日本基督教団 田園調布教会には立派なパイプオルガンがあり、定期的にオルガン・メディテーションを催されている。教会員の方が交代で演奏されるようだが、たまたま今月は男声讃美歌研究会のピアノ伴奏でお世話になっている市◎さんがご当番とのことで、「パイプオルガンと一緒に歌いませんか?」と誘われた。どんな演奏になるんだろうと興味が湧き、その場でお受けした。



本番まで4回しか練習がなかったが、2回目の練習が土曜日の午後にあり、午前中にレッスンを受けたバイオリンを背負ったまま合唱の練習に駆け付けたら、「一度、ボルさんのバイオリンを聞いてみたいなぁ。弾ける?」と合唱予定の J.S.バッハ作曲「Bist du bei mir」の前奏9小節を弾くように言われた。

何とか頑張って弾いたところ、「おぉ、バイオリンの音がした!」みたいな声が上がり、何か過去にこういう光景を見たことがあるなぁと感じ、ハタと気付いた。這い這いしていた赤ちゃんが初めて立ち上がり、回りの大人から「あっ、立ったぞ~!」と喜びの声を掛けられる光景だ(笑) 元・ラグビー選手がバイオリンを弾くなど、想定外の出来事だったのだ。

本番前日の4回目の練習では、W.A.モーツァルトの「アレルヤ」も弾けるところだけ弾いてみたらと誘われ、これもお受けした結果、帰宅後、バイオリンにミューターを付けて1時間練習することとなり、最後には左手がつってしまった(笑) そんなこんなで迎えた本番だったが、終演後、一緒に演奏くださったメンバーも会場におられた皆さんも「ご苦労さま」と声を掛けてくださったから、「もう、簡単には引き受けないぞ」という決意が少し弛んでしまった(笑)


私が好きなジム・ロジャースさんの新著。副題は「混乱する世界をどう読むか」で、少しでも考え方を整理できればと読み始めた。



納得したところ、読み返したいところはページの端を折る癖があるから、ジム・ロジャースさんの本はだいたいこうなる。


特にストンと落ちたところがいくつかある。先ず、原油や天然ガスなどのエネルギー、金や銀、銅やリチウムなどの貴金属、トウモロコシや大豆などの穀物の価格が今後も上昇するのではという指摘。紙幣は容易に印刷できるし、事実、新型コロナを契機に多くの国が紙幣を大量に印刷しているから、急に増産できないものの価値は相対的に上昇するように思う。

もう一つ、債務が増えている国の通貨は価値が下がるから敬遠されるし、ウクライナ戦争を巡る米国の対応が米ドル離れに拍車を掛けているとおっしゃるが、一方で、米ドルに代わる基軸通貨は未だ見当たらないとおっしゃる。確かに、中国の人民元は未だブロック通貨(制限付きの通貨)のままだ。

しかし、今、最も多くのエンジニアを排出しているのは中国でアメリカの10倍以上になるというし、中国の人口を考えると巨大な消費市場になる可能性を秘めている。日米関係が重要であることに異論はないが、中国との関係も今後ますます重要になるように思う。

表紙には「この浮世絵、よく見ると ちょっとヘン!?」と書かれているし、著者の若林 悠さんが記された「はじめに」の冒頭には「江戸の知性を紹介したい」とあるから、いったいこれは何のことやらと興味が湧いた。



鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍と維新政府軍の内線が勃発し、自分たちの住む場所が戦場になると考えた江戸の庶民は、表面上は従順さを装いながらも、登場してくる武士やエゴ丸出しの諸藩を極めて冷徹な目で見て非難し、軽蔑し、時には応援したりするようになるが、そういう情報をテレビもラジオも新聞もなかった時代に江戸庶民に提供したのが浮世絵だというのだ。


中でも豊原国周の「善悪鬼人鏡」は、お上を非難することがご法度のこの時代に、対象となる武士や藩を人気の役者に仕立てた上で、思う存分弄ぶという浮世絵を描き、シリーズ化している。感心するのは、役者に仕立ててはいるが、それが誰なのかが分かるヒントを加えていることだが、それが理解できた江戸庶民の知的レベルも相当高いということなのだ。



これは勝海舟を描いたもので、実在した江戸初期の学者、由井正雪をモデルにした宇治常悦という役柄を五代目・大谷友右衛門という歌舞伎役者が演じたものとして描かれている。では、これが勝海舟だと分かるヒントは、①着物柄の花びらは平仮名(くずし字)の「か」、②花芯はカタカナの「ツ」で「勝」、③輪(わ)の中の文字は「あ+の」で「安房守(あわのかみ)」という勝海舟の官職名、④手に持っているのは「羅針盤」等々だが、当時の江戸っ子は薩長政権を望んでいなかったから、江戸無血開城に貢献した勝海舟を実は批判している。それが分かるのは、①左上の星三つは長州藩の家紋「一文字に三つ星」に通じる、②五代目・大谷友右衛門の定紋は丸十で薩摩藩の家紋「丸に十文字」と同じ。すなわち、勝海舟は長州藩やは薩摩藩の手先だと言っているとのこと。


何でもかんでも言いたい放題が可能な現代とは違い、当時の江戸は危険を侵してでも言いたいことを言うという情熱と知恵があったということか。勉強になった。