このところ、AIに関する報道が増えているが、人類学者でゴリラ研究の第一人者とされる山極寿一さんが「何でもかんでもAIに頼っていると人間のサル化が進むぞ」と警告されている記事を読んだ。「このように理解したい」という私の思いが色濃く入るが、まとめると以下のようになる。



①ホモサピエンスの脳はだんだん小さくなっている。その理由は言葉や文字で記憶や考える能力を外部に出し、脳を使わなくなったから。この傾向がAI依存で益々進む。


②家畜の脳も野生種に比べると小さいことが分かっている。これも、人間がエサをくれるし、自己防衛も武器の手入れも必要なくなったし、更には繁殖まで人間に任せるようになり、考えることがなくなったから。


③家畜のことを笑ってはいられない。人間にあってAIにないものは「身体」で、身体があるから恥ずかしい、楽しい、嬉しいという感情が起きるのに、最近は体外受精や精子を買うこともできるし、人間が身体や脳を使わないとできないとされてきたことが、AIや外部に任せることが増えてきた。人間が主体性を喪失し、能動的でなくなると、欲望だけを持つ受け身の人間が増えてしまう。


④AIは情報の整理は得意だが、人間関係の処理だけは絶対にAIに頼ってはいけない。人間はAとBが何かをしていると、その2人が何を考えているかを予測できる。それを見ているCが考えていることも推理できる。人間はさまざまな人々が絡み合う事態を想像することで、この複雑な社会で正しい判断ができるようになっている。


⑤しかし、サルは相手が強いか弱いかだけで判断し、序列に沿って、それぞれの利益や効率を優先した行動を取る。AIも情報を整理し、論理に沿って相談者の利益や効率を追求した回答をするが、感情がないから人間のことは理解しきれないし、相談者に共感することもない。だから、AIに従えば、人間は間違いなくサル化する。



以上、私はサル化したくないと思っている人間だが、先日のサッカーW杯でもAIが活用されたようだし、自衛隊もAIを導入するという報道まであった。


自動車の普及で移動が楽になり、人間の足腰は弱ったに違いないし、携帯電話を持ち始めてから友人や取引先の電話番号を覚える必要もなくなった。それを思うと、便利さとの引き換えに持っていた能力を失ったとも言えるが、「考えて結論を出す」という作業だけは放棄してはいけないのかなと思う。

父は昭和19年12月に学徒出陣した。その前年の昭和18年に早稲田大学に入学したばかりだった。

 

 

出征に際しては近所の皆さんの見送りを受けたらしい。写真の左端に父を見詰める祖父が写っているが、さぞかし心配だったろうと思う。

 

 

父は陸軍が編成した海上特攻挺部隊に配属され、訓練中に終戦を迎えたらしい。だから、8月15日の終戦記念日を迎える度に、「戦争があと3か月続いていたら、ワシは生きていなかったかも」と言っていたのを思い出す。もし父が戦死していたら、私はこの世に生まれていない。多くの方々の犠牲の上に今の平和がある。感謝。

先々週、沖縄に向かう飛行機の中で、退屈したらしい孫たちが「絵しりとり」なるものを始めた。「しりとり」は声に出さないとつながらないが、声の代わりに絵を描いてつなぐなら回りの迷惑にならない筈。なるほど!



リンゴ、胡麻、マスク、熊、まな板、たんこぶ、豚、蛸、独楽、ママ、街、近い(形容詞だけど・笑)、犬、ぬいぐるみ、ミルク、栗、律(孫の一人・笑)、積み木、木、キツツキ、着物、のび太(ドラえもんから・笑)、太鼓、鯉のぼり、リス、スイカ、亀、メダカ、柿、木登り、リンゴ、ゴリラ、ラッパ、パンツ、釣り、リュックサック、クリスマス、スズメ、眼鏡、猫、コキア、足、死体、印鑑(ん、で終了、見事!)。

私も仲間に入れてもらい、孫たちをリードするつもりが「おじいちゃま、まだ思い付かないの?」と急かされたり、「み、ならミルクはどう?」と教えられたり、子供たちの成長と自分の老化を感じさせられる時間になった。記念に絵しりとりの紙はもらい、感謝を込めて色鉛筆でぬり絵した。