表紙には「この浮世絵、よく見ると ちょっとヘン!?」と書かれているし、著者の若林 悠さんが記された「はじめに」の冒頭には「江戸の知性を紹介したい」とあるから、いったいこれは何のことやらと興味が湧いた。



鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍と維新政府軍の内線が勃発し、自分たちの住む場所が戦場になると考えた江戸の庶民は、表面上は従順さを装いながらも、登場してくる武士やエゴ丸出しの諸藩を極めて冷徹な目で見て非難し、軽蔑し、時には応援したりするようになるが、そういう情報をテレビもラジオも新聞もなかった時代に江戸庶民に提供したのが浮世絵だというのだ。


中でも豊原国周の「善悪鬼人鏡」は、お上を非難することがご法度のこの時代に、対象となる武士や藩を人気の役者に仕立てた上で、思う存分弄ぶという浮世絵を描き、シリーズ化している。感心するのは、役者に仕立ててはいるが、それが誰なのかが分かるヒントを加えていることだが、それが理解できた江戸庶民の知的レベルも相当高いということなのだ。



これは勝海舟を描いたもので、実在した江戸初期の学者、由井正雪をモデルにした宇治常悦という役柄を五代目・大谷友右衛門という歌舞伎役者が演じたものとして描かれている。では、これが勝海舟だと分かるヒントは、①着物柄の花びらは平仮名(くずし字)の「か」、②花芯はカタカナの「ツ」で「勝」、③輪(わ)の中の文字は「あ+の」で「安房守(あわのかみ)」という勝海舟の官職名、④手に持っているのは「羅針盤」等々だが、当時の江戸っ子は薩長政権を望んでいなかったから、江戸無血開城に貢献した勝海舟を実は批判している。それが分かるのは、①左上の星三つは長州藩の家紋「一文字に三つ星」に通じる、②五代目・大谷友右衛門の定紋は丸十で薩摩藩の家紋「丸に十文字」と同じ。すなわち、勝海舟は長州藩やは薩摩藩の手先だと言っているとのこと。


何でもかんでも言いたい放題が可能な現代とは違い、当時の江戸は危険を侵してでも言いたいことを言うという情熱と知恵があったということか。勉強になった。