガン、自由、平等、博愛(佐藤さんはこれを「友愛」に訳すべきとおっしゃっている)に関して述べておられるところだ。「個人的な自由は大切だ。しかし、他人を蹴落としてまで、というのはいけない。ではみんな平等に、となると今度は個人の自由が制限される。自由を目指せば平等がなくなり、平等を目指せば自由がなくなる。その矛盾を乗り越えるものが『友愛』だ。同胞同士で助け合う。この精神が大切だ。国家とか宗教組織など体制的なものが助けると全体主義的になってしまう。そうではなく、民族や人種、階級、それぞれの立場を超えて互いに理解し、助け合うことで近代社会の矛盾を乗り越えていける。」


賢い個人、したたかな個人、そして優しい個人を目指そうと思う。

ピアノや音楽を教えておられるS先生とひょんなことで知り合い、生徒のお子さんたちのために毎年企画し、開催されているという「オペラごっこ」への出演を打診された。開催まで1ヶ月ちょっとしかなかったが、昨年催されたという「サウンド・オブ・ミュージック」の動画を拝見すると、手作り感満載ながら子供も大人も舞台で一所懸命に歌い演じておられるし、小規模だがオーケストラも参加されているようだ。これは面白そうだと好奇心が湧いてきた。



今年の演目はドイツの作曲家メラーの「白雪姫と7人の小人たち」で、S先生が登場人物の白雪姫、女王、小人たち、オーケストラ、混声合唱団のために5幕からなるオペラに編曲されたらしい。私が誘われたのは混声合唱団だが、英語の歌詞ながら暗譜ではないし、演技もないし、練習日も土日祝日だけだし、これは何とかなるとお引き受けし、一人じゃ寂しいからと、同級生のA山さんも無理やり誘い込んだ(A山さん、いつも強引でごめんね!)。


ところが、参加した練習ではお子さんたちがなかなか言うことを聞かない。いちばん幼い生徒さんは4歳、最年長でも11歳だから無理もないのだが、練習より休憩中のお遊びに夢中だ。その点、オーケストラの大人の方々には安定感があったのに、そこから新型コロナの感染者が出始めた。本番前日の練習でも全員が揃わないし、これはどうなることやらと不安なまま昨日の本番を迎えることとなった。

(リハーサルの模様)

そんな私の心配をよそに、リハーサルではお子さんたちが生き生きと舞台に上がり、ちゃんと自分の役割を演じ始めた。又、欠員の出たオーケストラには代わりの方が来て何事もなかったように演奏しておられる。そのお子さんたちの変化と、オーケストラの代役を引っ張ってこれるネットワークの凄さには心底驚いた。

(終幕後の記念写真)

結果は上々で、初参加の私も、無理やり誘われた同級生のA山さんも、我々の努力の成果を一応見ておこうと来てくれた各々の家族も、みんなが「良かったね」と言い合える「白雪姫と7人の小人たち」になった。

最後には子供たちを本気にさせた音楽の力、子供たちや仲間のためには一肌脱ぐよという音楽つながりの力を見せてもらったように思う。