同じく、日経のビジネス誌にあった記事。


「人生に遅すぎるということはない」


日清食品の創業者、安藤百福氏の言葉だ。実業家として順風満帆の人生を歩まれたのかと思いきや、メリヤス販売で財を築くも戦災で失い、戦後始めた製塩業では脱税の疑いから収監され、その後、理事長を任された信用組合は経営破綻。このとき、安藤氏は46歳だったという。度重なる不運を嘆いてもおかしくないと思うのだが、安藤氏の闘志は萎えることを知らない。庭に建てた小屋の中で早朝から深夜まで即席ラーメンの研究に没頭する。そして「チキンラーメン」が完成、48歳の夏のことだ。


肉体年齢にとらわれ、自ら限界を決めてはならない・・・・安藤氏が「人生に遅すぎるということはない」という言葉に込めたかった戒めだろうか。それにしても、もし戦争が起こらず、メリヤス業が順調だったら、又は、理事長を任された信用組合が破綻しなければ、チキンラーメンはこの世に誕生していなかったのかも知れない。そう考えると、何かが起こったとき、単純に運不運のみを語るのは時期尚早で短絡的に過ぎる。特に、思い通りに行かなかったときの心の持ち方が極めて重要ということだろう。


不運だと感じたときは、チキンラーメンを思い出そう。



ボルネオ7番のブログ-チキンラーメン



日経のビジネス誌に面白い記事があった。

日本大学大学院 総合科学研究科の林 成之教授が書かれたもので、「バンクーバー冬季五輪で浅田真央選手がミム・ヨナ選手に勝てなかったのは実力差ではなく、彼女が大一番を前に『勝負脳』になっていなかったからだ」としている。そして意外にも、林教授は「キム選手を打倒したいと強く願い、勝負に執着したことが浅田選手の敗因だ」とまで言うのだ。


林教授によれば、脳には「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」という根源的な本能があるのだそうだ。問題は、この3つの本能に逆らう行動をすると、脳に迷いが生じてしまうと言うのだ。すなわち、「敵に勝ちたい」と思うことは「仲間になりたい」という本能に逆らうことになり、結果として脳が混乱し、集中力は高まらず、ミスをする可能性が高まるらしい。


この本能に上手く対処した選手として、北京五輪の北島康介選手の名前を上げている。北島選手には米国代表のハンセン選手というライバルがいたが、北島選手は彼を敵とは認識せず、「自分を高めてくれる大切な仲間」と意識し、「ハンセンと一緒に世界中の人を感動させる泳ぎをしよう」と考えたらしい。林教授は「脳科学的には、これこそが正しい勝負脳のあり方」と説く。


あながち、それを笑って否定できないのは、勝ちたいとか勝とうとか考える余裕がない時の方が、確かに迷いがなく力強いプレーをしたような気が私もするからだ。又、身体のどこかに怪我や故障を抱えているときの方が激しいプレーをしたようにも思う。これらは「無心」の典型例だろうが、更に、「相手は大切な仲間や。さぁ、一緒に観客を唸らせよう」みたいな心境になれたら、多分、固い表情も緩み、笑顔になるような気がする。その笑顔こそ、会心のプレーを引き出す余裕の証かも。



ボルネオ7番のブログ-花


創部100周年を祝う行事があり、京都に帰省した。


ボルネオ7番のブログ-パーティ会場


形式張ったパーティになるんだろうなと思っていたが、予想を裏切り、実に感動的で、思わず涙が出そうになる場面まであった。


創部100周年を祝うくらい歴史のあるチームなので、出席者も80代から現役の高校生、中学生まで、悠に親子三代を超える年齢層から集うことになる。私は真ん中から少し上の年齢だが、60代以上の先輩や40代以下の後輩をほとんど知らない。自然と、年代毎に作られたテーブル内だけの会話があちらこちらで進むことになる。


そんな中、チームを永年に亘り指導してこられた大先輩のM尾さんやI藤さんの記憶に残る「最も勇気あるタックラー」や「最も良く働いた女子マネ」、又、「M大先輩に殴られたことのある、たった一人の選手」が写真と共にスクリーン上で紹介された。現役の高校生だった頃の写真や新聞記事、その後の活躍や人生がユーモアたっぷりに、時にはシンミリと紹介される。その度に笑わされ、そしてジーンと胸に迫る感動を味わうことになったが、気が付くと会場が見事に一体化していた。


「共通点を探せば友人になり、相違点を探すと喧嘩になる」と聞いたことがあるが、80代の長老OBから20代の若手OBまで、参加者全員が各々の現役だった頃を思い出し、同じような経験や似たような仲間を思い浮かべ、一気にタイムスリップできたのではないか。我々の共通点は高校時代に同志社でラグビーをしていたことであり、その原点に戻れば、年齢こそ違え、我々はラグビーに情熱を傾け、ゲームの勝敗に泣いたり笑ったりして青春を過ごした仲間同志なのだ。


ボルネオ7番のブログ-サイン入りボール


さて、私がウルウルしたのは、選手たちが感謝の気持を込めて女子マネに贈ったという、選手たちのサイン入りラグビーボールが写真で紹介されたときである。彼女はそのボールにつき、「私が死んだ時、棺桶に入れてもらおうと思った。今でも真面目にそう思っている」と語ったのだ。その話を聞いて、選手たちと女子マネの心の交流を思い、その感動が今も息づいていることを知って、目頭が熱くなった。何と素晴らしい後輩達。人の痛みや苦しみを理解し、その為に自分にできることをする。それを知ったときには、心から感謝する。そういう素敵な先輩や後輩が多かったから、こうして100周年を迎えることができたのだと思った。